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ゆっくりと話そうか。──・・・と言いながら、距離が近すぎませんか?

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 「あぁ、もう来てくれないかとヒヤヒヤした」

 オルビアは背後と前方を目を白黒させながら、何度も確認した。
 後ろでは一礼をした男性が本棚を閉め、そこにはまた別の本棚。
 どうなっているのだと確認したいが、正面にいるユスファリムは、嬉しそうに両手を広げて近付いてくるのだから、このままでは抱き込まれてしまうとオルビアは手をあげて静止を促した。

 「あのっ! 殿下、これはいったい……」
 「……正面から俺の部屋に入ったら、一応婚約者のいる君では体裁が悪いと思って、忍んで貰ったんだ」

 随分と崩した物言いと、ラフな格好の彼を前にして、オルビアは自分と同じことにほっとするのと同時に、化粧をしてこなかった事を思い出した。

 ばっと、ユスファリムに背を向けたオルビアは、あのユスファリム付きの従者にも素顔を見られてしまったと頬を両手で抱えて、かぁっと赤くなったり、さぁっと青くなったりしてしまう。
 オルビアは厚化粧というわけではないが、その顔にはこどものようなそばかすが仄かに残っている。
 年を経る毎に薄くなってきたが、それでもまだ仄かに残っているソレを、オルビアは、化粧で隠していた。
 形のいいアーモンド型の猫目に、長く多い睫毛、ツンとした鼻とプックリとした小さな口。
 オルビアの顔のパーツは、バランス良く父と母から受け継いだものだ。
 だが、そばかすだけは顔も知らない曾祖母からの忘れ形見。
 そして、それは恐らく……4人目のオルビアだ。

 子どもの頃の彼女は、オルビアと生き写しだ。まるで、全く同じ道を歩かなくてはいけないかのように似通っていた。
 そこへ、アルベルトが恋人を作ったのだ。順番は逆だったとしても、ストーリーは沿い始めていた。
 そう、沿い始めていた・・・
 何かが変わったのはあの日の夜、ユスファリムと話してからだった。

 「いけないよ、レディオルビア。そんなに暗い顔はしてはいけない。君には、花のような笑顔が似合うのだから」
 「きゃっ、……ユ、ユスファリム殿下っ!」

 オルビアの背後から、腰にスルリと逞しい小麦色の腕が絡まり、背の高いユスファリムの頬がオルビアの頭に寄せられる。
 背中越しに感じる彼の逞しい体付きは、薄手のワンピースがしっかりと伝えている。
 布越しに感じる体温が、自分とは違う人間に触れられている事をまざまざと知らしめた。
 恋人らしい事など、アルベルトとしたことなどない。あるとすれば、手を繋いで、可愛らしい小鳥がするような口付けを一度したくらいで、もう久しくそんなことをした覚えがない。

 だからなのか、オルビアはユスファリムが当然のように体を寄せる行為を、どう受け止めるべきか分からない。
 分からない事が、オルビアを酷く惨めにさせた。



 王女として、それこそ生まれたときから、国内の淑女のお手本となるべく教育された彼女は、ルアンヌという国柄、愛情表現の乏しい男性陣の中でも、高嶺の花としてもてはやされた。
 10代にしては妙に大人っぽく、色気のある雰囲気を纏い、時たま儚げに揺れるブルーダイヤの瞳が盛りの年頃である紳士たちの的にならないわけがない。

 だが、そうであってもオルビアは高嶺の花なのだ。
 王やクリストファーの許しのない男が、彼女に近付けないのは、紳士たちの間では暗黙の了解だ。───知らないのは本人ばかり。
 真綿で出来た鳥籠に入っている、神々しいまでの美しさを誇った鳥だ。
 そんな過保護な王とクリストファーが、アルベルトに何もしなかった訳ではない。
 このままオルビアに不誠実を行うのなら、コルジャック家の家名は、アルベルトではなく14歳の弟に継がせる事になっている。簡単な話だ。家名を継いで、宰相となり王の腹心になりたければ、クラリスと手を切り、オルビアを生涯愛して幸せにしろと言うだけのこと。
 
 だが、アルベルトとクラリスはとにかく別れたくない。
 何がなんでも別れたくなかったから、亡命でも何でもして、結ばれていたいと思ったのだ。

 もちろん、そんな話はオルビアの耳には届いていない。そんな無茶な条件を出されても、離れることを選ばなかったと知ったら、傷付くに決まっている。だから、クリストファーは頭を抱えたのだ。
 他国にまで来て、クラリスが着いてくるなど……。
 僅かな期待も虚しく、クリストファーは賭けに負けた。


 「オルビア嬢…オルビアと呼ばせて欲しい。ダメか?」

 「ダメ」と言えればどれ程楽だろう。
 大国の王となる人間に歯向かえる程、肝は座っていない。と思いながら、この人には何度か手をあげてしまっている。

 「…二人っきりの時だけにするから……お願いだ」

 返事に困っているオルビアに、ユスファリムは甘えた声で懇願する。
 あの低く掠れた声が少しだけ高くなって、伺うように弱々しく発せられた事に、何だか可笑しくなってしまった。
 威厳も自信もあった彼は何処へ行ったのか。

 「分かりました……ふ、二人の時だけ、ですよ?」
 「あぁ! もちろんだ! やった」

 ぎゅっと抱き締めて、ゆるゆると優しく体を左右に揺すられ、なんとも子供っぽく可愛らしい反応が返ってきた事に、オルビアはふふっと口の中で笑いを噛み殺した。

 「オルビア」
 「はい」
 「オルビア」
 「…は、はい」
 「あー、オルビア、かわいいよ、本当に」
 「っ?! お、お止めくださいっ」

 嬉しそうに繰り返される自分の名前に、こんなにもむず痒く感じた事があっただろうか?
 いや、そもそも、オルビアの名前をこんなにも甘ったるく呼ぶ異性はいなかったのだから、慣れないのは仕方がない。


 「オルビア、俺のことはファリーと呼んでくれ」
 「そ、そんなことっ」
 「ダメだ。俺だけ浮かれているみたいだ。……ほら、そのかわいい口で呼んでくれ」

 フニっと、ユスファリムの親指がオルビアの唇を撫でる。
 腰に回っていた手で、クルリと向かい合わせにされると、眼前のユスファリムは何とも楽しそうだ。
 オルビアは、目の前で甘く蕩けそうな表情をするユスファリムから、逃れたくて……でも、逃げられずにモゴモゴと口を動かした。

 「…オルビア、聞こえない」
 「…っ、ふぁ…りー、さまっ」
 「様はいらないから、もう一度」

 そんな馬鹿なっと、驚いて顔を上げたがユスファリムは変わらずに楽しそうにしている。
 昨日からの彼はどこか、噂で聞くような冷たい男には見えない。
 型にはまったような美しい女性への接し方とは真逆の表情。ペタリと張り付いた無表情で、完璧なエスコートをする彼は、いつしか舞踏会では氷の王子等と呼ばれていた。
 だが、オルビアが接した彼は決してそんな、血の通っていない王子等とは縁遠い。噂と違う、熱を孕んだ彼の視線に、オルビアの心はジクジクと小さな小さな熱を産み始めている。


 「ふ、………」

 大きく深呼吸したオルビアは意を決したように、ぐっと唇に力を入れた。

 「ファリー」
 「オルビア……愛しい人」
 「……は、恥ずかしい、から」
 「あぁ、もう一度呼んでくれ」
 「い、いゃっ」

 嫌と口にする唇を、熱く柔らかな物に塞がれた。
 それが唇だと理解したのと、噛み付いたのは同時だった。
 ピクリと反応したユスファリムは、それでも触れ合った唇を離しはしなかった。

 口内に広がる血の味に、オルビアがギュッと目を閉じた。
 またやってしまった。しかも今度は流血だ。ただでは済まないかもしれない。
 それなのに、ユスファリムは密着を解かない。

 しばらくして離れた唇に、オルビアはカタカタと震えながら縮こまった。
 謝罪しなければ。だが、謝ったところでユスファリムに怪我を負わせた事実は無くなりはしない。
 不敬罪にあたる。しかも、彼はもう国王となる身だ。そんな人間に不敬を犯すなど、死罪となったとて。


 「オリビア、すまない」
 「……え?」
 「また先走ってしまった。だが、思いの外刺激的だったな」

 ユスファリムはペロリと舌で赤くなった唇を舐めて、ニヤリとして見せた。
 それだけの仕草で、オリビアは息も忘れて羞恥に顔を赤らめ、ユスファリムに旋毛を向ける。

 恥ずかしくないわけがないし、傷を付けられたはずのユスファリムにまた先を越された。
 謝らなければならないのは、手をあげた自分なのにいつでも彼は自分が悪いと先に謝るのだ。



 まるで、オリビアがユスファリムにすること、与えることは全て正当であるかのようで、彼女はそれにむず痒さを覚えた。


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