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お忍びとはまさにこの事。

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 アルベルトとクラリスの密会がバレてからも、懲りずに王宮を抜け出した彼に、正直呆れるよりも尊敬の方が勝ってしまった。

 オルビアは湯浴みも済ませて寝室に入ったが、そこにアルベルトの姿はなかった。ということは、そういうことだろうと理解した彼女は体をベッドへ投げ出した。

 昼間、招待された淑女たちの目の前で起こった出来事が、アルベルトの耳に届いていないわけもない。
 だが、彼らにとってしてみれば好都合なのかもしれないと思い、また呆れたため息をついて、クルリとうつ伏せになった。


 オルビアは、ユスファリムからの恥ずかしくなるほどのストレートなアプローチを思い出して、仄かに頬を染めた。
 これまで……いや、過去の4回を振り返っても、オルビアに対して真っ直ぐ愛を囁いて口説いた男はいない。
 物静かで、少し冷めたようにも感じる男性とばかり出会って結婚したからなのか、恋愛と断定するには少々難しいやり取りしかしてこなかった。


 「……世の中の夫婦は皆、あんな風に口説かれたり触れられたりは当たり前なのかしら」

 ポツリと呟いて、回りのご夫人方を思い返したが、奥ゆかしく仲睦まじい様子しか思い出せない。
 そもそも、ルアンヌではあからさまな態度は好まれない社交文化のため、オルビアには物珍しいのは当たり前なのだ。

 だからこそ、アルベルトが急変したことに動揺とショックを覚えたのは確かだ。
 

 コンコン──


 軽くドアをノックする音に、オルビアはベッドから身を起こした。
 日も沈み、後は紳士たちが酒を呑みに出掛けるだけのような時間に、淑女の部屋を訪れる人物など思い付かない。
 グラハムだろうか、とも思ったが、彼が仕事をやり忘れる事などない。

 「…どなたでしょう?」

 少し身構えて、ドアに向かって声を出すが返事はない。
 聞き間違えかとも思ったが、それにしてはハッキリと聞こえた。
 オルビアは、ゆっくりとドアノブを捻って少しだけドアに開けた。隙間から覗くように廊下を確認しかたが、誰もいない。
 やはり聞き間違えなのだろうかと、さらにドアを開いた所でコツンと何かに当たったようにドアが少しだけ止まる。

 「………本? だわ」
 
 アインレッドに金細工、表紙には『5の魂、輪廻を渡る』という、昔話のタイトルが記されている。

 「これ、良く読んでいたわ」

 オルビアは懐かしさに、パラパラと中を捲った。
 中盤、半ビラの紙が挟まっている事に気付いたオルビアは、その紙に書いてある事に昼のユスファリムからの囁きを思い出して、ボッと音がする程に顔を赤らめた。


 『遅くにすまない。渡した本を手に持って、図書室までおいで。場所は、部屋を出て左から来る侍女に聞くといい。美味しいお茶とお菓子を用意して待っているよ。 昼間の誘いより』


 オルビアは、鏡の前を行ったり来たりしながら何度も鏡に映る自分を見直してはどうしようかと迷う。

 化粧も落としてしまったし、ナイトドレスだ。
 軽微なワンピースは持っているがそれで行っても良いのだろうか?
 まさか、あれは冗談でもなんでもなかった、本気の誘いだったとは思わず、もうすっかり寝る準備まで整えてしまっている。
 普段薄化粧ではあるが、かといって化粧をしないまま紳士に会うなど、裸になるようなもの。オルビアは、一先ずナイトドレスを着替えて、簡素なワンピースになった。
 だが、こういう夜の誘いは初めてだ。
 昼間のような化粧をすれば、期待しているように見えないだろうか?
 いや、だからといって素のまま赴くのは淑女としてどうかと思う。
 では、軽く化粧をするかと鏡に向かったところで、またドアがノックされた。


 「左より参りました。殿下より言付けです。図書室は、この先の廊下を左に曲がり突き当たりの階段を1度登って右側にある扉の向こうです」


 ユスファリムのメモは何と書いてあった? と、オルビアはドキリとする。
 部屋を出て左からくる侍女に、図書室の場所を聞くように言われたはずだ。
 ということは、オルビアはユスファリムが思っていたよりも、準備に時間をかけてしまった。
 慌てたオルビアは本を両手に抱えて、足早に部屋を出た。
 外にはもう誰もいない。

 オルビアは走らないようにしながら急いで廊下を進んだ。
 それでも、どうしてこんなにも急いでいるのか分からない。
 だが、ざわつく胸の鼓動も、はやる思いも、オルビアの足を前に前にと急がせる。

 たどり着いた両開きの大きな扉を前に、オルビアはゴクリと喉をならした。

 ここを開けてしまえば、きっと後戻りは出来ない。
 どんなことが待っているのかは分からないが、きっと悪いようにはされないだろう。
 だが、ここを開けて彼に出会い、何かが変わったりするのだろうか?
 また、彼の前に別の誰かが現れて、その誰かと恋に落ちて、オルビアへの想いが勘違いだったと言われたら、また捨てられてしまったら………。

 オルビアの足が後ろに半歩下がる。
 と、測ったように扉が開き、背の高い燕尾服を来た壮年の男性がキョトンとした顔をしてオルビアを見下ろした。

 「お待ちしておりました。こちらへ」

 体の向きを変え、中に促すような仕草をされて、引き下がるわけにもいかず、オルビアは下げた足を前に進めた。

 男性は、いつもユスファリムの近くにいる人間だろう。何度か見たことがある。
 オルビアは胸に抱いたままの本にきゅっと力を込めて、彼の後を歩いた。
 ビッシリと本の詰まった豪奢な棚が壁いっぱいに広がり、それでも収まらなかったのだろう、迷路のように背の高い本棚が部屋を埋めている。


 「ここは、ユスファリム殿下が管理している書庫です。以前はここまで多くなかったのですが、幼少より本の虫の様にかじりついて読んでいたのが懐かしいですな。国内だけでは飽きたらず、各国より取り寄せた本で埋め尽くされてしまいました」
 「ユスファリム殿下は、とても熱心な方なのですね」
 「…熱心というよりは、知らないことがあってはいつか後悔するかもしれないと、知識に対して貪欲な方なのです」


 穏やかな声が、静かな図書室の中で響く。だが、所狭しと並べられた本棚が声が響くのを防いでしまうせいで、思ったよりも小さな声に感じる。
 本当ならもっと反響するのかもしれないが、それはそれでこの状況の中では、いけないことをしているようで(実際にあまり誉められるような事ではないのだが)、気が気ではないので、秘密のように話される会話にほっとする。

 「こちらです。」

 連れてこられた場所は、壁に赤い背表紙の本がビッシリと埋め尽くされた背の高い本棚がある袋小路のような場所だった。
 ユスファリムがそこにいるような気配は勿論ないし、ここで待つにしても椅子もテーブルもない場所で密会など、王になるような人物がするだろうか?
 オルビアは、湧き出る疑問をそのまま表情に出して、目線だけをキョロキョロと動かした。

 「……ではオルビア嬢、お持ちいただいた本を戴けますか?」
 
 胸に抱き締めていたその本を手渡すと、男性は本棚の中のいくつかの本を入れ替え、ビッシリと埋められていた本棚の中に、ちょうど一冊分程の隙間を作ってしまった。

 「え?! す、すごいわ! 魔法みたい!」
 「…お褒めに預り光栄です………では、どうぞごゆっくりと」
 「え? どうい…ぅ……えっ?!」

 本棚はギッと小さく軋んでから、向こう側に向かって開いた。
 その先で、ユスファリムが満面の笑みを浮かべ、両手を広げていた。

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