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根回しとはこうやってやるのだよ。

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───あの日の夜。


 ユスファリムは、ガゼボを出てからすぐ、もう一度ラウンジへ向かった。
 まだ、胸の鼓動が止まない。肌寒い程の気温な筈なのに、体が熱を帯びているのは、錯覚ではない。

 「殿下、オルビア様を部屋へお送りいたしました。アルベルト殿はまだ戻られていないようです」
 「まぁ、そうだろうな。小銭程度で、俺が管理する騎士たちをどうにかできるなど……片腹痛い。場所は分かっているのか?」
 「はい。海近くのスイートにコルジャック家付きの従者の者の名で予約が入っておりました」
 「……おい、あの男はバカなのか?」
 「さぁ…ただ、あの宿は王立ですから家名がない者では予約も出来なかったのでしょう」

 サクサクと青々とした芝生を踏みながら、足を進めるユスファリムは、何と手応えのない恋敵を相手にしているのかと、頭を抱えたくなった。

 「それで、ラウンジにはどれ程の者がいる?」
 「ほとんどの方がまだ残っておいでです」
 「そうか…では、しっかりアピールしなければな」
 「……楽しそうですね、殿下」
 「あぁ、これまでで一番、楽しい」


 ユスファリムが高揚する気持ちを珍しく表現していることに、長年付き添っている壮年の執事は驚いていた。
 社交界で、ユスファリムの評判はかなり良い。だが、媚びて近付こうものなら手のひらを返され、以後舞踏会で相手にすらされない。
 忖度を嫌い、媚びを嫌うユスファリムは、相手にする人間の心根を良く見ている。自分に近寄る者が何を見てユスファリムの傍にいたいと願うのか、それが透けて見えているようだった。





 「父上、ルアンヌとの今後をどうお考えか?」

 クリスタルグラスに琥珀色の美しい酒が揺れ、他国の貴族と談笑をしていた国王はその声に険しい視線を向けた。

 「楽しい酒の席で、何を口走っているのか……理解出来ないお前ではないだろうな?」
 「……父上、私は酒に酔うほど弱くはありません。……理解した上で、この場で話をしているのです。」

 今、戴冠式までの5日間で国に呼んでいる貴族は、親交もあり、今後も共に歩める志しのある国から招待している。
 過去に因縁のあった国だっているのだから、この場でことを荒立てるほど、ユスファリムはバカではない。

 「父上、貴方は母を愛しているのですよね?」
 「おい、脈絡もなくなんだ」
 「他国に婚約者のいる母を、父は愛して物にした」
 「……戴冠前に、親子ゲンカだけはさせるなよ?」

 挑むような鋭い視線に、ユスファリムは引退などまだ早いだろうにと思う。どうせ、母との時間を早々に作るための口実だ。
 
 「いいえ、ケンカなど……血は争えないと実感したまでのこと…」
 「ほぉ…それはまた面白いことを」

 国王がニヤリと笑ったところで、ユスファリムはクルリと振り替えって、別の貴族と談笑するクリストファーを目にとめた。
 クリストファーの横顔は、一見すれば楽しそうなものだが、その実すでにアルベルトが王宮を離れている事を耳にしている。──もちろん、ユスファリムの指示を受けて動いた従者からの報告だ──
 それを臆面にも見せない辺り、その仮面は分厚いらしい。


 「……クリストファー殿、貴方は妹君が幸せであることを願っておられるか?」

 突然振られた話に、道筋も検討がつかないのか、クリストファーが返事をするまでには時間を要した。

 「……妹には、王族の姫として幸せでいて欲しいと思っております」
 
 ユスファリムよりも2つ年上の彼は、もうすぐ王になろうという年下のユスファリムに対して敬意を払って発言する。
 お互いにその言葉の裏に何が隠されているのかを読み取ろうとしている。

 「…そうか。貴方と奥方は随分と仲睦まじいと聞きますから。そういう意味では、姫としての幸せを、と願うのでしょうね」
 「……申し訳ない。私は腹の探り合いが上手くはない。率直に話して頂ければ助かります」

 思いの外早々に手をあげたクリストファーに、ユスファリムは「ふむ」と思案する。
 
 ──立場はあくまでも、俺を上にして話をしようということか。

 「私は、まだ婚約者がいない。今時、珍しい独身男子だ。これは、我が家の家訓ではあるが、己の伴侶は自らの手で掴めというのがある。他人に宛がわれた相手では、わが家の父は結婚など認めてはくれない。だから、これまで私は、私自身の心を掴んで離さないひとを探し求めてきた」

 クリストファーは、大方の予想はついたのか、持っていたグラスを震える手でテーブルへおいた。
 ガラスで作られたテーブルが、ガチガチと嫌な音をたてるが、そんなものは耳にすら入らない。クリストファーは、今からどんな反応をする事が正解なのかを推し測っていた。

 「初めて目にした姿に、胸が苦しくなり、目を閉じれば太陽に輝く黄金の髪が広がり、ブルーダイヤの瞳は儚げに揺れていた。その美しい瞳に、私を写してもらえたらどれほどの幸福かと流行る思いです……私は、オルビア嬢の全てが欲しい」
 「……それは、婚約を破棄させろということでしょうか?」
 「あれを、ルアンヌでは婚約というのですか。これは驚きだ。…我が国では、嫁ぐ女性に溢れんばかりの愛と尊敬の念を表現する。見知らぬ土地で頼れぬ者も多くない場所で一生を過ごす事になるのだから、当然のこと。だが、ルアンヌでは違うと?」

 ユスファリムは、冷静になれと己に問いかけ続けた。
 沸々と沸く怒りにも似た感情を抑えようと、ふぅと小さく息を吐く。
 彼が悪いわけではない。国に根付いた結婚という名の制約から逃れられないのは、何もルアンヌだけではない。だが、それを差し置いたとしても、愛するオルビアが無碍にされていたのではないかと、苦しい怒りが収まりどころを探してさ迷っている。

 「……貴方の言いたいことは最もだ。だが、最後に決めるのは本人だ。私たちは、本人を差し置いて幸せであるための手助けは出来ない。心から願って手を取ってもらえなければ、それはエゴだ。……貴方は、血を分けた私よりも本人の事を良く分かっているようだが?」

 クリストファーは、グッと拳を作って先程とは違う。上の者としての威厳を含ませた視線を向ける。
 クリストファーとて、アルベルトが瞬く間に変わってしまった事に困惑していた。クラリスが現れるまでのアルベルトは、愛を過剰表現する人間ではないが、確かに愛情を持ってオルビアに接していたと思っていたのだ。
 それが、瞬きした途端に“可哀想な姫”と噂される事になった可愛い妹を、思わない訳がない。これ以上、妹の心を煩わせるような事は避けたい。だが、真に彼女を想い、幸せにしてくれる男が現れてくれればと願わなかったわけでもない。
この機会は好機なのか、ユスファリムが社交界で持つ表現を鑑みても、底が知れない。だが、言われっぱなしも性に合わない。
 

 「後4日。その時間で、その本人の心を物に出来たのなら私の権限を使おう。ただし、あくまでも本人が心から願った時にしか、私は首は振らない」

 ユスファリムは、それで十分だとでも言いたげに、クリストファーに向かって深く頭を下げた。
 王となる人間が自国で、下の立場にある他国の人間に頭を、──しかも深く──下げるなど、よっぽどのこと。
 その光景を見て、アルシュランの国王はなんとも面白げで満足げな表情を浮かべて眺めた。


 ラウンジにいた他の貴族たちへのパフォーマンスは十分すぎた。
 このあと、部屋に戻れば今のやり取りが噂好きな淑女たちの耳に届く。近隣諸国でロマンス喜劇にもなるほどに人気の両親の物語そのままの出来事が、目の前でリアルに繰り広げられる。
 これほど美味しい茶菓子はないだろう。
 社交界で、オルビアが持つ評判など──望まないものだが──、今のクリストファーとのやり取りで霞む。
 可哀想だった姫は、途端に羨ましがられる存在になる。

 茶番は上々。
 クリストファーも、途中からユスファリムの裏にある考えを理解したのか、彼の挑発に乗るように立場を変えた。
 ユスファリムがどこまで本気なのか、4日で見定める。


 「実に面白い。ワシの可愛い息子は外見は妻に似たが、中身はワシにそっくりなようだ。なぁ、面白いと思わないか?」

 国王は、話していた相手に共感を求めて話を振る。
 黒髪に優しげな垂れた目元、小振りの鼻の下には整えられた髭を生やした、壮年男性だ。

 「陛下も、悪い人ですね。止めに入らず見物するなど。ですが、確かに彼はあの頃の貴方を彷彿させますね」
 「なんだ、まだ根に持っているのか?」

 わざとらしく驚いてみせた国王に、男性がそれに習って大袈裟なジェスチャーを交えて応える。
 そう、彼は過去の恋敵だ。今は悪友とでもいうのか、お互いの妻と子どもの自慢に余念がない。

 「まさかまさか。今では感謝しているのです。おかげで、私もまだまだ現役。来春には6人目が出来ますからね」
 「おぉ、そちらもか!」
 「……は? あなた、ご自分が幾つか理解しておられるのか?」
 「ワシは生涯現役だ」

 確かに、60近いとは言っても、外見も肉体も若々しい姿を見れば、納得してしまう。
 当時の社交界で注目の的だった彼は、その人気を持ったまま隠居する。彼らをモデルに創作されたロマンス喜劇は、瞬く間に世界中に広がり、永遠に語り継がれるまでになった。
 そんな男と、過去に婚約者を争った仲だと少しだけ鼻が高い。

 
 あの頃の若かりし日を見ているようで、2人は再び上手い肴に酒を煽った。
 今夜は思い出話に、花が咲きそうだ。

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