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運命とは神が起こす奇跡の欠片だそうです

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 「お前はいつまでそうしている気だ」

 オルティテアは、2週間ほど経ってそれでも小鹿の傍にいるユスファリムに声をかけた。
 その声はどこか呆れたような、苛立ちにも似たものだった。

 「もう少しすれば、こいつの足も良くなる。それまでは」
 「そうではない。空を見ろ。じきに嵐が来る……天上で、全知全能の神カザスの浮気に怒った女神テッサリアが激昂している」

 見上げた空は暗雲に覆われ、昼だというのに夕暮れ時のように薄暗い。
 時折、ビュウビュウと激しい風が戦慄き、風の精がケラケラと笑って面白がっている。

 「オルティテアはそんなことも分かるのか」
 「……母が使いを寄越したんだ。神々は時にこうやって、地に影響するほどの迷惑極まりない奇跡を起こしてくれる」

 オルティテアは皮肉めいた物言いでそういう。その顔は、どこか嬉しそうに感じるのは気のせいだろうか?
 ユスファリムはキラキラと輝く瞳が天上の母を見ているように思い、ふわりと心が温かくなった。

 「ほら、早くしろ。こんなところでは吹き飛ばされる。どうやら、今回のカザスの浮気相手はテッサリアと仲の悪い女神の守護した人間だそうだ。嵐は激しく長くなるぞ」
 「………村の皆は大丈夫だろうか?」

 心配そうに村がある方へ顔を向けたユスファリムにオルティテアは大きなため息をついた。

 「……母も母だが、お前も相当な世話焼きだな。ここら辺りは母の涙で出来た泉のお陰で母の加護が強い。……私も、長に使いをやった所だ。大きな被害にはならん。いいから、お前はその小鹿を抱えて付いてこい」

 一息でそこまで言ったオルティテアは、ユスファリムが小鹿を抱えたのを見て歩き出した。
 泉から少し離れた所、森の澄んだ空気に包まれた場所にポツンと家が建っている。

 「ここは……」
 「母と父が過ごした場所だ。ここは母の空間に近くてな。時の流れが天界に近く、緩やかなんだ。ここなら、その小鹿も休めるだろう」

 オルティテアはユスファリムに家に居るように伝えて、自分は使いにやった者を迎えに行った。

 「……不思議なヤツだ」
 ──でも、気になるんだー!──
 ──無愛想なオルティが恋をしたわぁー!───
 「恋? ふん、ぬかせ」

 飛び回る風の精が、オルティテアを揶揄してケタケタと笑っている。
 それを手ではらって鼻で笑う。
 自分とは生きる時間が随分違う。
 母の血が濃いせいで、オルティテアは年を取りにくい。加えて、魂の強いオルティテアは何度となく輪廻を渡れる。長い月日をかけて生涯を過ごし、またそれを繰り返すだけのつまらない人生だ。
 
 死んだ父を想って、狂ったように泣き続け尽きることのない泉を作ったオルティテアの母は、豊作の神でありながら水の神へと変貌した。
 父は父で、優しすぎた。
 この空間にさえいれば、母といつまでも繋がって居られたのに、森に迷い混み遊び呆けてしまったオルティテアを探すために空間を出てしまった。
 止まっていた時が動き、急に老い始めた父に天上では母が狂ったようにオルティテアを咎めた。

 結局、オルティテアを見付けたのは母の使いの竜で、息も絶え絶えの父を連れて帰ってみれば、ハラハラと涙を流す母に憎しみをぶつけられた。
 それを咎めて、慰めて、口付けた父を最期まで看取って、泉を作って、父に良く似た瞳を持つオルティテアを置いて天上へ帰った。

 父を思い出す姿のオルティテアに、向けたくもない憎しみをぶつけないために。

 生の短い人間と恋に落ちるなど、バカのすることだ。
 オルティテアにとって、ユスファリムはあまたの人と少し違うというだけで、特別などではない。
 決して、彼の温かな優しさになど惹かれてはいない。

 ──なんだ、母のようになりたくないからと意地をはるのか?──
 「……黙れ。伝えたのか?」

 オルティテアの前には、立派な角を携えた牡鹿が姿を現した。
 
 ──あぁ、有り難がっていたぞ。ワシに言わせてみれば、お前も母と大差はないぞ──
 「……うるさい。あの男が心配そうにしていたから」
 ──手を貸してやったか?──
 「………くそ、お前も母も、下らんことばかり」

 牡鹿は歩くオルティテアの横に並び、楽しそうにしている。
 何にたいしても無関心だったはずのオルティテアが、心を持ってユスファリムに接している。 

 何が彼女をそうさせているのかは定かではないが、彼の存在が特別なことに変わりはない。

 「…………?!」
 ──どうした?──
 「……まずいな」

 空に稲妻が走り、どす黒い雲が夜のように昼の太陽を覆い隠した。
 風はもう強風などでは済まされない。こんなにもあの女神が怒るだろうか?


 ──空間が壊れるぞ──

 目の前に、銀の鱗に青い瞳のトカゲが現れた。一目見ても異質なその姿は、母の使いだ。

 「お前はっ……母はどうした」
 ──カザスが、お前の母を頼った。それを最悪に勘違いしたテッサリアが、黒く落ちるぞ。あれはもう、止められん。カザスが抑えているが、どこまでもつかわからん、お前………あれが気になるなら、気を付けろ──

 それだけを伝えたトカゲは、ポチャンと泉の中に入ってしまった。
 オルティテアはざわつく胸をぎゅっと掴んで、ユスファリムの待つ家に向かった。




 「あぁ! よかった」
 「………何をしているんだ。中に入っていろと」
 「心配したんだ。ここは余りにも静かだから、外で貴女が危なくなっているんじゃないかと……」


 『ティア、君が無事ならいいんだよ。ほら、泣かないでおくれ、私の可愛い愛しいティア……』


 どうしてだ。この男も、遠い昔の父も、何故有限である自分を優先させないんだ。

 オルティテアは苛立つ感情を収めようとするが、そうすればするほどお人好しのユスファリムが、オルティテアの記憶の父に被る。
 だが、ユスファリムと父は違う。
 父は、最後に母に言ったのだ。


 『私は有限だが、それを悲しいと思ったことはない。それよりも、君に触れられない時間が永い事の方が苦しいよ。いつからか、君の近くに行きたいと想ってしまった私を許しておくれ』

 
 父は、母の近くに行きたい気持ちも含めて、私を追って森に入った。その後、自分がどうなるのか分かっていながら。

 一つ誤算だったのは、母が私を憎んだ事だろうな。



 「死にたいのか、お前は…空間を出れば、嫌でもその身に理不尽な神の怒りを受けるんだぞっ」
 「え、あ……いや、すまない。死にたいわけでも、そんなつもりもないんだが、美しい君が傷付いてしまっていたら嫌だと思ったんだ」
 
 くしゃりと、困ったような嬉しそうな、形容しがたい笑みを浮かべて、風で乱れていたオルティテアの髪に指を絡めて整える。
 触れた指の温かさ、少し乾いてかさつく指先、それでも意外と器用なその手付きに、オルティテアの胸がむず痒くうずく。

 「ほら、キレイだ。本当に、とてもキレイだ」
 
 ユスファリムの浅黒い指に映える銀の髪が、吸い寄せられる様にユスファリムの唇に当てられた。
 信じられないほど近くで見たユスファリムの瞳は、春の訪れ前の冬の空のようで、優しく細められた目に、今度はオルティテアが吸い寄せられる。
 
 2人は、極々自然に唇を合わせた。
 それが何を意味するかなど、オルティテアには分からない。だが、そうするのが自然で、そうしたかったのだと、それだけは理解できた。

 ゆっくりと離れた唇を名残惜しそうに少し追いかければ、ユスファリムはオルティテアの項に手をあて、腰を掴み上げ、深く口付ける。
 上唇を食んで、右に左にと顔を傾け、時折遠慮がちに侵入しようとする舌を歯で食い止めて、これ以上深くならないように無駄な抗いをする。

 「ふふ……」
 「な、なんだっ」
 「いや、オルティテアは……口付けするときまで美しいのだなと」
 「……なっ!?」

 途端に集まった熱は、オルティテアの顔を桃色に染め、「かわいい人だな!」と何故か嬉しそうなユスファリムに抱き締められ、むず痒い感覚に大声を上げたくなるのを抑え込んだ。


 ──……ご馳走に預かれて有り難いがの、ワシもおることを忘れるな?──
 「っ!? くそ、離せっバカめっ」
 「…………すごいな、鹿が喋ってるぞ」
 
 ──ワシはバロンチェアだ。この森に住む代替わりの精霊王とも言われているが、ただの鹿だ──
 「……嘘を付け、この老いぼれ爺め。私なんかよりも数百年生きている癖に何を言うか」
 「数百?! すごいな、そんなに生きていられるのか?」

 いまだオルティテアの腰を抱いたまま、食い入るようにバロンチェアを見た。
 立派な角には、所々に青々とした苔が生え、小さな小さな赤子の手の爪程の白い花が咲いている。
 つぶらな瞳はキラリとブラウンに輝き、オレンジの色が混じる。

 「どこかで…会っているか?」
 ──ふぅむ。ワシは人にはあまり会わん。だが、何処かでは会っているやもしれんな──

 含んだ物の言い方をするバロンチェアに、ユスファリムは不思議な感覚を思い出す。だが、ハッキリとしないその感覚は、オルティテアが可愛らしく胸を叩いたことで何処かへ行ってしまった。

 「なんだ、恥ずかしくなったのか?」
 「うるさいっ! 何なんだ、お前はっ! これではまるでっ……」

 オルティテアは自分が言おうとしている言葉の意味を理解して、声に出せなくなった。

 違う。こいつは勘違いをしているだけだ。
 こいつに愛されてなどいない。瞬き一瞬、ため息を一つ二つ吐いてしまえば、あっという間にすれ違う時を生きる者同士で、愛だの恋だのと馬鹿げた事だ。
 愛しても、愛されても、取り残されるのはいつだって───……


 「オルティテア?」
 「やめろ……調子に乗るな。お前は勘違いをしている」
 「何を」
 「お前の回りには、私のような特質な者がいなかった。それに興味を持ってしまっただけだ。良くあることだろう? 毛色の違う珍しい動物に惹かれるのと同じだ。種の違う者に、劣情の類いの愛は感じないだろう? だから、お前のソレは勘違いだ」

 オルティテアは一息でそこまで言って、それでも腰を抱くユスファリムを今度は強く押し返した。

 「………お前は、人の気持ちまで悟れるのか?」
 「何?」

 聞いたこともない冷たく、低い、怒りにも似た声音にオルティテアの背筋が微かにざわつく。

 「勘違いをしているのはお前の方だろう。俺がいつ、お前を動物と同じだと言った? それとも、お前は俺の感じている物まで見えるのか?」
 「や、めろっ!? バロンチェアッ、見ていないで、助けろっ」

 呼ばれたバロンチェアは、ユスファリムの後方で座ってこちらを見ていた小鹿の側で草を食んで、のんびりとことの成り行きを見守っている。

 ──子らの戯れは面白い。お前はもう少し人に触れる事を学ばねば、生きては行けぬ──
 「オルティテア、逃げるなっ」
 「っ! 逃、げるなだとっ? お前は、知らないからそんな事が言えるんだっ」

 いつも平常心で、どこか一線を引いていたオルティテアの冷めた目に、じわりと熱が灯る。
 それは、永年……オルティテアがしまい込んだ熱だ。

 
 


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