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運命が動き出すその瞬間はいつも突然である

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 「あんな事を言った手前、今さらどうにも出来ないのよね」

 置いてあった水差しを傾けてグラスに水を注いだ。
 大きな窓から差し込む月明かりが煌々と照らす大きな庭園に、オルビアは例えようもない複雑なため息をもらした。

 ──少し、庭をお散歩させてもらっても…どうせ見つかりはしないわね。

 紳士たちはどうせ酒の席だし、淑女たちはもう眠りについている頃だ。
 部屋に戻ってくるような人はいないから、オルビアが部屋を抜け出た事などバレはしない。
 少しくらい、他国で破目を外しても見付からなければ良いだけの事だと、ナイトドレスの上から少し厚手のコートを羽織って音をたてないように、たった一人きりの部屋から抜け出た。





 きっちりと手入れされた緑の芝生。
 剪定の行き届いた木々。
 キレイに咲く色取り取りの花。

 オルビアは、自分の庭もこんな風にしてみたいと夢見心地でキョロキョロと辺りを見渡しながら歩いた。
 昼間にチラリと見た風景とは違って見えるのは、おそらく夜だからだろう。
 涼しいと思わせる風に、コートの前をキュッと閉じて木立の間を抜ける。

 ──さすがに広いわね。あまり遠くに行くと迷いそう。でも、迷ったって見付けてもらえるのは朝になる頃だろうし……いっそのこと凍え死ぬほど寒い北国だったら良かったのに……

 と思ったところで、「私は死にたいのかしら?」とふと自分の馬鹿げた考えに自問自答して、クスリと笑った。
 御伽噺が本当なら、死ねば私の魂の輪廻は尽きる。その後はもう悲恋を繰り返す事もない。それならその方が幸せなのかもしれない。

 『いやね。私たちがどれだけ頑張っても、見付けてもらえないだなんて』
 『まるで靄がかかった湖のようだわ』
 『あら、まだ結婚もしていないのだから分からないわよ?』
 『足掻けば何か違うかも! というよりも、今までの私たちよりも行動的よね、私って!』

 また、頭の何処かでそんな『私たち』の話す声が響く。
 これまでの『私たち』の時もこんなことがあったのかしら?
 そもそも、どうして『私』は決まった結婚相手とばかり悲恋を繰り返すのかしら?
 運命があるとするなら、出会う相手を間違えているからではなくって?

 「……なんて、キレイなの」

 木立の間を抜けた先に、湖とその真ん中に白いガゼボが浮かぶように建てられている。
 細く延びる橋がまた幻想的だ。

 オルビアは引き寄せられる様にそこへ足を伸ばした。 
 人一人分程の幅の橋は、軋むこともなくしっかりと建てられているからか、不思議と怖さを感じない。

 ガゼボの中は、壁伝いのイスが設けられ、中央に小さなテーブルが一つ。
 天井には、蒼いドラゴンが天に羽ばたくようすが描かれ、昼間ならばまた違った風に見えただろうにと、オルビアに思わせる。
 柱を彩る蔦植物は蕾を幾つか垂らし、より幻想的なその空間にオルビアはため息をもらした。

 「まるでおとぎ話の世界だわ」
 「お褒めに預かり光栄です」
 「えっ?!」

 いつの間にか背後にいた誰かの声に、勢いよく振り返った所で視界がグラリと傾いた。
 転ぶっ! とオルビアが思うのと、体が別の体温に包まれるのとは、ほぼ同時だっただろう。

 「………失礼。驚かせるつもりはなかったのですが」
 「い、いえっ」

 少しの間を置いて、頭上から聞こえた声は
 少し低めの体温と分厚い胸板、オルビアをスッポリと包む大きな身体。
 あまりの出来事に、オルビアは自分が今どうなっているのか把握する余裕もない程にパニックを起こしていた。

 ──えっ、待って!? 誰かを確認するのが怖いわ………でも、多分、いえ、ほぼ間違いなく、あの方の声だわ。

 食事会の挨拶で簡単な自己紹介をしていたその人物は、心地よい低い声だった。
 ちょうど今のような声だったはずだ。


 「こんな時間に、レディが薄着で出歩くなど…あまりおすすめはしませんよ」
 「も、申し訳ございまへぇんっ」

 ──か、噛んだっ

 オルビアは何とか腕から離れて礼をしようとするが、声の主はそれを許さないのかしっかりとオルビアの肩を抱いている。

 「ふっ……いくら王宮内とは言え、私の様な輩が何時なんどき現れるか…」
 「いえ、あの、あのっ」

 こんなにも身近に異性の体温を感じたことのないオルビアは、どうすることが正解なのか、優雅なかわし方はどうするのだったか、淑女としての嗜みを思い出す事すら出来ない。

 「ゆ、ユスファリム様っ?! ど、どうかお許し下さいっ」
 「さて、どうしようか」

 その声は何処か楽しそうではあったが、それを感じ取れるほどの余裕など……もちろんあるわけもなく、オルビアはワタワタと小さく身体と頭を動かして、目を泳がせる。
 その目に、僅かながら涙が浮かび上がってきた所で、オルビアの身体はユスファリムから解放された。

 「はははっ……いや、本当に失礼した。何も、取って食いやしない。ただ、ここに来る人間はそう多くないので、後を付けてしまったのです。どうか、怖がらないで、レディオルビア」
 「っ」
 
 ──あぁ、息を飲む程に、本当に美しい方。というか、まさか見つかるだなんてっ…ど、どうしたら……


 「レディオルビア、大丈夫。君がここに来ていることは誰も知らないし、私も誰にも言わない」
 
 優しい穏やかな声が、焦るオルビアを落ち着かせ、少し冷静さを取り戻す。
 
 「それに、恐らくですが……大事にはならないでしょう?」
 「え?」
 「……君がここにいたとしても、コルジャック殿は気付かない。明日の朝、君が部屋にいれば、問題はない。違いますか?」
 「っ?!」

 ──この人は知っている? なぜ……まさか、他国のしかも個人的な事をご存知だなんてっ…何と言えば……

 ユスファリムの口から出た言葉は、アルベルトとオルビアの仲が冷めきっていることも、アルベルトに別の相手がいることも、承知しているという口振りだ。
 また鋼をうち始めた心臓に、ぎゅっと呼吸が詰まったような息苦しさを感じた。

 「簡単な事です。紳士の集いで、若手の彼は顔だけ出して引き返した。私は私で、酔いざましに庭へ出たら、木立へ入る貴女を見掛け、私の側用人からはアルベルト・コルジャック殿がお忍びで王宮から出掛けたと耳にした。……後は簡単なパズル合わせの様なものですよ」

 そういう彼の目はとても優しく、オルビアを見つめていた。
 不思議とその視線に懐かしさを覚えたのはなぜか。
 今の距離に違和感を感じないのはどうしてなのか。

 「…それに、社交界は狭い」
 「っ、……お恥ずかしい限りです」

 オルビアは、他国にまで広まる自分たちの噂話に小さな体をぎゅっと抱き締めた。
 愛されもしない、可哀想な皇女。
 そんな風に憐れまれるような噂なのだろう。そう考えただけで、オルビアは自身のこれからの人生が決定付けられたかのようで、ボコボコと溢れる感情をどうすればいいのかと、息をつまらせた。

 「………そうだ、こうしましょう。この5日間、私に付き合って欲しい」
 「……え?」
 「もちろん、昼間は無理だろうが夜なら、君は一人だからつまらない夜を一人で過ごす事もなくなるし、私は下らない話で盛り上がる父上たちに付き合わなくて良くなる。執務だ、何だと言えば大抵私の体は空くのです」

 「いかがです?」と、楽しそうな顔のユスファリムからは、社交界での彼の噂通りの人間性は伺えない。
 むしろ、その逆なように思う。

 ──冷血王子だなんて、誰がそんな嘘を広めたのかしら。いえ、もしかしたら嫉妬や妬みから、誰かがそんな根も葉もない噂を流したのかもしれないわね。

 「安心して欲しいが、婚約者のいる婚前の女性に手を出したりはしない。」
 「……なっ?!」

 なかなか返事をしないオルビアに、見かねたユスファリムがそう言うが、そんなことを考えてもいなかったオルビアは、カッと顔に熱を集めたように真っ赤になった。

 「ふっはははっ! 本当に、貴女は面白い人だな。考えている事が透けて見えるようだ」
 「なっ! わ、笑わないで下さいまし!」

 慌てるオルビアの前で、隠すこともなく笑って見せるユスファリムは、少年のような幼さをチラリと見せながらこぼれる笑顔をオルビアに向けていた。

 「はぁー! こんなに笑ったのは久しぶりだ。大丈夫、誰にも見つかりはしないし、誰にも咎めさせたりしない。コルジャック殿がいない日にだけ、私の側用人が貴女を迎えに行きます」
 「ですが……(独身だとしても、こんなに素敵な方にお相手がいないわけないわよ。この人も、アルベルトと同じ人だなんて思いたくない)」
 「……生憎と、私には夜を楽しませてくれるような相手はいない。政務の方が忙しくて、何処かの誰かの様にうつつを抜かしている暇もないほどに」
 「いえ、あの…(ほ、本当に私の考えている事が透けて見えているの?!」

 また、面白い人だなと笑って見せるユスファリムに、オルビアは焦ってしまう。
 そんなにも自分は分かりやすい人間だったのか。国にいた頃なら、鉄仮面を被り裏切りを繰り返すアルベルトを相手に、『興味なし』と突き放せたはずだ。
 傷付いている素振りすら見せないように、社交の場でも気丈に振る舞えた。
 それが今は、初めて話をする様なユスファリムから質問もしていないのに回答が降ってくるのだから驚きだ。

 「………私の話し相手になってくれれば、嬉しいのです。」
 「…わか、りました」

 気が付けば、ユスファリムを相手に頷くオルビアがいた。
 ガゼボの中にいる2人の間に、穏やかな空気が流れる。なかなかユスファリムを見上げられないオルビアは俯いたまま、視線を泳がせ、何とかこの場を切り抜けようとしている。
 ユスファリムは、そんな様子のオルビアを何とも言えない表情で見つめた。
 自分よりも小さく、慌てふためく彼女は小動物の様で可愛らしく、ついいたずら心が沸き上がる。
 それをなんとか納めて、ユスファリムはイスに腰掛けた。


 「ここは、嫁いだ姉が気に入っていた場所なのです。こんなにも変わらず美しい場所を何度も訪れるうちに、私も好きな場所になった」
 「……素敵ですね(噂は噂でしかないのね。とても優しく温かな人だわ)」

 ユスファリムに「座りませんか?」と促され、素直に少しスペースを空けて彼の隣へ腰を下ろした。
 ざぁっと木立を抜けてガゼボの中を、風が吹き抜ける。その風に、オルビアの金の髪が乱れた。落ちた髪を整え、肩から前に下ろすと、ビロードが月の光を受けて艶めくように金の髪が輝いた。
 それはさながら女神の様で、ユスファリムはざわつく胸を拳を握ってやり過ごす。
 

 「…っと、……けた………」
 「え?」

 風に紛れたユスファリムの小さな言葉は、オルビアの耳に途切れ途切れに届いた。
 反射的に反応したオルビアに、ユスファリムは静かに微笑むと、金の髪に指を差し入れスルリとすいて、絡まった葉を取った。
 その仕草が余りにも自然すぎたせいか、オルビアは反応することも出来ず、彼の行動を理解するのにも少し時間がかかった。

 「貴女程に愛らしい人を、放っておける男がいるのが信じられない」
 「っ…ご、ごじょ、冗談を!」

 ユスファリムの冬の空の様な瞳に、ジワリと熱が宿った気がした。
 オルビアを見つめる視線が、戸惑いに揺れる彼女を絡めとり熱を移そうとするように注がれる。
 
 「……このままでは、約束を破ってしまいそうだな。……今日は冷えます。部屋に戻りましょう。木立を抜けた先で、私の側用人が待っているはずだから、付いて戻って下さい。見付からない道を通ってくれる。………また、明日」



 ふわりと柔らかな笑みでオルビアを見送り、一礼してガゼボを出ていく背中を見送った。
 オルビアの華奢な背中が木立の中に消えたのを確認して、大きなため息を付いたユスファリムが体をガゼボの縁に預けて天を仰いだ。


 「……見付からないわけだ。全く、やっとだぞ…」

 ユスファリムは、そこにいる誰かに話し掛けるように声を出す。
 だが、返ってくる声もなく、ザワザワと風が木々を揺らした。

 「もう、何があっても離しはしないからな。何が起ころうと、必ず添い遂げる……どう出てくるか、お手並み拝見といこうか」

 

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