白い彼女は夜目が利く

とらお。

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月夜鴉の怪

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「ここ数日、近隣で農作物や芝生、木々が枯らされる事件が相次いでいます」

 暁さんと街で出会ってから数日経って、月曜日。
 なんとなく流していたローカル番組は朝から一風変わったニュースを報道しているようだった。
 まだ季節は夏の終わり頃に差し掛かったばかりだというのに、画面の向こうに映る見たことのある並木道はまるで生気を失ってしまったかのように枯れきっていた。

「警察は今回の事件を自然現象ではなく、誰かの手によって意図的に枯らされたものと考えて捜査を進めている模様です。特に市内にある神社の被害が酷く、建物までもが枯れてしまったかのように損傷しており……」

 ニュースキャスターの言葉と同時に画面が切り替わり、神社を撮影したらしい映像が流れる。
 これは……うちの近くにある神社だ。
 小さいけれどちゃんと神主さんがいて、綺麗に守られているはずなのに、映像の中にある鳥居も境内もまるで捨てられて何十年も経過した後かのように廃れきってしまっていた。
 その後もすっかり生気を失ってしまった風景をいくつか写した後、街の人からの憤りの声をまとめたインタビューを流し、次のニュースへと切り替わる。

「ほら、早くご飯食べちゃいなさい」

 テレビに釘付けになっていた俺は母からの一言で朝食に視線を戻した。
 正面に座る父はコーヒーを片手にじいと新聞を見つめている。

「仄、できるだけ危ない場所には近付いちゃダメよ。大きい怪我したばっかりなんだから」
「ん。わかってるよ」

 肩の傷のせいで母には随分心配をかけてしまったし、俺だって別に自ら望んで怪我をしたいわけじゃない。
 できる限り変なことに巻き込まれないよう気をつけるつもりだ。

「ごちそうさま。じゃあ行ってきます」
「はい、いってらっしゃい」

 母の声を背に軽く身支度を整え、家を出る。
 するとちょうどうちのチャイムを押そうとしていたらしい縁と目が合った。

「おはよ、仄」
「おう」

 そうとだけ言葉をかわし、並んで歩き出す。

「朝のニュース見た?」
「ああ。あの草とか木が枯れてるってやつか?」
「そうそれ。酷いことする人もいるよねぇ。何が目的なんだか」

 ふわりと吹いた風が心地よい。
 少しだけ秋の匂いがする。

「そういえばさ、仄。うちの近くにあるあの小さい神社、昔縁日やってたの覚えてる?」
「そういえばそうだったな。射的でもヨーヨー釣りでも金魚すくいでもなんでもかんでもお前が勝負だって吹っ掛けてきてさ。俺が全敗してた」
「あはは! そうだったそうだった!」

 小規模でお客さんも少ない縁日だったから、俺たちが中学に上がった頃からやらなくなってしまったけれど。
 だからこそ、あの神社にはちょっとだけ思い入れがある。

「……そんな場所が、あんな風にボロボロになっちゃってるのはちょっと寂しいよね。思い出が忘れ去られちゃったみたい」
「まあ、そうだな」
「それにしても草木はともかく、どうやって神社をあそこまでボロボロにしたんだろう? ニュースで見た映像だと管理されなくなって何十年も経ちました、みたいになっちゃってたよね」

 それは確かにそうだ。
 神主さんは近くに居たはずだし、その目を盗んで草木を枯らし建物を劣化させるなんてことが可能なんだろうか?
 海の近くの建物は劣化が早いというのは聞いたことあるけれど、神社がある場所は海に近くないし。

「不思議なこともあるもんだな」

 この時点で、俺の脳裏には暁さんの言葉が浮かんでいた。
 怪異を知った人間は怪異に巻き込まれやすくなる。
 これが仮に怪異の仕業だったんだとしたら。

「……縁、ちょっと急ぐぞ」
「え? いいけど、どしたの?」
「国語の宿題やってないこと思い出した」
「あちゃー。じゃあ早く行ってさっさとやんないとね」

 れっつごー、と駆け出した縁の背を追う。
 また彼女に小さな嘘を吐いてしまったと思いながら。


 ◆ ◇ ◆ ◇


 俺が縁に小さな嘘を吐いた理由は、早く学校に向かって暁さんと話がしたかったからだった。
 しかしそんな俺の嘘は悲しいことに無意味に終わる。
 暁さんが、体調不良で学校を休んだからだ。
 転校してきて以来、彼女が学校に来なかったことは一度もない。
 クラスメイトたちが彼女の身を案じる声を聞きながら俺はなんだか嫌な予感がしてそわそわと落ち着かないまま一日を過ごした。
 そうして迎えた放課後、事件は起きた。
 起きて、しまった。

「っか……は、う」

 目の前を黒い羽が舞う。
 俺より何倍も大きな体を持った"それ"は時折小首を傾げながら、濁った鳴き声を時折零した。
 そいつの見た目を一言で表すなら、禍々しいオーラのようなものを纏ったでかい鴉。
 なんてことない。
 俺はただ、家に帰るには学校の裏の雑木林を通り抜けたほうが早いからという理由でそこを突っ切っていた。
 それだけなのに、突然俺の周りにあった草がしおしおと力なく萎み、青々と風を浴びていた葉がからからに乾いて落ちてきて……こいつが、目の前にゆっくりと降り立ったのだ。
 ぞっとした頃にはもう遅く、"それ"にじいと見つめられているだけで心臓が痛み、呼吸が苦しくなって……俺は今、何も出来ずに膝をついている。
 喉からはか細く空気が抜けていくだけで必死に呼吸をしても酸素を取り込めている気がしない。
 今朝のニュース、なんとなく予想はできていたとはいえまさかこんな急に怪異と遭遇してしまうなんて災難すぎるだろ。
 俺、結構日頃の行い良いつもりなんだけどなぁ。
 ともかくこの近辺で話題になっている事件の元凶がこいつだってことはほぼ確定したわけだけど、問題はこいつから生きて逃げられるビジョンが見えないってとこだ。
 早い話がお手上げ状態。
 このまま黙って殺されるしか一般人の俺にはできない。
 せめて暁さんにこいつの存在を知らせられたらいいんだけど……でももう、意識が朦朧として何も考えられなくなってきた。

「仄っ?!」

 遺書でも書いとけばよかった、なんて思い始めた頃、突然名を呼ばれて少しだけ意識が戻ってきた。

「仄、どうしたの、大丈夫?! ちょっと……!」

 縁が俺の顔をぺちぺちと叩いている。
 なんとか返事をしてやりたいところだが生憎とか細く呼吸を繰り返すので精一杯で意思の疎通は取れそうにない。
 なんとかなれと祈るような気持ちで縁の手を握ると、彼女は何を勘違いしたのか……俺を、横抱きにして持ち上げた。

「待ってて。すぐ保健室連れて行ってあげるから」

 そう言って真剣な顔をした縁は俺を抱えたまま走り出す。
 え。
 あれ。
 こいつ、俺より三十センチくらい小さいよね?
 なんで俺のこと軽々持ち上げてんの?
 なんでそのまま走れんの?
 と混乱しているうちに巨大な鴉とはどんどん距離が離れていき、その数秒後、急に酸素が喉の奥に入ってきて思わずむせてしまった。
 そうしてやっと普通に呼吸が出来るようになって、俺はやっと一息つく。

「あー、死ぬかと思ったぁ」

 普段の様子に戻ったのを察したのだろう、縁はゆっくりと足を止めた。

「仄? もう大丈夫なの?」
「ん。大丈夫」

 そう頷くと彼女は俺を抱えたままへなへなと座り込む。

「良かったぁ……」
「驚かせてごめん。とりあえず絵面的にどうかと思うから下ろしてくんないか」
「……やだ」
「え?!」
「やだってなに?! 自分より体格のいい男横抱きにしながら駄々こねないでもらっていいかな?! こんなん誰かに見られたらなんか変な誤解されそうなんだけど!」
「また倒れられても困るもん! だからやだ!」
「だから大丈夫だってば……」
「やだったらやなの! このまま一緒にいる!」
「いやそれどういう関係なの俺たち?!」

 俺を抱えたまま、やだやだ、と首を振る縁。
 どうしたっていうんだ一体。
 頭を抱えていると縁は今にも泣き出してしまいそうな表情で俺を見た。

「ゆ、縁……?」
「あたしね、仄が秘密にしていること、仄の方から話してくれるのを待とうと思ったの。でも……」

 そこまで言って彼女は腕にぎゅうと力を込める。

「もしその"秘密"が仄をこうして苦しめているんだったら私は知りたい! 仄がボロボロになっていくのを見るの、耐えられないよ! ねえ仄、あたしに、何を隠してるの……?」

 まるですすり泣くような声。
 確かにここ最近は怪我ばっかりで縁には散々心配をかけてしまっている。
 彼女の心配を取り除いてやるには怪異のことを打ち明けてやるのが一番なのはわかっているが、そうしたら縁のことも巻き込んでしまうことになる。
 先程のあの巨大な鴉に縁は気付いていないようだったし、影響を受けたわけでも無さそうなところを見ると、このまま秘密を守っていれば少なくとも縁の安全は確保されるだろう。
 だから。

「……ごめん。話せない」
「なんでっ!」
「巻き込みたくないんだ」
「そんなの勝手すぎるよ! それにあたし、言ったよね。何も聞かない代わりにもう危ないことしないでって」
「それは……やむを得ないと言いますか……」

 彼女の腕の中から抜け出し、悔しそうにきつく握られていた彼女の拳に触れる。

「お前を信用できないとかそういうんじゃないんだ。ただ、巻き込みたくないんだよ」
「それって、すごく危険だからってことでしょ。そんなんであたしが納得すると思うの?」

 ぎろりとこちらを睨む縁。
 その目を真っ直ぐ見つめ返しながら、告げた。

「頼む、縁。……何も聞かないでくれ」

 俺たちの間にぴりりとした沈黙が流れる。
 こうなるともう我慢比べだ。
 だけどこればっかりは引けない。
 我儘だと言われても、勝手だと言われても、卑怯だと言われても。
 俺はこいつを巻き込むわけにはいかないんだ。
 大事な、幼馴染なんだから。

「……バカ」

 ぽつりとこぼれたそれを皮切りに感情が止まらなくなったのか、縁はぼろぼろと涙をこぼしながら拳で何度も俺の心臓のあたりを殴る。

「バカ! バカバカバカ! 仄のばかぁっ!」

 その拳を甘んじて受けながら、そっと彼女の背を撫でた。

「ありがとな。心配してくれて」
「……肉まん」
「へ?」
「コンビニの肉まん奢って! ……今日は、それで我慢する」
「コーラとポテチもつけときますよ、お嬢さん」
「プリンも!」
「はいはい」

 ぷく、と頬を膨らませた縁。
 今日はってところが気になるけれどとりあえず納得はしてもらえたようだ。
 これ以上縁を心配させないためにも、やはり一度暁さんと話をする必要がある。
 コンビニに向かうために先を歩き出した彼女の背を追いかけながら、どこかのタイミングで彼女の連絡先を聞いて置かなかったことを酷く後悔するのだった。
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