地下牢の神子

由紀

文字の大きさ
上 下
18 / 31

侍従長流華

しおりを挟む

…紅神子が帰還されれば、こうなる事は分かっていた。ただ、神子は想像よりも弱々しくまるで子どもの様だった。

私が1の国侍従長となったのは、一の方様が成人なされた60年前。最も能力を持ち、血筋知性共に優れた私は一の方様の信頼を得る事となった。しかし、それはあくまで従者として。

一の方様の心を占めるのはたった一人の女人だけだった。初代の紅神子モミジ様…。

神子という存在は魂は同じだが、十神衆とは異なり記憶を受け継がないで転生する。それでも、代々の紅神子様には心を込めて仕えてこられたそうだ。あくまで、従者として。
今は二千年も紅神子の不在で、各国も荒れてきている。一の方様は顔に出されないが、内心ヤキモキなさっているだろう。

「…流華。」
「はい、一の方様。」

神子不在の為に訪れる十神衆の性衝動は、一月に一夜。期せずしてその役目を与えられた私は、喜びを面に出さぬ様に相手を勤める。

愛情など無い義務的な行為だが、それでも良い。この日だけは、一の方様と二人きり。例え、心など向けられなくても。

一夜が明けて目を覚ますと、既に一の方様は隣におらず、悲しみが広がる胸を押さえる。素早く湯浴みを終えて、直ぐに通常の業務に戻った。勿論、一の方様は昨夜の事など素振りすら見せない。

それでも良かった。この時までは。
この日は突然訪れた。一の方様が大切そうに女性を連れて来られた姿に、まるで鈍器で頭を殴られた様な衝撃を受ける。

仕方ない。仕方ないのだ。それでも、流れる涙は止まらない。
気持ちが落ち着かぬこの日は、侍従達に采配を終えて部屋に籠ってしまう。

紅神子様に挨拶をしないのを、一の方様がお叱りに来られるだろうか?でも、自分を見てくれるなら。
そう思っていたが、一の方様は紅神子に夢中で流華の不在に全く気付いていなかった。

立場を弁えねばならない。他の国の侍従長ならば、そう言うだろう。私自身、他国の侍従長が同じ事を言えば嗜める筈だ。
ああ…それでも、それでも、一の方様だけは別だと思っていた。初代様が現れる筈は無いと、そう勝手に思い込んでいた。

涙がやっと乾いた頃、動かぬ足を叱咤し紅神子様に挨拶しようと何とか歩みを進める。護衛を任せていた侍従によると、今は裏庭を散策中らしい。何と、気の抜ける事…。

紅神子だと思えぬ黒い髪に声を掛けると、少し戸惑いの後に真っ直ぐ見詰めて来る清らかな赤い瞳。まるで、自分の醜い心を見透かされている様で落ち着かない。

「流華、は…壱刄とはどれぐらい一緒に居るんですか?」

そう尋ねられ、落ち着いていた心がまた騒ぎだす。
私は、貴女様とは比べられぬ永き時をを共にしてきたのだと。

「はい。一の方様が成人されてからですので、60年はお仕えしております。」

無意識に、争いにならぬ相手へ対抗心を持ってしまう。その後の会話はあまり覚えていないが、問われぬのについ口をついて言葉が溢れていく。

「…紅神子様が居られない時、氷の様に冷たい方でした。喜怒哀楽など見たことが無い。ただ日々の義務をこなす方。」

そう…感情を露にせず、玲瓏なる美しい人。

「…異性には恐ろしい程潔癖でしたね。まあ、最悪の場合には、私がお慰め致しましたが…。」

私は、選ばれたのだ。一夜を過ごす相手に。
僅かな優越感を乗せて続ける。少し言い過ぎたかと不安も過るが、紅神子の反応は薄い物だった。

「お話ししてくれて、ありがとうございました。もう、そろそろ部屋に戻りますね。」
「左様でございますか。いえ、私も共に過ごせ大変光栄にございました。」

淡白な反応の紅神子に笑みを浮かべ頭を下げ、去ったのを確認すると重々しい息を吐く。

…何という事。何という方でしょう。一の方様に愛を捧げられ、何とも思わず、いえ…それを当たり前だと甘受しているのでは? 
私が欲しくて、欲しくて、堪らないのに…。どうして?どうして、突然現れた貴女が奪うの?
私の大事な方を、特別な名で呼び、笑みを向けられ、愛を一身に受け…。

涙が溢れ、ただ袖を濡らす。



明くる日、一の方様と紅神子様は3の国へ発たれた。
偽の紅神子への対処だそうだが、関心など持てず日々の役目を務めるだけ。

昨夜、一の方様と紅神子様が褥を共にしたと侍女達が騒いでいたが、耳を塞ぎ聞こえぬ振りをする。
斎女の亜子や里子を呼びつけ、部屋の準備や斎女の選定を無心に淡々とこなしていく。

そう…私は侍従長なのだ。だから、職務をこなせば良い。こんな感情を忘れてしまえば…!

『忘れる必要は無いわよ』
「え……」

部屋に一人きりとなったその時、背後から囁く声に気付いた。その声は、まるで心の隙間に入り込む様に、するりと溶け込んでくる。

「…誰か…『一の方』……!?」
『可哀想に。あの女が現れなければ、一の方は死ぬまで貴女と共寝をしたでしょうに』

侵入者だと声を上げれば良いのに、体が動かない。何故か、声に聞き入ってしまう。

「……誰?…何なの……?」
『幼い頃からの気持ちは報われず、これから二度と献身してきた貴女は省みられぬ事は無い。ああ、お気の毒に。』 
「わ…私は侍従長で…」
『でも、ずっと側で支えて来たのは貴女だわ。どうして諦めなければいけないの?誰よりも、一の方を知っているのに。』

どうでも良かったのに。心の片隅にでも、置いてくれれば良かっただけ。でも、片隅どころか、あの方の心に私は居なかった。

何も言葉は出なかった。
振り返った先、瞳に映る毒々しいまでに映える深紅はただ美しいと思ったのだ。

しおりを挟む
感想 22

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。

下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。 またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。 あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。 ご都合主義の多分ハッピーエンド? 小説家になろう様でも投稿しています。

獣人将軍のヒモ

kouta
BL
巻き込まれて異世界移転した高校生が異世界でお金持ちの獣人に飼われて幸せになるお話 ※ムーンライトノベルにも投稿しています

娼館で元夫と再会しました

無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。 しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。 連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。 「シーク様…」 どうして貴方がここに? 元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!

美幼女に転生したら地獄のような逆ハーレム状態になりました

市森 唯
恋愛
極々普通の学生だった私は……目が覚めたら美幼女になっていました。 私は侯爵令嬢らしく多分異世界転生してるし、そして何故か婚約者が2人?! しかも婚約者達との関係も最悪で…… まぁ転生しちゃったのでなんとか上手く生きていけるよう頑張ります!

女性の少ない異世界に生まれ変わったら

Azuki
恋愛
高校に登校している途中、道路に飛び出した子供を助ける形でトラックに轢かれてそのまま意識を失った私。 目を覚ますと、私はベッドに寝ていて、目の前にも周りにもイケメン、イケメン、イケメンだらけーーー!? なんと私は幼女に生まれ変わっており、しかもお嬢様だった!! ーーやった〜!勝ち組人生来た〜〜〜!!! そう、心の中で思いっきり歓喜していた私だけど、この世界はとんでもない世界で・・・!? これは、女性が圧倒的に少ない異世界に転生した私が、家族や周りから溺愛されながら様々な問題を解決して、更に溺愛されていく物語。

転生したら、6人の最強旦那様に溺愛されてます!?~6人の愛が重すぎて困ってます!~

恋愛
ある日、女子高生だった白川凛(しらかわりん) は学校の帰り道、バイトに遅刻しそうになったのでスピードを上げすぎ、そのまま階段から落ちて死亡した。 しかし、目が覚めるとそこは異世界だった!? (もしかして、私、転生してる!!?) そして、なんと凛が転生した世界は女性が少なく、一妻多夫制だった!!! そんな世界に転生した凛と、将来の旦那様は一体誰!?

美人な姉と『じゃない方』の私

LIN
恋愛
私には美人な姉がいる。優しくて自慢の姉だ。 そんな姉の事は大好きなのに、偶に嫌になってしまう時がある。 みんな姉を好きになる… どうして私は『じゃない方』って呼ばれるの…? 私なんか、姉には遠く及ばない…

処理中です...