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侍従長流華
しおりを挟む…紅神子が帰還されれば、こうなる事は分かっていた。ただ、神子は想像よりも弱々しくまるで子どもの様だった。
私が1の国侍従長となったのは、一の方様が成人なされた60年前。最も能力を持ち、血筋知性共に優れた私は一の方様の信頼を得る事となった。しかし、それはあくまで従者として。
一の方様の心を占めるのはたった一人の女人だけだった。初代の紅神子モミジ様…。
神子という存在は魂は同じだが、十神衆とは異なり記憶を受け継がないで転生する。それでも、代々の紅神子様には心を込めて仕えてこられたそうだ。あくまで、従者として。
今は二千年も紅神子の不在で、各国も荒れてきている。一の方様は顔に出されないが、内心ヤキモキなさっているだろう。
「…流華。」
「はい、一の方様。」
神子不在の為に訪れる十神衆の性衝動は、一月に一夜。期せずしてその役目を与えられた私は、喜びを面に出さぬ様に相手を勤める。
愛情など無い義務的な行為だが、それでも良い。この日だけは、一の方様と二人きり。例え、心など向けられなくても。
一夜が明けて目を覚ますと、既に一の方様は隣におらず、悲しみが広がる胸を押さえる。素早く湯浴みを終えて、直ぐに通常の業務に戻った。勿論、一の方様は昨夜の事など素振りすら見せない。
それでも良かった。この時までは。
この日は突然訪れた。一の方様が大切そうに女性を連れて来られた姿に、まるで鈍器で頭を殴られた様な衝撃を受ける。
仕方ない。仕方ないのだ。それでも、流れる涙は止まらない。
気持ちが落ち着かぬこの日は、侍従達に采配を終えて部屋に籠ってしまう。
紅神子様に挨拶をしないのを、一の方様がお叱りに来られるだろうか?でも、自分を見てくれるなら。
そう思っていたが、一の方様は紅神子に夢中で流華の不在に全く気付いていなかった。
立場を弁えねばならない。他の国の侍従長ならば、そう言うだろう。私自身、他国の侍従長が同じ事を言えば嗜める筈だ。
ああ…それでも、それでも、一の方様だけは別だと思っていた。初代様が現れる筈は無いと、そう勝手に思い込んでいた。
涙がやっと乾いた頃、動かぬ足を叱咤し紅神子様に挨拶しようと何とか歩みを進める。護衛を任せていた侍従によると、今は裏庭を散策中らしい。何と、気の抜ける事…。
紅神子だと思えぬ黒い髪に声を掛けると、少し戸惑いの後に真っ直ぐ見詰めて来る清らかな赤い瞳。まるで、自分の醜い心を見透かされている様で落ち着かない。
「流華、は…壱刄とはどれぐらい一緒に居るんですか?」
そう尋ねられ、落ち着いていた心がまた騒ぎだす。
私は、貴女様とは比べられぬ永き時をを共にしてきたのだと。
「はい。一の方様が成人されてからですので、60年はお仕えしております。」
無意識に、争いにならぬ相手へ対抗心を持ってしまう。その後の会話はあまり覚えていないが、問われぬのについ口をついて言葉が溢れていく。
「…紅神子様が居られない時、氷の様に冷たい方でした。喜怒哀楽など見たことが無い。ただ日々の義務をこなす方。」
そう…感情を露にせず、玲瓏なる美しい人。
「…異性には恐ろしい程潔癖でしたね。まあ、最悪の場合には、私がお慰め致しましたが…。」
私は、選ばれたのだ。一夜を過ごす相手に。
僅かな優越感を乗せて続ける。少し言い過ぎたかと不安も過るが、紅神子の反応は薄い物だった。
「お話ししてくれて、ありがとうございました。もう、そろそろ部屋に戻りますね。」
「左様でございますか。いえ、私も共に過ごせ大変光栄にございました。」
淡白な反応の紅神子に笑みを浮かべ頭を下げ、去ったのを確認すると重々しい息を吐く。
…何という事。何という方でしょう。一の方様に愛を捧げられ、何とも思わず、いえ…それを当たり前だと甘受しているのでは?
私が欲しくて、欲しくて、堪らないのに…。どうして?どうして、突然現れた貴女が奪うの?
私の大事な方を、特別な名で呼び、笑みを向けられ、愛を一身に受け…。
涙が溢れ、ただ袖を濡らす。
*
明くる日、一の方様と紅神子様は3の国へ発たれた。
偽の紅神子への対処だそうだが、関心など持てず日々の役目を務めるだけ。
昨夜、一の方様と紅神子様が褥を共にしたと侍女達が騒いでいたが、耳を塞ぎ聞こえぬ振りをする。
斎女の亜子や里子を呼びつけ、部屋の準備や斎女の選定を無心に淡々とこなしていく。
そう…私は侍従長なのだ。だから、職務をこなせば良い。こんな感情を忘れてしまえば…!
『忘れる必要は無いわよ』
「え……」
部屋に一人きりとなったその時、背後から囁く声に気付いた。その声は、まるで心の隙間に入り込む様に、するりと溶け込んでくる。
「…誰か…『一の方』……!?」
『可哀想に。あの女が現れなければ、一の方は死ぬまで貴女と共寝をしたでしょうに』
侵入者だと声を上げれば良いのに、体が動かない。何故か、声に聞き入ってしまう。
「……誰?…何なの……?」
『幼い頃からの気持ちは報われず、これから二度と献身してきた貴女は省みられぬ事は無い。ああ、お気の毒に。』
「わ…私は侍従長で…」
『でも、ずっと側で支えて来たのは貴女だわ。どうして諦めなければいけないの?誰よりも、一の方を知っているのに。』
どうでも良かったのに。心の片隅にでも、置いてくれれば良かっただけ。でも、片隅どころか、あの方の心に私は居なかった。
何も言葉は出なかった。
振り返った先、瞳に映る毒々しいまでに映える深紅はただ美しいと思ったのだ。
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