地下牢の神子

由紀

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─風吹きて─

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「………志津?」
「ええ。私の恩人なんです!」

二度と会えぬと思っていた蒼神子の発した男の名に、十の方疾風は悋気に苛まれる。
部屋を退出する機を逃した志津は死さえ覚悟し、その場に膝を着きただ頭を下げるのみだ。

「…なるほど、それは…」
「…申し訳ございません。失礼致します。」

何かを言いかけた疾風の言葉は遮られ、叩かれた扉からメイド長が入室する。洗練された者らしく、状況を直ぐ様整理し戸惑いは微塵も表に出さない。

「…先に侍従長様が参られます。九の方様は後程に。」

9の国侍従長が此処に訪れる先触れを終え、退室しかけたメイド長に、十の方は軽く手招きをする。

「メイド長。蒼神子様の御召し替えと、ご休息頂く様に。」
「…は、い。畏まりました。」

驚く楓にメイド長が「此方でございます」と恭しく頭を下げる。
メイド見習いだった自分が、今ではメイド長に世話され十神衆に傅かれる存在となった事には驚きを隠せないが、此の部屋から離れた方が良い事を察する。

「カエデ様。直ぐに御身の元へ参ります。」
「…あ、えーっと?分かりました。」

力強くそう言う相手に頷き、メイド長の後に続いていく。

…志津君、一度も喋らなかったな。







「…侍従の志津、だったか?」
「…っは。」

膝を着き頭を下げたまま動かず、十の方の采配を待つ。最悪、蒼神子と話したという理由で、処罰される事すら覚悟をしていた。
楓の去った室内は、張り詰めんばかりの緊張感に包まれており、十の方に応対していた年配の侍従もいつの間にか姿は無かった。現在は、十の方と志津の二人きり。

「…蒼神子様は、お前を信頼なさっておられるようだ。」
「…畏れ多い限りでございます。」
「………」

無難な答えに留めた志津に、少しの沈黙の後思ってもみない言葉が続く。

「…丁度良い。10の国の侍従長は老齢となり、二代目の侍従長を探していた所だ。お前を我が国の侍従長にしてやる。」
「…?!」
「何だ?まさか、不満でもあるって言うのか?」
「…!…いえ。」

最も年若い侍従である志津にとって、肯定も否定も出来ない問いであった。他国といえども侍従長となれる栄誉、だが同時に9の国への不忠を働く事となる。

(この御方は、フウ…蒼神子様の気を引く為に、私を侍従長にしようと思われているに過ぎない。私は…九の方様にお仕えしていたい。)

「おい、返事は?」
「……あ、」

意を決した志津が顔を上げようとした時、静かに叩かれた扉が開かれる。

「…失礼致します。お待たせ致しました、十の方様。侍従長芥里、御前に参上仕まつります。九の方様は少々お加減が宜しく無く、お会い出来ません。真に申し訳ございません。」

優雅に礼を取り端的に事実を述べる様は、幼年の十神衆を支える者として完璧だろう。漸く僅かに緊張をほどく志津は、芥里の後方へと回り片膝を着き控えた。

「そうか。後で九の方に見舞いを述べよう。…それより、蒼神子様が御帰還なされた。」
「…ええ。先程メイド長より報告を受けました。真に喜ばしい限り。」
「そこでだ。」

十の方にとって、九の方が此処に来ようが体調を崩そうが興味は無い。彼にとって、今は蒼神子の存在が全てなのだから。
相手の侍従長が僅かに目を細めるのに気付くが、だからとて気にせず話を進める。

「…蒼神子様が御帰還なされてから、そこの志津がお世話していたそうだ。ならば、志津を10の国の侍従長とし、蒼神子様にいらっしゃって頂ければ安心してお過ごし頂けるだろう。」

あまり表情に変化の無い芥里は、チラリと後方へと目を向ける。侍従長に見据えられ慌てて志津も謝罪を口にする。

「…申し訳ございません!まさか、保護していた者が蒼神子様だと気付かずに…。」
「…話は後で聞きましょう。」
「っは。」

此の場では言及せずに、十の方へと視線を戻し腰を据える。十の方があっさりと言ってのけた内容は、聞き捨てならない事が多かった。

「…そうでございましたか。確かにその方法は道理でございましょう。ですが…」
「…何だ?」
「私も、まだ確認して置きたい事もございます。六の方様にも連絡してからでも、遅くは無いかと存じ上げます。」

六の方の名に十の方は唇を噛み締め、眉を吊り上げる。分かりやすく機嫌を損ねる十神衆に、芥里は微笑みを崩さない。

「…勿論、俺からも六の方様に伝達役を飛ばしている。その前に、斎女や宮の整った10の国へ、蒼神子様に御移り頂いた方が良いだろう。侍従長ごときに言われる筋合いはねえ!」
「はい。真に申し訳ございません。」

舌打ちすらする十の方へ、9の国侍従長は静かに頭を下げる。

「…蒼神子様が御帰還なさった時に、保護した国が初めのお世話をする…そう認識しております。ですが、9の国の国主は記憶を持たず幼年。ですので、蒼神子様側筆頭である六の方様に御指示を仰げるかと愚考しました。」

丁寧に謝罪を混ぜる侍従長の口調だが、しっかりと蒼神子の滞在すべきは9の国だと主張する。芥里は、十の方が記憶の無い九の方を侮って事を運ぼうとするのを察していた。

「貴様…この俺に楯突くか?」
「とんでもありません。…私は10の国侍従長殿よりも尚老齢ですので、少々呆けております。年寄の戯言、何か言い間違いがあるようでしたらご指摘下さい。」

幼年の十神衆を補佐し、教え導く存在。十神衆不在には、国政を代わりに行う。彼らにも、十神衆にも劣らぬ意地も気位もある。
これ以上の言い争いは時間の無駄だと考え、十の方は口を閉ざし会話を切り上げるのだった。

(はあ。年寄の侍従長ほど嫌な物はねえな)




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