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二章~親交会・対立~
終わりへ
しおりを挟むその刹那、桜川灰の心が憎悪に歪み懐に入れた手に気付いた者は少なかった。彼の心に芽生えたのは-この場の人間が消えれば全て丸く収まる-だった。
護身用の刃先が当主の胸元に向かった時、執事夏雪は千里を庇う。その夏雪を押し退けた千里は、身動きの取れない恵をすり抜け、当主の前へと踊り出た。
メイドの悲鳴が響く中、灰のナイフを持つ手が震える。
「貴様っ?!」
「…お主。」
挟まれる双方へ特に言葉を返さず、足を踏み出す夏雪へ目線のみで抑えておく。ポタポタと垂れるのは、ナイフの刃先を掴む掌からである。
「…千里!」
「…うん。ちょっと待って。」
動揺する恵に小さく首を振り、手のひらの痛みに意識を向けない様にゆっくり息を吸う。
驚愕により頭の血が引いたのだろう、灰の顔色が悪くなる。自分のしようとした事を思いだしたのだろう。
背後からは当主の怒りが伝わってくる。後は、家族間の問題だが、僕も少しばかり言わせて貰おう。
ガチャンと落ちるナイフ、止めどなく流れる血液。
「…逃げるのか?」
「…っ何だと?」
目の前で様々な感情に押し潰されそうな男へ、淡々と言葉を紡ぐ。
「弱く逃げていた弟が、覚悟を決めて貴方に気持ちを伝えました。貴方は逃げるのですか?何もかもを壊そうとして、終わりにしようとして。」
感情を込めずに冷静に告げたそれは、灰にどう響いたかは分からないが反応を待たずに、今度は桜川当主へと向く。
「…初めまして、春宮千里と申します。あつかましいかと存じますが、一つお願いを聞いて頂けませんか?」
息子に命を奪われる所であった当主だが、既に戸惑い無く状況を受け入れていた。
「…うむ。お主の執事にも助けられた。その願い、出来うる限り聞いてみせよう。」
毒を飲ませられる難を逃れた桜川当主は、既に夏雪を信頼に当たる人物だと理解している様だ。当の夏雪は、千里の掌を見つめ苦い表情を崩さない。
「今後の事について話し合いの場を持つ事を推奨します。ですが、ご子息の幾人かは信じられないでしょうから、僕の執事をお使い下さい。ご当主と恵の命は必ず守らせます。」
桜川当主は直ぐに返事を返さず、何やら考え込んでいる様だった。その目には、俯いたままの長男と固い表情の末子が映る。
(これも全て儂が撒いた種なのか)
「うむ、分かった。家族をしっかりと見ていなかった責任は取るつもりだ。少し…話しをしてみたいと思う。」
「…ありがとうございます。」
「いや、むしろ礼を言うのは此方じゃ。春宮の息子よ、この礼はいづれさせて貰おう。」
執事は借りるぞ、と言われ直ぐに承諾をすれば、数人の使用人に引きづられて当主に着いていく灰。
「…千里、ごめんね。本当にごめん。その手どうしよ…。」
「いいから。早く行って来て?ね。」
大丈夫と念を押して恵に手を振る。何度も振り返りながらも、後に続いていく。行く寸前に夏雪に応急措置で止血された手を見下ろす。シンプルなハンカチで覆われた場所から、血が滲む。
これも勲章って奴かな?
「あの…」と控えめな声に気付き、振り返るとずっと静かに控えていたメイドが声を掛けてきた。
ああ、確か当主付の。
「…どうかしたかい?可愛いらしい方。」
「あっ、えっと、客間に案内させて、頂ければと!」
千里に微笑まれその美貌に耐性の無いメイドは一瞬惚けながらも、心を鎮めて何とか用件を言い切った。
「そう、ありがとう。」
異論なく着いていき、客間の扉前に着くとメイドは「救急セットを持ってきます」と言って駆け出してしまう。
まあ、治療して貰えるのは有り難いけど。
そう思いながら先ほどから存在を感じない黒鎖の心配をしつつ、扉を開けた。
「「…………。」」
客間の中で椅子に腰かける人物を見つけ、何を言おうか考えるも結局は止めて扉に近い席に腰かける。
静まり返る室内で、意外な事に先に口を開いたのは相手であった。
「なるほど。また余計な手を出して痛い目にあったのか。」
「…ふふ。挨拶をどうも。すまないけれど、恵は君の元へ戻らないだろうね?」
表面的には笑みを交わし合う。桜川という手駒を逃した割には、月宮の焦りも苛立ちも感じない。
月宮の目的が今一つ掴めないな。僕を貶めたいんだとは思うけど。
「…どうしたら君の気が済むのだろうね?」
視線を外し、頬杖をついて軽くため息を溢す。正直言うと自分を憎む相手の理由が分からず、対応に困っている所もある。
「…本当に、分からないのか?」
「何…?」
好青年然としている月宮の雰囲気が、千里に対してはガラリと崩れる。憎悪と怒り、何かに対しての憤り。
いやいや本当に僕この男に何かしたっけ?なるべく敵は作らないようにしてきたのに。というか、この男を知ったのも今年の4月からだし。
「僕が君に何をしたのか知らないが、僕の友人を巻き込むのは筋違い…「っふざけるな!」
遮る怒鳴り声に本人も思わず出ていたのだろう。直ぐに気まずげに唇を噛み締め、努めて冷静を装う。
「…白々しい。私から『大事な人』を奪っておいて。」
大事な人?月宮の親しい人と僕が関わっているのか?以前は恵とか美景かと思ったけど、何となく違う気がするな。
実際は分からない故の沈黙だが、肯定と受け取った月宮は鋭い睨みを向けて乱暴に椅子から立ち上がる。
「…これから覚悟していろ。」
低い声は憎しみに満ち、何も言わない千里の隣を通り過ぎて客間を出ていった。
…いや、だから分からないって言ってるだろ。
掌の痛みを思いだし、テーブルに突っ伏し眉を寄せた。
桜川の使用人に案内され帰ろうとする姿を見つけたフードを被る人物は、読めない視線を送り呟く。
「…邪魔ですねえ、月宮煌有は。」
しかし直ぐに寄りかかっていた壁から離れて、救急箱を持って急ぐメイドの跡をのんびりと追い始めた。
この後、桜川家の有する株の一部が春宮家に委譲されるのは、千里の知る所では無い。
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