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紅茶缶と踏み台

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 朝の空気は、すでに1日の気温の高さを予想させる日差しの強さ。
 いつもと変わらないはずの朝の待ち合わせは、深雪みゆき若干じゃっかん引いた顔と声で、いつもとだいぶ変わった自分を見せつけられたって言うか。

「香絵。前髪……」
「言わないでっ! 言わないでぇぇぇ」
 スポバを肩に掛け、深雪のツッコミにヘアピンで斜めに留めまくった前髪を両手で抑えた。

 短い毛がぴょこぴょこでてるけど、切り揃える訳にもいかず、下ろすわけにもいかず。
 これが一番の打開策。
 だと思いたい。

「マスクにデコガーゼ。日に日に付属品が増えていくのはなんで?」
 深雪と並んで登校しながらいぶかしげな顔を向けられる。

「まさかっ。DVとかじゃないでしょうね? 足にも大きなアザ作ってたでしょ?」
 うおっ。鋭い。

「いやいや、それはないって。
 デコはちょっと火傷やけどしちゃって。足は派手に転がっちゃって」

 まぁ。嘘はついてない……かな。
「……。何したらオデコなんか火傷するのよ。女の子なんだから、もうちょっと普通に生きられないの?」

「んー。それは難しいかなぁ」

 ここ数日の。いやいや、ここ1カ月の目まぐるしい日々を思い返して、しみじみ思ってみたりして……。


 ###

 昨日は検査や点滴の終わる時間の都合で病院にお泊りだったイチも、午前中のうちにせりかさんがお迎えして退院している予定。

「カエっ」
 今日は23日木曜日。
 深雪は部活があるから、1人歩く昇降口で後ろから声を掛けられた。

 振り返った先にはジュニアと、大きなスポーツバックにサッカーボールを抱えた男の子。

「ぐったいみぃぃん。一緒に帰ろ」
「うん。いいよ」
 ジュニアに答えて、ちらりと隣の男の子に目を走らせる。

 よくイチとジュニアと一緒にいる子だ。
 名前は……。

「お。噂の香絵ちゃん。俺、1組の河内亮太。よろしくねぇ」

 人なつっこい笑顔を見せてくれる。
「うん。3組の間宮だよ。よろしく。っていうか、噂のって何?」
 じろりと、ジュニアを睨み付けちゃう。

「オデコ火傷したって噂の」
「うるさいっ!」
 両手でオデコを隠す。

「んじゃ、太一にお大事にって伝えておいて」
「んー」
 ジュニアが手を上げて河内くんとは別れた。

 昨日リカコさんがこそっと教えてくれた。
 軽口ばっかり叩いてるけど、現着するまでの車内ではすごく責任感じて2人を心配してたのよ。って。

 ちょこぉぉぉっとだけでもその心配を垣間見せてくれればいいのに。

 男の子ってホント、変なところで意地っ張りっていうか、よくわからない。



「昨日。〈おじいさま〉何か言ってた?」
 ジュニアと並んで歩く帰り道。学校からはだいぶ離れた所でこの話題に触れてみる。

「別に。ただ、この数日で榎本も含めて四人も逮捕者が出てるからね。
 それに東田副総監。昨日はなんだかバタバタしちゃって検索掛けられなかったから、この後帰ったら潜ってみるよ」

 昨日か。

 気づいたら病室で寝落ちしていたらしく、イチと話した後から電話で起こされるまでの記憶がない。
 イチよりかは先に起きられたみたいだけど。

「あたしも見たいからついて行く」
 イチも帰っていてるだろうし。


 ――――――

 玄関の鍵を開ける音に、リビングのソファーから顔を覗かせた。

「イチー。ただいまっ!」
 カエの元気な声に、昨日は一度捨てようとした、今ここにいられる普通の幸せがどれ程のものかを思い知らされる。

「お帰り」
「暑《あち》ぃー。久しぶりに歩いて帰ってきたけど、やっぱりチャリは偉大だね」
 ジュニアが疲れた顔でリビングのソファーに転がった。
「休憩」

「イチ。退院おめでとう。デコガーゼ仲間が増えた」

 包帯は取れても、額の縫い目には大きなガーゼが貼られたままだ。

「こら、ジュニア。手洗いうがい」
 子供を叱る母親のようなカエの口調に自然と笑みがこぼれ、同時に昨日の一幕が脳裏に蘇る。


 ――――――

(少し休めば?
 みんなが来たら起こしてあげるよ)
 疲れていたのは事実で、カエの言葉に眠りに落ちた。

 さっきもそうだった。
 疲労や脱力感の中で、うつらうつらと眠りに落ちても、大男の首に手を掛けた感触、苦しげな声が耳元に聞こえた気がして、目がめる。

 心が休まらない。
 そんな風に思いながら開いた瞳に、しっかりと指を絡めた手が映った。

 見慣れた自分の手と、小さくて柔らかな手。
 その先に視線を移すとカエの無防備な寝顔。

 起こしてあげるよ。って言ってなかったか?

 苦笑いが漏れる。
 もちろん、カエが疲れているのもわかっている。

 警戒心のない子供の様な寝顔に、胸の奥にわだかまっていた黒いモノが影を薄くしていく。

 次はちゃんと正攻法で守るから。

 少し眠れそうな気がして、しっかりと手を握ったまま瞳を閉じた。

 ――――――


「イチとジュニアは何飲む?」
 キッチンから声が掛かる。

「何でもいいよ」
「俺もー」

「それが一番困るんだって。
 ふっふっふっ。今日はちょっと暑いくらいだし。沸騰したお湯をさらに熱して紅茶を入れてやる」

「お湯は100度以上にはならないからね」
 洗面所から出て来たジュニアがキッチンの前を通り過ぎて、自室に入って行った。

「んんーっ」

 ?

 キッチンから聞こえるカエの声にソファーから立ちあがって中を覗き込むと、爪先立ちをして吊り戸棚の中に一生懸命手を伸ばしている。

 あそこは紅茶とかコーヒーの買い置きが入ってたはず。

「あ」
 カコン。
 紅茶缶の倒れる音に、カエの顔がしょんぼりとうなだれる。

「ぶっ」
 思わず吹き出した俺の声に、カエが素早く反応した。

「ああっっ! 見てたなら手伝いなさいよっ」
 怒るほおが、見られていた恥ずかしさからかほんのりと赤くなっている。

 ヤバい。普通に可愛い。

「カエ用に踏み台があるだろ」
 キッチンに入り、倒れた紅茶缶を掴むとカエに手渡す。

「ありがとっ。でもあれを使ったら負けた気分になるからイヤなの」

 食器棚と壁の隙間に押し込まれた折りたたみの踏み台にちらりと目を向ける。

 なんの勝負だよ……。

 ご丁寧に〈カエ用〉と明記までされている。
 ちなみにジュニアの字で。

「俺が取るのはいいわけ?」
「……。ギリOK」
 その口調、あんまりOKそうじゃないな。

「アイスティー。飲みたいな」
 話題を変えがてら催促さいそくしてみる。
「いいよ。じゃあアイスティーにしよう」
 しょうがないなぁ。と言わんばかりのカエの笑顔。
 目論見通りと言っていいのか。どうやら100度の紅茶は回避できそうだ。
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