警視庁の特別な事情2~優雅な日常を取り戻せ~

綾乃 蕾夢

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 見上げた空の色はいつも真っ暗だった。
 星なんか見えないただの黒。

 ネオンの光の方がよっぽど綺麗だ。

 ここは沢山のニセモノと、沢山のウソで出来ている。
 地上を照らすネオンニセモノの星。
 華やかな見た目にひそんだ黒い思惑ウソ

「お兄ちゃん」

 見上げたその顔は、寂しそうに空を見上げていた。
 つないだ手は、秋に向かう夜の風に吹かれて今までのような温かさを感じない。

 冬が来たら……。
 言葉がこぼれそうな唇を、彼はグッと噛み締めた。
 つないだ手にも知らずのうちに力がこもる。

「お腹空いたね」
 家を出てもう5日ほどが経った。あんな家にはもう2度と帰らない。
 2人で何度も何度も話し合って決めたんだ。
「ほっぺた、まだ痛い?」
 首を振る弟のほほは痛々しく青紫に変色している。
 数日前まで腫れあがっていたことを考えれば、だいぶマシにはなってきた。

 まだ幼さの残る、よく似た面立ちの少年たちは夜の歓楽街へと進んで行く。
 明るい表通りを通れば大人たちの目を引いてしまう。
 おまわりさんに見つかったら、家に戻されるんじゃないか。
 それは彼らにとって恐怖でしかない。
 狭い裏通りを抜け、飲食店の並ぶ裏口で物陰に隠れるように座り込んだ。

 大きな音のBGMも、楽しそうな笑い声も、壁を1枚へだてて聞く音は、違う世界に自分たちだけが取り残されたんじゃないかと思うほどの疎外感そがいかんに襲われる。

 唐突に、男たちの言い争う声が狭い路地に響いた。

 場所が場所だけに、酔っ払いにからまれることがあるとわかったのは数日前。こんな時間に外をうろついている子供なんて、格好かっこう獲物えものだ。

 2人は視線を合わせると、小さく寄り添った。
 気が付かずにどこかにいなくなってくれれば、それに越したことはない。

 人の殴られる音に、耳をふさいだ。
 閉じる瞳の奥に、あの家の様子が思い出される。
 殴られる音、身体の痛み、床に叩きつけられては踏みつけられる。
 罵声ばせい怒号どごう。聞こえていた泣き声は自分のものだったかも知れない。

 物陰に隠れていた目の前を人影が滑り込んで行った。
 逃げようともがくその姿に、恐怖にひきつるその顔に、妙な苛立ちと嫌悪が込み上げる。

 ジブンモ、アンナカオヲシテイタノカ。

 黒い服を着た目付きの鋭い男が、ゆっくりと歩み出て来た。
 一瞬見えた瞳は冷たく、少年はゾッとする感覚の中に異様な気分の高揚を覚える。

 勝者はすぐに決まった。
 圧倒的な力。
 自分もあんな風になりたい!
 不要なものを、排除出来る、絶対的な力と権力。

 憧れのような気持ちに、物陰から動いてしまった少年を男の鋭い眼差しがる。
 息の止まるような威圧感いあつかん

 殺、される。

 激しい後悔の中で、弟の小さな手が服の背中を引いた。

 守らないと、守らないと。

 ズボンのベルトに挟んでいた銀色の果物ナイフ。
 料理なんて誰も作らないあの家で、なぜだか汚らしい台所に置き去りにされていた。
 唯一の武器。

 引き抜いた刀身から、乾いた赤黒いモノがパキパキと散る。

 同じだ。あの時と同じように、
 ヤレル。

 ナイフをかまえて走り出した少年に、現実は冷たく鉄槌てっついを下した。
 弾き飛ばされた小さな身体が地面に叩きつけられた痛みを感じた時、裏路地から見上げた細い空。

 黒い空には大きな月が彼を覗き込んでいた。


 ###

 空港から出たアギトは空を見ていた。
 建物の明かりに消えた星。
 黒い空に浮かぶ大きな月。

 十数年前。
 都内の小さなアパートの一室で若い夫婦が惨殺された事件があったらしい。
 小ぶりの刃物で滅多刺しにされた男女。
 犯人も、2人の子供も見つかっていないんだとか……。

 アギトの唇が小さく微笑んだ。

 そんなの、よくある話だろ。

 真っ暗な闇の中で出会った、あの月は大きな希望だった。
 あの日から、俺たちはあの人のために生きている。
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