Formalisme──A Priori

朝倉志月

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立冬

4.

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「それ、気に入った?」

 片桐が小脇に抱えていたスケッチブックを指して
訊く。片桐が、あの空間から何かを持ち出したことに安堵した。

 ああ、と片桐は低く唸った。

「だが、これは受け取れない」

 項から背中まで、総毛立つような気持だった。

 防御を固めていたはずなのに、幾本も薄いナイフが胸を突っ切っていくような痛み。知らん顔して、唇の内側を噛んだ。

「返品は利かねえよ───口約束だって、あんたはちゃんと合意した。それに俺は対価も受け取った。
 あと……こっちも、忘れ物」

 スーツの上から、札束の入った内ポケットを指で弾いて見せた。

 片桐は、口を噤んだ。

「……いらない」

 足に力を入れると、良かった、立てた。

「俺も、お情けはいらないんだ」

 俺は封筒を取り出して、片桐の上着のボタンを開け、隠しに入れようとしたら札入れが入っていて内心焦ったが、スーツの作りが違った。衣服にペン入れがあるばかりか、反対側にも内ポケットがある。そのまちと、体温を伝える驚くほど滑らかな裏地が、さほど抵抗せず紙の束を飲み込んだ。内ポケットに滑り込ませる。ボタンを掛け直す時に、指が震えないように細心の注意を払った。

「はい、お会計。お気が向いたら是非、今後は適正価格でね」


「サービス提供は昨夜までだ。身体の売り買い……身売り、は、二度としない」

 片桐は、苦し気に眉根を寄せた。

 本心からの、言葉なのだろう。

 胸に刺さったままのナイフが捻られたように、胸が痛む。

 わかり切っていたことだった。きっとこいつは、もともとは人や自分を金でどうこうして平気でいられる性分じゃない。

 そうでなければ、こいつの支離滅裂な言動は説明がつかない。この先、俺を見るたびに、それをした自分を思い出すことになるのだろう。

 ───『二度としない』───

 こいつに、それを断言させた。ならば今、俺がここに立っていることの価値はある。それを当人がわかっている限り、あの傷ついたガキみたいな目をすることはないだろう───胸は、絞られるように苦しいけれど。

 俺はしっかりと腹に力を入れた。

 あとは、後腐れなく、綺麗に消えればいい、それだけだ。この男は───最初ばかりはごねてみても、意地のひとつすら張り通せない、結局は快楽に溺れて身体の売り買いなんか何とも思わない相手を───ちょこっと突いただけ。蓮っ葉な行きずりの相手との情事。ちょっとくらいの後味の悪さは、スパイスだ。背筋を伸ばす。

「そ。俺の方は悪くなかったぜ。
 悔しいけど、正直言って───悪くないなんてもんじゃなかったけど。
 ま、その気がないならしょうがないよね」

 こいつみたいに自分を失うくらい演じるのがうまい奴の前で、演じ切れるのか、自信がない。

 ───ないけど、残り、ほんの数秒。

(呑み込め‼)

 感情なんか、後で吐き出せる。

 じゃな、と軽く手を上げて、くるりと背を向ける。
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