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霜降
5.
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『上っ面の格好の良さに捕われることを怖れてください。尤も、君たちが社会に出たところで、すぐに会社の損になるかもしれないようなことまで意見を言えるようになることはまずないでしょう。しかし、建築家としての品性です。
自分で作った建物の中に住む、働く───生きると言う心の課程を、決して怠けないでください』
建築科のオリエンテーションで、榊教授は言った。この人を追ってここに来られて良かった、と胸が震えた。
それから折につけ、学生時代を通して繰り返された言葉が、また脳裏で再生される。
自分の部屋に篭りきりになって、ひたすらに制作した。
自分で自分が、よくわからない。あんなに片桐に気を囚われていたはずなのに、それと共に、噴き出すようなアイディアが、止められない。
会期の間、休みなしで使われて疲れているはずなのに、作りたいものが見えてくる、ような、曖昧な何かをまだ捉えきれない、ような。末端とは言え、建築の世界に触れて脳が活性化している。
ここしばらく、なかったような感覚。食事も睡眠も忘れて、吹き出すものを書き出し、息を吸うように知識を吸収する。
何かを作り出すとき、自分の足りなさが否応なく眼前に叩き付けられる。でも多分俺は、この創り出している感覚のためなら、何だって奉げられる。自分が認められるとか認められないとかじゃなくて、これを作らなくてはいけないのだと、わかるような瞬間。
身体の限界が来て、気絶するように眠り込んで、目が覚めたら、底をついて、身体を削って補っていたカロリー分を補給する。生活がかつかつだった頃には、この感覚に耽溺することは許されなかった。
昼夜の感覚がなくなり、脳だけが突っ走ってやりたいことをする中、身体の要求が自分を現実に引き戻す。五感が異常に鋭くなっている中、ふと、皮膚感覚が意識を引きずる。
つい数日前まで、肌に残っている記憶は、時間の経過でほんの少し遠くなったような気がしたけれど、シャツが身体に触れるだけで、生々しく蘇った。
片桐の肩が触れた額に手を当てた。 まだあいつの体温が残っている気がする。
意識した途端に、息ができなくなった。
嫌々見世物になっていたときよりずっと、喉の奥が詰まる。
どうかすると、あいつの視線が身体をなめ回す錯覚に陥って、 何かが背中をぞくりと這い上がる。
突っ走る脳と、別方向に引っ張る五感を抱えて、もうどうしたら良いのかわからない。
そうやって、鋭くなり過ぎた感覚に意識を割いている時に、スマホが鳴った。反射的に飛び起きる。
「はい」
───『石澤クン? お疲れ会も開いていないのに申し訳ないんだけど、ヘルプお願いできるかな』
反射的に通話ボタンを押して、聞こえてきたのは女の声。
表示を確認すると、設計事務所の職員だった。改めて聞くと、知っている声だ。
あの、脳髄を絡め取られるような、低音じゃあ、ない。
「僕でできることなら。急ぎですか?」
───『ごめんねえ、都合いいお願いで。明後日、土曜日なんだけど大丈夫?』
高めの声がハイペースで続く。
「構いませんよ。いつも曜日関係ないので」
同じ都合よく呼び出されるなら、業界の仕事の方が、ずっと良い。
それに、事務所はあいつの街、テリトリーだ。
(この機会を、逃す手はない)
自分で作った建物の中に住む、働く───生きると言う心の課程を、決して怠けないでください』
建築科のオリエンテーションで、榊教授は言った。この人を追ってここに来られて良かった、と胸が震えた。
それから折につけ、学生時代を通して繰り返された言葉が、また脳裏で再生される。
自分の部屋に篭りきりになって、ひたすらに制作した。
自分で自分が、よくわからない。あんなに片桐に気を囚われていたはずなのに、それと共に、噴き出すようなアイディアが、止められない。
会期の間、休みなしで使われて疲れているはずなのに、作りたいものが見えてくる、ような、曖昧な何かをまだ捉えきれない、ような。末端とは言え、建築の世界に触れて脳が活性化している。
ここしばらく、なかったような感覚。食事も睡眠も忘れて、吹き出すものを書き出し、息を吸うように知識を吸収する。
何かを作り出すとき、自分の足りなさが否応なく眼前に叩き付けられる。でも多分俺は、この創り出している感覚のためなら、何だって奉げられる。自分が認められるとか認められないとかじゃなくて、これを作らなくてはいけないのだと、わかるような瞬間。
身体の限界が来て、気絶するように眠り込んで、目が覚めたら、底をついて、身体を削って補っていたカロリー分を補給する。生活がかつかつだった頃には、この感覚に耽溺することは許されなかった。
昼夜の感覚がなくなり、脳だけが突っ走ってやりたいことをする中、身体の要求が自分を現実に引き戻す。五感が異常に鋭くなっている中、ふと、皮膚感覚が意識を引きずる。
つい数日前まで、肌に残っている記憶は、時間の経過でほんの少し遠くなったような気がしたけれど、シャツが身体に触れるだけで、生々しく蘇った。
片桐の肩が触れた額に手を当てた。 まだあいつの体温が残っている気がする。
意識した途端に、息ができなくなった。
嫌々見世物になっていたときよりずっと、喉の奥が詰まる。
どうかすると、あいつの視線が身体をなめ回す錯覚に陥って、 何かが背中をぞくりと這い上がる。
突っ走る脳と、別方向に引っ張る五感を抱えて、もうどうしたら良いのかわからない。
そうやって、鋭くなり過ぎた感覚に意識を割いている時に、スマホが鳴った。反射的に飛び起きる。
「はい」
───『石澤クン? お疲れ会も開いていないのに申し訳ないんだけど、ヘルプお願いできるかな』
反射的に通話ボタンを押して、聞こえてきたのは女の声。
表示を確認すると、設計事務所の職員だった。改めて聞くと、知っている声だ。
あの、脳髄を絡め取られるような、低音じゃあ、ない。
「僕でできることなら。急ぎですか?」
───『ごめんねえ、都合いいお願いで。明後日、土曜日なんだけど大丈夫?』
高めの声がハイペースで続く。
「構いませんよ。いつも曜日関係ないので」
同じ都合よく呼び出されるなら、業界の仕事の方が、ずっと良い。
それに、事務所はあいつの街、テリトリーだ。
(この機会を、逃す手はない)
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