Formalisme──A Priori

朝倉志月

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霜降

1.

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「石澤クン、ここはいいから中行って!」

「はい!」

 風に秋の気配を感じたと思った途端に、季節が完全に切り替わった。

 建築家、卯月亮平の凱旋展覧会のスタッフになった。今日は中日。夜は財界人だけを招待しての祝賀会。初日とか締め日にやるものだとばっかり思ってたけど、先輩に聞いてみたら、色々あるんだ、とだけ言われた。

 あいつに幾度も呼び出された界隈に近くて、何となく落ち着かないけれど、秋の空は高い。会期が始まって、首から提げるようになった仮の社員IDが煽られる。少し風が強いが、今夜はきっと星がきれいだろう。

 財界人だのと言っても、よくわからない。綿貫なら目の色を変えるのだろうが、俺の目から見たらざっくり「セレブ様御一行の集まり」だ。

 最近流行りの水族館や博物館を貸し切ってパーティするのに倣って、都心の展覧会場で飲み物とビュッフェの食事。どこぞの一流ホテルからスタッフごとケータリングして、メニューも国際色豊かだ。何が豪華って、この世界有数の土地価格を誇るこの界隈で、フロアの総面積が言わずもがな、展示品同士の間隔が尋常じゃない。ただ訳が分からないのは、卯月氏が設計した建物ではなくて、よその箱を借りていることだ。

(意味わかんねえ)

 少しずつ話を聞くうちに、場所を提供したい建物のオーナーや不動産屋の利権が絡んでくるから避けたらしいことは分かったが、だからと言ってばかばかしいことには変わりない。不自然に短い会期も、再び長期で外国に出る前に、国の人材資源として───ようは、見せびらかして、国の財産なのだと───誇示しておきたいだけだ、と言うことだ。

(本人設計のビルを使えないなら、こんな都心じゃなくて、大掛かりな展示会場で、モニュメントのレプリカでもぶっ建てた方が、よっぽど面白いのに)

 教授に話を聞いた時点では展覧会の準備の手伝いだった。が、フリーと言う名の無職だと知れてかなり早めに顔合わせを行ったところで、事務員が切迫流産で緊急入院したため、予定より三週間前倒して秋分の頃から手伝いに入ることになった。作業確認的な仕事をするのかと思っていたが、そこは若い男手と言うことで、無駄にされるはずがない。

 荷運び荷下ろし、誰かが突っ掛かりそうなケーブルのテープ張り、うっかり誰かが持ち上げた拍子に転げ落ちた模型のパーツ修復など、昼夜を問わない突貫作業で頭脳肉体問わず準備にこき使われた。会期さえ始まれば受付で大人しく頭を下げて、御芳名なんぞ承っておけばいいのかと思っていたが、とてもとてもそんなものじゃなかった。

 客の荷物はこれもホテルから呼んだクローク係がさすがの手並みで捌いているが、受付は設計事務所の社員。新型流感の予防措置とやらでいちいち手の消毒をお願いするのが誰にでもできる俺の係だったが、そこもとっとと追い出され、体調を崩した客の後始末をすべく男子トイレに追いやられた。

 施設が貸し切りの間は清掃が入らないが、新型流感の危険性があるとかで、消毒の講習は受けさせられている。指示された通りに使い捨ての手袋にマスク。拭き取ったものをビニール袋に三重に密閉した後は、床を消毒した。塩素臭さに、思わず鼻に皺が寄せながら、経過時間を確認するため、スマホのタイマーを掛ける。

(だったら、こんな都心で宴会なんかしなけりゃいいんだ)

 外国帰りの客をてんこもり集めて、ここが新たな感染源になりかねない。

 そもそもがビルの新築を祝う会でもなく、今まで卯月氏の造ったものを称える会。意味なんて、あるんだろうか。

 所定の時間が経ったので、掃除用具を片付けて手袋を外して手を洗う。マスクを剥ぎ取って息をつき、再度手を洗って会場に戻ろうとしたら、見知った長身に気付いた。気付いてしまった。

(片桐……‼)

 遠い。でも、片桐は特に奥まったところにいるわけじゃない。それどころか、かなり入口寄りに立っているのに、目が勝手に動きを追ってしまう。

 来客たちもそうなのだろう。微かに色味が入っているだけの、チャコールグレーのスーツのあいつに、まるで謁見を求めるように周囲に群れる。上背があって、肩の線が見惚れるほどで、本当に憎たらしいほどこういう場所が映える。ネクタイの一色に合わせた、今日舞っていた枯れ葉のような辛子色のチーフを多めに見せて、まるで花でも刺しているかのようだ。

 向こうはまだ俺に気が付いていない。

 心臓が早鐘を打つ。出て来たばかりの洗面所に逃げ込んで、息を整えた。見上げると鏡の向こうの自分と目が合って、ぎょっとする。

(なんて顔、してんだよ…)

 血の気が引いているのに頭の芯が熱に浮かされた、病人みたいな底光りする目で。
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