Formalisme──A Priori

朝倉志月

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梅雨明けの気配

2.

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 車窓にパラパラ当たる雨音に顔を上げると、灰色の空に都心のビル群が迫る。

 ───ビル群は全て都心に見えると言う感じ方は、きっと俺が地方で育ったからで、もしかして都会で育っていたら、俺が最初に高層ビルを見た時の感動は得られなかったのかもしれない。



 タクシーがホテルの名前を冠した古めかしい構えの車寄せに入って、心臓の鼓動が音量MAXになった。もしかしたら、本降りになった雨音と混同していたのかもしれない。

 こっちの気を知ってか知らずか、ドアボーイが寄って来る。運転手が助手席側のウィンドウを下げた。少し開いたドアの向こうから声を掛けた。

「カタギリ様とお待ち合わせでいらっしゃいますか」

 何て言ったら良いのか分からずに、取り敢えず無表情に頷いたところで、俺より年上のボーイは顔筋に刻み込んだプロの笑顔を向けた。

「承っております。どうぞ、ラウンジへお越し下さい」

 タクシーを待たせたまま、ドアボーイは奥の人間に顔を向けて合図した。帽子と制服の肩の線が多いので、呼ばれた方が階級が上だとわかる。ベルキャプテンってやつなんだろう。

 ベルキャプテンが寄って来るまで、外から扉を開けて俺を主役扱いして、タクシーの運ちゃんなんか歯牙にも掛けずに放ってある。この中で一番配役が失敗しているのは、間違いなく、俺だ。

 ベルキャプテンに先導されながら後ろを盗み見ると、ドアボーイはちゃんと運賃の支払いをしていた。多分万札で。

(ホテルってこんなことまでしてくれるのかよ)

 ボーイの持ってる紙幣にまで意識が行く俺には、縁がなさ過ぎる人と金の使い方で。

 ロビーの半分を区切る形で設置された、ラウンジと呼ばれる喫茶エリアに、エントランスとは逆側に作られた入り口に着く。

 わざわざ教えられなくても、入り口に立っただけで、一目であいつのいる位置が、わかった。こちらから見ると奥の方の、エントランス側の窓寄り。ソファ席と椅子席が向かい合う、椅子側に座ってPC画面を覗いている。

 光が入る位置よりも少し陰になるような席で、この間みたいにわざとらしい威圧感はまとっていなかったが、端正な横顔に、少し落ちた前髪に、一筋だけ光が当たって艶を放っていた。 

 そこで支配人「風」に案内を引き継がれて──悔しいかな、俺には見分けがつかない──あいつのテーブルに連れていかれた。

「お連れさまがお見えでございます」

「……ああ。ありがとう」

 ラップトップから顔を上げて、内ポケットに手を入れたのは、チップを渡そうとしたのかもしれない。

 軽く押さえるように手を出して、支配人風はそれを留めた。

「お気遣いなく。料金に含まれておりますので」

「そうか」

 含まれているわけなんかないが、双方、それ以上は言わなかった。

 支配人風が俺にソファを示すと、カタギリまた画面に目を落とした。

 ただいまメニューをお持ちします、と支配人風が離れると、カタギリは初めて俺に向かって口を開いた。

「すぐに対応が必要な案件だ。まだ暫くかかるが、待てるか」

 置いてあるコーヒーには殆ど手がついていない。頷いて、男らしくも長い繊細な指でキーボードを打っているのを見るともなしに見ていると、ウェイターがメニューを持ってきた。ウェイターは、今の時間帯のメニューやお勧めを説明して、下がった。

 カタギリは、俺に向かって目でメニューを指す。

(好きに頼めってことか)

 こちとらビジネスで来てるんだ。たかるつもりはない。が、知らん振りでメニューを閉じて腕を組み直そうとして、目を剥いた。

(げっ……!)

 メニューに添えられた、本日のお勧めリスト。

 ──ケーキセット。本日のケーキはトレーから。

(茶とケーキ一切れに、どんなケーキだよ)

 単品からして四桁だ。丸ごと買える値段じゃないのかよ、桁間違ってるんじゃないのか、と最後にケーキを買った記憶を辿りかけたところで、ウェイターが注文を取りに来てしまった。

 なし崩しにケーキセットをオーダーして。訳のわからん紅茶の茶っ葉を選んで、カートで運ばれて来たケーキの中で、もうこうなったら、と少しでも大きいのを選び出した。

 ちら、とあいつを見ると、俺の事なんか気にしちゃいない。せっかくだから、もう三つばかり選んで、テーブルに並べさせた。勘定なんか知るもんか。俺が無銭飲食でどうにかなったら、恥を掻くのは名前の割れてるこいつの方だろう。

 知ったこっちゃねえや、とフォークでご大層なケーキの、三角錐の先を口に運んだ。

(何コレ。すっ……げえ、うまい)

 なんて思ったのも、多分何秒も経ってから。あんまりうまくて、思考も止まっていた。

 新鮮さが匂い立つようなクリームに、渋く渋く抑えたチョコレートのタルト生地。本物の実よりくっきりした味のラズベリーソース。

 はっと気付くとカタギリと真直ぐに視線が合った。

(何で見てんだよ)

 惚けた間抜け面を観られたと思いたくなくて、すぐにケーキに集中する振りをした。キーボードの音が再開するまで、随分長く感じた。席につく前にちらっと見えた画面はアルファベットの羅列だった。てんで分からないけど、英語じゃない。ウムラウトだっけか、uの上に点々があった気がする。

 カタギリは、純日本人にしては少しばかり彫りの深過ぎる顔立ちで、澄ました顔でキーを打ち続ける。多分、外国人相手にさんざっぱらやり取りしているんだろう。

 チェーンの喫茶店なんかで英語の小説を見せびらかしているような奴等の独特の気取りとは全く無縁で。茶を飲むところでスマホチェックどころかオンラインの仕事なんて、野暮の骨頂だとは思うけれど、こいつに限っては不思議にそう感じさせない。外国人の多いこのティールームで違和感なく周りに溶け込んでいる。

 ───俺とは、違って。
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