逆転!? 大奥喪女びっち

みく

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【城下逃亡編】

217 一緒にお片付け

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「そうですか……。では、お食事が終わりましたらお送り致します」

「……はい」


 家光の手から落ちた箸と椀を満が拾って、箸を洗いに行ってくれる。
 流しで箸を洗う満の背を見つめ、家光は思う。


 ――みちるさんとランチが出来ただけでも良かったとしなきゃね……。


 先ずは一歩前進。
 急に“抱いて欲しい”などと言えば、さすがの満もドン引きするに違いない。

 満とのランチでは彼の美しい顔と声に心が沸き立ち、長屋の話は聞けたが肝心の満自身の話が何も訊けなかった。
 家光は臆病風に吹かれ、ただただ話を聞くに徹することしか出来なかったのだ。

 好きな食べ物は?
 趣味は何? 
 普段は何しているの?
 好きな女性のタイプは?

 ……色々と訊きたいことはあった。趣味趣向が気になってこんなにも知りたくなった男は初めてだ。
 会話の中で知ることが出来たのは、ふかふかの布団が好きそうだということと、たまに失敗もするということだけ。

 なぜ長屋に住んでいるのか、院主という立場だったのになぜ還俗したのか――。
 こちらも気になる所だが初対面で根掘り葉掘り訊けば迷惑だろう。
 逆にこちらの事情を訊かれても返答に困るから、今回はこれでいい気がする。

 もしかしたら次回も古那の元に行けば会えるかもしれない。
 だから今はランチを共に出来ただけで良し……。


「ありがとうございます」


 家光は箸を洗い持って来てくれた満に笑顔でお礼を告げた。

 綺麗になった箸を手に、残りのおかずを平らげていく。
 その間満はこの周辺の地理について色々と話をしてくれ、家光は訊きたいのはそれじゃないと思いながらも心地好い低音に酔いしれた。




 ……楽しいランチを終えると二人で使った食器を片付ける。


「千代さんはお客さまだからいいんですよ?」

「でも、片付けくらいは……」

「水も冷たいですし、千代さんの手が荒れたらと思うと心配で……」

「みちるさん……♡」


 二人横に並んで食器を洗うことになり、近くなった距離に家光の鼓動が逸る。隣で作業する満をそっと見上げた。
 満の高い鼻梁に首と顔の境界がはっきりしたフェイスライン。例え茶色のかつらを被っていようと、眼鏡を掛けていようと、見目麗しいことに変わりはなく肌は白く透き通るようだった。

 ほんのりと隣から香る満の芳香に吸い寄せられるように、家光の鼻孔は勝手に膨らんでしまう。
 今絶対変な顔しているのだろうなとわかってはいるが止められない。


「ですが一緒に片付けるというのは楽しいものですね。ずっと独りでしたので貴重な体験をさせていただきました」

「っ、ずっと独り? え? みちるさんみたいな素敵な人が独り? うそぉ」


 不意に満の顔が家光に向けられるので、家光は慌てて手元、流しへと視線を移す。
 頬が熱いのは食事をしたせいだからと思うことにしたが、どう考えても満のせいで、冷たい流しの水が体温を下げてくれる気がして心地好かった。


「ふふふ。嘘ではありませんよ。素敵だなんてお褒めいただきありがとうございます。私は坊主でしたし、俗世とは離れておりましたから……」

「あ、そっか……僧侶でしたもんね。でも……」


 満の視線が流しに戻ると家光の顔は再び満に向き、横顔を見上げる。
 視線を合わさず会話するのは少々失礼かもしれないが、こんな距離で見つめ合ってしまっては気持ちがばれてしまい兼ねないから致し方なし。

 そんな家光に合わせてくれたのか、満はそれ以上顔を向けてくることはなく手元の洗い物に集中していた。


「私の場合少々特殊な事情もありまして、院の皆さんと一緒に調理や片付けをさせてもらえなかったのですよ」

「え? あ、そうなんですか?」

「ええ。ですから始めの頃はお茶碗を割ったり、味付けに失敗したりと四苦八苦したものです」


 食器を洗い終えると満は棚の上に置かれた手拭いを二枚手にして、内一枚を家光に手渡してくれる。
 受け取る際はどうしても目を合わせなければならないために、澄んだ藍宝石ネオンブルーの瞳に囚われた家光は目の奥がじんとしたが、悪印象を与えないようにと笑顔を心掛けた。

 ……上手く笑えただろうか、ぎこちなかったかもしれない。


「お、お味噌汁とってもおぃしかった……です」


 手拭を受け取った後すぐに満から目を逸らす。
 家光の声は少々上擦っていた。


「ふふふ、お気に召したようでよかったです」


 互いに目が合ったのは一瞬だけではあったが、満は未だ家光を見下ろしくすくすと控えめに笑う。

 そんな満の顔を家光はまともに見ることができない。
 今、きっと彼は家光好みの妖艶な微笑みを浮かべているのだろう。

 ……満の瞳は魔性なのではなかろうか。

 眼鏡をしていても、至近距離だとその美しさに見惚れてしまう。
 満のような美しい男が“ずっと独り”はあり得ない気がするのだが、本人がそう言うのなら信じるしかない。

 隣から穏やかで優しい低音が届けられ、家光はつい油断してしまったのだ。




「……また食べに来てもいいですか?」




 ――明日にでもまた早速……!




 この出会いを今日で終わらせたくはない。
 気付けば家光は次の約束を取り付けようとしていた。
 だがそんな家光の問い掛けに満が息を呑む。


「っ……それは……」


 ……椀の水気を拭き取る満の手が止まった。
 彼は言葉に詰まったように何度か呼吸を繰り返し、それ以上は黙り込んでしまう。

 困らせてしまったのだろうか。
 初対面で二度目の訪問の催促など図々しいと思われてしまっただろうか。


「……あっ、す、すみません……調子に乗っちゃいましたね……冗談です! 気にしないでください!」


 ――あっ、これみちるさん困ってる……!


 押し黙る満の心情を量り、家光は慌てて首を左右に激しく振った。

 自惚れかもしれないが、満とはすっかり仲良くなれた気でいた。
 何度かランチを共にし、もっと仲良くなれたらいいと思った矢先――まさか気まずそうに言葉を詰まらせるとは思わなかった。

 その辺のどこにでもある武家の女当主設定とはいえ、満は今院主ではなく、長屋に住むただの町人である。
 そんな身分の者が、偽りの身分だからとて武家の当主の誘いを断るのは勇気が要ったことだろう。

 もちろん家光は断られたとしても、極刑などを科すような人間ではない。
 それでも身分差というものはこの世界にも存在し、罪をでっち上げることなど武家の当主ならば容易い。
 御上は自らだとしても、その下、すべての武士達が皆善良であるかといえば、そうではないのだ。
 権力に物言わせ、商人や町人、農民達を脅すことだってある。

 権力には逆らえない、いや、逆らわない方が都合が良かっただけなのかもしれない。
 気乗りしないが、一度くらい食事をしておけば気も済むだろう……と。
 一度昼餉に付き合い、気分良く帰ってもらえれば訴えられることも無い。
 長屋の住人にも知られているし、面倒事に巻き込まれなくて済む。

 ……そうならないために満が家光の誘いを断らなかったとしたら。
 本当はランチなど嫌だったが、はっきり断れなかっただけなのだとしたら……。


 ……その事実に気付いてしまうと、今日のランチが途端に哀しく思えた。
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