逆転!? 大奥喪女びっち

みく

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【新妻編】

194 孝の考察

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「さあ、お婆さまの所へ行きましょうか」

「はい」


 家光が春日局に声を掛けた。

 朝の挨拶もそこそこに、家光は孝とともに朝の御勤めである大奥の仏間へ向かい、家康の位牌を拝みに行く。

 その後の家光のスケジュールは奥での御目見え――“朝の総触れ”となる。
 現在の側室は振のみのため、見知った顔も少なく、家光は朝の総触れがあまり好きではない。
 だが、これも仕事のため致しかたなし……。

 なにせ総触れに集まる殆どが男ばかりで(女性もいるにはいる)、家光を見る目が飢えた狼に近く、身の危険を感じるからである。

 将軍とはいえ、うっとりされるならまだしも、複数の男にギラついた目で見られるのはいい気分ではない。
 その対応策として宦官とも呼べる背の大きな男達を前列へと配置し、残りを後列に追いやっているため、安全に総触れを行えるというわけだ。

 秀忠の時はどうだったかといえば、彼女は夫である江にぞっこんだと言われ、側室は表向き居ないとされている。
 今と同じく守られながらの御目見えだったが、彼女は江の目を盗んで偶につまみ食いをしていたとかしていないとか……、宦官の壁が邪魔で男が見えないと愚痴っていたのを幼い頃の家光は聞いたことがあった。


(乱れてるなぁ……。)


 幼い家光は我が母ながら淫らだなと思ったものである。










 ……家光が御鈴廊下から出て廊下を行こうとすると、春日局が足を止める。


「振、お前はここまでで良い」

「え? あ、はい畏まりました……。ではいってらっしゃいませ」


 振は頭を垂れて独り、家光達を見送った。

 朝の御勤めは夫婦の仕事だ。
 側室の振が仏間に入ることは許されていない。

 そもそも振はまだ側室――候補、である。

 家光と姦通を果たして漸く正式な側室となり、家光を懐胎させ跡継ぎの女児が生まれて初めて強い影響力を持つことができる存在。
 そんな存在にあっても朝の御勤めは正室の務めなのだ。

 歩く序列も家光のすぐ後ろは正室の孝、その後ろに春日局、最後に振……。

 振に野心はないが、この先この距離が縮まることがないのだと思うと少しだけ淋しく思う。

 だが、今はそんなことより、三日後の御渡りの事を考えなければならない。
 再び訪れる確約された三日後の好機――今度こそ逃すわけにはいかないのだ。

 家光が安心して身を任せてくれるようになるにはどうすれば良いのか……まだなんの策も思い浮かんでいない。
 自らの何が悪かったのがわからない限り、また失敗してしまう気がする。


「……ふぅ」


 ……振は家光の背が見えなくなると小さな溜息を吐いた。


 その後――総触れ時、家光と孝と春日局は上座に座り、対面するように振が側室としての待遇で最前列に座ることを許されたものの、彼に然程嬉しそうな様子はなく、どこか上の空……。

 家光は役職者達の上申を熱心に聞いており、振の様子に気が付かなかった。
 では、春日局はといえば、いつもと同じように常に全体を見渡しており、振の様子に気が付いてはいたようだが、さして気には留めていない様子――。

 振の憂いなど誰も気が付くことなどないだろう……そう思われたがそんな振を見ていた人物が独り居た。


(なんだあいつ、ぼぅっとして……どこ見てるんだ……? 障壁画か……?)


 上段上座、家光や春日局と共に全体を見渡せる位置に座する男――。
 ……それは他でもない正室の孝であった。


 振の視線が家光ではなく、家光の背後にある障壁画に注がれている。
 孝もいつもは家光を見ているのだが、今日に限っては振が気になってつい注視してしまっていた。

 家光が仕事熱心なのはいつものことであるとはいえ、昨夜閨を共にした男を目の前にして目もくれないとは……これ如何に。

 しかも相手の男、振も家光を見ていない……、なんだこの二人は――。


(……俺なら次の日も夢中になるし、夢中にさせてやるというのに……。)


 先程、仏間でもたっぷり家光から凝視された孝はそれだけで幸せであったというのに、家光に身体を許されたとあらば、きっと毎日いつでもどこでも顔を合わせれば見つめ合ってしまう自信がある。
 振も家光に執心だと聞いているが、そうではなかったのだろうか……。


(相性が悪かった……とか?)


 身体の相性が合わなかったのならしょうがないか……とは思ったが、三日後にまた御渡りの予約が入っている事を考えるとそうではなさそうだ。


「……ちっ、なんで嬉しそうじゃないんだよ……」

「……御台所、何か意見でも?」

「……あ、いえ……」


 つい声が漏れてしまい、孝は家光に睨まれてしまった。

 こうして総触れの時でしか、仕事をしている家光を見たことはまだないが、彼女の集中力は凄まじい。
 上申に耳を傾ける彼女の顔は真剣そのもので、一人一人丁寧に応対し、必要ならば筆を手に取り紙に書き記している。
 きっと表の御目見えや普段の公務もこんな風に真摯に取り組んでいるのだろうと想像が容易い。

 いつもの気安い感じはすっかり身を潜め、凛々しく麗しい家光の横顔に孝が何度惚れ直したことか。

 だからこそ、振の態度に苛ついてしまう。


 ……総触れが終わるまで孝は振を見ていたが、振がその視線に気付くことはなかった。









 朝の総触れが終わり、家光は公務が立て込んでいるからと今日は午前から仕事をするらしく、早々に中奥へと戻って行った。

 本来なら総触れの後は勉学や剣術の稽古に励む時間なのだが、急に入った案件で忙しいようだ。
 家光が去り際、春日局に「正勝が起きたら中奥に例の資料を持って来るように、なるはやで!」と言い残している。

 正勝といえば、家光の重用する小姓――。

 正室である孝を良く思っていない家光の忠臣で、昨夜御添寝役を担った男である。
 ……そして孝から見た正勝は控えめに言って……苦手――いや、嫌いだ。

 特に正勝が帯刀している姿を見ると、今でも血の気が引いて指先が震える思いがする。
 初夜では家光を脅しもした孝だが、あの時、隣の正勝が乗り込んで来ていたらと後日気付いて身震いした。

 中奥や表で正勝は家光の公務を手伝っているらしい。
 正室の孝も表の公務がたまにあるとは聞いているが、今はまだ呼ばれていない。
 正勝の方が正室である自分よりも家光と過ごす時間が長いではないか……。

 それに、正勝は春日局の息子だからと大奥にも出入りしているのだから面白くない。
 家光が正勝と結ばれることはないとわかっていても、孝は彼の名を聞くとどうしても苛立って仕方なかった――。
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