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【京都・昇叙編】
094 談話
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*
――そうして、家光に強引に押し切られてしまい、そのまま上洛の運びとなったのだ。
多少後悔の念を抱いていた春日局は、静かに目蓋を開く。
「お江与の方様からご連絡を頂かかなければ、知らぬ間に家光様が将軍となられていたのですぞ? それはちょっとあまりに冷たくはないか?」
政宗が腕を組み、眉を顰め眼光鋭く鼻から息を吐き出した。
その視線は殺気立ち、蔑ろにされたと思ったのか怒っているようだった。
それは政宗だけでなく、後ろに控えている大名達も同様に不満顔で、それぞれ部屋に入って来ると難しい顔で畳に腰を下ろす。
武器は本丸御殿に入る際預けられるため、今は誰も帯刀していないが、且つての戦国武将達の視線は鋭利で刺さるようだ。
視線だけで人を殺めてしまいそうに剣呑である。
「……皆様、大変申し訳ございませんでした……(家光様、ほら言ったでしょう?)」
春日局は大名達の様子に平身低頭、心を込めて頭を下げたのだった。
とはいえ、可愛い娘の云うことをきいてしまった自分の責任だとわかっているのか、大名達の視線に震えることもなくその表情は穏やかだ。
正勝も春日局に倣い、慌てて座礼する。
……正勝の肩は少し震えていた。
そして、残っていた従者達もぶるぶる震えながら同様に頭を下げ始める。
「……まぁ、いい。過ぎてしまったことはしょうがない。家光様からの御指示ならば春日局様も断れますまい。……頭を上げて下さい。我々はただ、家光様と我々の仲だというのに、水臭いと感じただけのこと」
春日局達の懇謝する姿に政宗の溜飲が下がったのか、それ以上問い詰めることはせず、強張っていた表情を緩めたのだった。
『ならば仕方ない。家光様には今度茶でも点てて……』
『私が点てて差し上げよう』
『いや、ここは私が』
『いや、俺が』
『お前、この間湯を零して秀忠様に叱られたではないか』
『そうだったかぁ? 大変良い笑顔を見せて下さったけどなぁ』
『馬鹿お前、あれは呆れられてたんだぞっ』
大名達の話し声が聞こえて来る。
政宗の表情が穏やかになると同時、大名達も険しい表情から一転、談笑が始まった。
あの戦国時代を生き抜いた御歴々であるから血の気が多いが、割と皆からっとしている。
ここに刀がなくて良かったなと、顔を上げた従者の何人かは思ったのだった。
◇
「……それで家光様は?」
大名達に粗茶が並び皆が寛ぎ始めると、政宗が湯呑片手に口を開く。
使者の間に居る殆どの者が端座する中、立て膝で座る政宗の所作はこの場では似つかわしくないのだが、眉目秀麗な彼の姿は粋に映り誰も咎めはしなかった。
額に垂れた前髪を軽く掻き揚げ、片手で湯呑の縁を“くいっ”と傾け茶を一口含む様ですら色があり美しい。
他の大名達や従者達も男女問わず、つい見惚れてしまう程である。
いつもこうで、家光からは『イケおじ最高!』と瞳を輝かせ忘我するほどであった。
本人は特に意識していないのがまた、いいらしい。
「いえ、それが、まだ……」
対面に座る春日局は静かに首を左右に振る。
「そうか……、秀忠様とは先程二の丸御殿に入られる際にお会いしたのだが、家光様は居残りだと聞いたのでこちらに来たのだ」
「そろそろ戻られるとは思うのですが……」
春日局も茶を飲み飲み、答える。
先程と打って変わって穏やかに時間は過ぎていく(ちなみに正勝は他の御歴々に囲まれ接待中である)。
「春日局様」
「はい」
「家光様は御美しくなられましたな。あ、いや、昔から可愛らしい御方でしたが」
「え? あ、はい」
政宗が突然に告げるものだから春日局は目を瞬かせ、ただ返事をした。
「江戸に帰ったら御務めが始まるのだな……」
政宗は湯呑を茶托へ戻し、遠い目で外に面した障子に目をやった。
障子は一部開いていて、外の景色を眺める。
「伊達様……?」
春日局は当然のことに何故憂うのかわからず、政宗と同じ方向を眺め首を傾げる。
「……私も正妻と側室とある身ですから……。ただ、家光様は女性……あの小さな身体では酷だな、と」
「……家康様と秀忠様も女性ですが……」
「まぁ……そう、だな。だが……何といったらいいのか……、私にとって家光様は可愛い娘のような存在でな。徳川家のためにお世継ぎをというのはわかるのだが……」
「家光様でしたら、問題ございません。身体も幼少の頃は少々繊弱な所もございましたが、今では夜遅くまで夜更かしした次の日も元気に活動されておられるくらいで」
政宗の続きを遮るように、春日局が言い切る。
「……春日局様は、家光様が可愛くはないのですか?」
「……と、仰いますと……?」
「……家光様は輿入れされる方がどうも苦手のようです。元服式の際に愚痴っておられましたよ」
「ああ……、孝様のことですか。あれでいて家柄も申し分ない好い青年なのですが……(まぁ、あれだけのことをされれば嫌になるのはわかるが……。そういえば江戸を出る前から嫌がっておられたな……)」
春日局は訝しげに顎に手を添え、思案する。
「江戸に戻れば祝言でしょう。祝言が終われば初夜……」
「……そうですね。ご夫婦となられるわけですから」
「好きでもない相手となぁ……」
“はー”っと、溜息を吐くと共に政宗は額を抱えた。
「……伊達様? 何を仰りたいので?」
「……いや、な。俺は男だから、初めてがどうとかはあまり気にしないが、女は違うだろう?」
「は……?」
「っ……妻がそんなことを昔言っていてな。家光様もそうなのかと思っただけだ」
政宗は僅かに頬を染めて、春日局の視線から逃れる。
正妻の事を云うのが少し恥ずかしかったようだ。
「……家光様は将軍となられるお方。いえ、もう将軍と呼んでもいいでしょう。将軍は国の宝。彼女を彼女個人として見るのは違うのでは……?」
春日局は懐疑的な瞳で政宗に問う。
伊達様も、一国の長。
個人的な感情よりも先ずは国を重んじるべきと理解しているはずでは?
成人し婚姻を済ませたならば、夜の御務めは当然の義務。
何は扨措き御子を成すのが家光の将軍としての御役目である。
性別が違う分、大変なのはわかっている。
なれど、
多くの御子を成し、そして政もこなしていただかなければならない。
家康様はそれをやってこられたのだ。
ならば、
……家光様にも出来るはず。
春日局はそう信じている。
――そうして、家光に強引に押し切られてしまい、そのまま上洛の運びとなったのだ。
多少後悔の念を抱いていた春日局は、静かに目蓋を開く。
「お江与の方様からご連絡を頂かかなければ、知らぬ間に家光様が将軍となられていたのですぞ? それはちょっとあまりに冷たくはないか?」
政宗が腕を組み、眉を顰め眼光鋭く鼻から息を吐き出した。
その視線は殺気立ち、蔑ろにされたと思ったのか怒っているようだった。
それは政宗だけでなく、後ろに控えている大名達も同様に不満顔で、それぞれ部屋に入って来ると難しい顔で畳に腰を下ろす。
武器は本丸御殿に入る際預けられるため、今は誰も帯刀していないが、且つての戦国武将達の視線は鋭利で刺さるようだ。
視線だけで人を殺めてしまいそうに剣呑である。
「……皆様、大変申し訳ございませんでした……(家光様、ほら言ったでしょう?)」
春日局は大名達の様子に平身低頭、心を込めて頭を下げたのだった。
とはいえ、可愛い娘の云うことをきいてしまった自分の責任だとわかっているのか、大名達の視線に震えることもなくその表情は穏やかだ。
正勝も春日局に倣い、慌てて座礼する。
……正勝の肩は少し震えていた。
そして、残っていた従者達もぶるぶる震えながら同様に頭を下げ始める。
「……まぁ、いい。過ぎてしまったことはしょうがない。家光様からの御指示ならば春日局様も断れますまい。……頭を上げて下さい。我々はただ、家光様と我々の仲だというのに、水臭いと感じただけのこと」
春日局達の懇謝する姿に政宗の溜飲が下がったのか、それ以上問い詰めることはせず、強張っていた表情を緩めたのだった。
『ならば仕方ない。家光様には今度茶でも点てて……』
『私が点てて差し上げよう』
『いや、ここは私が』
『いや、俺が』
『お前、この間湯を零して秀忠様に叱られたではないか』
『そうだったかぁ? 大変良い笑顔を見せて下さったけどなぁ』
『馬鹿お前、あれは呆れられてたんだぞっ』
大名達の話し声が聞こえて来る。
政宗の表情が穏やかになると同時、大名達も険しい表情から一転、談笑が始まった。
あの戦国時代を生き抜いた御歴々であるから血の気が多いが、割と皆からっとしている。
ここに刀がなくて良かったなと、顔を上げた従者の何人かは思ったのだった。
◇
「……それで家光様は?」
大名達に粗茶が並び皆が寛ぎ始めると、政宗が湯呑片手に口を開く。
使者の間に居る殆どの者が端座する中、立て膝で座る政宗の所作はこの場では似つかわしくないのだが、眉目秀麗な彼の姿は粋に映り誰も咎めはしなかった。
額に垂れた前髪を軽く掻き揚げ、片手で湯呑の縁を“くいっ”と傾け茶を一口含む様ですら色があり美しい。
他の大名達や従者達も男女問わず、つい見惚れてしまう程である。
いつもこうで、家光からは『イケおじ最高!』と瞳を輝かせ忘我するほどであった。
本人は特に意識していないのがまた、いいらしい。
「いえ、それが、まだ……」
対面に座る春日局は静かに首を左右に振る。
「そうか……、秀忠様とは先程二の丸御殿に入られる際にお会いしたのだが、家光様は居残りだと聞いたのでこちらに来たのだ」
「そろそろ戻られるとは思うのですが……」
春日局も茶を飲み飲み、答える。
先程と打って変わって穏やかに時間は過ぎていく(ちなみに正勝は他の御歴々に囲まれ接待中である)。
「春日局様」
「はい」
「家光様は御美しくなられましたな。あ、いや、昔から可愛らしい御方でしたが」
「え? あ、はい」
政宗が突然に告げるものだから春日局は目を瞬かせ、ただ返事をした。
「江戸に帰ったら御務めが始まるのだな……」
政宗は湯呑を茶托へ戻し、遠い目で外に面した障子に目をやった。
障子は一部開いていて、外の景色を眺める。
「伊達様……?」
春日局は当然のことに何故憂うのかわからず、政宗と同じ方向を眺め首を傾げる。
「……私も正妻と側室とある身ですから……。ただ、家光様は女性……あの小さな身体では酷だな、と」
「……家康様と秀忠様も女性ですが……」
「まぁ……そう、だな。だが……何といったらいいのか……、私にとって家光様は可愛い娘のような存在でな。徳川家のためにお世継ぎをというのはわかるのだが……」
「家光様でしたら、問題ございません。身体も幼少の頃は少々繊弱な所もございましたが、今では夜遅くまで夜更かしした次の日も元気に活動されておられるくらいで」
政宗の続きを遮るように、春日局が言い切る。
「……春日局様は、家光様が可愛くはないのですか?」
「……と、仰いますと……?」
「……家光様は輿入れされる方がどうも苦手のようです。元服式の際に愚痴っておられましたよ」
「ああ……、孝様のことですか。あれでいて家柄も申し分ない好い青年なのですが……(まぁ、あれだけのことをされれば嫌になるのはわかるが……。そういえば江戸を出る前から嫌がっておられたな……)」
春日局は訝しげに顎に手を添え、思案する。
「江戸に戻れば祝言でしょう。祝言が終われば初夜……」
「……そうですね。ご夫婦となられるわけですから」
「好きでもない相手となぁ……」
“はー”っと、溜息を吐くと共に政宗は額を抱えた。
「……伊達様? 何を仰りたいので?」
「……いや、な。俺は男だから、初めてがどうとかはあまり気にしないが、女は違うだろう?」
「は……?」
「っ……妻がそんなことを昔言っていてな。家光様もそうなのかと思っただけだ」
政宗は僅かに頬を染めて、春日局の視線から逃れる。
正妻の事を云うのが少し恥ずかしかったようだ。
「……家光様は将軍となられるお方。いえ、もう将軍と呼んでもいいでしょう。将軍は国の宝。彼女を彼女個人として見るのは違うのでは……?」
春日局は懐疑的な瞳で政宗に問う。
伊達様も、一国の長。
個人的な感情よりも先ずは国を重んじるべきと理解しているはずでは?
成人し婚姻を済ませたならば、夜の御務めは当然の義務。
何は扨措き御子を成すのが家光の将軍としての御役目である。
性別が違う分、大変なのはわかっている。
なれど、
多くの御子を成し、そして政もこなしていただかなければならない。
家康様はそれをやってこられたのだ。
ならば、
……家光様にも出来るはず。
春日局はそう信じている。
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