逆転!? 大奥喪女びっち

みく

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【京都・昇叙編】

088 白い獣

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 春日局に連れられて、竹千代は御鈴廊下に差し掛かる。
 鈴を避けながら廊下に入り、中奥へと向かう。

「竹千代様。竹千代様もいつかはこちらを通って、未来の御台所の元へと通うのですよ」
「へ? ……あ、そうなんだ……?(私将軍になるの……?)」

(……いつかここを通って大奥に通うのか……)

 真昼間で誰も居らず、静まり返った長い廊下を歩きながら春日局に言われ竹千代は、未来の旦那様はどんな人なのだろうと思い浮かべてみる。

(イケメンだといいなぁ……)

 目の保養に……、などとその人物が後に険悪な仲となる相手だとも知らずに竹千代の妄想には余念がなかった。
 そのまま御鈴廊下を抜けて、中奥へと歩みを進める。

「……竹千代様。私はここでお暇致します」

 竹千代は妄想を続けながら彼の後ろについていたが、気付けばどこか板間の部屋に立っていたのだった。
 部屋の中には観音開きの大きな鏡が設置されているが、今は閉じられている。壁際には椅子らしき台と、着物を掛ける衣桁いこうが置かれていた。
 部屋の奥へと案内するように、春日局が壁に下げられた暖簾のような、幕のような布の前で立ち止まる。
 その先は外へと通じているようで、布が時折吹く風に靡いていた。
 そして、春日局は竹千代に振り返り頭を下げたのだった。

 妄想してて気付かなかったけど、確か、奥能舞台はもう少し先だったんじゃないかな……。
 中庭に出てさ……。

 外廊下……?

 壁から下げられた布を前に竹千代は首を傾げる。
 中奥に詳しくはないが、何度か中奥ここの中庭の前を通ったことはある。
 確かそこに能舞台があったと記憶しているのだが、こんな所通った記憶はない。

「え……? 福は一緒に行かないの……?」
「ええ、私は少々用が御座いまして……」

 竹千代の言葉に春日局は澄ました顔で下げた頭を上げる。
 その表情は一見いつもと変わらないように見えるのだが、普段の春日局を知っている竹千代には、心ここにあらずで気持ちが華やいでいるように見えた。

「御婆様に会わないの……?(福、何か嬉しそうだけど……)」

 竹千代が不思議に思い問い掛けるが、春日局は目元を一瞬細めただけで、片手の平を天井へ向ける。

「……どうぞ、竹千代様お一人でいってらして下さい。こちらを真っ直ぐ行けば奥能舞台ですよ。わかりますよね? 私はこちらで失礼致します。終わる頃にお迎えに上がりますよ」

 急いたようにそう告げて、春日局は軽く会釈すると踵を返して行ってしまった。

「え……、あっ、ちょ、ちょっと!(もー! なんなのよー!)」

 竹千代は突然一人その場に残され、風に揺れる布の隙間を眺める。

「ただでさえ、本丸御殿広いんだから、迷子になったらどうするっつーの……!(外廊下みたいだけど……。大奥からあんまこっち来た事ないんだけどな……)」

 ここに来るまで妄想トリップしていた手前、あまり強く出られないが中奥の配置など殆ど知らない竹千代は布に手を掛けた。

 春日局に置いて行かれてしまった竹千代の選択肢は一つしかない。
 春日局の言っていた“真っ直ぐ行けば奥能舞台”という言葉を信じて行くしかないのだ。

(福、何かいつもと違って雑な案内だったな……。さっき早口だったし、御婆様に会いたいんじゃなかったの……?)

 そんなことを考えながらとりあえず言われた通りに布を潜って、外廊下を渡っていく。
 すると、その先に能舞台が広がっていた。

「あ……。能舞台……ここだったんだ……(舞台側に出るとは……)」

 舞台中央本舞台まで辿り着くと、竹千代は辺りを見渡す。
 舞台下(中庭)には砂利が敷き詰められていて、時々ここで能を見るのだろうが、今は誰も居らず観客席は設置されていなかった。
 竹千代は一度御殿おもて(※)の方で舞台を見たことがあるが、あちらの広場から比べると、こちらの中庭は狭い。
 床一つ、柱一つ取ってみても、よく磨かれているのか光沢があり、滑らかでつやつやとしていた。
 以前に見た表の能舞台、一度上がってみたいと思ってはいたが、こんな風に叶うとは。

 竹千代は今その舞台に足を踏み入れていたのだった。

「……誰もいない……御婆様は……?」

 きょろきょろと辺りを見回してみるが、人の気配はなかった。

 そもそもここ中奥は将軍の暮らす場所である。
 奥能舞台も将軍のための舞台。たまに使用しているようだが、現将軍秀忠はは今、表で謁見中である。
 だからここに入れる者はそういないはずで、家康が呼び出したにも関わらず、その本人どころかここには人っ子一人見当たらない。

 一体どういうことなのか。

「……ま、いっか。トイレでも行ってるのかもしれないし。わぁー……何か初めて舞台に上がったし色々見てみよ……(まだ新しいんだね……木の匂いがする……ツルツルしてて気持ちいい~!)」

 竹千代は物珍しさにとりあえず舞台上を歩いて柱に触れてみたり、舞台中央壁鏡板の絵を眺めたりする。

 そうして鏡板の松の絵をゆっくり眺めていると。

 じゃりじゃりっ。
 と、中庭の方から砂利の小石が何かに擦れる音が聞こえる。

『わんわんっ』
『わぅわぅっ』

 そして、続けざま突然舞台下から犬のような鳴き声が響いた。

「……えっ!?(犬の鳴き声っ!?)」

 その声に竹千代は振り返る。
 すると、舞台下の砂地に二匹の真っ白い毛並みを持つ獣が、竹千代を見上げていた。

「っ、白い毛の……ワンちゃん! 可愛い~!(超大型犬!!)」

 立ち上がれば自分と同じくらいはあろうか、大きな獣を前に竹千代は目を輝かせて中庭へと向かおうとする。

『わんわん!』
『にゃぁー!』

 竹千代が舞台から白洲梯子階段を下りようとすると、押し止めるように獣達が近付いて来て吼えた。

「……おおっ! そっちのワンちゃんは猫みたいな鳴き方すんのね! おいでおいでっ。もふもふさせてっ」

 竹千代は草履がない為、階段を下りて一番下の段に腰掛けると目を細めて両手を広げた。

『…………、……わん』
『…………、……にゃぅ』

 獣達は竹千代に声を掛けられると、互いに見合ってからゆっくりと竹千代にそれぞれ近付いて頬を摺り寄せていく。

「あははっ、君達可愛いねぇ~!(もっふもふ~♪)」

 竹千代は両頬に擦り寄る獣の首辺りを掻くように撫で付けて目を細める。

『くぅん……』
『くぅぅん……』

 獣達は時折互いに目を合わせながらも、心地良いのか竹千代に負担が掛からない様、身体を摺り付けるのだった。

「君達、お日様に照らされていい匂いがするね、ふふっ(温かい……)」

 竹千代はもふもふを堪能しながら、次第に微睡んでしまう。



 そうして、暫くすると……――。



 中庭をざっざっざっと僅かに砂煙を上げ、真っ白な狩衣に扇、黒烏帽子を被った、見た目は二十代~三十代。背の高い銀髪に赤い瞳の男性が、舞台に向かって歩いて来る。
 その足音は舞台傍まで来ると、白洲梯子の下で止まり舞台上を見上げた。

「…………おや……? 眠ってしまいましたか。……全く、君達は当てになりませんね……(こちらに留めておくようにとは確かに言いましたが……)」

 男性がふぅ・・と溜息を吐いて白洲梯子を上っていく。
 本舞台の上で、竹千代が獣二匹の間に埋もれるようにして眠っていたのだった。

『くぅーん……』
『くぅん……』

 近付く男性に獣二匹は、気まずそうに鼻を鳴らしながら顔を上げた。
 その反応とは対照的に、竹千代は幸福そうに穏やかな笑みを浮かべ眠っている。

「……全く。右近左近? 君達はおいそれと人間に懐いたりする式神ではなかったはずですが……?」

 男性が眠る竹千代に近づいて、手にしていた扇を獣の方へ向けたのだった。

『くぅん……』

 男性の言葉に獣二匹の返事が重なる。

「……もういいです。お戻りなさい。次はきちんと云い付けを守るんですよ?」

『わぅっ』
『みゃうっ!』

 男性が首を傾げて眉を顰め告げると、獣達は返答して風のように消える。
 眠る竹千代の両脇には獣を模った白い形代が残されていた……――。










※表とは、役人達が働いていたり、将軍と謁見したりするところです(87話で説明済みですが念のため)。
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