逆転!? 大奥喪女びっち

みく

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【上洛の旅・邂逅編】

070 もふもふ

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 街道は家光の生まれた年に道路改修事業を起こしており、随分と整備が進んでいた。管理も午が通った後、窪んでいれば砂や小石などを用いて硬め、補修するなど行き届いているようで、歩くのに支障は無かったが街道を外れれば草叢や森林が広がっている。
 集落の近くであれば田畑もあるが、何もない場所ではそれこそ背の高い雑草やらが鬱蒼と茂って、無法者が身を隠すのに好都合。
 将軍一行に手を出す輩は居ないとは思うが、警戒は常に怠ってはいけない。

「あの辺りは旅籠や茶屋がありそうですね」

 風鳥が街道の並木の合間を縫って、日永の追分辺りを見ながら家光に教えてくれる。
 背が高いからか遠くまでよく見えるらしい。

「お茶出来るの!?」
「……あ、いえ、予定には無い……ですね」

 しょんぼりした顔から一転、きらきらと瞳を輝かせた家光だったが、今朝春日局から日永の追分に停まる予定など聞いていないので、風鳥は心苦しく思いながらも否定した。

「何ですと!? ……うぅ、お茶したかったな……」

 案の定、家光は落ち込んだのか俯いて歩く。その足取りは相変わらず鈍く、重い。

「家光様!」

 不意に春日局に呼ばれ、前方に行っていた正勝が戻って来る。

「ん? 正勝どしたの?」
「はぁ、はぁ……春日局様よりこの先、日永の追分では右へと進む様にとのことです」

 息を切らしながら、正勝が家光の隣に並ぶと、月花が遠慮するように隣を譲る。
 正勝の額に汗が薄っすら滲んではいるが、家光の隣を歩くのが嬉しいのか目元は優しげに顔が綻んでいる。

「うん、わかってるよ?」
「本日の宿場までは少し距離がありますので先を急ぎましょう」

「わかってるよ!?」

 念を押すように言われて、家光は大きな声で返事した。

「全く、私がすぐ脱線するみたいな言い方やめてよねー!」

 家光は改めて歩く速度を速めたのだった。

「さすが正勝様ですね」
「何のことですか?」

 こそっと風鳥が耳打ちすると正勝は首を傾げて、速度を上げた家光を追いかけた。

 街道の両脇に植えてある松の木のお陰で多少日除けにはなっているが、随分と日差しがきつい。

 季節は夏である。これまで寄り道で水辺に立ち寄って楽しいひと時を過ごしては来たが、今日はそれが出来そうにないとは。

「……渡し舟楽しかったなー……(水面がキラキラしてて綺麗だった)」

 早送りの間に通過した渡し舟を思い出す。水面に手を付けたり横になって空を見上げたり、川だからか連日の晴天に恵まれ荒れることもなくのんびり過ごしたのである。駕籠じゃないから当然お尻も痛くなかった。

「帰りも乗れますよ」

 そうだね、帰りものんびり乗れたらいいよね。
 多分、あっという間に帰っちゃうんだろうけどね。
 などと、思いつつ。

「だね~……」

 家光は正勝に言われて相槌を打つのだった。

「……ん? 何だろ……?(子供達が何かやってる……)」
「どうかしましたか?」

 家光の目に日永の追分、南へと続く道の先林の下、木陰になっているがそこで子供達が複数人集まっているのが見える。
 何かはわからないが、そこから微かに“キューンキューン”と甲高い鳴き声が聞こえた。

「あそこ……」

 家光は子供達を指差す。何かを囲うようにして、皆足元を見下ろし手を振り下ろしたり、掲げたり。

『にゃぁああああっ!!』

 近付いていくにつれ、悲痛な叫びにも似た怯えた声が聞こえてくる。

「にゃぁ? 猫……? にしても大きそうね」
「……いぬでもいるんでしょうか……?」

 子供達の輪が猫にしては大きいので、猫ではなさそうである。
 家光は居ても立っても居られず走り出した。

「あっ、家光様!? 寄り道は駄目で……!!」
「正勝おねがーい!! 福に言っといてー!!」

 走り出したら止まらない家光は、一度だけ振り返って笑顔で手を合わせて可愛くお願いをする。
 こうすれば、正勝は断れない。

「っ……しょ、しょうがないですねっ! わかりましたっ! 四半刻だけですよ!! すぐ追い付いて下さいね!!」

「はーい! ありがとー!!」

 正勝が嬉しそうに了承すると、家光は振り返らないものの腕を高らかに上げて手を振って走って行った。

「……風鳥頼みます」
「はい、承知しました」

 正勝は風鳥に一言告げて、再び春日局の元へと走る。
 家光は日永の追分を左へ、南へと向かった。といっても目と鼻の先なのでそんなに脱線するわけではない。
 追分直ぐ傍にある茶屋を横目に一目散で子供達の居る場所へと駆けて行く。

「はぁ、はぁ……猫だったら……怒るからね……!(吉良ちゃん元気かな!?)」

 転生前の野良猫を思い出す。一宿一飯の恩知らずにも拘らず、愛されたお猫様。今もどこかで元気にしていることだろう。

「はぁ、はぁ……猫じゃなくても、怒るからね! さっき正勝にぶつかった子だし!!」

 家光は子供の特徴を憶えていたのだった。
 確か、隅取腹当てに羽織っただけの四つ身の着物は麻の葉模様。頭は丸刈り。
 他の子も似たような頭に、隅取腹当てのみのスタイルだ。暑いから子供はそんなもんだろう。
 女の子は居なかった。全員男の子だ。
 年齢は八つから十くらい?

(水をぶっかけられたのは構わないけど、弱い者いじめは捨て置けないよ!)

 家光は着物の裾を掴んで、更に速度を上げた。

「……家光様足早いなー……(小袖じゃなかったらもっと早いんじゃ?)」

 後ろから家光の走りに感心した風鳥がついて来る。
 そうして、やっとのことで現場に辿り着いたのである。







「あははっ! こいつ猫みたいに鳴くのな、おっもしれ~!!」
「おい、わん公、何とか言えよ」

 男の子の一人が邪悪な目をして足元の獣に蹴りを入れる。
 もう一人は無遠慮に獣の毛を引っ張り毟っていた。

『にゃぁああああっっっ!!!』

 獣が大きな声で叫ぶ。その声は甲高くて、怯えているようで必死そのもの。

「……っ、うっせ」

 男の子の一人が眉間に皺を寄せて耳に指で栓をした。

「はぁ、はぁ、はぁ……こら、君達!」
「はっ、えっ!?」

 現場に着いた家光が肩で息を切って一喝すると、五人の子供達がびくりと驚き振り返った。

「はぁ、はぁ、はぁ……そこで、何して……」

 家光は松の木に凭れ掛かるようにして未だ整わない呼吸を繰り返す。
 額に汗し、熱い吐息が吐き出される。

「……うわ……」
「別嬪さん……」
「綺麗なお姉ちゃんだ……」

 振り返った男の子達が皆一様にぽーっと家光を見上げた。

「な、何なん……?」

 家光は男の子達の反応に驚いて一歩後ずさる。

「家光様、大丈夫そうですか?(汗掻いて艶っぽくなっちまってまー)」

 傍には風鳥が既に着いており、全く呼吸が乱れていなかった……、と思ったが呼吸はともかく、つぅっと風鳥の額から汗は垂れていた。
 家光が風鳥を巻くのも時間の問題かもしれない。
 ちらりと風鳥が家光を見ると、額に汗し、熱い呼吸を繰り返す様は妖艶に映る。つい、見惚れてしまう程だ。

「はぁ……はー……ふぅ、あのね君達。その子、私に譲ってくれない?」

 ようやく家光の呼吸が整うと、子供達の足元に蹲っている獣を指差した。
 それは、所々広葉樹の葉や枝が付いたり、土汚れもついてはいるが、真っ白な犬のような獣だった。

「いいよ!!」
「本当!?(お、素直ないい子達じゃない!)」

 男の子達は二つ返事でサッと身体を除けて、家光と獣を向かい合わせてくれる。
 家光が獣に近寄って行くと、小さく“キューン”と鳴く。
 よく見てみれば左後ろ足に怪我を負って血を流していた。

「……怪我してるじゃない! これ、誰がやったの!?」

「怪我は知らないよ! さっき見つけて弄ってただけだから」
「そうそう!」

 男の子の一人が家光を見上げてきらきらと何かを期待した瞳で答えると他の子等も相槌を打つ。嘘は言っていないようだった。

「風鳥、お菓子あったよね?」
「…………っ!? あ、ああはい」

 家光にちょっとばかし見惚れてしまっていた風鳥がはっとして、腰に下げた小さな手提げ袋を取り外すと、家光に渡した。

「お菓子あげるから、向こうで遊んでくれる?」

 家光はにっこりと優しく言い聞かせるように微笑んで、手提げ袋から一口大の砂糖菓子を男の子達に一つずつ渡した。

「わぁ! ありがとう、お姉ちゃん!」
「美味しいっ!!」

 男の子達が一斉に口に運ぶと、両手で頬を押え満面の笑みを浮かべる。

(ふふふ、京から取り寄せた落雁うまかろうよ……)

 手提げ袋に入った小さな落雁は朝顔や桔梗といった夏の花の形を模した作りで、旅のお供にと江戸から持って来たものだった。何も無い時の腹の足しにと思って持って来てはいたが、こんな所で役に立とうとは。

「ごちそうさま! 小さいのにとってもおいしかった! 僕達もう行くね!」

 金太郎みたいな恰好をした男の子達は口々にお礼を言って機嫌良く笑顔で去って行った。

「もう動物いじめちゃ駄目だよ!」

 去って行く男の子達の背に家光が念を押すように注意すると、男の子達からは“はーい!”と快い返事が聞こえたのだった。







「さて、と……」

 子供達が居なくなり、家光は躊躇なく着物の袖を引っ張る。

「えっ、ちょ!? 家光!?(何やってんの!?)」

 ビリリリッと、袖の切れる音が聞こえたかと思うと、家光の着物の左袖が取れていた。夏用の小袖なので、生地が薄く裂きやすい。

「何って……この子の治療? あ、薬持ってる?」
「あ、あるけど……」

 ビリリリ、ビリリリと、家光が袖を細かく裂いていく横で、風鳥は薬の入った貝殻で出来た小物入れを腰に下げた巾着から取り出す。

「キューン……」

 白い獣が弱弱しく鳴く。逃げる様子もない。

「風鳥、さっき追分のとこに茶屋があったでしょ。あそこでちょっと水貰って来るね」
「あ、俺が行く。あんたが行くと色々面倒が増えそうだからここで待ってて」

 風鳥は一応辺りを見回し、先程の男の子達が少し離れた場所で遊んでる以外、誰も居ないことを確認すると、家光が手にしていた破れた袖を奪って、走って行った。

「面倒が増えるって……(酷くない?)」

 家光はしゃがんで獣の頭にそっと触れてみる。獣は噛みついてくる様子もなく、大人しい。
 弱っているのだろうか。

「も、モフモフ~!!」

 家光の手の平にもふもふとした柔らかい感触が伝わる。ふわふわというよりはしっかりした毛並み。
 白い毛並みにピンと立った小さな耳、黒い鼻。まん丸の赤い瞳。大きさは二尺程(約61㎝)大型犬を思わせる。尻尾がふっさふさで毛は長め。見た目は犬に近い感じで猫とは違う。

「キューン!」
「君は犬かな……? それとも狼?(ルビーみたいな目、きれ~)」

 家光が頭を撫でてやると、獣は家光の手に頬を摺り寄せる。
 完全に心を許してくれているようだった。

「可愛いっ!! 昔城で出会った犬に似てる!! あの子も赤い目をしてたっけ」

 獣の愛らしさにきゅんと胸が締め付けられる。
 幼い頃にこの獣に似た犬と出会ったことがあったが、今急に思い出すのだった。

 家光が獣を愛でている間に陽の傾きが変わっていく。四半刻と言われていたが、もう当に過ぎている。
 今更怒られるのもどうということもないので家光は気にせずに獣と戯れたのだった。
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