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【上洛の旅・窮地編】
062 泣く時は一人で
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それから家光は身体を拭き終えると、支度をして朝餉を平らげた。
「……うん、充電完了! お腹いっぱい!」
にこにこと笑顔で箸を膳に置くと手を合わせる。
春日局がちらちらと先程から様子を伺っていたのだが、普段と変わらない朗らかな家光の微笑みに心弛びすると、家光の席にそっと近づく。
「家光様、日程が少々……大変申し訳ないのですが、本日朝は予定通りに出立願えますか?」
「あ、福。うん、わかったよ。そうだよね、寄り道多いもんね」
“ははは”と家光は愛想笑いをすると、素直に春日局の言うとおりに従うのだった。
(少々、素直過ぎるような気がするな……)
家光の様子に春日局は目を伏せる。
「正勝はどうしたのですか?」
「あー……何か気絶しちゃって、部屋で寝てる」
「……ふぅ……(また何か、あったんですね)」
ポリポリと家光が頬を掻いて気まずい様子で立ち上がる。
「正勝の弁当を用意させましょう」
「ありがとう。正勝が出立に間に合わなかったら私の駕籠に乗せちゃうから私に渡してくれる?」
「わかりました、家光様申し訳ありません。あなたにこんな役目をさせるつもりはなかったのですが」
「いいからいいから。福は忙しいし、福の駕籠は小さいだろうから」
助かりますと、春日局が頭を下げると、家光は気にするなと首を左右に振った。
それを確認してから春日局は正勝の弁当を手配する。
全く、正勝は何をしているのか。
と、憤りを覚えるが、昨夜の功績を鑑みてそれ以上は何も言わなかった。
そうして、一行は出立の時を迎える。
「さて、じゃあ、参りますか!」
「ああ、家光様、前身頃が……」
いざ駕籠に乗り込もうとする家光に、春日局が家光の着物をスッと素早く直す。
「……この着付け、正勝ではありませんね?」
「あ、わかる?」
「あまり、器用ではないようですね……後程、指導致しましょう。昨晩のことも説教し足りませんしね?」
春日局は駕籠の傍にいる少年に扮した月花をチラ見してにやりと口角を上げる。
「っ……すみません……浴衣くらいしかまだ上手く出来なくってぇ……えぐえぐっ」
月花は涙目で手を合わせ許しを請うのだった。
昨晩相当絞られたらしい、春日局に見られると肩がびくりと震えてしまう。
「あ、ここに入れときました」
「うん、ありがとう」
風鳥が再び駕籠に乗り込もうとする家光に告げる。
入れておいたものとは、正勝のことだった。
結局正勝は朝餉に間に合わず、出立にも間に合わず、起きてこなかったので家光の駕籠に風鳥によって担ぎ込まれていたのだった。
「全く、世話が焼けるわね」
ふぅと、一息吐いて家光は未だ眠る正勝の向かいに乗り込んだ。
それぞれが駕籠に乗り込むと、行列は歩き始める。
さて、本日はどこまで向かうのだろうか?
◇
「勝……正勝」
「ん……はっ!? はいっ!!」
正勝が次に目覚めた時にはもう、駕籠の中だった。
ゆらゆらと、不安定に揺れる駕籠は既に箱根を出て、先を急いでいた。
正勝は家光に寄り掛かるように気を失ったまま詰め込まれていたらしい。
家光の声で、正勝は目を覚まし、直ぐ近くに愛しい人の顔があることに驚いた。
「ちょっと重いから、ずれて」
「はっ、はいっ、ただいまっ」
家光から言われ、正勝は慌てて後ろに下がる。
「……あの、先程は申し訳ありませんでした……」
「着付け困っちゃった。月花にしてもらったからいいけどさ。朝餉に来ないから福が心配してたよ」
「そうですか、それは……あ、いえ……そのことではなく……家光様のお部屋を勝手に開けてしまいまして……」
そこまで言って正勝は思い出したのかかーっと頬を赤く染める。
「……あ、あー、あれね……。こっちこそ、驚かせてごめんね。身体に傷が無いか見てて……」
「そうでしたか……それは……」
家光から真相を聞いて、正勝の顔が暗く濁る。
自分は家光様の操は守られたと思っていたが、最後の砦が護られただけであって、他は間に合わなかったのかもしれない。
もっと早く駆けつけて居れば……。
次の句が出てこなかった。
「あ、大丈夫だったよ。この辺は少し赤くなったけど」
「どこですか!? 確かここに、塗り薬がっ!!」
がばっ、と正勝は家光の着物に手を掛け、乱暴に首元を広げる。
普段着付けを得意とする正勝には着物を緩めるくらい他愛も無かった。
「えっ、やっ、正勝っ!? ちょ、タンマっ!!」
家光は目を丸くして正勝の顔を掌底打ちで打ち付けると、それは見事にクリーンヒットしたのだった。
「うっ! あ……」
「…………」
正気に戻った正勝と着物の前身ごろを乱された家光の鎖骨が見え、赤い痣がいくつか確認出来たかと思うと、家光と目が合う。
「あっ、す、すみませんっ!!」
「……何するの! 正勝のえっち!! もうっ、歩いてよっ!!」
目が合ったかと思った途端、家光は駕籠の扉を開け放つ。
正勝の着物を掴むと引っ張って、“どんっ”と、背を押し駕籠から正勝を落としたのだった。
「っつうっ!! 家光様っ、申し訳ありません!!」
駕籠から落とされた正勝はそのまま土下座し、頭を下げる。
家光の事に関してはつい、夢中になってしまい、善悪の判断が曖昧になってしまう正勝であった。
「暫く一緒に乗せてあげないからね!! 早く来なさい!」
駕籠から家光は身を乗り出し、正勝の草履を遠ざかる正勝の頭に投げ付けた。
「は、はいっ!!」
正勝は慌てて草履を履いて、家光の駕籠を追いかける。
走ればすぐ追いつく駕籠の扉は既に閉められているが、正勝が追いつくと、小さな小窓が空いて、家光が笑う。
「正勝、江戸に帰ったらおはぎ沢山作ってもらうからね!!」
ペナルティのつもりだろう、家光は正勝の作るおはぎが大好きなのだ。
いつもの笑顔に正勝はほっとして、走りながら応える。
「はいっ! お安い御用ですっ!! と、ところで家光様っ!」
「何?」
「えちとは何でございますか!?」
駕籠はそこそこ早い。
正勝は腕を振りながら懸命に走る。
「は? ……、……あほー!!」
家光は額に汗して走る正勝が何だか可愛く思えて笑ってしまう。
そして、正勝の朝餉の代わりのお弁当を手にすると、
「後学のために教えていただけ……ぶっ!!」
それを正勝の顔に投げつけたのだった。
「……その内ね!! それ食べておいで、この先を行ったとこに茶屋があるからそこで待ってるよー!」
家光はそう告げると駕籠の小窓を閉じてしまった。
残った正勝は立ち止まって投げつけられた弁当を開く。
「……良かった、家光様、いつも通りだ」
ぐーきゅるるるる。
正勝の腹の虫が盛大に鳴く。
長距離を歩くのに、このままでは途中で力尽きてしまう。
腹の鳴った正勝は家光の列から離れて座り、朝飯を食べるのだった。
「……ふ……ふぇえええええ……」
正勝が駕籠から降りて、一人駕籠に揺られながら家光は小さな嗚咽を漏らしていた……。
何だろう、私、ちょっとおかしくなっちゃったみたい……。
涙が勝手に出てくる。
正勝は私を襲ったりなんてしないのに、さっき怖かった。
正勝が怖いと思ってしまった。
正勝は私に薬を塗ってくれようとしただけなのに。
男が怖い。
それもこれも……あいつの所為だ。
孝。
あいついつか絶対ぶん殴る。
――絶対だ。
家光は新たにそう決意するのだった。
「……うん、充電完了! お腹いっぱい!」
にこにこと笑顔で箸を膳に置くと手を合わせる。
春日局がちらちらと先程から様子を伺っていたのだが、普段と変わらない朗らかな家光の微笑みに心弛びすると、家光の席にそっと近づく。
「家光様、日程が少々……大変申し訳ないのですが、本日朝は予定通りに出立願えますか?」
「あ、福。うん、わかったよ。そうだよね、寄り道多いもんね」
“ははは”と家光は愛想笑いをすると、素直に春日局の言うとおりに従うのだった。
(少々、素直過ぎるような気がするな……)
家光の様子に春日局は目を伏せる。
「正勝はどうしたのですか?」
「あー……何か気絶しちゃって、部屋で寝てる」
「……ふぅ……(また何か、あったんですね)」
ポリポリと家光が頬を掻いて気まずい様子で立ち上がる。
「正勝の弁当を用意させましょう」
「ありがとう。正勝が出立に間に合わなかったら私の駕籠に乗せちゃうから私に渡してくれる?」
「わかりました、家光様申し訳ありません。あなたにこんな役目をさせるつもりはなかったのですが」
「いいからいいから。福は忙しいし、福の駕籠は小さいだろうから」
助かりますと、春日局が頭を下げると、家光は気にするなと首を左右に振った。
それを確認してから春日局は正勝の弁当を手配する。
全く、正勝は何をしているのか。
と、憤りを覚えるが、昨夜の功績を鑑みてそれ以上は何も言わなかった。
そうして、一行は出立の時を迎える。
「さて、じゃあ、参りますか!」
「ああ、家光様、前身頃が……」
いざ駕籠に乗り込もうとする家光に、春日局が家光の着物をスッと素早く直す。
「……この着付け、正勝ではありませんね?」
「あ、わかる?」
「あまり、器用ではないようですね……後程、指導致しましょう。昨晩のことも説教し足りませんしね?」
春日局は駕籠の傍にいる少年に扮した月花をチラ見してにやりと口角を上げる。
「っ……すみません……浴衣くらいしかまだ上手く出来なくってぇ……えぐえぐっ」
月花は涙目で手を合わせ許しを請うのだった。
昨晩相当絞られたらしい、春日局に見られると肩がびくりと震えてしまう。
「あ、ここに入れときました」
「うん、ありがとう」
風鳥が再び駕籠に乗り込もうとする家光に告げる。
入れておいたものとは、正勝のことだった。
結局正勝は朝餉に間に合わず、出立にも間に合わず、起きてこなかったので家光の駕籠に風鳥によって担ぎ込まれていたのだった。
「全く、世話が焼けるわね」
ふぅと、一息吐いて家光は未だ眠る正勝の向かいに乗り込んだ。
それぞれが駕籠に乗り込むと、行列は歩き始める。
さて、本日はどこまで向かうのだろうか?
◇
「勝……正勝」
「ん……はっ!? はいっ!!」
正勝が次に目覚めた時にはもう、駕籠の中だった。
ゆらゆらと、不安定に揺れる駕籠は既に箱根を出て、先を急いでいた。
正勝は家光に寄り掛かるように気を失ったまま詰め込まれていたらしい。
家光の声で、正勝は目を覚まし、直ぐ近くに愛しい人の顔があることに驚いた。
「ちょっと重いから、ずれて」
「はっ、はいっ、ただいまっ」
家光から言われ、正勝は慌てて後ろに下がる。
「……あの、先程は申し訳ありませんでした……」
「着付け困っちゃった。月花にしてもらったからいいけどさ。朝餉に来ないから福が心配してたよ」
「そうですか、それは……あ、いえ……そのことではなく……家光様のお部屋を勝手に開けてしまいまして……」
そこまで言って正勝は思い出したのかかーっと頬を赤く染める。
「……あ、あー、あれね……。こっちこそ、驚かせてごめんね。身体に傷が無いか見てて……」
「そうでしたか……それは……」
家光から真相を聞いて、正勝の顔が暗く濁る。
自分は家光様の操は守られたと思っていたが、最後の砦が護られただけであって、他は間に合わなかったのかもしれない。
もっと早く駆けつけて居れば……。
次の句が出てこなかった。
「あ、大丈夫だったよ。この辺は少し赤くなったけど」
「どこですか!? 確かここに、塗り薬がっ!!」
がばっ、と正勝は家光の着物に手を掛け、乱暴に首元を広げる。
普段着付けを得意とする正勝には着物を緩めるくらい他愛も無かった。
「えっ、やっ、正勝っ!? ちょ、タンマっ!!」
家光は目を丸くして正勝の顔を掌底打ちで打ち付けると、それは見事にクリーンヒットしたのだった。
「うっ! あ……」
「…………」
正気に戻った正勝と着物の前身ごろを乱された家光の鎖骨が見え、赤い痣がいくつか確認出来たかと思うと、家光と目が合う。
「あっ、す、すみませんっ!!」
「……何するの! 正勝のえっち!! もうっ、歩いてよっ!!」
目が合ったかと思った途端、家光は駕籠の扉を開け放つ。
正勝の着物を掴むと引っ張って、“どんっ”と、背を押し駕籠から正勝を落としたのだった。
「っつうっ!! 家光様っ、申し訳ありません!!」
駕籠から落とされた正勝はそのまま土下座し、頭を下げる。
家光の事に関してはつい、夢中になってしまい、善悪の判断が曖昧になってしまう正勝であった。
「暫く一緒に乗せてあげないからね!! 早く来なさい!」
駕籠から家光は身を乗り出し、正勝の草履を遠ざかる正勝の頭に投げ付けた。
「は、はいっ!!」
正勝は慌てて草履を履いて、家光の駕籠を追いかける。
走ればすぐ追いつく駕籠の扉は既に閉められているが、正勝が追いつくと、小さな小窓が空いて、家光が笑う。
「正勝、江戸に帰ったらおはぎ沢山作ってもらうからね!!」
ペナルティのつもりだろう、家光は正勝の作るおはぎが大好きなのだ。
いつもの笑顔に正勝はほっとして、走りながら応える。
「はいっ! お安い御用ですっ!! と、ところで家光様っ!」
「何?」
「えちとは何でございますか!?」
駕籠はそこそこ早い。
正勝は腕を振りながら懸命に走る。
「は? ……、……あほー!!」
家光は額に汗して走る正勝が何だか可愛く思えて笑ってしまう。
そして、正勝の朝餉の代わりのお弁当を手にすると、
「後学のために教えていただけ……ぶっ!!」
それを正勝の顔に投げつけたのだった。
「……その内ね!! それ食べておいで、この先を行ったとこに茶屋があるからそこで待ってるよー!」
家光はそう告げると駕籠の小窓を閉じてしまった。
残った正勝は立ち止まって投げつけられた弁当を開く。
「……良かった、家光様、いつも通りだ」
ぐーきゅるるるる。
正勝の腹の虫が盛大に鳴く。
長距離を歩くのに、このままでは途中で力尽きてしまう。
腹の鳴った正勝は家光の列から離れて座り、朝飯を食べるのだった。
「……ふ……ふぇえええええ……」
正勝が駕籠から降りて、一人駕籠に揺られながら家光は小さな嗚咽を漏らしていた……。
何だろう、私、ちょっとおかしくなっちゃったみたい……。
涙が勝手に出てくる。
正勝は私を襲ったりなんてしないのに、さっき怖かった。
正勝が怖いと思ってしまった。
正勝は私に薬を塗ってくれようとしただけなのに。
男が怖い。
それもこれも……あいつの所為だ。
孝。
あいついつか絶対ぶん殴る。
――絶対だ。
家光は新たにそう決意するのだった。
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