逆転!? 大奥喪女びっち

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【上洛の旅・窮地編】

056 裏の裏は表

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 ――宴の音が次第に止んで行く。
 人の声が疎らになり、離れは静寂に包まれていた。

「……それで家光様は……?」
「はい……」

 正勝は春日局の部屋へ向かいながら家光の身に起こったことを春日局に報告していた。

「ほう、つまり家光様に屈辱を与え、鷹司家から徳川家へ牽制のつもりで孝様を唆したというわけか」

 春日局が頬杖をつきながら思案するように頷くと、鋭い瞳で微笑んだ。

「……え」

 正勝は目を僅かに見開く。

「手柄だ、正勝よくやった」
「ど、どういうことでございましょうか」

 手柄だと言って、正勝の頭を撫でる春日局に正勝は家光の身に起きたことに対しての反応があまりに情がなく、驚くのだった。
 春日局の部屋へと着いて、二人は部屋の中へと足を踏み入れた。

「これは逆に好機。鷹司家の誰かが企てたのだろうがお前の活躍によってそれは阻止され、それを逆手に徳川側から鷹司家、まして公家の人間共を牽制することが出来る、これで徳川家は益々安泰というもの、この一件で私の地位も確固たるものとなろう」

 部屋に用意された行灯に春日局が手元の灯りを移す。

「春日局様、家光様が心を痛めておいでなのですが……」
「ああ、明日の朝は一刻遅い時刻に起こして差し上げろ」

 春日局は正勝の話に応えながら、文机に手をついて腰掛けると、正勝も文机を挟んで正座する。

「それは有難いのですが、家光様の御心は大丈夫でございましょうか……」

 春日局と正勝の会話が噛みあっていない。
 春日局は家光の心を知ろうとせず、事実を把握しただけで先のことに気を配り、正勝は家光の心のことばかりを気にしている。

「あの方は強いお方、こんなことで潰れるような方ではないだろう」

 春日局は家光を信じているからこそそう口にするのだが、同じ言葉も正勝には冷たく聞こえたのだった。

「……っ」

(春日局様、あなたという方は……ご自分の御身のことしか、考えておられないのですか!?) 

 正勝は唇を噛み締め、目の前の春日局を強く見つめる。

「正勝、お前は誤解しているかもしれないが、孝様は然程悪いお人ではない」

 正勝の鋭い視線に気付いてか気付かないでか、春日局が言い放つ。

「……私には、とてもそうには……」

 家光が孝を嫌っていることを知っている正勝にはどうしてもそう思えず、俯いてしまう。

「あれも、籠の中の鳥」

 春日局が瞳を伏せ哀しげに告げた。

「は……?」

 正勝は春日局が言う意味がわからず首を傾げる。

「……家光様と夫婦になるため五摂家の中から選ばれたお方。形だけとはいえ、無法者を輿入れさせるわけなかろう?」

 春日局は正勝に答えつつ文机の下から分厚い紙の束を取り出すと、それを広げる。

「ですがっ、今回家光様を襲いました!」
「それに関してはもう圧力を掛けてある。……私とて家光様の気持ちを量らないわけではない、孝様には輿入れの後、再教育を施す予定だ」

 春日局が説明するも、正勝は納得がいかないのか、眉を顰める。

「納得行かないという顔だな」
「……別の方ではいけないのですか?」

 正勝はこういうことがあった以上、家光が孝との婚姻を拒否することが最善なのではと考え口を挟むのだった。

「別の?」

「孝様に決まる前のお話では、黒田様の御次男、徳様が候補だったとお聞きしました」
「ああ……お江与の方様から聞いたか」

 正勝は春日局とは違い、家光の用事で江とも僅かだが交流があった。
 その際に聞いた話を春日局に振ってみる。
 家光をあんなに泣かせた男より、まだ会った事のない男の方がいいのではと思うのだった。

「徳様でしたら同じ武家でありますし……」
「長政様か……家康様と共に戦った御方ではあるが……今回の婚姻は武家同士では治まりがつかないものなのでな」

 春日局は正勝とは目を合わせないままに筆を手に取り墨を付けると紙になにやら書き始める。

「……それは、つまり……政、ということでございますか」
「わかっているなら口出しは無用。もう夜も更けた、お前も休め明日も早い」

 正勝が訊ねると、春日局は目線だけ正勝に投げて、話し過ぎたと手で追い払うように部屋から出るように扇いだ。

「……では、先に休ませていただきます。失礼いたしました」

 春日局がこれ以上何も教えてくれなさそうだったため、正勝は納得行かない顔のまま座礼をすると、立ち上がり部屋を後にした。

「……江戸に戻ったら孝様の躾を……と」

 つらつらと春日局は帳面に何やら書き連ね、乾いた頃合いを見計らって静かに閉じたのだった。

「……家光様、信じておりますよ」

 家光の涙を見ていない春日局はそう強く念じる。
 そして、わざと家光の様子を見ようとはしなかった。
 家光の涙を見てしまえば、どうなるかわからない、冷静な判断が出来なくなるかもしれない。

 家光を慰めるのは、寄り添う心を持った者達だけでいい。
 自分は玩具だ、心を持たない玩具に出来ることは、主が歩く道の小石を退けることだけ。
 家光が歩む道をただ平らにすることが自分の仕事なのだと、春日局は思いながら揺らめく灯りを眺めるのだった。





 ――月明かりがぼんやりと浮かぶ闇の中、孝一行は……。

「……」

 孝は腕組みをしながら正座し、目の前にある文を見下ろす。

「孝様、もうお休みになられてはいかがですか?」

 襖を挟んだ向こう側で従者が告げる。
 人払いしたのか、部屋には孝一人。
 正勝に壊された襖は別の部屋のもので代用したのか襖の絵がちぐはぐであった。

「……先に休んでてくれ」
「ではお先に……、ああそうそう、その文のことはお気になさらず……」

「……わかってる」

 襖越しに会話して、従者が下がっていく。

「……俺は、馬鹿野郎だ」

 孝は両手で拳を握り締め、肩を落とす。
 文には、大したことは書かれていない。
 春日局が短時間で書いた手紙だ、そう多くの時間はなかった。

「……籠の鳥……って、これ俺のことだよな……」

 孝は考える。

 鷹司家にとって俺は、母が再興した地位を確固たる物にするための駒でしかない。生まれた時から姉や妹とは違うつまらない扱いを受けてきた。
 一通りなんでもこなしたつもりだが、優秀な姉や妹と違って出来損ないだとも言われた。

 歳を取れば姉と妹がいるから俺は家に居ても邪魔な存在。

 いつかどこかの公家でも武家でも輿入れできたら万々歳だと常々言われ続けていた。
 鷹司家の言いなりになりたくないと思いながらも、ずっと家に縋りついていたのは自分である。

 今回のことも、まんまと乗せられ悪乗りしたのは自分の浅はかさから。

 俺は籠の鳥。

 外の世界に憧れを抱きながら、籠から出してくれようとした人に噛み付いて、きっとこの事は鷹司家にも報告されるだろう。

 そして俺は笑い者だ。

 家から出られたことに、浮かれていたのかもしれない。
 羽目を外したとでもいうのか。
 だが、こんなことは許されないし、恐らく家光には徹底的に嫌われただろう。

 輿入れも反故にされるかもしれない。
 そうすれば、俺はやはり笑い者。

 鷹司家には戻りたくない。
 腫れ物に触るようなあの白々しい目の中で一生一人で過ごしたくない。

 孝は自分の為出かしたことを猛省するのだった。




 ――家光の泊まる部屋では。

 正勝が出て行った後、よく寝かし付けられたようで、すやすやと家光が眠っている。
 ふいに、家光は寝返りを打って、片手を布団から出す。

「……月花の奴何で居なかったんだよ。……いや、月花の所為じゃない。俺の所為だ……ごめんな、家光――」

 風鳥は眠る家光の手にそっと自分の手を添えると、優しく両手で包んで懺悔するように自らの額にその手を宛てる。

「んん……」

 眠る家光は特に嫌がる様子もなく、穏やかに眠っていた。

(……嫌な夢に魘されなきゃいいんだが)

 風鳥はそう願いながら手から伝わるぬくもりを大事に包み込んで、静かにその手を下ろした。

 月花と交代した俺の所為とはいえ、月花には反省してもらわなければいけない。
 今回は命に関わることではなかったかもしれないが、心を殺してしまっては死んだも同じ。
 明日起きて家光がどうなっているかはわからないが、俺や月花は何も知らない振りをした方がいいのかもしれないな。

 そして、全力で家光の心を救う。

 その一方で、月花には将軍の護衛としての自覚をきちんと持たせないと。
 俺達の恩人である家光に、俺達は恩返しをしなければならない。
 でなければ、死んだ両親や兄弟達も浮かばれない。

 眠る家光を見下ろしながら、風鳥は過去を思い出していく。


 それはまだ、風鳥と月花が普通の子供だった頃のこと――。
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