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【上洛の旅・旅情編】
027 走る、走る、走る①
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ガサガサッ、ザッザッザ。
駕籠から飛び出した家光は着物の褄先を掴んでたくし上げながら街道を外れ、草木生い茂る道なき道へと足を踏み入れていく。
京都までは軽装の小袖だから、普段通り歩くのにも走るにも不自由はなかった。
それに、急に飛び出したものだから下駄がなく足袋だったので、いくらでも早く走れたのだった。
足袋は真っ黒だったが草叢の中、時々小さな小石を踏みつけるものの草がクッションとなって然程痛みは感じず、どんどんと歩みを進めていく。
「はぁっ、はぁっ……っ……マジかっ!?」
家光は途中の草の葉に引っ掛かったのか、手の甲に小さな傷をつけ僅かに血を流すも気にする様子はなく、その甲を唇に宛てながら辺りに目を彷徨わせる。
(春日局にキスされたっ!? しかも顎クィーって!!)
まだ若干感触が残っている気がして、家光は自分の顔が熱くなるのを感じていた。
「……っ、んで、春日局は私の育ての親で、お婆様の……なのにっ……ってか、何で私、嫌だって思わないのよ!?」
(春日局もあんな風に言って酷いってわかってるのに、意味わかんないっ!!)
先程春日局に言われた、口付けなど簡単、必要なら抱きます、という失礼極まりない言い分に腹が立つものの、もっとキスしたくなってしまった自分に、自分が一番わからないと困惑する家光であった。
「それに……正勝を側室にとかどうとか自分で言ってたくせに、キスしてくるし、わけわからん」
ブツブツと、独り言を呟きながら走っていた足を減速し、歩き始める。
(しかし、春日局の唇柔らかかったな……温かかったし、伊達のおじ様といい勝負だった)
話は脱線するが、実は、その昔幼き日の家光は伊達政宗(ちな男)にキスをされていたのである。
それはもう、愛らしかった竹千代時代の話だが、仙台藩に遊びに行った折、伊達政宗のルックスの良さや男気溢れる性格に惚れ興奮し過ぎて熱を出したのだった。
その熱を下げるため、政宗自ら口移しで薬湯を飲ませたことがあり、それから家光はしばらく将来は伊達政宗と結婚すると思っていたのである。
政宗も政宗で、家光のことが可愛いのかこれまで何かと様子を気に掛けていた。
家康葬儀の際は家光を慰め、大勢の目もあり一線は越えなかったものの、こっそりと口付けを交わし、心の支えとなったのだった。
政宗エピソードは他にもあるが、今は割愛する。
「春日局は私のお父さんなのに、これからどうやって顔を合わせたらいいの?」
「んー、そうですよねぇ、お父様ですものね」
刹那、家光の背後から月花の声がして、家光は振り返る。
「え、うわぁっ!? 誰!?」
「月花です、家光様。履物お持ちしました」
ずいっと、月花と名乗る少年が家光に近付いてくる。
「えっ、月花っ!? 追いかけて来てくれたの!? ってか、その格好、男の子みたい!」
目と鼻の先に月花が迫り、想いの外近いその距離に驚き、家光は一歩後ずさった。
「家光様、大丈夫でございますか?」
「あ、うん……多分」
月花が家光の小袖にいつの間にかついた草木の実を払いながら、持って来た履物を履かせ伺うと、家光はぎこちなく返事をする。
「……家光様、家光様は気付いてらっしゃらないかと思うんですが――」
小袖に付着した実を取り終え、月花が家光の手を取り、どこか遠くを見た後元来た方向とは違う方へと歩き出した。
「ん?」
月花の視線の先を辿ると小路があるのが分かり、そこに行くのだと家光は理解しながらついて行く。
「家光様って、いろんなお方に狙われて居ますよ」
先導する月花は片手を家光と繋いだまま、前方に広がっている草むらを小刀で刈りながら進んでいく。
「命をってこと?」
「やだもぉ~それもありますけど~、狙われているっていうのは、み・さ・おです☆ きゃっ、言っちゃった☆」
家光が自分は将軍になるのだから命を狙われることもそりゃあるだろうと思って訊いたのだが、月花は首だけ振り返らせて笑顔で告げる。
言い方が女子高生のようなテンションである。
「操……」
家光の中で何かがわかりそうな気がして、呟いた。
「春日局様は、家光様にそれを自覚して欲しいのだと思いますぅ~。春日局様だって例外じゃないかもしれませんよぉ」
ぶりぶりな声とは裏腹にザックザックと草刈をしていく月花。
「……自覚してないわけじゃない。でも、何故かそういう気になれないんだよ……」
(ていうか春日局も例外じゃないってどういうことよ……)
自分でもわかっているけど、どうしてもそういう気になれない。
イケメン達が居て、国松のようにとまではいかないけど、誰かに愛されたいし、愛したい。
わかってるけど、そういう気が何故だか起きない。
(でも、さっき、もう少しキスしたいと思ってしまった。
私は春日局が好きなのだろうか?
いや、好きは好きだが、好きの種類が違うと思う)
なんというか、キスされた一瞬は沸き立つものがあったのだが、いまいちぴんと来ないのである。
自分はどこかおかしいのではないかと、家光は自分に自問自答する。
(前の私なら、イケメンに声を掛けられただけで濡れたかもしれない。
あの孝にでさえ顔は好みだから言いなりになってさっさといたしてたとも思う。
今の立場でそれはできないのはわかってるけど、それにしたって、身体が無反応なんていうのはおかしい)
何でだろう?
自分は自分なのに、誰かに感情をコントロールされてるみたいだと、家光は考え込むのだった。
「……家光様?」
「……あ、うん……祝言挙げたら私も人妻だしね、腹をくくるよ」
心配そうに家光を窺う月花に家光は笑顔を返す。
「初めてさえ終えてしまえば、開花されるかもしれませんねぇ」
家光の華やかな笑顔に可愛いなと思いつつ、にやりといやらしい笑みを浮かべ、月花は家光を見た。
「何変なこと言ってるの!」
ぱっと、頬を僅かに赤らめて家光は月花の肩を叩くと、月花は宙を見上げて呟く。
「んー、家光様には色香が備わってますけど、なんというか、抑えた内の端が少し零れた程度といいますか……本領発揮できていないといいますか、家康様が凄いお方だとお聞きしてるので、こんなものでもない気がするんですよねぇ」
それでも家光様大好きですよ! と月花はフォローを入れるのだった。
「こんなもの……」
色香ねぇ……と、家光は家康を思い出す。
(確かに家康お婆様は魅力溢れる人物で、会う人会う人を魅了していた。
私にもその能力は受け継がれているし、だからか皆優しく接してくれる。
私もお婆様のことは大好きだ。
ただ、お婆様の力は会ったことの無い人にも伝わっていて、地方の人々もお婆様を慕っている。
私は会ったことのある人にしか、通じない。
お婆様のように私はなれるのかしら?)
カリスマ性を持った大きな存在に家光は尊敬の念を抱くと共に、自分には荷が重いと思うのだった。
「それを解放するきっかけになるのがもしかしたら……と」
「なっ、エッチしたら開花されるとか、それどんなエロゲよ!?」
月花の真面目な声に照れた家光は唾を飛ばしながら手を放し、月花の前に歩み出る。
「えっち? えろげ? なんですかそれ」
「いいからいいから、戸塚宿に向かってるんでしょ?」
「はい」
すでに小路に出ており、月花は小刀をしまう。
「急ごう」
「はい」
こうして月花と共に家光は戸塚宿へと向かったのだった。
◇
――それから戸塚宿に着いた家光と月花であったが、本日泊まる旅籠がどこかわからないでいた。
「宿は何処なの?」
「えーっと、ちょっと待っていて下さいね、ここなら安心なので。探して参ります」
茶屋の店先で家光を座らせ、お茶と団子を注文し月花は旅籠を探しに向かう。
「……あの、お茶です……」
店の奥から頬を紅く染めた茶屋の若旦那らしき男性が家光の座る場所に湯気の立つお茶と団子を二本持ってくる。
「あ、ありがとう……ずずず……あ、おいしー♪」
ほろ苦く熱いお茶が家光の疲れを癒す。
一里程度(約四キロメートル)とはいえ、普段あまり歩かない家光にとっては中々疲れる距離であった。
江戸時代の人々は一日で三十~四十キロメートルも歩けたというのだから驚く程健脚である。
今日泊まる戸塚までは江戸城から約十二里(約四十六キロメートル)、東海道起点の日本橋からは十里半(約四十二キロメートル)、直線距離ではもう少し短い。
徒歩ですよ、徒歩!
宿場を歩いている人々は疲れた顔はたまに見るくらいで、皆歩いて来ているはずなのに大半が楽しそうに家光の前を通り過ぎていく。
それは旅が娯楽の一つだからなのかもしれない。
この世界の人々も実に健脚である。
「……あ、あの、失礼ですが、お武家様のお姫様でいらっしゃいますか?」
お茶を啜ってご満悦の家光の顔に見蕩れながら茶屋の若旦那は家光に話しかけて来た。
「あ、えーっと、まぁ、そんなところ。あ、おだんご一つしか注文してないけど……」
自分が幕府の人間であることは伏せたまま、家光は注文した団子を見ると、一つしか注文してなかった団子が二つあることに気付く。
「ほんの気持ちです。お美しいお姫様にうちの団子を食べて貰いたいのです」
若旦那は家光の美しさに胸を高鳴らせながらも笑顔を向けると、家光は目を小さく見開いた。
「えっ、やだなぁ、お世辞なんて言わなくてもいいのに。でも、お団子こんなに食べられないよ」
そう言いながら注文した団子を二本手にして口に運ぶ。
「あっ、すみません、ご迷惑でしたか!?」
「おいしー! ううん、気持ちは嬉しいです。あ、そうだ、良かったら旦那さんも一緒に食べません?」
若旦那ははっとして家光を伺ったが、家光は上機嫌に団子をほうばっていた。
「えっ? 本当ですか? 喜んで!!」
家光に誘われた若旦那は喜んで隣に腰掛けると、店自慢の団子を平らげたのだった。
「ご、ごちそうさまでした」
数分もしない内に、家光は立ち上がる。
月花はまだ戻って来ていなかった。
「ありがとうございました。またお待ちしております!」
「すみませんねぇ、うちの人が引きとめてしまって。ほらっ! あんたはこっち!」
いてて、と若旦那が若女将に耳を引っ張られながら店の奥へと消えていく。
家光と一緒にお茶をしていた若旦那だったが、出掛けていた妻である若女将が談笑する二人を見て、鬼の形相で走り寄ってきたのだった。
丁度家光は若旦那に手を握られ、困った顔をしていたところだった。
若旦那の浮気を疑った妻だったが、今まで浮気などしたことがないと若旦那が弁解したのと、家光もお茶を零して手を拭いてもらっていただけと、嘘だが証言した。
「な、ナンパされた……二度目の人生初ナンパだよ……」
家光は先程若旦那に言われた口説き文句を思い出す。
『お姫様、貴女はどうしてそんなにお美しいのですか? 私とは身分が違うのは百も承知です。よろしければどうか、今宵だけでも一緒に……』
城に居る人間程ではないがそこそこに色男な若旦那の言葉に家光ははぁとため息を吐く。
「……何でいきなり夜のお誘いするかなぁ……しかも妻帯者じゃん」
不倫はまずいっしょと、思う家光である。
その辺の倫理観はきちんと備わっている。
だからこそ、伊達政宗公とは関係を持っていないのである(まぁ、性欲も湧かないし)。
「……あーもう、あそこに居ろって言われてたのに!」
家光は茶屋に戻る気が起きず、町を歩き始めた。
戸塚宿は神奈川宿や保土ヶ谷宿に比べ、宿場町に認められた日も浅く、さほど大きな宿場町ではなかった。
月花も戻ってこないようだし、家光は自力で皆の居る旅籠を探すことにしたのだった。
駕籠から飛び出した家光は着物の褄先を掴んでたくし上げながら街道を外れ、草木生い茂る道なき道へと足を踏み入れていく。
京都までは軽装の小袖だから、普段通り歩くのにも走るにも不自由はなかった。
それに、急に飛び出したものだから下駄がなく足袋だったので、いくらでも早く走れたのだった。
足袋は真っ黒だったが草叢の中、時々小さな小石を踏みつけるものの草がクッションとなって然程痛みは感じず、どんどんと歩みを進めていく。
「はぁっ、はぁっ……っ……マジかっ!?」
家光は途中の草の葉に引っ掛かったのか、手の甲に小さな傷をつけ僅かに血を流すも気にする様子はなく、その甲を唇に宛てながら辺りに目を彷徨わせる。
(春日局にキスされたっ!? しかも顎クィーって!!)
まだ若干感触が残っている気がして、家光は自分の顔が熱くなるのを感じていた。
「……っ、んで、春日局は私の育ての親で、お婆様の……なのにっ……ってか、何で私、嫌だって思わないのよ!?」
(春日局もあんな風に言って酷いってわかってるのに、意味わかんないっ!!)
先程春日局に言われた、口付けなど簡単、必要なら抱きます、という失礼極まりない言い分に腹が立つものの、もっとキスしたくなってしまった自分に、自分が一番わからないと困惑する家光であった。
「それに……正勝を側室にとかどうとか自分で言ってたくせに、キスしてくるし、わけわからん」
ブツブツと、独り言を呟きながら走っていた足を減速し、歩き始める。
(しかし、春日局の唇柔らかかったな……温かかったし、伊達のおじ様といい勝負だった)
話は脱線するが、実は、その昔幼き日の家光は伊達政宗(ちな男)にキスをされていたのである。
それはもう、愛らしかった竹千代時代の話だが、仙台藩に遊びに行った折、伊達政宗のルックスの良さや男気溢れる性格に惚れ興奮し過ぎて熱を出したのだった。
その熱を下げるため、政宗自ら口移しで薬湯を飲ませたことがあり、それから家光はしばらく将来は伊達政宗と結婚すると思っていたのである。
政宗も政宗で、家光のことが可愛いのかこれまで何かと様子を気に掛けていた。
家康葬儀の際は家光を慰め、大勢の目もあり一線は越えなかったものの、こっそりと口付けを交わし、心の支えとなったのだった。
政宗エピソードは他にもあるが、今は割愛する。
「春日局は私のお父さんなのに、これからどうやって顔を合わせたらいいの?」
「んー、そうですよねぇ、お父様ですものね」
刹那、家光の背後から月花の声がして、家光は振り返る。
「え、うわぁっ!? 誰!?」
「月花です、家光様。履物お持ちしました」
ずいっと、月花と名乗る少年が家光に近付いてくる。
「えっ、月花っ!? 追いかけて来てくれたの!? ってか、その格好、男の子みたい!」
目と鼻の先に月花が迫り、想いの外近いその距離に驚き、家光は一歩後ずさった。
「家光様、大丈夫でございますか?」
「あ、うん……多分」
月花が家光の小袖にいつの間にかついた草木の実を払いながら、持って来た履物を履かせ伺うと、家光はぎこちなく返事をする。
「……家光様、家光様は気付いてらっしゃらないかと思うんですが――」
小袖に付着した実を取り終え、月花が家光の手を取り、どこか遠くを見た後元来た方向とは違う方へと歩き出した。
「ん?」
月花の視線の先を辿ると小路があるのが分かり、そこに行くのだと家光は理解しながらついて行く。
「家光様って、いろんなお方に狙われて居ますよ」
先導する月花は片手を家光と繋いだまま、前方に広がっている草むらを小刀で刈りながら進んでいく。
「命をってこと?」
「やだもぉ~それもありますけど~、狙われているっていうのは、み・さ・おです☆ きゃっ、言っちゃった☆」
家光が自分は将軍になるのだから命を狙われることもそりゃあるだろうと思って訊いたのだが、月花は首だけ振り返らせて笑顔で告げる。
言い方が女子高生のようなテンションである。
「操……」
家光の中で何かがわかりそうな気がして、呟いた。
「春日局様は、家光様にそれを自覚して欲しいのだと思いますぅ~。春日局様だって例外じゃないかもしれませんよぉ」
ぶりぶりな声とは裏腹にザックザックと草刈をしていく月花。
「……自覚してないわけじゃない。でも、何故かそういう気になれないんだよ……」
(ていうか春日局も例外じゃないってどういうことよ……)
自分でもわかっているけど、どうしてもそういう気になれない。
イケメン達が居て、国松のようにとまではいかないけど、誰かに愛されたいし、愛したい。
わかってるけど、そういう気が何故だか起きない。
(でも、さっき、もう少しキスしたいと思ってしまった。
私は春日局が好きなのだろうか?
いや、好きは好きだが、好きの種類が違うと思う)
なんというか、キスされた一瞬は沸き立つものがあったのだが、いまいちぴんと来ないのである。
自分はどこかおかしいのではないかと、家光は自分に自問自答する。
(前の私なら、イケメンに声を掛けられただけで濡れたかもしれない。
あの孝にでさえ顔は好みだから言いなりになってさっさといたしてたとも思う。
今の立場でそれはできないのはわかってるけど、それにしたって、身体が無反応なんていうのはおかしい)
何でだろう?
自分は自分なのに、誰かに感情をコントロールされてるみたいだと、家光は考え込むのだった。
「……家光様?」
「……あ、うん……祝言挙げたら私も人妻だしね、腹をくくるよ」
心配そうに家光を窺う月花に家光は笑顔を返す。
「初めてさえ終えてしまえば、開花されるかもしれませんねぇ」
家光の華やかな笑顔に可愛いなと思いつつ、にやりといやらしい笑みを浮かべ、月花は家光を見た。
「何変なこと言ってるの!」
ぱっと、頬を僅かに赤らめて家光は月花の肩を叩くと、月花は宙を見上げて呟く。
「んー、家光様には色香が備わってますけど、なんというか、抑えた内の端が少し零れた程度といいますか……本領発揮できていないといいますか、家康様が凄いお方だとお聞きしてるので、こんなものでもない気がするんですよねぇ」
それでも家光様大好きですよ! と月花はフォローを入れるのだった。
「こんなもの……」
色香ねぇ……と、家光は家康を思い出す。
(確かに家康お婆様は魅力溢れる人物で、会う人会う人を魅了していた。
私にもその能力は受け継がれているし、だからか皆優しく接してくれる。
私もお婆様のことは大好きだ。
ただ、お婆様の力は会ったことの無い人にも伝わっていて、地方の人々もお婆様を慕っている。
私は会ったことのある人にしか、通じない。
お婆様のように私はなれるのかしら?)
カリスマ性を持った大きな存在に家光は尊敬の念を抱くと共に、自分には荷が重いと思うのだった。
「それを解放するきっかけになるのがもしかしたら……と」
「なっ、エッチしたら開花されるとか、それどんなエロゲよ!?」
月花の真面目な声に照れた家光は唾を飛ばしながら手を放し、月花の前に歩み出る。
「えっち? えろげ? なんですかそれ」
「いいからいいから、戸塚宿に向かってるんでしょ?」
「はい」
すでに小路に出ており、月花は小刀をしまう。
「急ごう」
「はい」
こうして月花と共に家光は戸塚宿へと向かったのだった。
◇
――それから戸塚宿に着いた家光と月花であったが、本日泊まる旅籠がどこかわからないでいた。
「宿は何処なの?」
「えーっと、ちょっと待っていて下さいね、ここなら安心なので。探して参ります」
茶屋の店先で家光を座らせ、お茶と団子を注文し月花は旅籠を探しに向かう。
「……あの、お茶です……」
店の奥から頬を紅く染めた茶屋の若旦那らしき男性が家光の座る場所に湯気の立つお茶と団子を二本持ってくる。
「あ、ありがとう……ずずず……あ、おいしー♪」
ほろ苦く熱いお茶が家光の疲れを癒す。
一里程度(約四キロメートル)とはいえ、普段あまり歩かない家光にとっては中々疲れる距離であった。
江戸時代の人々は一日で三十~四十キロメートルも歩けたというのだから驚く程健脚である。
今日泊まる戸塚までは江戸城から約十二里(約四十六キロメートル)、東海道起点の日本橋からは十里半(約四十二キロメートル)、直線距離ではもう少し短い。
徒歩ですよ、徒歩!
宿場を歩いている人々は疲れた顔はたまに見るくらいで、皆歩いて来ているはずなのに大半が楽しそうに家光の前を通り過ぎていく。
それは旅が娯楽の一つだからなのかもしれない。
この世界の人々も実に健脚である。
「……あ、あの、失礼ですが、お武家様のお姫様でいらっしゃいますか?」
お茶を啜ってご満悦の家光の顔に見蕩れながら茶屋の若旦那は家光に話しかけて来た。
「あ、えーっと、まぁ、そんなところ。あ、おだんご一つしか注文してないけど……」
自分が幕府の人間であることは伏せたまま、家光は注文した団子を見ると、一つしか注文してなかった団子が二つあることに気付く。
「ほんの気持ちです。お美しいお姫様にうちの団子を食べて貰いたいのです」
若旦那は家光の美しさに胸を高鳴らせながらも笑顔を向けると、家光は目を小さく見開いた。
「えっ、やだなぁ、お世辞なんて言わなくてもいいのに。でも、お団子こんなに食べられないよ」
そう言いながら注文した団子を二本手にして口に運ぶ。
「あっ、すみません、ご迷惑でしたか!?」
「おいしー! ううん、気持ちは嬉しいです。あ、そうだ、良かったら旦那さんも一緒に食べません?」
若旦那ははっとして家光を伺ったが、家光は上機嫌に団子をほうばっていた。
「えっ? 本当ですか? 喜んで!!」
家光に誘われた若旦那は喜んで隣に腰掛けると、店自慢の団子を平らげたのだった。
「ご、ごちそうさまでした」
数分もしない内に、家光は立ち上がる。
月花はまだ戻って来ていなかった。
「ありがとうございました。またお待ちしております!」
「すみませんねぇ、うちの人が引きとめてしまって。ほらっ! あんたはこっち!」
いてて、と若旦那が若女将に耳を引っ張られながら店の奥へと消えていく。
家光と一緒にお茶をしていた若旦那だったが、出掛けていた妻である若女将が談笑する二人を見て、鬼の形相で走り寄ってきたのだった。
丁度家光は若旦那に手を握られ、困った顔をしていたところだった。
若旦那の浮気を疑った妻だったが、今まで浮気などしたことがないと若旦那が弁解したのと、家光もお茶を零して手を拭いてもらっていただけと、嘘だが証言した。
「な、ナンパされた……二度目の人生初ナンパだよ……」
家光は先程若旦那に言われた口説き文句を思い出す。
『お姫様、貴女はどうしてそんなにお美しいのですか? 私とは身分が違うのは百も承知です。よろしければどうか、今宵だけでも一緒に……』
城に居る人間程ではないがそこそこに色男な若旦那の言葉に家光ははぁとため息を吐く。
「……何でいきなり夜のお誘いするかなぁ……しかも妻帯者じゃん」
不倫はまずいっしょと、思う家光である。
その辺の倫理観はきちんと備わっている。
だからこそ、伊達政宗公とは関係を持っていないのである(まぁ、性欲も湧かないし)。
「……あーもう、あそこに居ろって言われてたのに!」
家光は茶屋に戻る気が起きず、町を歩き始めた。
戸塚宿は神奈川宿や保土ヶ谷宿に比べ、宿場町に認められた日も浅く、さほど大きな宿場町ではなかった。
月花も戻ってこないようだし、家光は自力で皆の居る旅籠を探すことにしたのだった。
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