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6章:覚醒
雪解け こころ動き出すとき【side:アーサー】
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ソフィアは、悲しい気持ちも憂鬱な気分も。
泉の水のように湧きあふれる色んな感情を全部飲み込んで、それでも前に進もうとしている。
彼女の姿は、過去にとらわれたままのアーサーにはとても眩しく、かけがえのないものに思えた。
「ソフィアは芯の強い女性だね。本当にすごい」
心のまま告げれば、彼女は一瞬きょとんとした顔をしたあと、わたわたと手を振って「そんなことありません」と言って恐縮した。
謙遜する彼女に向かって、アーサーは「前を向こうと頑張れるのは、十分すごいことだと思うんだ」と告げる。
「君の眩しさにすごく……すごく憧れる。僕もいい加減、前を向かなきゃ駄目だな」
「アーサー様は駄目なんかじゃありません! とても尊敬できる素晴らしいお方です。もう完璧すぎて、最近は『本当に人間なのかな?』って本気で疑っていたくらいです」
「そうなの? そんな疑いをかけられているなんて知らなかったな」
ソフィアは少し身を乗り出すと、いつもは雪のように真っ白な頬を薄く染め、自分がどれほどアーサーを尊敬しているのか語った。
アーサーは試しに「ちなみに、僕が人間じゃなかったら何だと思っていたの?」と雑談混じりに尋ねる。
彼女は言おうかどうか悩んだあと、「天からの使者……かと」と小さく呟いた。
――天からの使者……つまり天使か?
意外な返答に思わず面食らってしまったアーサーに、ソフィアは慌てて言葉を続けた。
「セヴィル宮殿に『平和の間』という場所があって、そこの天井画に金髪と灰色の瞳の美しい天使様が描かれていました。アーサー様が、その天使様にあまりにも似ていて、初めてお会いしたときは本当に驚きました」
「『平和の間』か……どこかで聞いたような……。そっか、僕が天使、か。なんだか笑えるな」
「そうですか? 私は、アーサー様が天からの使者だと言われても不思議じゃないくらい、立派なお方だと尊敬しております」
「そんなにキラキラした目で尊敬されると、少し申し訳ない気持ちになるよ。僕は君が思うほど出来た人間じゃない。ずっと、過去を悔やんだまま、立ち止まってばかりだ」
アーサーは顔に貼り付けた笑みを消し去ると、窓の外の景色に視線を向けた。
鉛色の空からは淡い粉雪がふわふわと舞い落ちている。
温暖なリベルタ王国にしては随分と早い冬の訪れだ。
この白い結晶たちが、アーサーには不吉の前触れのように思えてならない。
凍える寒さを伴って、今年も悲しみの季節がやってくる――。
「小さい頃。こんな風に突然雪が降った日、母が亡くなったんだ。雪道で横転した荷車に押しつぶされそうになった僕をかばって、そのまま……。僕は、ただ泣くことしか出来なかった。無力で何の役にも立たない自分がずっと悔しくて、恨めしくて……あんな想いをするのはもう二度とごめんだ」
アーサーは淡々と過去を口にすると、目を閉じて渦巻く感情を吐き出すようにため息をついた。
「僕は天使のように清らかじゃない。大切なものを守るのが唯一の使命で、正義だ。そのためなら悪人だって、悪魔にだってなってやる。そんな、残酷な人間なんだよ」
アーサーはいつも通りの朗らかな笑みを再び顔に貼り付け、空気を変えるように「――なんてね……暗い話をしてすまなかった」と言って向き直った。
そして、ソフィアの表情を見て……驚く。
彼女はただ黙って、こちらを見つめていた。
ありきたりな慰めの言葉を口にしたり、同情の涙を流したりしていない。
かといって、関心のない無表情でもなかった。
瞳は絶えず色々な想いを宿して揺らめき、引き結ばれた唇は言葉を探してわずかに震えている。
彼女が何を考えているのか、アーサーには読み取ることが出来なかった。
恐らく、彼女自身も、自分の中にある複雑な感情を整理仕切れていないのだろう。
――こんな反応をされたのは、初めてだ。
幼い頃から今まで沢山の人に出会い、様々なことを言われた。
ある者は『過去は過去。お母さんのためにも前を向きなさい』とアーサーを励ます。
また別の者は『かわいそうに』と同情のまなざしを向けた。
他にも、あからさまな無関心に上辺だけのお悔やみの言葉と表情を貼り付け、それらしく振る舞う者。
『母親だと思って何でも頼ってちょうだい』などと言い、オルランド家に取り入ろうとする者。
本当に様々な人がいた。
だが、ソフィアの反応は、そのどれとも違う。
「なんと、申し上げれば良いのか……。私はあまり話し上手な方ではないので、全然良い言葉が思いつかず、もどかしいのですが……」
彼女は一つ一つの言葉を自分の中で確かめるように慎重に紡いだ。
「こんなに心優しくて、私に沢山の温かさを下さったアーサー様が、暗い道に進むのは……悲しいです。そんなの絶対に、駄目だと思うんです」
表情も、声音も、仕草も――全てがひたむきな彼女から贈られるのは、同情でも、憐れみでも、無関心でもない。
「アーサー様が笑って喜んでくれるなら、私はどんな馬鹿馬鹿しい話だってします。悪人になってしまいそうな時は、たとえ貴方に嫌われたとしても全力で止めます。私は、アーサー様に誰よりも……幸せになってほしいんです」
まっすぐに相手の幸福を願う、泣きたくなるほど透き通った想いだ。
あぁ、もう無理だ、抑えきれない――とアーサーは切実に思った。
胸の奥――氷を抱きしめているかのように冷たかった心が、じんわりと温かくなるのを感じる。
ずっと、自分にも他人にも興味が無かった。
幸せになろうと頑張ることも、自分と誰かを愛することも、ひどく面倒で。
何も感じず、ただ大切なものを守るために息をする。
それが一番楽で、辛くない。
他人の醜い言葉に傷つくような心なら、持たない方がいい。
突然の不幸に悲しむくらいなら、明日への希望なんていらない。
幸せや愛なんて不確かで曖昧なもの、望まない方が生きやすい。
……はずなのに、今は、目の前の彼女への感情が溢れて止まらない。
この想いから、もう目を背けることは出来ない。逃れられない。
逃したくない。
――あぁ、僕は、ソフィアのことが……。
アーサーは、止まっていた自分の時が、再び動き出すのを感じた。
次話『君が世界を春に変えてゆく』
泉の水のように湧きあふれる色んな感情を全部飲み込んで、それでも前に進もうとしている。
彼女の姿は、過去にとらわれたままのアーサーにはとても眩しく、かけがえのないものに思えた。
「ソフィアは芯の強い女性だね。本当にすごい」
心のまま告げれば、彼女は一瞬きょとんとした顔をしたあと、わたわたと手を振って「そんなことありません」と言って恐縮した。
謙遜する彼女に向かって、アーサーは「前を向こうと頑張れるのは、十分すごいことだと思うんだ」と告げる。
「君の眩しさにすごく……すごく憧れる。僕もいい加減、前を向かなきゃ駄目だな」
「アーサー様は駄目なんかじゃありません! とても尊敬できる素晴らしいお方です。もう完璧すぎて、最近は『本当に人間なのかな?』って本気で疑っていたくらいです」
「そうなの? そんな疑いをかけられているなんて知らなかったな」
ソフィアは少し身を乗り出すと、いつもは雪のように真っ白な頬を薄く染め、自分がどれほどアーサーを尊敬しているのか語った。
アーサーは試しに「ちなみに、僕が人間じゃなかったら何だと思っていたの?」と雑談混じりに尋ねる。
彼女は言おうかどうか悩んだあと、「天からの使者……かと」と小さく呟いた。
――天からの使者……つまり天使か?
意外な返答に思わず面食らってしまったアーサーに、ソフィアは慌てて言葉を続けた。
「セヴィル宮殿に『平和の間』という場所があって、そこの天井画に金髪と灰色の瞳の美しい天使様が描かれていました。アーサー様が、その天使様にあまりにも似ていて、初めてお会いしたときは本当に驚きました」
「『平和の間』か……どこかで聞いたような……。そっか、僕が天使、か。なんだか笑えるな」
「そうですか? 私は、アーサー様が天からの使者だと言われても不思議じゃないくらい、立派なお方だと尊敬しております」
「そんなにキラキラした目で尊敬されると、少し申し訳ない気持ちになるよ。僕は君が思うほど出来た人間じゃない。ずっと、過去を悔やんだまま、立ち止まってばかりだ」
アーサーは顔に貼り付けた笑みを消し去ると、窓の外の景色に視線を向けた。
鉛色の空からは淡い粉雪がふわふわと舞い落ちている。
温暖なリベルタ王国にしては随分と早い冬の訪れだ。
この白い結晶たちが、アーサーには不吉の前触れのように思えてならない。
凍える寒さを伴って、今年も悲しみの季節がやってくる――。
「小さい頃。こんな風に突然雪が降った日、母が亡くなったんだ。雪道で横転した荷車に押しつぶされそうになった僕をかばって、そのまま……。僕は、ただ泣くことしか出来なかった。無力で何の役にも立たない自分がずっと悔しくて、恨めしくて……あんな想いをするのはもう二度とごめんだ」
アーサーは淡々と過去を口にすると、目を閉じて渦巻く感情を吐き出すようにため息をついた。
「僕は天使のように清らかじゃない。大切なものを守るのが唯一の使命で、正義だ。そのためなら悪人だって、悪魔にだってなってやる。そんな、残酷な人間なんだよ」
アーサーはいつも通りの朗らかな笑みを再び顔に貼り付け、空気を変えるように「――なんてね……暗い話をしてすまなかった」と言って向き直った。
そして、ソフィアの表情を見て……驚く。
彼女はただ黙って、こちらを見つめていた。
ありきたりな慰めの言葉を口にしたり、同情の涙を流したりしていない。
かといって、関心のない無表情でもなかった。
瞳は絶えず色々な想いを宿して揺らめき、引き結ばれた唇は言葉を探してわずかに震えている。
彼女が何を考えているのか、アーサーには読み取ることが出来なかった。
恐らく、彼女自身も、自分の中にある複雑な感情を整理仕切れていないのだろう。
――こんな反応をされたのは、初めてだ。
幼い頃から今まで沢山の人に出会い、様々なことを言われた。
ある者は『過去は過去。お母さんのためにも前を向きなさい』とアーサーを励ます。
また別の者は『かわいそうに』と同情のまなざしを向けた。
他にも、あからさまな無関心に上辺だけのお悔やみの言葉と表情を貼り付け、それらしく振る舞う者。
『母親だと思って何でも頼ってちょうだい』などと言い、オルランド家に取り入ろうとする者。
本当に様々な人がいた。
だが、ソフィアの反応は、そのどれとも違う。
「なんと、申し上げれば良いのか……。私はあまり話し上手な方ではないので、全然良い言葉が思いつかず、もどかしいのですが……」
彼女は一つ一つの言葉を自分の中で確かめるように慎重に紡いだ。
「こんなに心優しくて、私に沢山の温かさを下さったアーサー様が、暗い道に進むのは……悲しいです。そんなの絶対に、駄目だと思うんです」
表情も、声音も、仕草も――全てがひたむきな彼女から贈られるのは、同情でも、憐れみでも、無関心でもない。
「アーサー様が笑って喜んでくれるなら、私はどんな馬鹿馬鹿しい話だってします。悪人になってしまいそうな時は、たとえ貴方に嫌われたとしても全力で止めます。私は、アーサー様に誰よりも……幸せになってほしいんです」
まっすぐに相手の幸福を願う、泣きたくなるほど透き通った想いだ。
あぁ、もう無理だ、抑えきれない――とアーサーは切実に思った。
胸の奥――氷を抱きしめているかのように冷たかった心が、じんわりと温かくなるのを感じる。
ずっと、自分にも他人にも興味が無かった。
幸せになろうと頑張ることも、自分と誰かを愛することも、ひどく面倒で。
何も感じず、ただ大切なものを守るために息をする。
それが一番楽で、辛くない。
他人の醜い言葉に傷つくような心なら、持たない方がいい。
突然の不幸に悲しむくらいなら、明日への希望なんていらない。
幸せや愛なんて不確かで曖昧なもの、望まない方が生きやすい。
……はずなのに、今は、目の前の彼女への感情が溢れて止まらない。
この想いから、もう目を背けることは出来ない。逃れられない。
逃したくない。
――あぁ、僕は、ソフィアのことが……。
アーサーは、止まっていた自分の時が、再び動き出すのを感じた。
次話『君が世界を春に変えてゆく』
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