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第36話 聖女の逃避行
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ベアトリスは手の甲で涙を拭い顔をあげた。
「子供みたいに泣いてごめんなさい。もう大丈夫」
「そんなに擦るな、赤くなる。これを」
「……うん、ありがとう」
差し出されたハンカチで目元を押さえながら、ベアトリスは倒れ伏す傭兵に視線を向けた。
「あの人たち、死んでいるの?」
「いや。全員、気絶しているだけだ。ヤツらには聞きたいことがあるから、殺しはしない」
ユーリスはそう言いながらベアトリスの首に付けられていた追跡魔道具を手際よく外し、背後の暗闇に向かって声をかけた。
「俺はこれからブレア領に向かう。お前たちはこの暗殺者らを捕縛せよ」
「かしこまりました、ユーリス様」
返事とともに、暗闇から黒ずくめの男たちが数名現れる。おそらくユーリスの部下だろう。彼らは命令に従いテキパキと暗殺傭兵を拘束し、運んでいく。
さらに部下のひとりが、どこからともなく馬の手綱を引いて近づいてきた。
「じゃあ、行こう」
ユーリスはそう告げた直後、ベアトリスをひょいと横抱きに──いわゆる“お姫様だっこ”で持ち上げた。
急に身体が浮いたベアトリスは「きゃあっ」と小さな悲鳴を上げて、彼の首に両手を回して抱きつく。
「びっ、びっくりした……」
「すまない、腰が抜けて立てないようだったから。それに、ひとりでは馬に乗れないだろう?」
「乗れないけど……抱き上げるなら、そうする前に言ってくれなきゃ……」
「言ったよ。『じゃあ、行こう』って」
「だから、それじゃ分からないわよっ」
いつも通り高飛車に言うと、なぜかユーリスがふんわり優しく微笑んだ。
ベアトリスは小首を傾げながら「なに?」と問いかける。
「また追放されて、そのうえ命まで狙われ絶望しているかと心配したが、予想より元気そうで安心した。君は、とても強い女性だな」
極上の美形に至近距離で微笑と賞賛を向けられ、じわじわっと頬が熱くなるのを自覚する。
きっと今、すごく赤面しているに違いない。暗闇で良かった……と思いながら、ベアトリスは慌ててうつむき「心配してくれて、ありがとう」と消え入りそうな声で告げた。
ユーリスは優しい声色で「どういたしまして」と返事をすると、ベアトリスを横乗りで馬の背に座らせ、自身も飛び乗って走り出す。
彼の腕にすっぽり包まれ、抱きしめられるような密着した体勢に、ベアトリスは居心地が良いような、悪いような複雑な気持ちになっていた。
ユーリスに触れられるのは嫌じゃない。
なのに心臓が異様に高鳴り、身体がムズムズして逃げ出したい気分になる。
「ベアトリス、それじゃあ振り落とされる。もっとしっかり俺にしがみついて」
「う、うん……」
ベアトリスは言われたとおり、恐る恐るユーリスの服の端を摘まんでみる。
「……こ、こう?」
ユーリスは『それじゃ全くダメだな』といわんばかりに片手でグイッとベアトリスの体を引き寄せた。途端に心臓がドクンと跳ねる。
しがみつけと言われたとおり、ベアトリスはユーリスの腰の辺りを掴んだり後ろまで手を回してみたり。
ちょうどよい場所を探し求めてモゾモゾ手を動かしていると、彼が「くすぐったいよ」とクスクス笑った。
「だって、しょうがないじゃない。どこを掴めば良いのか分からないんだもの」
文句を言いながら顔をあげると、近距離に整った顔があって思わず息をのむ。
バッチリ目が合った瞬間、ベアトリスはどうして良いのか分からず勢いよく下を向いた。
(だっ、だって、今までフェルナンともこんなに密着したことないのよ! 恥ずかしくなるのは当然だわ!)
なぜか自分自身に言い訳しながら、ベアトリスは照れくささを隠すためユーリスの胸元に顔を埋める。
──そんな初心でいじらしい姿を見て、ユーリスが愛おしそうにほほ笑んだことに、当の本人は全く気付いていなかった。
しばらくして気持ちが少し落ち着いたベアトリスは、今後のことをユーリスに尋ねた。
「これからご実家のブレア伯爵領へ行くのよね?」
「ああ。馬で行くには遠いから、近くの港に船を用意してある」
「私を匿うことで、貴方とブレア伯爵家にきっとご迷惑をかけてしまうわ……ごめんなさい」
しゅんとうなだれるベアトリスを励ますかのように、ユーリスの手が頭の上にそっと乗せられた。
「君はセレーナに危害を加えていない。そうだよな?」
「ええ、もちろん」
「だったらなにも心配はいらない。大丈夫、俺が守るから」
「……ありがとう、ユーリス」
みんなが『ベアトリス・バレリーは悪女だ』と決めつける中、無条件に信用し守ってくれる。頼もしいユーリスの存在に心から励まされる。それと同時に、不思議に思った。
(一度目の追放の時は、私のことを信じてくれなかったのに。今回は、どうして助けてくれるの?)
「ベアトリス、着いたよ。ここからは船で行く」
問いかける暇もなく、ベアトリスはユーリスに先導されて船に乗り込みブレア領を目指した。
☩ ☩ ☩
一方、同時刻──。
フェルナンと共に夜会へ出席したセレーナは、別室で騎士から報告を受けていた。
「たった今、ベアトリス・バレリーを乗せた馬車が襲撃されたとの情報が入りました」
「なんだと!?」
「あぁ……なんてこと……」
セレーナは両手で口元を覆い、さも今知ったかのような演技をする。
その傍らでは、フェルナンが険しい顔で「それで?」と騎士に続きを促した。
「同行していた騎士はみな無事ですが、罪人ベアトリス・バレリーは消息不明。護送騎士によると、襲撃犯は暗殺傭兵団だったとのことです。また、現場には血痕と破れたドレスの切れ端が残されていたことから、ベアトリス・バレリーは誘拐されたものと思われます」
「あぁ……ベアトリス……」
「子供みたいに泣いてごめんなさい。もう大丈夫」
「そんなに擦るな、赤くなる。これを」
「……うん、ありがとう」
差し出されたハンカチで目元を押さえながら、ベアトリスは倒れ伏す傭兵に視線を向けた。
「あの人たち、死んでいるの?」
「いや。全員、気絶しているだけだ。ヤツらには聞きたいことがあるから、殺しはしない」
ユーリスはそう言いながらベアトリスの首に付けられていた追跡魔道具を手際よく外し、背後の暗闇に向かって声をかけた。
「俺はこれからブレア領に向かう。お前たちはこの暗殺者らを捕縛せよ」
「かしこまりました、ユーリス様」
返事とともに、暗闇から黒ずくめの男たちが数名現れる。おそらくユーリスの部下だろう。彼らは命令に従いテキパキと暗殺傭兵を拘束し、運んでいく。
さらに部下のひとりが、どこからともなく馬の手綱を引いて近づいてきた。
「じゃあ、行こう」
ユーリスはそう告げた直後、ベアトリスをひょいと横抱きに──いわゆる“お姫様だっこ”で持ち上げた。
急に身体が浮いたベアトリスは「きゃあっ」と小さな悲鳴を上げて、彼の首に両手を回して抱きつく。
「びっ、びっくりした……」
「すまない、腰が抜けて立てないようだったから。それに、ひとりでは馬に乗れないだろう?」
「乗れないけど……抱き上げるなら、そうする前に言ってくれなきゃ……」
「言ったよ。『じゃあ、行こう』って」
「だから、それじゃ分からないわよっ」
いつも通り高飛車に言うと、なぜかユーリスがふんわり優しく微笑んだ。
ベアトリスは小首を傾げながら「なに?」と問いかける。
「また追放されて、そのうえ命まで狙われ絶望しているかと心配したが、予想より元気そうで安心した。君は、とても強い女性だな」
極上の美形に至近距離で微笑と賞賛を向けられ、じわじわっと頬が熱くなるのを自覚する。
きっと今、すごく赤面しているに違いない。暗闇で良かった……と思いながら、ベアトリスは慌ててうつむき「心配してくれて、ありがとう」と消え入りそうな声で告げた。
ユーリスは優しい声色で「どういたしまして」と返事をすると、ベアトリスを横乗りで馬の背に座らせ、自身も飛び乗って走り出す。
彼の腕にすっぽり包まれ、抱きしめられるような密着した体勢に、ベアトリスは居心地が良いような、悪いような複雑な気持ちになっていた。
ユーリスに触れられるのは嫌じゃない。
なのに心臓が異様に高鳴り、身体がムズムズして逃げ出したい気分になる。
「ベアトリス、それじゃあ振り落とされる。もっとしっかり俺にしがみついて」
「う、うん……」
ベアトリスは言われたとおり、恐る恐るユーリスの服の端を摘まんでみる。
「……こ、こう?」
ユーリスは『それじゃ全くダメだな』といわんばかりに片手でグイッとベアトリスの体を引き寄せた。途端に心臓がドクンと跳ねる。
しがみつけと言われたとおり、ベアトリスはユーリスの腰の辺りを掴んだり後ろまで手を回してみたり。
ちょうどよい場所を探し求めてモゾモゾ手を動かしていると、彼が「くすぐったいよ」とクスクス笑った。
「だって、しょうがないじゃない。どこを掴めば良いのか分からないんだもの」
文句を言いながら顔をあげると、近距離に整った顔があって思わず息をのむ。
バッチリ目が合った瞬間、ベアトリスはどうして良いのか分からず勢いよく下を向いた。
(だっ、だって、今までフェルナンともこんなに密着したことないのよ! 恥ずかしくなるのは当然だわ!)
なぜか自分自身に言い訳しながら、ベアトリスは照れくささを隠すためユーリスの胸元に顔を埋める。
──そんな初心でいじらしい姿を見て、ユーリスが愛おしそうにほほ笑んだことに、当の本人は全く気付いていなかった。
しばらくして気持ちが少し落ち着いたベアトリスは、今後のことをユーリスに尋ねた。
「これからご実家のブレア伯爵領へ行くのよね?」
「ああ。馬で行くには遠いから、近くの港に船を用意してある」
「私を匿うことで、貴方とブレア伯爵家にきっとご迷惑をかけてしまうわ……ごめんなさい」
しゅんとうなだれるベアトリスを励ますかのように、ユーリスの手が頭の上にそっと乗せられた。
「君はセレーナに危害を加えていない。そうだよな?」
「ええ、もちろん」
「だったらなにも心配はいらない。大丈夫、俺が守るから」
「……ありがとう、ユーリス」
みんなが『ベアトリス・バレリーは悪女だ』と決めつける中、無条件に信用し守ってくれる。頼もしいユーリスの存在に心から励まされる。それと同時に、不思議に思った。
(一度目の追放の時は、私のことを信じてくれなかったのに。今回は、どうして助けてくれるの?)
「ベアトリス、着いたよ。ここからは船で行く」
問いかける暇もなく、ベアトリスはユーリスに先導されて船に乗り込みブレア領を目指した。
☩ ☩ ☩
一方、同時刻──。
フェルナンと共に夜会へ出席したセレーナは、別室で騎士から報告を受けていた。
「たった今、ベアトリス・バレリーを乗せた馬車が襲撃されたとの情報が入りました」
「なんだと!?」
「あぁ……なんてこと……」
セレーナは両手で口元を覆い、さも今知ったかのような演技をする。
その傍らでは、フェルナンが険しい顔で「それで?」と騎士に続きを促した。
「同行していた騎士はみな無事ですが、罪人ベアトリス・バレリーは消息不明。護送騎士によると、襲撃犯は暗殺傭兵団だったとのことです。また、現場には血痕と破れたドレスの切れ端が残されていたことから、ベアトリス・バレリーは誘拐されたものと思われます」
「あぁ……ベアトリス……」
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