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いつか手放す愛

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 王都を出て街道を走り、森の木々の間を滑るように駆け抜ける。
 しばらく荒れた道を疾走していると、崖下から騒がしい音が聞こえてきた。

 金属が交わる耳障りな音と人の叫び声。

 手綱を操り、馬の速度を落として様子を伺う。

 紺色の制服を着た我が国の騎士と、傭兵らしきボロを纏った男たちが今まさに、交戦中だった。
 騎士達を要塞にたどり着かせまいと、大勢の傭兵が壁のように立ちふさがっている。

 あまたの人の中から、目的の人物はすぐに見つかった。
 最前列で騎士を統率し、自らも馬上で剣を振るう凛々しい金髪の男。

(ユーリ!)

 今すぐ駆け出したい。しかし、はやる気持ちを抑えて、俺は周囲を素早く見回した。
 
 ユーリ達から少し離れた位置、茂みの中で何かがキラリと光った。
 
 弓を扱う俺は、すぐさまそれが何か理解した。あれは、矢だ。矢尻が陽の光を受けて煌めいたのだ。

 草の陰に隠れて、弓を携えた傭兵が10、20……数十人息をひそめて、奇襲を狙っている。騎士を射殺さんと、機会をうかがっているのだ。

 山中の戦闘では、騎士より、地の利がある傭兵が圧倒的有利。

 騎士たちは、まだ奇襲の危機に気付いていない様子だった。
 
 俺は、戦場から少し離れた位置からでも聞こえるよう声を張り上げると、すぐさま馬を走らせた。

「北の方角、草の陰に弓兵がいる!警戒しろ!」

 俺の言葉で、騎士たちは瞬時に弓を警戒して盾を構えると、茂みに隠れた傭兵を制圧し始める。

 彼らの行動を横目で確認しながら、俺は手綱を一瞬手放して、自由になった左手で弓を掴み、右手で矢筒から矢を抜いてつがえた。

 敵がユーリを射るよりも速く、矢を放つ。
 耳元で弓弦ゆんづる が鳴り、ヒュン――と風音が空を走る。

 傭兵に矢が突き刺さったと同時に、ユーリがこちらを振り返り、目を見開いて俺を見上げた。
 
 驚きに見開かれた碧眼と視線が交わる。宝石みたいに煌めく美しい新緑の瞳に、一瞬吸い込まれそうになった。

 なんで、君がここに――そんな彼の心の声が、聞こえた気がした。

 俺は彼の目をまっすぐ見つめると、叫んだ。

「話があるんだ!謝りたいことも、沢山あるんだ!!だから、頼むから……死ぬなよ、ユーリ!!」

 記憶喪失を装っていた時の、よそよそしい『ユリウス』という呼び方ではなく、いつものように『ユーリ』と呼んだ。
 
 名前の呼び方一つの違い。
 しかし、そんな些細な違い一つで、俺の恋人は、俺が記憶を取り戻したと判断したようだ。
  
 彼は、安堵したように一瞬泣きそうな顔で微笑むと、次の瞬間には、頼もしく表情を引き締めた。

 そして、再び剣を構え、敵を見据えながら俺に向かって叫ぶ。

「死なないよ!僕も、君に聞きたいことが沢山あるんだ。全部きちんと話してもらうから、覚悟しておいてね、リオン!!」

 ユーリが敵の防衛を崩すために、一気に駆け出す。
 彼の動きに合わせて、俺は崖上から矢を放って援護した。

 長年、相方と恋人を務めているのだ。俺には、彼の動きが手に取るように分かる。
 襲い来る敵をユーリが切り伏せ、攻めて、生じた彼の隙を俺が埋める。

 凹凸が重なり合うように、お互いに足りないところを補い合う。
 俺たちは、そういう関係だ。

 弓を構え撃ちながら『あぁ、俺たちは二人で一つなんだな』と改めて実感した。

 矢が尽きてきた頃、俺は剣を抜いて崖を一気に駆け下り、ユーリの横に並んで敵を切り伏せた。
 彼の背後を守るように立つ。

 ユーリは俺の方を一瞬見ると、口元に笑みを浮かべて言った。

「おかえり、リオン」

 優しい響きに、胸に熱いものが込み上げる。
 
「ただいま。ユーリ」

 昔の俺は、ひとりぼっちで戦場に立っていた。
 居場所もなく、生きる目的もなく、あてもなく彷徨っていた。
 
 しかし、今は違う。

 彼の背中を守るために戦いたい。隣にいるために、生きたい。

 この先、どんな困難があっても。俺の存在が、ユーリを傷つけることになったとしても。
 いつか愛が尽きる恐怖を抱え続けることになったとしても。
 
 やっぱり、自分の居場所はたった一つだ。

「俺は、お前の隣にいるよ」

 俺がそう言うと、背後に立つユーリが「当たり前だよ」と囁いた。
 それを合図にして、それぞれの敵に向かって駆け出し、剣を振り下ろす。

 戦況は一進一退。命がけの戦場に立っているのに、背後に彼の気配を感じるだけで、不思議と、負ける気がしなかった。
 
 戦い始めて、どれほどの時間が経っただろうか。
 
 剣を持つ腕がしびれ、汗と血で濡れた柄が手から滑り落ちそうになった頃、ようやく決着がついた。

 ユーリは今回の前線指揮を任されているらしく、部下に的確な指示を与えると、休憩を取る間もなく今後の対応に追われている様子だった。

「ユーリ・アズリール指揮官。ご指示をお願いいたします」

「偵察部隊は先行して要塞付近に陣を敷く用意を。本隊は、負傷者以外は進軍の準備、支援部隊は負傷者への処置と戦後処理を。それぞれの部隊長は適宜僕に報告を頼む」

「かしこまりました」

 忙しそうな彼の様子を伺いつつ、そっと側から離れようとした瞬間、手首を取られる。
 振り返ると、ユーリが真剣な顔で俺を見つめていた。

「どこに行くつもり?」

「いや、忙しそうだったから、邪魔しちゃ悪いと思って」

「僕から離れないで。一段落したら、全て話してもらうから。それまで大人しく、僕のそばで待ってて。いいね?」

 やんわりとした口調ながら有無を言わせない声音に、俺は頷いて大人しく従った。
 
 騎士団本隊が要塞付近に本陣を敷き、ユーリの仕事が一段落したのは、夜もかなり更けて日付が変わった時刻だった。

 俺たちは馬に乗って、陣から少し離れた森の中を並んで進む。
 お互いなんとなく『話すのは今じゃない』と思って、道中はほとんど無言だった。

 うっそうと生い茂る木々の中を走ると、ぱっと視界が開けて、巨大な湖が広がる場所にたどり着いた。
 
 青白い月明かりに照らされて、水面がキラキラと光っている。
 馬から降りて、俺たちは湖のほとりをゆっくりと歩いた。

 少し強い風が吹いて、木々がざぁと音を立てて揺れる。
 木々のわざめきが穏やかになった時、俺は思い切って言葉を絞り出した。

「ユーリ。俺、お前に嘘をついていたんだ。忘れたなんて嘘だ。俺は、お前との記憶をなくしたふりして、お前から離れようとした。ごめん。沢山傷つけて、酷いことをした。ごめん……ごめん、なさい」

 俺の言葉に怒るでも、呆れるでもなく、ユーリはただ真剣な顔で俺の表情を見ていた。
 そして彼はこちらに近づくと、俯く俺の頬に優しく手を添えて、少し上を向かせる。

 綺麗な彼の瞳の中に、泣きそうな自分の顔が映っていた。

 ユーリは落ち着いた声で「僕から離れようとしたの?」と問いかけてきた。
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