上 下
44 / 46

33話 伝わらない

しおりを挟む


『……嫌ならそうと示してくれればよいものを……白竜は我に追いかけられるのが好きなのだと思っていたのだが……』

『示していたつもりなんですけど……』

『やはり白竜は気性が大人しすぎる。はっきりと嚙みついて、拒絶されねば分からぬだろうが』

『いやむしろそうしなきゃ伝わらないことに吃驚ですが……』


 しょんぼりと項垂れた黒竜がいじけたように文句を言ってくるけれど、文句を言いたいのは私の方だった。
 嫌よ嫌よも好きのうち、という態度に見えていたらしい。理由は私が実力行使にでなかったから。……人間の記憶を持って生まれた私に分かるはずもない感覚だ。


『仕方ない、では白竜の大事なものをすべて壊すか。さすれば我らの元に戻るしかなくなるだろう』

『……は?』

『ヒトが居なくなれば竜以外を愛せはしまい』


 先ほどまでの彼の反応で、もしかすると話せば分かるのかと期待した。しかしそうではなかった。やはり竜は竜でしかない。
 黒竜は私を連れ戻すためにヒトを滅ぼそうと考えたらしい。そしてその最初の獲物は、眼前の街だろう。

(止めなきゃ。……力で、止めなきゃ。……力で分からせようなんて、結局私も竜でしかないな)

 黒竜の思い通りにさせる訳にはいかない。私は街を壊さぬよう飛び越えて、黒竜に飛び掛かった。思い切り彼に体当たりして、街から無理やり引き離す。黒竜の体は吹き飛びながら周囲の木々をなぎ倒し、砂ぼこりが舞った。
 慣れないことをして目測を誤ったのか、黒竜の角が翼に食い込んで破れ、痛みを覚える。……生物として最強の白竜の体とはいえ、弱点属性の黒竜が原因であれば簡単に傷を負ってしまう。


『やらせませんよ。……本気で抗います』

『……大人しい白竜がここまでやるか。本当に、ヒトしか愛さぬのか』


 むくりと起き上がった黒竜はとても残念そうな顔で私を見ていた。私の突進で角が刺さったようで、彼の体にも傷がついている。黒い鱗が剥がれかけている部分から肉が裂けているのが見えた。
 私たちはお互いが弱点となる竜であるため、物理攻撃であっても簡単に傷がつく。……殺し合うことすらできてしまう。しかしそんなことをしたら、ただの怪物だ。


『私はヒトが好きだし、ヒトを傷つけるものは愛せない。……ヒトを滅ぼしたりなんてしたら、黒竜を憎むしかなくなる。そうは、なりたくないですよ。……これでも同族ですからね』

『…………そうか、それほどか。おぬしに憎まれてはたまらぬな。……しかし白竜よ、我らは竜だ。ヒトと生きていくには違いすぎる』

『……分かっていますよ』


 そんなことは分かっている。分かった上で、私はヒトと共に生きることを選んだ。
 私は属性竜同族と生きてはいけない。ヒトと共に生きる以外の道などないのだ。それがどれほど険しく、針の山を登るような道であったとしても。そのようにしか生きられないから”私”なのである。


『……白竜よ、しばらく頭を冷やして、もう一度考えてみよ。頭に血が上っているようだ。また会う時には答えが変わっていることを祈る』


 そう言い残して黒竜は上空へと舞い上がった。私は羽に穴が空いたままなので、この状態では飛ぶのは難しい。のしのしと歩いて移動すれば自然を破壊しまくるので、どうしたものか。

(……あ、そっか。目くらまししてヒトの姿になれば、消えたことになるか)

 振り返って街を見る。こちらを見ている人々はまだ大勢いる。どこかにリュカもいるかもしれないが、目が合ったら困るので探しはしなかった。
 大きく息を吸い、街に向けて治癒と膂力向上の効果を乗せた息吹を吐きかけた。黒竜の炎は打ち消したけれど、もしかすると間に合わず怪我をした人がいるかもしれない。あの竜の炎は呪いを振りまいて、治さなければジワジワと身を蝕んでいくのだ。膂力向上は、迷惑をかけた彼らに対してせめてもの詫び、復興支援である。
 真っ白な光に包まれてヒトの目がくらんでいるうちに、私は精霊に語り掛けた。


『契約した魔法をお願いします』

『いいよ』


 そうしてヒトの姿に変わったところで気づく。……そういえば服を着たまま変化したから、全部破れて落ちたのだ。完全に全裸である。
 そのあたりの植物を使って簡単な服でも作らないと、人前には出られない。ここから離れるにしてもヒトの形をしている以上、全裸という訳にはいかないだろう。だが体を動かそうとすると背中が痛み、その場にしゃがみ込んでしまった。

(うう……すごく痛い……身体を圧縮したら痛みも圧縮されてない……?)

 背中のあたりが痛いのは、破かれた翼の分だと思う。内側がずきずきとしている。息吹の上に変化もしたので魔力の消耗は激しいが、魔法を使って治した方がいいかもしれない。……痛みなどほとんど感じた覚えのない竜の体は、痛みに弱いらしい。かなり辛い。これは少し予想外だ。

(治さないと、動けないかも……っ)

 座り込んだ状態でまずは体を治癒した。しかし黒竜から受けた傷を治すのには思った以上に魔力を必要として、めまいがしてくる。……傷を治しても暫く動けそうにないとは。
 前回は氷雪竜の魔力が漂っていたからすぐ回復できたのだ。今は黒竜や自分の息吹の残滓くらいしか吸収できるものがなく、しばらくかかりそうだ。

(はやく移動しないと……誰かに見つかったら……)

 白竜のいた場所に蹲る全裸のヒト。白竜を彷彿とさせる白い髪と金の瞳。さすがに怪しいだろう。移動するべきだ。
 だが魔力が足りずに、まともに動けない。歩きたくても今動けば魔力障壁の操作を誤って、地面に穴を開けるだろう。そんな足跡を残せばもっと不審がられる。

(誰も、来ないでくれるといいんだけど……)

 そんな私の願いは届かなかった。誰かの軽快な足音が近づいてくる。とてつもない速度で駆けてきた人物から隠れる時間などなかった。
 現れたのは金の髪に翠玉の瞳を持つ、見慣れたエルフの青年。……予想通りの人物ではあった。彼の顔を見ることができずにすぐに目を逸らす。彼が私を睨む姿など、見たくない。

(……え?)

 ふわりと自分の体に何かがかぶさったことに驚いて、顔を上げないように視線を動かす。見慣れたマントが目に入った。……どうやらリュカは自分のマントを私にかけてくれたらしい。


「具合が悪そうだが、どうしたんだ」

「……魔力、少なくて……」

「……それなら、これを」


 硬い声色だがリュカの声から敵意のようなものは感じない。彼から差し出された丸薬は魔力を補う効果のあるもので、私はそれを受け取ってすぐに飲み込んだ。……ヒトのためのものであって、そこまで劇的な効果がある訳ではない。それでもめまいは引いていき、普通に座ったまま休むくらいはできるようになった。
 それでも彼の顔を見ることができないままだ。今、リュカはどんな顔をしているだろう。座り込んで俯いたまま、膝の上で握っている拳の上にそっと手を重ねられて、驚きのあまり顔を上げた。思っていたよりも近くに翠玉色の瞳があって息を呑む。


「リュカ、あぶな……」

「こうしていれば私から逃げられないだろう。……優しいからな、君は」


 たしかに触れられていれば下手に動くと傷つけるかもしれないし、私は動けない。……こんなことをされなくても今の私は逃げることなどできないけれど。
 思わず見てしまったリュカの目に、憎悪や嫌悪の色はない。戸惑いと焦りのようなものは感じられるけれど、恐怖を感じることはなかったので、それにほっとしてしまった。


「私の話も聞いてくれ。……それまで逃げないでほしい」

「そうだよね……ちゃんと聞かないと卑怯だよね……。うん、分かったよ。……どうせ逃げられないから、危ないし離れてよリュカ。怪我、させたくないよ」

「……ああ、分かった」


 リュカの手がゆっくり離れていく。しかし距離を開ける気はないようで、その場に腰を下ろしてしまった。少しでも動いたらぶつかってしまってもおかしくはない。……本当に私を逃がしたくないのだろうと思う。一度逃げるような台詞を吐いて、実際に離れるつもりだったので言い訳もできないが。


「以前、君に……私のことが嫌になったらパーティーを解消するようにと言ったのを覚えてるか?」

「うん。覚えてるよ」

「……私のことが、嫌いになったのか?」

「違うよ、リュカのことは好き。……だから、リュカに嫌われるのが怖くて……」


 嫌われているとはっきり理解させられる前に逃げ出したくなったし、そうしようとしていた。考えてみれば不義理だし、彼の恨み言の一つも聞かないというのはずるいことだ。……まさか自分の心がこんなに脆弱だったなんて思わなかった。


「君は、私が君のことを嫌うならパーティーを解消するように言ってほしいと、そう言ったな」

「……うん」

「……私が君のことを嫌っていないなら、このままでいいんだな?」

「う、ん……?」


 予想外のことを言われて、あまり理解できないままリュカの顔を見た。彼はどこか安心したように笑っていて、その表情はあまりにもいつも通りの彼で、秘密を知られる前と変わらない。……いや、それよりももう少し優しい顔をしているように見える。


「お互いにパーティーを解消する気はない。……ならこれからも、二人で冒険者をやろう」

「……リュカ……」

「竜は嫌いだ。……君のことを傷つけた黒竜なんて特に、許せそうにない。……だがスイラ、私はやはり君が好きだ。君と離れたいだなんて思わないから、君も私を置いていなくなるのはやめてくれ」


 じわりと視界が滲む。今度は悲しい訳ではなく、別の意味で感情が溢れようとしていた。
 時間をかけて伝えようとしていた秘密をこんな形で打ち明けることになって、彼を裏切ったも同然だと思っていた。嫌われても仕方がないと諦めていた。……こんな状況でも受け入れてくれるなんて、考えてもいなかった。


「……池ができるほど泣いたんだ、これ以上泣くと体に響くぞ」

「嬉し泣きはいいんじゃないかなぁ……」

「涙が流れることに違いはないだろう?」


 取り出したハンカチを、目元に軽く押し当てながらリュカが微笑んでいる。私はそんな彼に精一杯の笑顔を向けた。


「リュカ、大好き。これからも一緒に冒険者、やろうね」


 すると今度はリュカが息を呑んだ。そして数秒後、声を上げて可笑しそうに笑いだす。……そんなに笑われるような台詞は言っていないつもりなのだが。こんなに笑う彼は初めて見た。


「ああ全く……私は君が好きだな」

「うん、知ってるよ」

「いいや、知らないな。伝わっていない。……だが、どうせ時間はたくさんある。時間をかけて伝えていくから、今はいい」


 よく分からないことを言われて首を傾げた。竜である私を、今まで通り好きでいてくれる仲間。ちゃんと伝わっているのに、何故そんなことを言うのだろう。


「そろそろ動けるか? 動けるなら服を着てほしい。……君の荷物は拾ってある」

「あ、うん。もう大丈夫、着替えるね。マント、ありがとう」

「……着替えるまで貸すから脱ごうとしないでくれ。ヒトらしくするなら裸体には恥じらいを持つべきだぞ、スイラ」

「あ、そうだよね。分かった!」


 私の正体を知ったリュカは、この先何より心強い味方になってくれそうだ。嬉しくてたまらず笑顔になる私に、彼は困ったように笑って、仕方がなさそうに小さな息を吐いた。


しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~

おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。 どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。 そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。 その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。 その結果、様々な女性に迫られることになる。 元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。 「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」 今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

異世界召喚に条件を付けたのに、女神様に呼ばれた

りゅう
ファンタジー
 異世界召喚。サラリーマンだって、そんな空想をする。  いや、さすがに大人なので空想する内容も大人だ。少年の心が残っていても、現実社会でもまれた人間はまた別の空想をするのだ。  その日の神岡龍二も、日々の生活から離れ異世界を想像して遊んでいるだけのハズだった。そこには何の問題もないハズだった。だが、そんなお気楽な日々は、この日が最後となってしまった。

冷徹口無し公爵の声は偽耳令嬢にしか聴こえない

Mikura
恋愛
 伯爵家の令嬢であるメルアンには精霊の声が聞こえる。 だが幼い頃にいたずら好きの精霊の言葉を信じた結果「偽耳令嬢」と蔑まれるようになり、評判の悪さから社交の場に出られなくなっていた。 そんな彼女はある日、無口で恐ろしいと噂の「口無し公爵」ウルベルトの婚約者探しのパーティーに招待されることに。仕方なく参加したそのパーティーでメルアンは悪態をつくウルベルトの声を聞いた。 しかしどうやらその声はメルアンにしか聞こえていなかったらしい。ウルベルトは自分の声を聞ける唯一の存在であるメルアンに求婚するが――。 「貴方は口が悪すぎます。お断りです」 『では、これからは悪態をつく代わりにお前への愛を囁くことにしよう』 「他の者に聞こえないからと、人前でそのような発言はやめてください!」 求婚を断ったメルアンに、今度は「精霊が起こす問題の解決を手伝ってほしい」と持ち掛けてくるウルベルト。 成り行きで協力することになり、最初は口の悪い彼を受け入れられないメルアンだが、共に過ごすうちに少しずつ……。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

大工スキルを授かった貧乏貴族の養子の四男だけど、どうやら大工スキルは伝説の全能スキルだったようです

飼猫タマ
ファンタジー
田舎貴族の四男のヨナン・グラスホッパーは、貧乏貴族の養子。義理の兄弟達は、全員戦闘系のレアスキル持ちなのに、ヨナンだけ貴族では有り得ない生産スキルの大工スキル。まあ、養子だから仕方が無いんだけど。 だがしかし、タダの生産スキルだと思ってた大工スキルは、じつは超絶物凄いスキルだったのだ。その物凄スキルで、生産しまくって超絶金持ちに。そして、婚約者も出来て幸せ絶頂の時に嵌められて、人生ドン底に。だが、ヨナンは、有り得ない逆転の一手を持っていたのだ。しかも、その有り得ない一手を、本人が全く覚えてなかったのはお約束。 勿論、ヨナンを嵌めた奴らは、全員、ザマー百裂拳で100倍返し! そんなお話です。

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

元剣聖のスケルトンが追放された最弱美少女テイマーのテイムモンスターになって成り上がる

ゆる弥
ファンタジー
転生した体はなんと骨だった。 モンスターに転生してしまった俺は、たまたま助けたテイマーにテイムされる。 実は前世が剣聖の俺。 剣を持てば最強だ。 最弱テイマーにテイムされた最強のスケルトンとの成り上がり物語。

処理中です...