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33話 伝わらない
しおりを挟む『……嫌ならそうと示してくれればよいものを……白竜は我に追いかけられるのが好きなのだと思っていたのだが……』
『示していたつもりなんですけど……』
『やはり白竜は気性が大人しすぎる。はっきりと嚙みついて、拒絶されねば分からぬだろうが』
『いやむしろそうしなきゃ伝わらないことに吃驚ですが……』
しょんぼりと項垂れた黒竜がいじけたように文句を言ってくるけれど、文句を言いたいのは私の方だった。
嫌よ嫌よも好きのうち、という態度に見えていたらしい。理由は私が実力行使にでなかったから。……人間の記憶を持って生まれた私に分かるはずもない感覚だ。
『仕方ない、では白竜の大事なものをすべて壊すか。さすれば我らの元に戻るしかなくなるだろう』
『……は?』
『ヒトが居なくなれば竜以外を愛せはしまい』
先ほどまでの彼の反応で、もしかすると話せば分かるのかと期待した。しかしそうではなかった。やはり竜は竜でしかない。
黒竜は私を連れ戻すためにヒトを滅ぼそうと考えたらしい。そしてその最初の獲物は、眼前の街だろう。
(止めなきゃ。……力で、止めなきゃ。……力で分からせようなんて、結局私も竜でしかないな)
黒竜の思い通りにさせる訳にはいかない。私は街を壊さぬよう飛び越えて、黒竜に飛び掛かった。思い切り彼に体当たりして、街から無理やり引き離す。黒竜の体は吹き飛びながら周囲の木々をなぎ倒し、砂ぼこりが舞った。
慣れないことをして目測を誤ったのか、黒竜の角が翼に食い込んで破れ、痛みを覚える。……生物として最強の白竜の体とはいえ、弱点属性の黒竜が原因であれば簡単に傷を負ってしまう。
『やらせませんよ。……本気で抗います』
『……大人しい白竜がここまでやるか。本当に、ヒトしか愛さぬのか』
むくりと起き上がった黒竜はとても残念そうな顔で私を見ていた。私の突進で角が刺さったようで、彼の体にも傷がついている。黒い鱗が剥がれかけている部分から肉が裂けているのが見えた。
私たちはお互いが弱点となる竜であるため、物理攻撃であっても簡単に傷がつく。……殺し合うことすらできてしまう。しかしそんなことをしたら、ただの怪物だ。
『私はヒトが好きだし、ヒトを傷つけるものは愛せない。……ヒトを滅ぼしたりなんてしたら、黒竜を憎むしかなくなる。そうは、なりたくないですよ。……これでも同族ですからね』
『…………そうか、それほどか。おぬしに憎まれてはたまらぬな。……しかし白竜よ、我らは竜だ。ヒトと生きていくには違いすぎる』
『……分かっていますよ』
そんなことは分かっている。分かった上で、私はヒトと共に生きることを選んだ。
私は属性竜と生きてはいけない。ヒトと共に生きる以外の道などないのだ。それがどれほど険しく、針の山を登るような道であったとしても。そのようにしか生きられないから”私”なのである。
『……白竜よ、しばらく頭を冷やして、もう一度考えてみよ。頭に血が上っているようだ。また会う時には答えが変わっていることを祈る』
そう言い残して黒竜は上空へと舞い上がった。私は羽に穴が空いたままなので、この状態では飛ぶのは難しい。のしのしと歩いて移動すれば自然を破壊しまくるので、どうしたものか。
(……あ、そっか。目くらまししてヒトの姿になれば、消えたことになるか)
振り返って街を見る。こちらを見ている人々はまだ大勢いる。どこかにリュカもいるかもしれないが、目が合ったら困るので探しはしなかった。
大きく息を吸い、街に向けて治癒と膂力向上の効果を乗せた息吹を吐きかけた。黒竜の炎は打ち消したけれど、もしかすると間に合わず怪我をした人がいるかもしれない。あの竜の炎は呪いを振りまいて、治さなければジワジワと身を蝕んでいくのだ。膂力向上は、迷惑をかけた彼らに対してせめてもの詫び、復興支援である。
真っ白な光に包まれてヒトの目がくらんでいるうちに、私は精霊に語り掛けた。
『契約した魔法をお願いします』
『いいよ』
そうしてヒトの姿に変わったところで気づく。……そういえば服を着たまま変化したから、全部破れて落ちたのだ。完全に全裸である。
そのあたりの植物を使って簡単な服でも作らないと、人前には出られない。ここから離れるにしてもヒトの形をしている以上、全裸という訳にはいかないだろう。だが体を動かそうとすると背中が痛み、その場にしゃがみ込んでしまった。
(うう……すごく痛い……身体を圧縮したら痛みも圧縮されてない……?)
背中のあたりが痛いのは、破かれた翼の分だと思う。内側がずきずきとしている。息吹の上に変化もしたので魔力の消耗は激しいが、魔法を使って治した方がいいかもしれない。……痛みなどほとんど感じた覚えのない竜の体は、痛みに弱いらしい。かなり辛い。これは少し予想外だ。
(治さないと、動けないかも……っ)
座り込んだ状態でまずは体を治癒した。しかし黒竜から受けた傷を治すのには思った以上に魔力を必要として、めまいがしてくる。……傷を治しても暫く動けそうにないとは。
前回は氷雪竜の魔力が漂っていたからすぐ回復できたのだ。今は黒竜や自分の息吹の残滓くらいしか吸収できるものがなく、しばらくかかりそうだ。
(はやく移動しないと……誰かに見つかったら……)
白竜のいた場所に蹲る全裸のヒト。白竜を彷彿とさせる白い髪と金の瞳。さすがに怪しいだろう。移動するべきだ。
だが魔力が足りずに、まともに動けない。歩きたくても今動けば魔力障壁の操作を誤って、地面に穴を開けるだろう。そんな足跡を残せばもっと不審がられる。
(誰も、来ないでくれるといいんだけど……)
そんな私の願いは届かなかった。誰かの軽快な足音が近づいてくる。とてつもない速度で駆けてきた人物から隠れる時間などなかった。
現れたのは金の髪に翠玉の瞳を持つ、見慣れたエルフの青年。……予想通りの人物ではあった。彼の顔を見ることができずにすぐに目を逸らす。彼が私を睨む姿など、見たくない。
(……え?)
ふわりと自分の体に何かがかぶさったことに驚いて、顔を上げないように視線を動かす。見慣れたマントが目に入った。……どうやらリュカは自分のマントを私にかけてくれたらしい。
「具合が悪そうだが、どうしたんだ」
「……魔力、少なくて……」
「……それなら、これを」
硬い声色だがリュカの声から敵意のようなものは感じない。彼から差し出された丸薬は魔力を補う効果のあるもので、私はそれを受け取ってすぐに飲み込んだ。……ヒトのためのものであって、そこまで劇的な効果がある訳ではない。それでもめまいは引いていき、普通に座ったまま休むくらいはできるようになった。
それでも彼の顔を見ることができないままだ。今、リュカはどんな顔をしているだろう。座り込んで俯いたまま、膝の上で握っている拳の上にそっと手を重ねられて、驚きのあまり顔を上げた。思っていたよりも近くに翠玉色の瞳があって息を呑む。
「リュカ、あぶな……」
「こうしていれば私から逃げられないだろう。……優しいからな、君は」
たしかに触れられていれば下手に動くと傷つけるかもしれないし、私は動けない。……こんなことをされなくても今の私は逃げることなどできないけれど。
思わず見てしまったリュカの目に、憎悪や嫌悪の色はない。戸惑いと焦りのようなものは感じられるけれど、恐怖を感じることはなかったので、それにほっとしてしまった。
「私の話も聞いてくれ。……それまで逃げないでほしい」
「そうだよね……ちゃんと聞かないと卑怯だよね……。うん、分かったよ。……どうせ逃げられないから、危ないし離れてよリュカ。怪我、させたくないよ」
「……ああ、分かった」
リュカの手がゆっくり離れていく。しかし距離を開ける気はないようで、その場に腰を下ろしてしまった。少しでも動いたらぶつかってしまってもおかしくはない。……本当に私を逃がしたくないのだろうと思う。一度逃げるような台詞を吐いて、実際に離れるつもりだったので言い訳もできないが。
「以前、君に……私のことが嫌になったらパーティーを解消するようにと言ったのを覚えてるか?」
「うん。覚えてるよ」
「……私のことが、嫌いになったのか?」
「違うよ、リュカのことは好き。……だから、リュカに嫌われるのが怖くて……」
嫌われているとはっきり理解させられる前に逃げ出したくなったし、そうしようとしていた。考えてみれば不義理だし、彼の恨み言の一つも聞かないというのはずるいことだ。……まさか自分の心がこんなに脆弱だったなんて思わなかった。
「君は、私が君のことを嫌うならパーティーを解消するように言ってほしいと、そう言ったな」
「……うん」
「……私が君のことを嫌っていないなら、このままでいいんだな?」
「う、ん……?」
予想外のことを言われて、あまり理解できないままリュカの顔を見た。彼はどこか安心したように笑っていて、その表情はあまりにもいつも通りの彼で、秘密を知られる前と変わらない。……いや、それよりももう少し優しい顔をしているように見える。
「お互いにパーティーを解消する気はない。……ならこれからも、二人で冒険者をやろう」
「……リュカ……」
「竜は嫌いだ。……君のことを傷つけた黒竜なんて特に、許せそうにない。……だがスイラ、私はやはり君が好きだ。君と離れたいだなんて思わないから、君も私を置いていなくなるのはやめてくれ」
じわりと視界が滲む。今度は悲しい訳ではなく、別の意味で感情が溢れようとしていた。
時間をかけて伝えようとしていた秘密をこんな形で打ち明けることになって、彼を裏切ったも同然だと思っていた。嫌われても仕方がないと諦めていた。……こんな状況でも受け入れてくれるなんて、考えてもいなかった。
「……池ができるほど泣いたんだ、これ以上泣くと体に響くぞ」
「嬉し泣きはいいんじゃないかなぁ……」
「涙が流れることに違いはないだろう?」
取り出したハンカチを、目元に軽く押し当てながらリュカが微笑んでいる。私はそんな彼に精一杯の笑顔を向けた。
「リュカ、大好き。これからも一緒に冒険者、やろうね」
すると今度はリュカが息を呑んだ。そして数秒後、声を上げて可笑しそうに笑いだす。……そんなに笑われるような台詞は言っていないつもりなのだが。こんなに笑う彼は初めて見た。
「ああ全く……私は君が好きだな」
「うん、知ってるよ」
「いいや、知らないな。伝わっていない。……だが、どうせ時間はたくさんある。時間をかけて伝えていくから、今はいい」
よく分からないことを言われて首を傾げた。竜である私を、今まで通り好きでいてくれる仲間。ちゃんと伝わっているのに、何故そんなことを言うのだろう。
「そろそろ動けるか? 動けるなら服を着てほしい。……君の荷物は拾ってある」
「あ、うん。もう大丈夫、着替えるね。マント、ありがとう」
「……着替えるまで貸すから脱ごうとしないでくれ。ヒトらしくするなら裸体には恥じらいを持つべきだぞ、スイラ」
「あ、そうだよね。分かった!」
私の正体を知ったリュカは、この先何より心強い味方になってくれそうだ。嬉しくてたまらず笑顔になる私に、彼は困ったように笑って、仕方がなさそうに小さな息を吐いた。
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