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26.5話 エルフの迷い

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 氷雪竜の討伐を終え、合同パーティーは解散した。スイラの活躍であまりにもあっけなく下位竜の討伐が済んでしまい、肩透かしを食らったような気分である。

(竜があれだけ簡単に……スイラの力はヒトの域を超えているかもしれない)

 もしかしたらいつか本当に、属性竜ですら狩ってしまうかもしれない。そんな勝手な期待を抱くほど、彼女は圧倒的だった。
 しかしこの討伐が終わったということはリュカも覚悟せねばならない。スイラに過去を話し――どのような反応をされても受け入れる覚悟だ。
 誰にも邪魔をされず、静かに話せるだろう場所を探して二人で歩く。言葉を交わしていなくても二人でいられるだけで嬉しい反面、久々に二人だけで過ごせるのに面白くもない話をしなければならないのは気が重い。


「ここなら邪魔は入らないな」

「そうだねぇ」


 街から離れ、平原に流れる川のほとりで足を止める。振り返った先にはいつも通りのスイラ。儚げに見える愛らしい容姿の、ハーフエルフ。
 その黄金の目から感じられる親愛の情に、偽りはないと思っている。だから、それを失ったらと思うと本当に怖い。


「話したいことがある、と言ったのは覚えてるか?」

「うん、もちろん」

「……その話をしたい。聞いてくれるだろうか」

「どんな話でも聞くよ」


 リュカの緊張が移ったのか、彼女も少しばかり表情が硬い。しかしどのような話でも聞くと言ってくれたのだから、話そう。
 リュカがエルフの集落へ入れない理由。同胞を失った理由。瞼の裏に焼き付いた、忘れることなどできない光景。


「私の故郷はある日突然、なくなった。……黒い竜が、私の住む場所も同胞もすべて、焼き尽くした。私だけが生き残ったんだ」


 竜に故郷を滅ぼされたことを話したその瞬間、スイラの表情がはっきりと変わった。彼女は元々、感情を隠せるタイプではない。驚愕と、酷く傷ついたような――今までに見たことのない、悲痛な顔をした。
 リュカの心情を思い遣って、悲しんでいるのだろうか。それなら安心させたいと笑みを作って語ったが、意味はなかったらしい。話をすればするほど、黄金の目から涙は出ていなくとも、今にも泣きそうな顔になっていく。……これは、竜の話で怖がらせてしまったということか。


「君といるのが楽しくて、なかなか言い出せなかった。……すまない」

「……リュカが謝る必要なんてないよ」

「……でも、竜は恐ろしいだろう?」

「竜を恐ろしいと思ったことは一度もないよ」

 
 ずっと泣きそうな顔のまま、スイラが答える。リュカにはそんなスイラが怯えているように見えた。竜に恐怖を感じないと言いながらも、その目に映る恐れは消えない。……彼女であっても、属性竜は怖い存在なのかもしれない。
 しかし、同族のようにリュカを拒絶するそぶりは見せない。竜に襲われるかもしれないから近づくなと言った同胞の目にははっきりと拒絶の色があった。彼女のようにリュカの境遇を悲しむのではなく、自分たちの安全を優先したのである。それが間違いとは思わないが、リュカにとってはただひたすら辛いものだった。

(君はやはり優しいな。……嫌われなかっただけで、充分だ)

 怖がっている彼女から「一緒に居られない」と言われるならそれも仕方がない。最初からそのつもりでパーティーを組んだ。だがあの頃よりもずっと、リュカはスイラといることを望んでいる。その言葉を聞いたら、耐えられないかもしれない。

(エルフの恋愛感情は厄介だな。他人種のような肉欲は薄いのに、相手に依存しているみたいだ。……伴侶を失くしたエルフがすぐに後を追う気持ちが分かってしまう)

 恋した相手と共に過ごせれば満足だが、それができなくなるのは余程苦痛らしい。リュカも一度孤独を知って、それを癒されて、恋をしてしまった。……もう一度孤独に戻るというより、スイラと出会う前の環境に戻ることに耐えられる気がしない。生きる気力を手放してしまいそうだ。

(……私が自ら命をたったら彼女は傷つくだろうな。もし死ぬとしても事故でなければ)

 寿命のないエルフの死に方は、病か事故か自決である。死ぬなら魔物にやられて死ぬのが一番、リュカの死に方としては自然だろう。そんなことを考えるくらいにはリュカの気持ちは重いらしい。
 この感情は経験しなければ分からないものだ。……エルフの恋が穏やかだなんてとんでもない。表に出ない分深くて重たいだけだった。


「リュカは、竜を恨んでいるかな」


 しかしスイラは竜を恨んでいるか、という質問を続けてきた。意外な反応に少し驚きながら答える。彼女はずっと泣きそうな顔をしていたが、リュカとパーティーを解消するつもりはないように思えるのは個人的な願望からそう感じるのか、それとも。

(……君が泣きそうになっているのは、何か別の理由があるのか? 竜ではない、別の何かを恐れているのか?)

 スイラと出会ってからずっと一緒に居たとはいえ、その期間はまだ一年足らず。仲間としていくつも言葉を交わしたけれど、リュカがいままで過去を話せなかったように、スイラにも話せない何かしらの事情があるらしいことは察していた。
 彼女も依頼が終わったら話すことがあると言っていたので、今度はリュカがそれを聞く番だろう。何を聞いても受け入れるつもりで、尋ねた。


「私の話を聞いてくれてありがとう。……君も話があるんだろう?」

「……私の話は……今日は、やめておくよ」


 話すつもりであった内容を話せなくなったということは何か心境の変化があったようだ。もしかすると彼女の信頼の一部を失ってしまったのだろうか。……これだけ大きな隠し事をしていたのだから仕方がないことだが。


「リュカ、街に戻ろう。もう日が暮れてしまうよ」


 しばらく無言の時が流れたのち、スイラに声を掛けられて驚いた。
 竜の報復を恐れて離れる判断をしたって、恨みはしないのに。こんな隠し事をしていて、信頼を失くしたからパーティを抜けると言われたって仕方がないとも思っていたのに。……本当にまだ、一緒に居てくれるつもりらしい。


「……いいのか?」

「うん」


 本当にいいのかと、このまま共に冒険者を続けてもいいのかと尋ねた。頷く彼女の黄金の瞳には嘘がない。……ただ、悲しげな光が宿ったまま消えなくなってしまった。

(こんな顔をさせたかった訳ではない。……笑っていてほしいのにな)

 やはり話すべきではなかったのだろうか。しかし、話さなければならない事であったと思う。ただそれでも笑顔が似合うスイラにこんな顔をさせてしまったことには、強い罪悪感を抱く。


「スイラ、私は少し風に当たってから戻ろうと思う」

「……そう、分かったよ。それなら宿で待っているから」


 待っている。スイラのその言葉で、喜んでしまった自分が情けない。街へと戻っていく小さな背中を見送って、そのあたりのちょうどいい岩に腰かけてため息を吐く。

(情けないな。……自分が嫌になる)

 スイラはリュカの話を聞いて深く傷つき、悲しんだ。リュカの境遇を憐れんでくれたのか、ずっとこの事実を隠されていたことに傷付いたのかは分からない。しかし彼女を悲しめているのは事実だろう。
 彼女を傷つけておいて、それでも受け入れてくれたことに喜ぶ資格はないはずだ。……拒絶されなかったからと、今まで通りのうのうと過ごすことは許されないと思う。しかし、今のリュカがスイラのために何をできるだろうか。

(……しばらく、時間を空けるか。スイラも落ち着きたいだろうから)

 リュカの顔を見ればスイラはまた悲しんでしまうかもしれない。そうしてそのまま時が経つのを待っているとあっという間に夜が過ぎていった。
 三百年ほどの時間を生きると数時間など本当に短く感じる。そろそろ宿に戻ろうと立ち上がった時、突風が吹き抜けた。

 街の方角。夜の暗闇で見えにくいが、その一部だけが暗く陰っている。その中で時折大きく光るものが見えて、唖然とした。
 ここは街から離れているため強い風が吹くくらいだが、街だけを飲み込むように嵐が発生していた。驚いて固まるリュカの頭上を、二つの巨大な影が通り過ぎていく。

(属性竜……!?)

 この世に七体だけ存在する、属性を司る竜。リュカの故郷を滅ぼしたのもこのうちの一体だ。彼らは突然人の領域に訪れては、いたずらに命を奪っていく天災である。
 それが二体同時に現れ、どうやらあの街を襲ったらしかった。遠目からでも巨大な竜巻に巻き上げられた建物が雷の光に照らされて見えて、リュカは全身が冷たくなるような恐怖を覚えながら走り出した。

 あの街にはスイラがいる。さすがの彼女でも、竜の魔法を食らえば無事ではいられないかもしれない。
 街に近づくほどに風が強まり、雨も強くなる。視界もまともに見えぬ中、倒壊した建物を避けて宿の裏口へとたどり着いた。

 宿が無事でよかったと胸をなでおろしたのもつかの間、二人で借りている部屋にはスイラがいなかった。

(なぜ……どこへ)

 一瞬、スイラはリュカを置いて出て行ってしまったのかと思った。しかし彼女は「待っている」と言ったのだ。……約束を違えるような人ではない。


「すみませんが、私の仲間を見ませんでしたか」

「え、ああ、リュカ……ええと、はい。見ましたよ。この嵐の中外に飛び出して行ってしまいましてね……」


 どうやらすれ違ってしまったらしい。彼女は彼女で、戻らないリュカを心配してくれたのだろう。あちらこちらの道が塞がっていて遠回りしたせいで、会えなかったに違いない。
 またすれ違わないよう宿で待つべきか、それとももう一度河原へ向かうか。悩みながら外を見たリュカは、嵐がすでにやんでいることに気づいた。

 外に出てみると、日が昇る時間なのか辺りが明るくなってきている。明かりにさらされた街は――ほんのひと時の間に、破壊し尽くされていた。

 
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