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4.5話 エルフの冒険者リュカ
しおりを挟むリュカは傷だらけの体を引きずりながら、魔物の生息区から離れようと歩いていた。S級冒険者として長く活動してきた自分もここで終わりかもしれない。そう思いつつも最後までは足搔くつもりで、人のいる場所を目指す。
(……しくじったな。運が悪かった)
請け負った依頼自体は完了している。ヒュドラと呼ばれる、九つの頭を持った下位竜の討伐だった。
ヒュドラは再生力が高い上に複数種類の毒を使う魔物で、非常に厄介な存在だ。これが街に流れる川の水源に住み着いたせいで、人々がその毒に侵され大変な被害が起きた。
汚染の影響を考えるとできるだけ早い討伐が望まれる。近場にいた実力のある冒険者はリュカだけだったため、他のパーティーと合流することなく討伐へ向かった。リュカの実力ならそれでも依頼をこなせるというギルドの判断だったし、リュカ自身も竜には個人的な恨みがあり、討伐できる自信もあって引き受けたのだが。
(氷狼の群れに遭うとは……)
討伐は終えたが身に受けたヒュドラの毒は強力で、解毒薬の効き目が鈍かった。痺れが残る体で帰路につくのは危険だとその場に留まり回復を待っていたのだが、なんとそこに氷狼の群れが現れたのだ。
本来ならヒュドラのような大型で力の強い魔物の縄張りに、他の魔物は近づかない。討伐したとはいえ、直後であれば魔物たちの縄張り認識は変わらないはずである。故に安全であったはずのその場所に何故か氷狼の群れが駆け込んできて、長い戦闘のあとで疲弊しているリュカに襲いかかってきた。
おかげで得意の武器である弓を失い、ナイフと魔法だけでなんとか切り抜けたはいいが、逃げた先で今度は岩竜の群れに遭った。……あまりにも運が悪い。自分はやはり、竜と因縁があるようだ。
(……私もここまでか)
エルフとして生まれ、三百年。冒険者として活動したのは、二百年程度だろうか。もう充分生きたと、言えるのかもしれない。
故郷を失い、同族から遠ざけられ、外に出てもエルフ以外の人種とも上手くなじめなかった。せめて誰かと生きられないかと思っていたが、一人で死ぬらしい。
脚をやられたのでもう逃げられない。じりじりと後ずさり、木の幹が背に当たる。まるであざ笑うかのように短く鳴いた岩竜は、牙を剥きだしにしてリュカに狙いを定め――突然、上から降ってきた何者かのせいで岩竜は土煙に飲まれた。
(何が、起こった……?)
煙が晴れて真っ先に目についたのは白だ。それは上空より急降下してきた少女の髪の色であり、小柄なその少女が堅い鱗を持つ岩竜の、もっとも硬いはずの頭部を踏み砕いていた。
(は……?)
目を疑う光景だ。ナイフも通らない堅い鱗を持つ下位竜の頭を、どうやったら足だけで潰せるのか。骨や筋を痛めて当然の衝撃を受けたはずだが、その少女は何事もなかったように立っていた。
下位竜はその姿に強者の風格を感じたのだろう。後ずさり、仲間の死体を置いて逃げ出す。それをじっと眺めていた少女がこちらを振り返り、光り輝くような金の瞳と目が合った。
――というのが、三時間前のことである。
文字通り突然降って現れた白髪の少女は「スイラ」と名乗り、現在リュカと共に人の街を目指して行動している。
日が暮れてきたため二人で野宿することになった。火を起こして四方に魔物避けの香を焚き、中心で火を起こす。気候的には春になって過ごしやすいが、夜の森は冷えるため焚火は必要だ。
その焚火で簡単なスープを作って振る舞うと、スイラは途端に泣きそうな顔になった。
「どうしました?」
「いえ……とても美味しくて、つい……」
「……たくさんありますので、遠慮なくどうぞ」
「ありがとうございます」
大変幸せそうな顔で、簡単に味を調えただけのスープを口に運ぶスイラを見ていると、余程酷い暮らしをしていたのかと想像してしまう。
彼女は祖父と二人きりで山暮らしをしていたらしい。着ている服も簡素なもので、年頃だというのに飾り気一つない。
(いや、年頃と言っても……ハーフエルフならそこまで若くはないか)
彼女の白い髪からは時折尖った耳先が覗く。エルフほど主張しないが、他種族にはない特徴。それは彼女がエルフと他の種が交じり合って生まれた存在であることを示している。その耳さえなければジン族に見えるので、ジン族との間の子だろう。
エルフは排他的な種族だ。極まれに他種族と交わる者もいるというが、そこから生まれた半端者のエルフを同族と見なさないことが多い。彼女もそうして里を追われた一人なのだろう。親を失ったか何かで祖父だけが彼女を想い、傍にいたのかもしれない。……そしてその祖父も亡くなり、一人になった彼女は仲間を求めて外に出てきた、という事情は容易に想像がつく。
最初に会ったのが同族で冒険者のリュカだったから、自分もできる仕事なのかと思ったに違いない。
「冒険者になりたいと言いましたね。貴女の実力なら難しくないでしょう。力さえあれば誰でもできるのが冒険者という仕事です。……出身や名前、年齢などは登録の際に聞かれますが隠してもかまいません」
「そうなのですか?」
「ええ。……どうやら貴女も訳アリのようですしね」
彼女がぎくりといった表情で一度肩を跳ねさせて、恐る恐るリュカの方を見る。何と分かりやすい反応だろうか。全く隠し事に向いていない。すでに見られたことにも気づいていないのか、髪をいじって耳を隠そうとしている。
その耳さえ見られなければスイラはジン族で通りそうな、種族の特徴がない容姿をしていた。純粋なエルフであるリュカに知られれば迫害されると考えているのだろう。
「……私はハーフエルフを迫害するつもりはありませんから、安心してください」
「え……」
「貴女も里を追い出された口でしょう。私も似たようなものです」
スイラは「冒険者リュカ」のことも「追放者リュカ」のことも知らないようだった。彼女からは他人種から向けられる羨望も嫉妬も、同族から向けられる嫌悪も憎悪も感じない。純粋に他人を見る視線が随分と久しぶりで、彼女の目に少しだけ安心している自分がいる。……それだけでも居心地がいいというのに、何より彼女は命の恩人だ。手助けをしたいと思うのは当然のことだろう。
「新米の冒険者には熟練の冒険者が指導するのですが……それは私が引き受けましょう。貴女が一人前になるまで、付き合いますよ」
「何から何まで申し訳ありません、ありがとうございます。とても助かります」
深々と頭を下げられて驚く。これはリュカの命を救った彼女に対する礼、対価であって感謝されるようなことではないはずだ。
それに言葉遣いもやたらと丁寧で、高慢なエルフらしくはない。ただこういった言葉遣いである方が、エルフは他人種に受け入れられやすいのも事実である。リュカとて多人種の中で生きるために丁寧な言葉遣いを心掛けているのだ。彼女の祖父もそう考えでこういった教育したのだろう。
「これは貴女に助けられたお礼なのですから、そのように頭を下げないでください」
「ああ、申し訳ありません。つい癖で……」
エルフは基本的に首を垂れない。誇り高いと言えば聞こえはいいが、自分たちは高潔であるという意識が高い種族だからだ。半分とはいえその血を引く彼女が頭を下げなれているというのは、つまりそういうことなのだろう。
(まともな食事もしたことがなさそうだしな。……しっかり一人で仕事ができるようになるまでは、面倒をみよう)
それは同情だったのか、それともリュカ自身が孤独でいることに疲れたせいか。半分とはいえ同族で、自分を嫌悪しない相手に会えたことが嬉しかったこともあり、彼女が一人前の冒険者になるまでは自分が手引すると決めた。
「リュカ様は有名な冒険者なのですよね。それでもあれほどの傷を負うとは……余程危険な魔物と戦ったのでしょうか? どのような魔物が危険なのか、教えて頂きたいです」
「たしかに厄介な魔物が相手ではありましたが、今回は……不運が重なりました。力があっても運が悪ければ命を落とします。それが冒険者です」
まともな戦闘を見たわけではないが、岩竜を踏み砕けるくらいだからスイラは自分の腕に自信があるだろう。七属性の精霊が彼女を好いているかのようについて回っていることからして、全属性の魔法を使えるに違いない。
空から降ってきて岩竜の頭を踏み砕いたあれも、何かしらの魔法を使ったはずだ。リュカも彼女の戦力は疑っていないが、どれほど実力のある冒険者でも不運に見舞われることはある。先達として、それを教えてやるべきだと思った。
「ヒュドラ討伐の依頼を終えたところに、氷狼の群れが現れましてね」
「……氷狼?」
「ええ。本来ならヒュドラの縄張りに入ってくるなどありえないのですが……」
スイラの表情が曇った。そうすると大層儚げで、思わず心配してしまうような雰囲気になる。エルフは顔立ちの整った者が多いのだが、美しいとは評されても愛らしさとは縁遠い。しかし彼女はハーフエルフのせいか、エルフとも少し違った顔立ちで愛らしさが強くでており、同族のエルフであるリュカですら庇護欲を掻き立てられてしまいそうになる。
「私のせいかもしれません……」
「……はい?」
「先日氷狼の群れを攻撃して逃げられたので、それがリュカ様のところへ向かったのかもしれません。申し訳ありません……」
沈んだ様子の彼女から予想外の言葉が飛び出した。その言葉通りなら氷狼の群れはこの少女たった一人を、ヒュドラより恐ろしいと判断したことになる。そんなことがあるのだろうか。それこそ――災害級の魔物、竜でも現れたなら別だが。
「偶然でしょう。貴女は悪くありませんよ」
「そう、でしょうか」
「ええ。お気になさらないでください」
スイラはほっと安心したような表情を浮かべた。余程罪悪感を覚えていたのだろう、彼女が責任を感じることなどない事柄だというのに。
……とても強い力を持ちながら、他者に気を遣いすぎる傾向のある彼女が心配になってきた。
(せめて、彼女が冒険者として一人立ちするまでは見守りたいところだな……こんなに純粋な子を放ってはおけない)
この時リュカはスイラを一人前の冒険者にすると誓った。……彼女が自分を嫌って避けようとしない限りは、手助けをしようと思っている。恩返しもあるし、なにより一人にするのがとても心配だ。
「スイラ殿、私のことはリュカと呼んでください。敬称は必要ありませんよ」
「ありがとうございます、リュカ。それなら私のこともスイラと呼んでくださいませ」
屈託なく笑うこの少女も、きっとリュカのことを知れば態度を改めるだろう。特に「追放者リュカ」のことを知られれば、腫物でも見るかのような目になるはずだ。
しかしそれまでは、リュカの作った簡素過ぎる料理にも目を輝かせて喜ぶ彼女を見守っていたいと、そう願っていた。
……まさかここからとても長い付き合いになるなんて思いもせずに。
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