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番外 夕日旅行
しおりを挟むユゥリアスがハルカから婚約の申し入れをされて、しばらく。いまだにユゥリアスの瞳の色とそっくりな装飾品を見つけることができず、正式な結婚には至っていない。ユゥリアス自身は早く装飾品を贈らなければと焦っているのだが、一方のハルカはまったく気にしていなかった。
『私の意思は変わらないのでいつでもいいです。だから同じ色を見つけてくださいね』
と言うのが彼女の主張だ。王都に行く度に装飾品の店から裏市まで巡って探してみるものの、これといったものには出会えていないまま、ただ幸福な日々を送っている。
「ユゥリアス、これ見て。私の世界の、海」
ユゥリアス以外はハルカが異世界人で異能者であることを知らない。他の誰にも言わない隠し事ではあるけれど、二人きりでいる時はその力を使って異世界の景色を見せてもらうことがあった。
帰れない世界の景色を思い出すことが彼女の負担や苦痛にならないかと心配だったのだが、彼女自身はユゥリアスに色々と見せたいと思っているらしいのだ。それを感情の伝わる精神感応という力で伝えられてしまったので、素直にその好意を受け取ることにした。
「これが海、か……綺麗だな」
ユゥリアスの手にした紙には彼女の異能の一つである“念写”によって描かれた絵がある。鮮やかな青の水面と空に白い雲が入り込む美しい景色だ。彼女の記憶にあるものを映し出しているものだというので、異世界はとても美しい場所であるらしい。
ハルカはこんな美しい世界に帰ることをすっぱりとやめてユゥリアスと共に居ることを選んでくれたのだ。愛おしいし、感謝してもしきれない。だからこそ彼女を必ず幸せにしなければ、と思う。紙の上の景色を指で撫で思いを馳せているとハルカは無表情のままこてりと首を傾げた。
「海が珍しい?」
「いや……ただ、私は見たことがない」
薄色として王族としての立場も存在も失くしたユゥリアスは、国の外を知らない。正確には本や資料で知識として知っていても、実際に目にしたことがないのだ。兄弟たちは恐らく王族の仕事として外の国とも交流を持ち、あちらこちらに行くのだろうがユゥリアスには縁遠いことだった。
人気のないというよりも人が近寄らない自分の部屋。誰とも目の合わない城の中。そして平民の暮らす町と、人の目を逃れるために作った田舎の保護施設。ユゥリアスの知っている世界はハルカに会うまで、それだけだったのだ。
「行こう」
「……待ってくれ、どういう意味だ?」
ハルカは随分とこの国の言葉を覚え日常会話なら難なくこなすのに、時折意味が分からないことがある。いや、言葉の意味は分かるのだが、真意を捉えかねるというべきだろうか。彼女は強大で特異な力を持っているせいで発想が突拍子もなく、ユゥリアスの理解が追い付かないことが多々ある。
『海を見に行きましょう。前からいい景色の場所を見つけてたんですよ』
「直接行くという意味なんだな……私も見てみたいとは思うが」
『じゃあ行きましょう。今がちょうどいい時間なので』
ちょっと待て、と制止するより先に手を取られて心臓が跳ねあがる。彼女と恋人になってから一年以上が経過しているというのにいまだに突然触れられると自分の中が沸騰するように熱くなってしまう。動揺で一言も発せないまま、一瞬で視界が切り替わった。
あたり一面が赤――いや、赤みの強い橙の色だ。視界いっぱいに広がる水面と空。橙色の光の塊が水面と空の境界線にゆっくりと沈みながら波打つ海面を照らし、輝かせている。先程見せてもらった海とはまるで違う、けれど、息を飲むほど美しかった。
そんな光の世界の中、二人は宙に浮かんでいる。振り返っても陸地は見えず、海の真ん中にぽつりと自分たちだけがいるのだ。……こんな体験ができるのはきっと、この世界の人間ではユゥリアスだけだろう。それは何よりも得難いことに思えた。
『国によって夕日の色が違うみたいだったので、私の世界に近い色の夕日が見える場所を探しました。まあ、ここは海も赤かったんですけど……夕日に染まってれば関係ないですから』
ハルカの黒い瞳がユゥリアスを見つめる。彼女の意思と共に、これをユゥリアスに見せたかったのだという明るい感情が流れてくる。出会ったその日に聞いた、彼女の好きな夕日の色。そしてそれは――。
『綺麗でしょう? 私が好きな、ユゥリアスさんの瞳の色です』
ハルカはこの瞳をこんなに美しいものだと思ってくれていたのだと知って、流れ込んでくる柔らかで温かい好意に胸が詰まりそうで、言葉の代わりに目から涙があふれそうになる。予想外のことをして驚かせてばかりで、しかしそれが心を揺さぶってやまない。毎日のように心に熱を吹き込まれて、いつまで経っても彼女への好意は沸騰しているような熱さを持っている。……けれど、そんな感動もつかの間のことで。
「あ」
「……どうしたんだ?」
短く漏らされたその一音に不吉なものを感じて尋ねる。ハルカは苦笑しながらこう答えた。
『夕飯の支度が出来たみたいでイリヤさんが呼びに来てますね。私が部屋に居なかったのでユゥリアスさんの部屋に向かってて……今にも扉を開けようと』
「早く戻ってくれ!」
次の瞬間視界が切り替わった。表面上のハルカはまったく動じた様子を見せていなかったが内心慌てているのも伝わっていたし、ほんの少し移動先がずれたようでユゥリアスの部屋のベッドの上に二人は放りだされ、思わぬ場所で体勢を崩したハルカを慌ててユゥリアスが抱きとめて――その瞬間に扉が開き、そこから顔を覗かせたイリヤの驚く顔と目が合ってしまう。
「……ごめんなさい、返事がなかったから開けてしまったわ。邪魔をするつもりは」
「いや、これは違う。そうじゃない……!」
明らかに勘違いをされている。たしかにベッドの上で密着している今の状態では勘違いするのも仕方がないのだが全くそういう状況ではないのだ。
心を読める異能を持っていないユゥリアスでも分かるほどイリヤは微笑まし気な顔をして「夕食の支度ができたけどゆっくりでいいから」と言い残して扉を閉めようとした。
「すぐに行く。……行くぞ、ハルカ」
「うん」
ユゥリアスの腕から抜け出したハルカがイリヤの元に行き「転んだから支えてもらった」と説明をしていたがそういう場面には見えなさそうな位置であったし、イリヤもあまり信じていなさそうである。バクバクと音を立てる心臓の上にそっと手を置いて深くため息を吐いた。
暴れる心臓の原因が驚いたからなのか慌てたからなのか愛しい人にふれたからなのか、判断がつかない。しかし何にせよ元凶はハルカである。
本当に全く、ハルカと居ると心臓を使いすぎる。……けれどそれは、ユゥリアスが望んだ日常で、欲しかった幸福に違いない。
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