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17話 言葉を学び、学ばれ(前)
しおりを挟む歓迎会兼昼食のあと、私がこのホームでやるべきことを話し合った。といっても、魔力がないことになっている私ができることは限られている。
割り当てられた私の仕事は基本的に肉体労働だ。薪割りや水汲みなど、生活の基盤に必要かつ人力可能な仕事である。大体念動力とアポートの活用で簡単にできそうだが、人目がないことをしっかり確認せねばならない。……誰かの視界に入っている時はちゃんと体を動かさねば怪しまれる。まあ、それでも念動力は使うだろうけれど。
妖精の瞳という魔石の存在についても三人に伝えたが、これは私の財産なので他のメンバーはこの石を頼らないし、私が貸そうと言い出さない限り彼らは使う機会もないとのこと。……セルカが好奇心満々に観察させて欲しいと言ったのでその時は貸して見せたが。
(今日はあんまり仕事なかったね。朝からダリアードさんが大体やってたみたいだし)
ここでは皆がそれぞれ役割分担をして働いている。いままではダリアードが料理と畑の世話と力仕事をしていて、イリヤとセルカは掃除や洗濯、森で何かを採集するのは時間がある時に皆でやる。あとは魔道具を動かす際の魔力の提供や外への買い出しはユーリがやっていた、という感じだ。
人が増えればそれだけ一人一人の負担が減る。私が力仕事をすることになったのでダリアードは喜んでいた。自分の時間が増えれば畑を広げられる、と。
(ダリアードさんは食べ物に対して研究熱心なんだよね。応援しよう)
彼が美味しいごはんを作ってくれるなら私は喜んで様々な仕事を引き受けたい。食事が楽しめるのは大事なのだ。
今日は軽く薪割りの仕事をこなしただけで仕事がなくなったのでそのあとはゆっくり休憩して、日が暮れたら美味しい夕食を摂って、イリヤに「また入るの? 綺麗好きなのね」と言われながら本日二度目の風呂に入った。
そして、夜の自由時間。セルカに勉強へと誘われたので今度こそ頷いた。もうお風呂も済んだし、私も言葉は学びたいのだ。
勉強会に使うのはいわゆるリビングルームで、ローテーブルを囲むようにコの字型でソファが三つ置かれている場所と、六人掛けはあるダイニングテーブルのような広い机が用意されている場所がある。用途に合わせて使い分けるのだろう。
(明かりは電気の魔法かな? 仕組みはよく分からないけど)
この世界の夜は元の世界に比べると随分明るい。カーテンを閉めずに窓の傍に居れば本を読めるくらいには、星々の明かりが強いのだ。しかしこの大きな施設ではさすがに中心部まで光が届かないので、ユーリが魔力を使って明かりになる魔道具を始動させた。おかげでこのリビングはとても明るい。
私とセルカは現在、広いテーブルに向い合せで座って言葉の勉強中だ。ソファの方ではユーリがくつろいでいるように見せかけつつ、こちらの様子を見守っている。……私が何かやらかさないかと心配らしい。さすがに勉強中にやらかすようなことはないと思うので安心してもらいたい。
「朝の挨拶はね“おはよう”だよ、ハルカ。おはよう、真似してみて」
「うぃーうぃる……」
「そうそう。明日の朝はそうやって挨拶してみてよ」
日本語の発音は世界的に見てもゆっくりとしたものであるという。それに比べるとこちらの発音はかなり早く、イントネーションも変わっていて発音が難しい。私の言葉はかなりカタコトで聞こえることだろう。
それでもセルカは私が真似ると嬉しそうにして、基本的な挨拶をいくつも教えてくれた。勉強用にと渡された紙の束に「おはよう=ウィーウィル」「こんにちは=ウィーニス」「こんばんは=ウィーダィン」というように日本語で教わった言葉の意味と発音を書き込んでいく。まずはこうして単語帳を作って、それらを覚えてから文法や文字を学ぼうと思っている。……言語をマスターする日はまだまだ遠そうだ。
「不思議な文字だね、見たことない。ハルカの国の文字?」
こくりと頷いた。私は遠い異国の出身ということになっているので、異世界の文字を書いていても問題ないはずだ。……ここにいる彼らは、外の世界に出ることはないだろうから。事実を知ることはきっと、ない。
「ハルカ、頷く時は“うん”って言うといいよ。違う時は“ううん”ね」
「……リー」
「うん。そんな感じ!」
精神感応があると語学の理解もスムーズでいい。本来、知らない言葉を学ぶのはもっと難しいはずである。意味と音を同時に“聞ける”テレパシストだからこそ、異世界の言語の中でも私は困らなくてすむのだ。
(……でもこれ、ユーリさんが本来使っている言葉と微妙に違うんだよね。敬語とため口みたいな差を感じる)
似た音ではあるが、同じ音ではない。ユーリが肯定する時は「リー」ではなく「リア」と発音していたし、否定する時は「ヤン」ではなく「ヤナ」という音だったと記憶している。おそらく「うん」「ううん」と幼い子供が使う言葉と「はい」「いいえ」と大人が使う言葉くらいの違いはあるだろう。
「簡単な返事くらいは直ぐにできるようになりそうだね。ハルカはすごいや」
『はやくハルカとお喋りできるようになりたいなぁ……ハルカの話が聞きたい』
セルカはとても私に興味があり、私の国の話や私自身のことを話してほしいようだった。そのためにも言葉を教えなきゃ、と熱心に指導してくれているらしい。……話せるようになったところで本当の身の上は語れないのだが、懸命に教えてくれるのはありがたい。
自分が一番の年少で世話を焼かれる立場だったのもあって、人に教えることができるのが嬉しいというのもあるのだろう。ずっと楽しそうで明るい感情を発している。
「よう、ガキ共。勉強頑張ってるか? 差し入れだぞ」
気の利くダリアードが夜食を持ってきてくれた。ハンバーガーのようにパンの間に具材が挟まれた軽食と、桃色のジュースだ。昼食で気づいたのだが、この世界は赤系統のものに甘みが強いことが多い。だからきっとこのジュースも甘いに違いない。期待してしまう。
「ありがと! あ、ハルカ。お礼は言う時は“ありがと”だからね!」
(……それは猫の鳴き声か何かですか?)
ユーリは猫の鳴き真似など一度もしなかったので、崩れた言葉なのだろう。この世界には猫がいないのか、違う鳴き方をするのか分からないが私には早口の猫にしか聞こえない。……それを口にすることに、若干の抵抗感を覚える。
だって、猫である。猫が鳴く姿は可愛いが、猫だから可愛いのである。無表情な人間が鳴いている姿を想像してみればいい。……自分で想像してげんなりした。それを今からやらなければならない訳だが。
「に……にゃんに……」
「あ、発音難しい? これは練習が要りそうだね」
「ハハ。頑張れよ、ハルカ。ほらこれでも食って元気出せ」
発音というか、口にするのが精神的に厳しい。羞恥心が刺激されてしまうだけであって練習は必要ない。ユーリからも『どうかしたのか』と不思議そうな意思が飛んできたが、ただ単に少し恥ずかしいのである。
……まあ、美味しいダリアードの軽食を口にすればどうでもよくなるレベルの羞恥ではあったが。
『猫っていう可愛い動物の鳴き真似をさせられているような気分なんですよ』
『…………ああ。君の世界の猫はそうやって鳴くのか』
こちらの世界の猫は「にゃあ」とは鳴かず「ヌオン」と鳴くらしい。全く可愛くなくて驚いた。ユーリも『礼を言う度に動物の鳴き真似をさせられるのは少し嫌だろうな』と同意してくれる。分かってもらえたようで何よりだ。
『あとで丁寧な礼の言葉を教えようか?』
『それは是非お願いします』
にゃんにゃんと鳴かずに済むなら是非そうしたい。精神感応のやり取りでは“音”までは分からないので、後ほどユーリに直接発音を教わることになった。教えてくれるセルカには悪いのだが「ありがと」だけはもう口にすることはないだろう。
ひとまず挨拶、返事、相槌などに使う単語で意思の疎通ができる言葉を一通り教えてもらったところで今日の勉強を終えることになった。明日からは身の回りにあるものをはじめ、いろんな単語を教わっていく予定である。
「じゃあ今日はここまでね。ハルカ、おつかれ!」
ニコニコと笑うセルカから、伝わってくる意思。きっと私が覚えたての言葉を使って、お礼を言ってくれると思っている。……二度と使わないと、思ったのに。これは、避けられないのか。
他人と関わるというのは、こういうものから逃れられないということなのだろう。私はほんの少しだけ覚悟を決めて口を開いた。
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