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1話 はじめまして、異世界
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空中に巨体を浮かべる猪に似た魔物の背中から、マグマがあふれ落ちて地面を焼く。火山猪という意味の名を持つ化け物はじたばたともがくように宙で暴れた。念動力でそれを掴み上げている私にも反動が伝わってくる。私が知っているイノシシよりも随分と力が強い。長時間押さえておくのは疲れるだろうし、何より力の無駄遣いだとその体を捻じり切った。
甲高い断末魔を上げて息絶えた魔物の体を浮かべていた力を収めれば、どさりと重たい音を立てて二つに分かれた肉塊は地面に落ちる。
物体を動かす力、念動力は超能力の代表だろう。大抵の人が超能力と聞いて思い浮かべるだろうその力は、この世界だと“魔法”と呼ばれる現象によく似ている。ただ、似ているだけで全く別の力であることは先ほど証明できてしまった。
「どういうことだ……? 君は、魔力を持っていない、はずだが」
夕日のような、オレンジがかった赤い目を大きく開いた青年が呆然とした様子で呟く。私を助けようと飛び出してきた際に外されたフードから覗く髪は老人のように真っ白だった。日本では見かけない色合いだが、ここは異世界だ。もっと派手な目や髪の色は町に戻ればたくさんいる。
『私は超能力者ですから、まあ、これくらいは』
「…………待ってくれ、今、頭の中に言葉が浮かんだような」
『超能力者ですから。私は今、貴方の脳内に直接語り掛けています。これはテレパシー、もしくは精神感応という力で』
「待て、待ってくれ! 意味が分からないんだが!? 分かるように説明してもらえないか……っ」
異世界の人間に超能力と言っても伝わらないようだ。彼には協力者となって貰いたいので、私の現状を理解してもらいたい。まずはどこから話すべきか迷い、私はこの世界で目覚めた時のことを思い浮かべた。
――――――
目を開けてまず視界に入ったのは緑色の草である。どうやら私は地面に横たわっているらしい。ゆっくりと体を起こして辺りを見渡した。
どこからどう見ても森の中。見渡す限りは木と地面と草しかない。昨夜はしっかり自室のベッドで眠ったはずだが、どうやら見知らぬ場所に来てしまったらしい。
(いくら寝相が悪くても寝てる間に瞬間移動してしまうなんて……)
私、明日見(あすみ) 遥(はるか)はいわゆる超能力者だ。しかも複数の能力を扱えるのでかなり特殊な存在といえる。そんな私からすれば、朝目覚めて森の中にいるということはそこまで非日常的なことでもない。
寝ぼけて瞬間移動でも使ったのだろう。そんな自分の失態に呆れながら家に帰ろうとした。――しかし、帰れなかった。
(……瞬間移動が使えない?)
瞬間移動という能力は言葉の通り、長距離を移動する能力である。知っている場所や相手の元にはもちろん、知らない場所にランダムで飛ぶことも千里眼や透視能力で見た場所へ飛ぶこともできる。距離が長い程疲れるが、家というよく知る場所に飛ぼうとして力が発動しないという経験はなかったため少々驚いた。何か異常事態が発生しているようだ。
さて、そうなればまずは現状を把握するべきである。という訳で様々な実験をしてみた。
まずは瞬間移動を含む超能力が使えるか。問題なく使用できたなら力を使って自分がどこにいるか把握する。千里眼を使ってあたりを探り、人間がいる場所を見つけ――三十分もすれば答えが出た。
(うーん、予想外。普通の人間ならパニックになってもおかしくないね、これは)
超能力というものは感情に左右されやすい。その特性故か、超能力者は一般人よりも感情の起伏が少ないというか、振れ幅が小さい。ない訳ではないが、感情豊かではないと言える。そんな超能力者の私だからこそ、自分の出したおかしな結論を前にしてもまだ平静を保っていられるのだろう。
結論を言えば、ここは異世界である。千里眼で見えたのは知らない地形、やたらと派手な色の髪と目をした人間、全く見覚えのない文字や動植物。地球のどの国とも違う文化形成がなされた街。
一瞬とんでもない年月を経た未来に来たのかとも思ったが、さすがの私にもタイムトラベルの能力はない。何より、天変地異でも起こらなければ地球人の体毛は赤や青や緑にはならないだろう。睫毛まで派手な髪と同じ色なのだから、染めている訳でもないはずだ。
それに何より驚くべきは、すべての人々が超能力を使っていたことだろう。現代日本どころか地球のどこにもそんな街は存在しない。……いや、超能力ではなく魔法と呼ぶべきだろうか。私の知らない能力もたくさんあったように思う。
つまり、ここは私のいた世界とは別の場所で、帰るべき家が見つけられず瞬間移動で帰れなかったのだということが分かった。……現状は分かったが、訳が分からない。
(瞬間移動の能力があるにせよ、異世界まで飛ぶなんてことがありえる?)
この場所から私の力で帰れないのだから、やはり超能力だけでこの現象はあり得ない。
ヒントになりそうなものと言えば、就寝時に着ていたのは寝間着替わりのジャージだったはずなのになぜかその上に見覚えのないローブを羽織っていることだ。何か、忘れていることはないだろうか。
(そういえば、夢を見たような気がする)
私は自室で眠っていた。高校は春休み中なので夜更かしをして好きな小説の新刊を読み耽って、読後の満足感を胸にベッドに入ったはずなのだ。兄弟姉妹はおらず、両親の寝室は離れている。自室で他人の声など聞こえるはずがないのに、心地よいまどろみを誰かに邪魔されたような、おぼろげな記憶がある。
『――!! ――!?』
――何やら騒がしい声だった。雄叫びをあげるような、やかましい音。喜んでいる意思は伝わってくるが人の睡眠を邪魔しないでいただきたい。どこか静かな場所へいこう。人気のない森で、静かに朝を迎えたい。そう思ったら、音が消えて静かになった。
「ああ……あれかぁ……」
ぽつりと納得の言葉が漏れた。その声は誰に拾われることもなく、静かな森の中に溶けて消えてしまう。
おそらく私は突然この異世界の森に飛んできたのではなく、元々はどこか別の場所に現れたのだろう。歓喜の意思がこもった声から察するに、この世界の誰かが何かの理由で私を呼び寄せたのではないだろうか。元の世界にも悪魔召喚というような別世界のものを呼びだそうとする儀式はあった。私はそういったものに運悪く巻き込まれたのではないのか。
(そうだとすれば、私の力だけでは帰れない。……帰る方法を探すにしてもまずは、生活の安定を目指すべきかな?)
超能力者といえど衣食住は必要だ。運動や勉強と同じように、超能力を使うのにもエネルギーを消費し、休まなければ疲労がたまる。私が満足に力を使うためには、健康的な生活を送ることができる環境がなければならない。
――と、なれば。私は異世界の人々の中で暮らす必要があり、そのためには情報を集めなければならない。幸いにも私が羽織っていたローブは一般的な服であるらしく、先程千里眼で見た街には同じものを身に付けた人間がたくさんいた。
ちなみに、千里眼とは離れた場所の景色を見ることができる能力だ。私の場合は透視の力を含むので建物の中まではっきりくっきり見えてしまう。ただ調整を間違えると人間の衣服も透けてしまい、春先に出やすい変質者がコートを脱ぐ手間を省かせてしまう危険な力でもある。
(ローブを着ていれば街の中にいても不自然ではないはず。……黒髪を全く見かけなかったのが少し気がかりだけど)
私は超能力と呼ばれるものは大抵扱えるのだが、未来視だけは自由が利かない。未来を知りたいと思っても能力は使えないのだ。前触れもなく突然未来の光景が見えるのだけれど、その内容は朝食のメニューから事故に遭う未来まで実に様々だ。まあ、とにかく私の自由になる力ではないし、今から私が異世界の街に出てどうなるか――ということは知りえないのである。
ただ、大抵のことは超能力でなんとかできてしまうので大した不安もなく街の中で人のいない路地裏に瞬間移動した。
そこから大通りに出た途端、人の視線が突き刺さるように自分に向いて少し戸惑う。……正確には、私の髪に、だろうか。だが、悪い意味ではない。羨望や好意にあふれた熱い眼差しである。
……黒髪というだけで好意的な視線を向けられる意味が分からない。この世界は一体、何なのだろう?
「黒髪のお嬢さん! そのローブを着てるってことは、色判定を受けるんだろう? 判定の前にうちの店で精つけていきなよ!」
「いやいや! うちの店で!」
通りに並ぶ出店の店主から一斉に声をかけられた。無論、異世界の言語であり耳慣れない発音の知らない言葉ではあるが、その言葉に載せられた“意思”を読み取れば意味は分かる。一般的に精神感応と呼ばれる力の応用で 心の声を聞くこともできる力だ。
正確には意思を読み取っているので、言語が違っていても考えていることが理解できる。嘘をついていれば声に出された上辺の言葉と、心の内側の意識の両方の意味が伝わってくるような、心を読む力だ。
そしてこの力を使っている間は複数の人間の意識を常に感じ取ってしまうので、気分はまるで十人同時に話しかけられる聖徳太子である。……つまり、大変疲れる。しかしこの力を使わなければ、私はこの世界でコミュニケーションをとれないのだ。背に腹は代えられない。
「のど渇いてないか? こいつは特別甘くて美味い自慢の一品だ。金はいらないから飲んでいきな!」
とりあえず無料でくれるというジュースを受け取ってにこりと笑っておく。糖分は大変重要なエネルギー源なので、甘い飲み物ならば飲んでおきたい。ガラス工芸品のようなグラスで渡されたので、飲み干して器を返すべきだとすぐにジュースに口をつけた。……大変、かなり、とっても、甘くて美味であった。薄ピンクで透明感のある液体なのに、ココアに近い甘さと香りの飲み物だ。
(……味覚もそうズレはなさそう。何より、この甘さ……体に染みわたる)
超能力を使った後の疲労には甘いものがよく効くのだ。このジュース一杯で不思議なほどその疲労が癒されたと感じる。さすが異世界、元の世界ではこうはいかない。何か特別な力でも籠っているのだろうか。……しっかり見たり感じたりする前に飲み干してしまったのでもう分からないけれど。
さて。このジュースのお礼を相手に伝えたいが、相手の言葉は理解できても私がこちらの言葉を話せるわけではない。もちろん、テレパシーを使えば伝えることはできるのだが、突然頭の中に相手の言葉が浮かんでくるような感覚であるらしいそれを、見知らぬ人間にやるわけにもいかない。しかし、話せなくてもコミュニケーションは取れる。本当に美味しかったのでにこにこと笑いながら、感謝の意味を込めてグラスを返した。
「満足してくれたみたいだな、そりゃあよかった。……グラスも持って帰っていいのに、流石黒髪ってとこか。いい子だなぁ」
私が言葉を発していなくても店主がこうして話しかけてくるのは、私の意識がなんとなく伝わっているからである。身振り手振りにテレパシーを乗せて意味を伝わりやすくすることで、言葉を交わさなくても意思の疎通がある程度こなせるのだ。
ゲームなどで喋れないキャラが何を伝えたいのか、話していないのに分かるシチュエーションがあるだろう。まあ、つまり、そのようなものである。単純な内容であれば私が伝えたいことは相手に伝わるし、相手もそれを不自然に思わない。
超能力様様である。超能力をたよれば、異世界でも無事にやっていけるだろう。
「“色判定”はもうすぐ始まるだろ? 黒髪のお嬢さん、是非また店に来て結果を教えてくれよな!」
先程から時々聞こえる「色判定」という言葉の意味がよく分からない。日本語にするなら「色判定」と翻訳できるが、この世界独特の言葉であるらしい。
どうやらこの世界の人々はやたらと「髪の色」にこだわっている。私の黒髪に対して反応が大きいのもそのせいだ。
(……色判定について、情報を集めてみよう)
ひどく疲れるが、街を行きかう人々の言葉や感情や意思を読み取って情報を集めることにした。今日はどうやら「色判定」とやらが行われる日で、私が目覚めた時に羽織っていたローブはその判定を受ける者の証であるようだ。
そして「色」が指し示すものは“魔力の色”であり、それはこの世界において最も重要なものであるらしかった。
(色の濃さがステータス。魔力が強く濃い色を持っているほど社会的地位が強くなる、と……変な世界だ)
異世界の人々は派手な髪色をしているが、それがどうやら魔力の色を反映したものであり、だからこそ黒髪の私に皆好意的だった、ということらしい。元の世界とは全く別の価値観で、私には理解できない感覚だが、しかし。
(……この世界では、誰もが超能力者のように……魔法を使えるんだ)
この世界のすべての人には魔力があり、魔力の色や量に差はあれど、すべての人が魔法を使う。元の世界だと私は異質な超能力者であり、己の力は隠さなければならないものだった。
でも、この世界であれば。誰もが特別な力を持っているような、この異世界であれば。私は「異質」ではなく「普通の人」として生きていけるかもしれない。
(帰る方法は、勿論探すけど。……こっちで生きるのも、悪くはないかもしれないよね)
私が突然いなくなったことを両親は――――心配していないだろう。長く帰らなければ気にはなるだろうが、私の身に何かあったとは思わないはずだ。他の誰よりも身近に私の力を見ている人たちなので、生きることに関して心配はされないと思う。
もし、元の世界に帰れなかったとしても。この世界で生きていくことは可能であるような気がしてきた。
「……色が出ない、だと? お前、透明か!?」
――それもまあ、無色透明、魔力なし人間と判定されるまでの話ではあるが。……さて、どうしようかな。
甲高い断末魔を上げて息絶えた魔物の体を浮かべていた力を収めれば、どさりと重たい音を立てて二つに分かれた肉塊は地面に落ちる。
物体を動かす力、念動力は超能力の代表だろう。大抵の人が超能力と聞いて思い浮かべるだろうその力は、この世界だと“魔法”と呼ばれる現象によく似ている。ただ、似ているだけで全く別の力であることは先ほど証明できてしまった。
「どういうことだ……? 君は、魔力を持っていない、はずだが」
夕日のような、オレンジがかった赤い目を大きく開いた青年が呆然とした様子で呟く。私を助けようと飛び出してきた際に外されたフードから覗く髪は老人のように真っ白だった。日本では見かけない色合いだが、ここは異世界だ。もっと派手な目や髪の色は町に戻ればたくさんいる。
『私は超能力者ですから、まあ、これくらいは』
「…………待ってくれ、今、頭の中に言葉が浮かんだような」
『超能力者ですから。私は今、貴方の脳内に直接語り掛けています。これはテレパシー、もしくは精神感応という力で』
「待て、待ってくれ! 意味が分からないんだが!? 分かるように説明してもらえないか……っ」
異世界の人間に超能力と言っても伝わらないようだ。彼には協力者となって貰いたいので、私の現状を理解してもらいたい。まずはどこから話すべきか迷い、私はこの世界で目覚めた時のことを思い浮かべた。
――――――
目を開けてまず視界に入ったのは緑色の草である。どうやら私は地面に横たわっているらしい。ゆっくりと体を起こして辺りを見渡した。
どこからどう見ても森の中。見渡す限りは木と地面と草しかない。昨夜はしっかり自室のベッドで眠ったはずだが、どうやら見知らぬ場所に来てしまったらしい。
(いくら寝相が悪くても寝てる間に瞬間移動してしまうなんて……)
私、明日見(あすみ) 遥(はるか)はいわゆる超能力者だ。しかも複数の能力を扱えるのでかなり特殊な存在といえる。そんな私からすれば、朝目覚めて森の中にいるということはそこまで非日常的なことでもない。
寝ぼけて瞬間移動でも使ったのだろう。そんな自分の失態に呆れながら家に帰ろうとした。――しかし、帰れなかった。
(……瞬間移動が使えない?)
瞬間移動という能力は言葉の通り、長距離を移動する能力である。知っている場所や相手の元にはもちろん、知らない場所にランダムで飛ぶことも千里眼や透視能力で見た場所へ飛ぶこともできる。距離が長い程疲れるが、家というよく知る場所に飛ぼうとして力が発動しないという経験はなかったため少々驚いた。何か異常事態が発生しているようだ。
さて、そうなればまずは現状を把握するべきである。という訳で様々な実験をしてみた。
まずは瞬間移動を含む超能力が使えるか。問題なく使用できたなら力を使って自分がどこにいるか把握する。千里眼を使ってあたりを探り、人間がいる場所を見つけ――三十分もすれば答えが出た。
(うーん、予想外。普通の人間ならパニックになってもおかしくないね、これは)
超能力というものは感情に左右されやすい。その特性故か、超能力者は一般人よりも感情の起伏が少ないというか、振れ幅が小さい。ない訳ではないが、感情豊かではないと言える。そんな超能力者の私だからこそ、自分の出したおかしな結論を前にしてもまだ平静を保っていられるのだろう。
結論を言えば、ここは異世界である。千里眼で見えたのは知らない地形、やたらと派手な色の髪と目をした人間、全く見覚えのない文字や動植物。地球のどの国とも違う文化形成がなされた街。
一瞬とんでもない年月を経た未来に来たのかとも思ったが、さすがの私にもタイムトラベルの能力はない。何より、天変地異でも起こらなければ地球人の体毛は赤や青や緑にはならないだろう。睫毛まで派手な髪と同じ色なのだから、染めている訳でもないはずだ。
それに何より驚くべきは、すべての人々が超能力を使っていたことだろう。現代日本どころか地球のどこにもそんな街は存在しない。……いや、超能力ではなく魔法と呼ぶべきだろうか。私の知らない能力もたくさんあったように思う。
つまり、ここは私のいた世界とは別の場所で、帰るべき家が見つけられず瞬間移動で帰れなかったのだということが分かった。……現状は分かったが、訳が分からない。
(瞬間移動の能力があるにせよ、異世界まで飛ぶなんてことがありえる?)
この場所から私の力で帰れないのだから、やはり超能力だけでこの現象はあり得ない。
ヒントになりそうなものと言えば、就寝時に着ていたのは寝間着替わりのジャージだったはずなのになぜかその上に見覚えのないローブを羽織っていることだ。何か、忘れていることはないだろうか。
(そういえば、夢を見たような気がする)
私は自室で眠っていた。高校は春休み中なので夜更かしをして好きな小説の新刊を読み耽って、読後の満足感を胸にベッドに入ったはずなのだ。兄弟姉妹はおらず、両親の寝室は離れている。自室で他人の声など聞こえるはずがないのに、心地よいまどろみを誰かに邪魔されたような、おぼろげな記憶がある。
『――!! ――!?』
――何やら騒がしい声だった。雄叫びをあげるような、やかましい音。喜んでいる意思は伝わってくるが人の睡眠を邪魔しないでいただきたい。どこか静かな場所へいこう。人気のない森で、静かに朝を迎えたい。そう思ったら、音が消えて静かになった。
「ああ……あれかぁ……」
ぽつりと納得の言葉が漏れた。その声は誰に拾われることもなく、静かな森の中に溶けて消えてしまう。
おそらく私は突然この異世界の森に飛んできたのではなく、元々はどこか別の場所に現れたのだろう。歓喜の意思がこもった声から察するに、この世界の誰かが何かの理由で私を呼び寄せたのではないだろうか。元の世界にも悪魔召喚というような別世界のものを呼びだそうとする儀式はあった。私はそういったものに運悪く巻き込まれたのではないのか。
(そうだとすれば、私の力だけでは帰れない。……帰る方法を探すにしてもまずは、生活の安定を目指すべきかな?)
超能力者といえど衣食住は必要だ。運動や勉強と同じように、超能力を使うのにもエネルギーを消費し、休まなければ疲労がたまる。私が満足に力を使うためには、健康的な生活を送ることができる環境がなければならない。
――と、なれば。私は異世界の人々の中で暮らす必要があり、そのためには情報を集めなければならない。幸いにも私が羽織っていたローブは一般的な服であるらしく、先程千里眼で見た街には同じものを身に付けた人間がたくさんいた。
ちなみに、千里眼とは離れた場所の景色を見ることができる能力だ。私の場合は透視の力を含むので建物の中まではっきりくっきり見えてしまう。ただ調整を間違えると人間の衣服も透けてしまい、春先に出やすい変質者がコートを脱ぐ手間を省かせてしまう危険な力でもある。
(ローブを着ていれば街の中にいても不自然ではないはず。……黒髪を全く見かけなかったのが少し気がかりだけど)
私は超能力と呼ばれるものは大抵扱えるのだが、未来視だけは自由が利かない。未来を知りたいと思っても能力は使えないのだ。前触れもなく突然未来の光景が見えるのだけれど、その内容は朝食のメニューから事故に遭う未来まで実に様々だ。まあ、とにかく私の自由になる力ではないし、今から私が異世界の街に出てどうなるか――ということは知りえないのである。
ただ、大抵のことは超能力でなんとかできてしまうので大した不安もなく街の中で人のいない路地裏に瞬間移動した。
そこから大通りに出た途端、人の視線が突き刺さるように自分に向いて少し戸惑う。……正確には、私の髪に、だろうか。だが、悪い意味ではない。羨望や好意にあふれた熱い眼差しである。
……黒髪というだけで好意的な視線を向けられる意味が分からない。この世界は一体、何なのだろう?
「黒髪のお嬢さん! そのローブを着てるってことは、色判定を受けるんだろう? 判定の前にうちの店で精つけていきなよ!」
「いやいや! うちの店で!」
通りに並ぶ出店の店主から一斉に声をかけられた。無論、異世界の言語であり耳慣れない発音の知らない言葉ではあるが、その言葉に載せられた“意思”を読み取れば意味は分かる。一般的に精神感応と呼ばれる力の応用で 心の声を聞くこともできる力だ。
正確には意思を読み取っているので、言語が違っていても考えていることが理解できる。嘘をついていれば声に出された上辺の言葉と、心の内側の意識の両方の意味が伝わってくるような、心を読む力だ。
そしてこの力を使っている間は複数の人間の意識を常に感じ取ってしまうので、気分はまるで十人同時に話しかけられる聖徳太子である。……つまり、大変疲れる。しかしこの力を使わなければ、私はこの世界でコミュニケーションをとれないのだ。背に腹は代えられない。
「のど渇いてないか? こいつは特別甘くて美味い自慢の一品だ。金はいらないから飲んでいきな!」
とりあえず無料でくれるというジュースを受け取ってにこりと笑っておく。糖分は大変重要なエネルギー源なので、甘い飲み物ならば飲んでおきたい。ガラス工芸品のようなグラスで渡されたので、飲み干して器を返すべきだとすぐにジュースに口をつけた。……大変、かなり、とっても、甘くて美味であった。薄ピンクで透明感のある液体なのに、ココアに近い甘さと香りの飲み物だ。
(……味覚もそうズレはなさそう。何より、この甘さ……体に染みわたる)
超能力を使った後の疲労には甘いものがよく効くのだ。このジュース一杯で不思議なほどその疲労が癒されたと感じる。さすが異世界、元の世界ではこうはいかない。何か特別な力でも籠っているのだろうか。……しっかり見たり感じたりする前に飲み干してしまったのでもう分からないけれど。
さて。このジュースのお礼を相手に伝えたいが、相手の言葉は理解できても私がこちらの言葉を話せるわけではない。もちろん、テレパシーを使えば伝えることはできるのだが、突然頭の中に相手の言葉が浮かんでくるような感覚であるらしいそれを、見知らぬ人間にやるわけにもいかない。しかし、話せなくてもコミュニケーションは取れる。本当に美味しかったのでにこにこと笑いながら、感謝の意味を込めてグラスを返した。
「満足してくれたみたいだな、そりゃあよかった。……グラスも持って帰っていいのに、流石黒髪ってとこか。いい子だなぁ」
私が言葉を発していなくても店主がこうして話しかけてくるのは、私の意識がなんとなく伝わっているからである。身振り手振りにテレパシーを乗せて意味を伝わりやすくすることで、言葉を交わさなくても意思の疎通がある程度こなせるのだ。
ゲームなどで喋れないキャラが何を伝えたいのか、話していないのに分かるシチュエーションがあるだろう。まあ、つまり、そのようなものである。単純な内容であれば私が伝えたいことは相手に伝わるし、相手もそれを不自然に思わない。
超能力様様である。超能力をたよれば、異世界でも無事にやっていけるだろう。
「“色判定”はもうすぐ始まるだろ? 黒髪のお嬢さん、是非また店に来て結果を教えてくれよな!」
先程から時々聞こえる「色判定」という言葉の意味がよく分からない。日本語にするなら「色判定」と翻訳できるが、この世界独特の言葉であるらしい。
どうやらこの世界の人々はやたらと「髪の色」にこだわっている。私の黒髪に対して反応が大きいのもそのせいだ。
(……色判定について、情報を集めてみよう)
ひどく疲れるが、街を行きかう人々の言葉や感情や意思を読み取って情報を集めることにした。今日はどうやら「色判定」とやらが行われる日で、私が目覚めた時に羽織っていたローブはその判定を受ける者の証であるようだ。
そして「色」が指し示すものは“魔力の色”であり、それはこの世界において最も重要なものであるらしかった。
(色の濃さがステータス。魔力が強く濃い色を持っているほど社会的地位が強くなる、と……変な世界だ)
異世界の人々は派手な髪色をしているが、それがどうやら魔力の色を反映したものであり、だからこそ黒髪の私に皆好意的だった、ということらしい。元の世界とは全く別の価値観で、私には理解できない感覚だが、しかし。
(……この世界では、誰もが超能力者のように……魔法を使えるんだ)
この世界のすべての人には魔力があり、魔力の色や量に差はあれど、すべての人が魔法を使う。元の世界だと私は異質な超能力者であり、己の力は隠さなければならないものだった。
でも、この世界であれば。誰もが特別な力を持っているような、この異世界であれば。私は「異質」ではなく「普通の人」として生きていけるかもしれない。
(帰る方法は、勿論探すけど。……こっちで生きるのも、悪くはないかもしれないよね)
私が突然いなくなったことを両親は――――心配していないだろう。長く帰らなければ気にはなるだろうが、私の身に何かあったとは思わないはずだ。他の誰よりも身近に私の力を見ている人たちなので、生きることに関して心配はされないと思う。
もし、元の世界に帰れなかったとしても。この世界で生きていくことは可能であるような気がしてきた。
「……色が出ない、だと? お前、透明か!?」
――それもまあ、無色透明、魔力なし人間と判定されるまでの話ではあるが。……さて、どうしようかな。
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