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第四章
ヒロインは、儚く連れ去られる
しおりを挟む―――夕焼けの色が白いカーテンを染める。
「冷えてきたからな、今日は鍋にしよう」
台所では、ノエルとリンダが晩御飯の支度にかかろうとしていた。
「ノエルさん、さっきの話ですけど、あの女の人すごい敵意でミシャさんを見ていたんです。 やっぱり気になる……」
先に帰らされたリンダは、まだ戻って来ないミシャの身を案じているようだ。 その様子を見て、心配そうな顔をするリンダに、ノエルは優しく微笑み言ってやった。
「リンダ、心配するな」
「でも……」
「あいつを敵意で見ない人間はいないよ」
相談する相手を間違えたな。 彼は『被害者の会』の幹部だ。
「そっ、そんなこと――」
まだミシャに対する認識の甘いリンダが反論しようとした時、玄関のドアが開く音が聴こえる。 ノックの音は無し、つまり入って来たのは身内であるミシャかアンジェだと予想がつく。
「たっ、大変だノエルッ!! ミシャさんが攫われたッ!!」
だが、入った来たのは身内ではなく友人、慌てていたトールはノックをする余裕が無かったようだ。
「まったく……」
そのトールにまるで動揺する様子も無く、余裕を持ってノエルは振り返る。
「違うだろトール。 ミシャが攫われたんじゃなくて、ミシャが攫ったんだろ?」
やれやれと勘違いを正すノエルは、ある意味ミシャに絶対の信頼を寄せている、と言ったらまだ救いはあるだろうか。
しかし、その後トールが伝えた内容が、それがあながち勘違いでもないと思わせる事になる。
「た、多分アンジェちゃんを人質に取られたんだと思う」
「「――なっ……」」
「遠くから見ていたから会話は聴こえなかったが、これだけは確かだ! 二人は意識が無く、担がれて馬車に乗せられた……」
項垂れるトールと、あまりの衝撃に台所で佇み、口を聞けない二人。
ヒロインが攫われるという正に王道。 しかし、それが起こる事はまず無いだろうと思われたこの物語において、これは正に言葉を失う奇っ怪な事件だ。 それが例え人質を取られていたとしても。
果たして、その真実とは――――
◇◆◇
「近接戦指導のアーロン先生に召喚魔法指導のノヴァ先生、三人も揃って社員旅行ですかあ?」
やって来た二人の男は、シュラミと同様にサイネリア教団の教員。 そして、アーロンの肩にはアンジェが担がれている。
当然ミシャもそれを認識しているが、それで動揺しているのを隠す為か余裕を消さない。
「そんな楽しいもんじゃない。 それにどうせなら夫婦水入らずで行きたいね、なあシュラミ」
地に深く刺さった槍を抜き、アーロンは隣のノヴァに小声で話しかける。
「どう見る?」
「……良くて相討ち」
「だろうな」
シュラミはもう殆ど戦力にならない。 だがそれで消耗した今のミシャと、サイネリア教団の教員二人がかりで戦った場合の予想をノヴァは答えた。
「妻には言ったんだがな、今のお前と戦うなんて無謀だと。 何しろ昔から、お前の伸び代は底無しだった」
「そうですか、何だか不思議な気分です。 教団に居た頃は先生達に褒められた事なんて無かったですから」
類稀な才能、幼少期から群を抜く実力を発揮していたミシャが、ただの一度も褒められないとは考え難いが。
「それは悪かったと思うが、まあ仕方ないだろ。 俺達教員は皆――――お前が怖かったんだよ」
「わっ、私は――」
その言葉に噛み付こうとしたシュラミを手で制し、アーロンは昔話を続けた。
「強がるな、現に今のこいつを見ろよ。 丸腰でたった一人なのにまるで勝てる気がしない。 こうなるんじゃないか、それが恐ろしくて俺達は何も教えなかったんだろ? 俺なんか他の生徒に教えてるのも見せたくなかったぐらいだ」
「くっ……」
歯噛みして拳を地面に打ち付ける。 その姿を見たアーロンは一つ息を吐き、目線をまたミシャへと向けた。
「残念ながら、予想以上の成長ぶりだ。 戦う気は無いが、司教様の命令は完遂しなけりゃならない」
「それで、その子を?」
担がれて眠るアンジェ、ミシャがその事に触れる。
「もちろん気を失ってるだけだ、大人しくついて来てくれれば――」
アーロンの言葉が止まり、素早く槍を構える。
隣のノヴァも杖を構え、一気に場の空気が緊張を張り巡らせた。
「……おいおい、頼むよ……」
冷や汗が頬を伝う。 冒険者であれば間違いなくプラチナクラスの教員三人が、今目の前の敵に感じた確信。 それは、
「ノヴァ、相討ちは出来過ぎじゃないか?」
「……逃げよう」
交渉の場に着かせるのも危険な存在である事。 それだけの力を相手は保有し、それを解放したのだ。
「私と戦った時は、お遊びだったのか……」
戦慄が完全な敗北を認識させ、シュラミの憎悪は畏怖に呑み込まれる。
「大人しくついて来い? 先生方、もうお互い社会人なんですから……格下が偉そうに物言うもんじゃないですよ?」
「――っ!? 嘘だろ……」
更に禍々しい力は増大し、最早戦うはおろか、交渉すらも不可能と判断したアーロンは槍を捨てた。
「おっ、お願いします……まだ家のローンもアレで……今教団クビになったら……」
捨てたのは槍だけではなく、色々のようだ。
こうして心を身ぐるみ剥がされた哀れな狼を知っているが、思えば彼は強く生きている。
「……私は何も言ってない」
「てめぇノヴァ!」
仲間割れが始まった頃、白けた顔になったミシャが力を収め、緊張を解いた。
「まあいいわ、ついて行ってあげる」
「――えっ!? ほ、本当か?」
意外な申し出に驚くアーロンに、ミシャは白けた顔のままで答える。
「ノエルには良い試練になるでしょ。 それに連れ去られて恋人に助けられるなんて……私憧れてたの♡」
「そ、そうですか」
「今までこんなシチュエーションなかったのよね」
アーロンは思った、『俺達だってやりたかねえよ』と。 ノヴァも思った、『早く帰りたい』と。
「でもまあ、やっぱり攫われるなら気を失ってるのが儚げで理想よね」
「はあ」
――――儚げ、そんな機能は破壊神には無い。
「だけど、私とアンジェの安全は確保しないと」
安全を確保して攫われるヒロイン、そこに感動は生まれるだろうか。
「という事で、先生方には首輪を嵌めます」
「――は? 首輪?」
どういう事だと不安がるアーロン、それを構わずミシャは詠唱を唱え始めた。
「―――繋がった首は我と繋がり、この身に災い降りかかる時、その繋がりは途絶えるだろう―――」
「な、なんだ? ノヴァ、どうなってる!?」
「……最悪」
ミシャと担いでいたアンジェの身体が光を纏い、黒い輪が教員三人の首にかけられる。
「―――オーディンの枷―――」
呪文を唱え終えると、ミシャは気を失い眠りについた。 黒い輪は三人の首に溶け込むように無くなり、草原はやっと静けさを取り戻す。
「……説明してくれ、ノヴァ」
何か良くない事が起こった。 それだけは解る。
だからこそ知らなくては危険だと、神妙な面持ちでアーロンは尋ねる。
「……この子とミシャに危害が加わると、俺達の首はもげる」
「はぁ……そスかー……」
「………」
長い腕をだらりと下ろすアーロン、シュラミはもう口も開きたくない様子だ。
これが事の真相、ラスボス型ヒロインにおける安全な攫われ方。 是非他のヒロイン様方もお試しください。 ただ……
――――儚さは、出ませんよ。
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