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第四章

狼、吠える

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 晴天だった空は灰色の雲が覆い、本日デルドル王国のお天気は “晴れのち破壊神” 。 空から降り注ぐのは陽の光ではなく、強烈な憎悪と殺意となった。


「ガアァアアッ!!」


 何ともおぞましい雄叫びが空に響く。
 恐らく獰猛な飛竜でも飛んでいるのだろう。


「だーめだよーっ! ねえってばー!」


 その発信源に対し、アンジェが必死に声を掛けている。 飛竜の知り合いでもいるのだろうか。


「ミーシャー!」


 現実から目を逸らすのはやめよう。
 ヒロインに人気を求めるのはとうに諦めた筈だ。


「あのねー、ノエルがねー」


 主人公にもだが(破綻)。


「えーっと、なにからだったっけー?」


 長い睫毛を何度か揺らし首を傾げると、サラサラとエメラルドの髪も揺れる。 どうやら、ノエルに何か策を仕込まれているようだ。


「ん~……



 ◆




「いいかアンジェ、多分ミシャは今人じゃねえ」

「えー? ミシャ、ひとだったのー?」


「……そこ……からいく?」
「んー?」


 それは長くなりそうだ。


「いや、つまりな、すげー怒ってるってことだ」

「んー? いつもだよー?」


「………」
「んー?」


 ……………。


「……あのな、多分、いつもより怒ってる」
「えーー!?」


 無邪気とは時に残酷。 こちらも言葉を失ったが、何とか気持ちを立て直し話すノエルを賞賛したい。


「だからな、どうしても言うこと聞かなかったら……」



 ◆



 ……―――あっ、そーだー! あのねー、ノエルがねー」


 両手を万歳して目を輝かせるアンジェ。
 思い出したその策とは、


「こんどはねー、ここにしんこんりょこーでこよーって!」


 アンジェは言葉の意味を理解していないのかも知れないが、その伝言は血塗られている。 恐らく変換すると『死ん魂旅行』、だ。


「……ヴ……ヴヴ……」

「きこえたー?」


 伝言を伝え、アンジェがミシャを覗き込んで様子を見る。 すると、


「……グガアアアアッ!!」
「――わぁああーっ!」


 鼓膜をつんざく咆哮にアンジェが吹き飛ばされる。 もしを妻に娶るのならば、人里離れた秘境に住むしかない。 近所迷惑だ。




 ◆




「も、もうやめてくれぇ! 王が死んでしまう!!」
「おのれ魔女の遣い、貴様には血も涙もないのかぁ!!」


 目の前で幾度も壁に叩きつけられるガイノス。 兵達は悲惨な光景に顔を歪ませ叫ぶが、痛んでいるのは決してガイノスだけではない。


「どっ……どこ見てんだてめぇら!? 血も涙もしっかり流してますぅううう―――ごぇええ゛ッ!!」


 銀髪が血に染まり、赤狼となった今も軽口を叩くとは、ノエルの耐久力は既にプラチナクラスに達しているのかも知れない。


「上手くいってねぇみたいだな、アンジェ……」


 命運を握る愛娘の名を呟く。
 そして遂に覚悟を決めたのか、ノエルはゆっくりと項垂れた。


「ふっ……ふふっ……ククククっ」


 ――――狂ったか。


 何故か突然笑い出したノエル。 
 いや、もう限界だったのだろう。 哀れにも精神崩壊を起こし、ニヤニヤと嬉しそうに笑い出した。


「なあ、冒険者がやっちゃいけねぇこと、って分かるかあ?」


 意味深な声色で、とうに意識を失ったガイノスに話し掛ける。 


「そりゃあな、……ってことだ」


 ――――狂ったな。


 いつかこんな日が来るとは思ってはいたが、主人公、ヒロイン共に狂ったようだ。


「んで、こいつぁ俺の尊敬するおやっさんから学んだんだけどよぉ」


 ノエルが『おやっさん』と呼ぶのは、バイトリーダーを務める酒場のオーナー。 元ゴールドクラスの冒険者にして、ミシャ災害の被害によりそれを引退したジェットだ。


「大事なのは “仕込み” 。 つまりよ――――そいつさえしっかりやっときゃ、冒険なんてしねぇでいいんだよぉッ! 聴かせてやるぜ、狼人族の遠吠えをよぉッ!!」


 忘れかけた設定、そしてほぼ活かされていない『狼人族』の力を発揮すると叫ぶ。


 これはどうした事だ、まるで主人公の台詞だぞ。


「ふぅぅぅー………」


 呼吸を整え、そして大きく目を見開き、空と見つめ合う様に天を仰ぎ、



「アンジェーーーーーッ!!! 風だぁああーーーーーッ!!!」



 空を切り裂く、狼の遠吠えが上空に登っていく。

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