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第一章

派遣白魔導士、少年の牙を折る

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 ―――どんな奴が来るのかと思ったが、意外と若いんだな―――


 それは、甘美な響きだった……。

 ノエルにとっては大した意味もない言葉だったのかも知れない。

 しかし、ここ最近のミシャは酷く心をすり減らしていた。


(前回は若き冒険者達に色恋を見せつけられ、仕事終わりの疲れた身体に鞭を打ち真剣に出会いを求めて出かければ騙され弄ばれる始末。 そんな薄幸の美少女である私を、このノエルくんという少年は癒してくれるというのね……)


 瞳を潤ませてノエルを見上げるミシャ。

 だが、どうだろう。  このミシャの心の声は、些か自分に都合が良過ぎる気がする。


 ――現実はこうだ。


 若き冒険者達を曲解して妬み、ボス戦で非情にも戦闘中に見捨てた後、楽なクエストだった上に大した活躍もせず体力を残し飲み会に参加。  玉の輿に目が眩みまんまと騙されそうになったので、怒りに任せてゲロ吐くまで痛めつけ放置。  そんな自分を棚に上げて、それもなどと一体どの口が言えたものか。  飲み会翌日のミシャは完全に、 “発酵した魔女” といった風体だった。


「そ、そんな、若いだなんて……確かにお肌はまだまだ反射魔法ばりに水を弾くし、この前なんてブリッブリの可愛い服着て飲み会行ったら “えっ、この子お酒飲ませて平気なの?” なんて言われちゃったけどぉ……」


 ―――それはお世辞である。


 赤く染まる頬に両手を添えながら、もじもじと身体をくねらせるミシャ。 

 少しおだてりゃ過剰に舞い躍る。  その気にさせれば明日にでも教会で一人、来ない相手をウエディングドレスでいつまでも待っていそうだ。
 先日の飲み会での反省が全く活かされていない、脳みそ桃色魔導士ミシャ二十二歳。

 しかし、その桃色の脳みそを真っ白に変える、世紀の大魔法がノエルの口から放たれたのだった。


「偉いだな、旦那の稼ぎが悪くて家計助けてんだろ?」



「――は?」



 ノエルの放った言葉は、禁忌魔法ですら成し得ない “時を止める” 魔法だった。


「だってその若さで引退して派遣やってんだからよ、当然結婚して旦那の為に働いてるって事だよな?」


 ……悪気は無い、決して悪気は無い筈だ。


 恐らくノエルの想像した内容はこうだ。

 ただ現役を引退するには若過ぎる、考えられるのは結婚して今は家庭に入り、僅かでも家計を助けようと健気に働く “良妻” 。 そう思われるのはごく自然な事。

 怒ってはいけない、ノエルにはなにも悪意はないのだから……。


「まぁさ、女だてらに冒険者なんてやるよりよ、女には女の生き方ってのがあるんだから、引退して正解じゃねーの?」


 でもそのぐらいにしようか、ノエルくん。


 先程まで喜びで潤んでいたミシャの、キラキラと輝いていた瞳に影が落ちる。


「だって悲惨だぜ? 長々と冒険者やって気づけばいい歳でよ、婚期通り越してから引退して、もらってくれる相手もいないから派遣で食いつなぐ生活とかよ」


 お客様、あちらの男性からご注文『フルコース』を頂きました。


「……ぅふ……うふふふ……あははははははは」

「――な、なんだ急に!?」


 怒りの臨界点に達し、壊れたように笑い出すミシャ。

 その瞳に浮かんでいた雫は、初め滲んだ喜びのそれと同じ筈なのだが、今はそれが血の涙にすら見える。


「ノエルさん? そろそろクエストに行きましょう。 こんな簡単なクエスト、私が十七の頃ならやってませんからっ!」


 目を見開き、見下すような顔でノエルを蔑むミシャ。

 今回はなんと、クエスト出発前から猫被りは終了のようだ。

 突然急変した態度にノエルは顔を顰める。  そもそもノエルはミシャに失礼な事を言ったつもりがないのだから当然の反応だ。


「なんなんだよ、お前だってシルバークラスじゃねーのか?」


 そんな事は会社から渡したプロフィールに書いてある事だが、ここまでの会話から鑑みるに、どうやらノエルはミシャのプロフィール用紙をまともに見ていないらしい。


……ね。  ほら、早くしないと契約時間が終わってしまいますよ?」


 含んだような物言いをするミシャ。
 いい加減頭に来たノエルは、


「わかった、そこまで言うならちゃんとついてこいよな」


 挑発的な態度を続けるミシャに、ついにノエルも我慢し切れず受けて立つ。


「はい、お任せくださいな」


 余裕の表情で微笑むミシャ、ノエルは視線を逸らし呆れたように息を吐く。


(なに急に機嫌悪くなってんのか知んねーけど、狼人の足に魔導士が、それも女が付いてこれるわけねーだろ?  すぐに吠え面かかせてやるっての)



 ◆



 今回の標的であるアイスドラゴンは、雪雫ゆきしずくが生息している地帯に現れたという。 つまりそこには、今まで雪雫を採りに来る業者が通っていたという事だ。
 ということは氷原地帯とはいえ、その道程はクエストとしてはそこまで高い難易度ではないと思われる。

 だが、その道を行くノエルの表情は険しく、焦りすら感じていた。


(なんだってんだよ―――おかしいだろ……!)


 額に汗が滲む。 全力ではないにしろ、ある程度には速度を出して進んでいるのだ。


(普通の魔導士ならとっくに置き去りの筈だろ……それにコイツは女だ、なのに―――なんで付いてこれるんだ!?)

 ノエルの後ろには、すぐに引き離して『待ってください』、と言わせる筈だったミシャがぴったりと付いてきている。

 前線職ではない魔導士、それも女性を相手に俊敏な狼人族の自分が遅れを取るなどという事は万が一にもあり得ない。  そう高をくくっていたノエルは、今も引き剥がせないその女白魔導士に畏怖すら感じていた。


「気を遣ってしてくれなくてもいいですよ?  ノエルさん」

「――ッ!? ………調子に乗りやがって……!」


 まだまだ余裕だと挑発してくるミシャに、そのプライドを傷つけられたノエルは鋭い犬歯を剥き出して睨みつける。


(もう我慢できねぇ! 見失っても知らねぇからなッ!)


 自分で雇った派遣ではあるが、ここまでコケにされては堪らない。  ノエルは自尊心を優先し、全力でミシャを引き離そうと速度を上げた。

 その速度に視界が狭まる。 その時、


「――なんだ?  雪か?」


 狭くなった視界の端に、宙に浮いた物体が映る。


「こんな大きな雪が降るわけないでしょ?  “アイスボム” よ!」


 から、注意を促すミシャの声が聞こえる。


「――なッ!?  なんで付いてこれんだよおめーはよぉ!!」


 まるで悪夢を見ているようだった。
 亜人種の中でも高い敏捷性を持つ狼人族。 その自分が全力で引き離そうとしたのだ。

 追い付ける筈がない。

 しかも相手は人間で、魔導士で、女なのだから。

 そのショックからミシャの警報を聞いていなかったノエルに、アイスボムが放った氷のつぶてが襲う。


「――がッ! な、なんだこりゃ……!」


 警戒を怠った結果顔面に被弾し、よろめき速度を落とすノエル。


「ただの氷の粒ですよ、このぐらいの敵で魔法は使いませんから、ちゃちゃっとやっちゃいましょう」


 大袈裟だと言わんばかりに冷静な声で話すミシャ。
 ノエルが目をこすり辺りを見ると、宙に浮かぶ拳大程度の青白い火の玉が三つ浮かんでいた。


「――ふッ!」


 鋭い息吹と共に地を蹴ったミシャがその一つに飛びかかり、いつの間にか抜いた短剣で両断する。


「……なんだ、コイツ……」


 またしても見せつけられる驚きの光景に、ノエルは茫然と呟く。


(魔導士のくせに杖も持ってねぇと思ったら、短剣は持ってんのかよ。  詐欺みてーなやつだな)


「か弱い後衛の私が一体倒したので、後はノエルさんお願いしますねっ」


 ミシャはノエルに向き直り、満面の笑みを浮かべて後を託した。
 今だに陰湿な態度を続けるミシャ。 だが忘れてはいけない、


 ―――ノエルは何も悪い事はしていないのだ!


(こういう小さくて捉えにくい敵は、両手剣には向いてないのよね~)


 さあ、お手並み拝見といった表情でノエルを眺める。  ここまで苦渋を舐め続けた狼人族の少年は、鋭い琥珀色の瞳を上げ、背中に携えた長い両手剣をゆっくりと構える。

 ノエルが正面に浮かぶアイスボムに目標を定めた時、九時の方向に浮かぶもう一体のアイスボムが氷のつぶてを飛ばして襲いかかって来た。

 ノエルは素早くバックステップをして攻撃を躱し、自慢の脚力で跳躍する。

 空を切る音が聞こえた。  

 人間離れした速度で、瞬間に仕掛けてきたアイスボムとの距離を詰めると、狼は重い両手剣を羽のように軽々と振るい、一撃の元に一体のアイスボムを仕留めていた。


「……あんまり舐めんなよ、白魔導士のねーちゃん」


(まぁカッコつけちゃって。  でもさすが狼人族、スピードだけじゃなくてパワーもあると。 ………“ねーちゃん” はどうなの?  若いの?)


 名誉挽回の活躍に凄みを利かせるノエル。  ミシャはどちらかというと最後の言葉の方が気になっているようだが……。


「こんなザコなんかに手こずるかよッ!」


 勢いそのままに最後の一体に飛びかかる。
 両手剣を天に振りかぶり、真っ二つに切り捨てようと振り下ろす直前、


「あ、そういえばっ!」

「――なぬっ?」


 突然思い出したように声を上げるミシャに気を取られ、ノエルの剣先はアイスボムを中途半端に削ぎ落とした。


「なんだよっ!  仕留め損なったじゃねーか!」


 すんでの所で邪魔をされたノエルは、声を荒げてミシャに文句を飛ばす。


「アイスボムはですね、中途半端にダメージを与えると……」


 ノエルの文句も何処吹く風、淡々とモンスターの解説を始めるミシャ。


「だからなんなんだよっ!?」


 変な所が素直なのか、ノエルはその講釈を律儀に聞いている。


「自爆するので気をつけてくださいねっ」


 ミシャが解説を終える頃、青白い火の玉は赤く色を変え、破裂寸前の風船のように膨張していた。



「じ、じば――――ぐぅぅッ!!」



 視界を奪う眩ゆい光が一閃煌き、直後鼓膜を震わす爆発音が氷原に響いた。



「………お前………わざと………だろ………」



 無残にも焦げ倒れている少年剣士。  恨めしそうな声で息も絶え絶えに言葉を零すと、その側にしゃがみ込んだミシャが、心配そうな表情を作って口角を上げる。


「大丈夫ですかぁ?  回復、します?」


 揶揄うような声色で焦げた狼を覗き込むミシャ。 本当なら頼みたくないノエルではあったが、この先を考えるとそうもいかない。


「………頼む」


 プライドをかなぐり捨て、ミシャに救いを求める焦げ狼。  ミシャは、


「はい?………なんて言いましたかぁ?」


 その表情は魔導士の “魔” 、のみを色濃く映した表情だった。
 その苛立たしい顔にノエルは牙を見せるが、やがてその牙をしまい、瞼を伏せ、


「お願い……します……」

「はいっ、お仕事ですから♡    光の息吹スピリタス=ルミナス


 ノエルの身体に添えた両手から、柔らかな光がほとばしる。  その光がノエルの痛んだ身体を包み、その身を癒していく。  
 このクエストで、初めて白魔導士らしく魔法を使ったミシャ。  

 上半身を起こしたノエルは、じとっとした目でミシャに視線を向け、


「お前は一体何者なんだよ」


 全速力の狼人族に付いてくる足、物理攻撃でモンスターを仕留める剣技、どれもノエルの認知する白魔導士と大きく違う。

 その当然とも思える質問にミシャは立ち上がり、ノエルを見下ろして力強く言い放った。



「私はマギストリア商工会ロージアン支部所属、白魔導士ミシャ―――二十二歳、・ですッ!!」



 その眼光は、狼人族であるノエルを遥かに凌ぐ鋭さだった。  
 ノエルはその迫力に怯え、今までミシャが取ってきた態度の原因を理解し、ぐったりと項垂れた。


 そして、




「…………すいませんでした」




 派遣白魔導士ミシャ。

 血気盛んな若き狼人族の少年、その牙さえ折る女。

 さあ、わだかまりは解けた、筈……。  
 目標のアイスドラゴンを目指し、二人はまたクエストを続ける。



(俺……金払ってんのに……依頼者なのに……。 この先、気ぃつかってやってくのかよ……)


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