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20 イリヤの身の上4ー死合おうか

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 やがて、嵩高い塀に囲まれた広大な土地が見えてくる。入り口には立派な大門がそびえ立っており、開くのに何人の男衆の力が要るのだろう、と何度空想したことか。
 イリヤはその門の脇に設けられた、通用門を使って敷地内に入った。
 稽古の時間が近いので、同門生が次々やって来ては門をくぐっていく。その顔ぶれは老若男女様々だった。
 顔なじみに挨拶されても、イリヤは会釈を返すのみだった。
『無愛想なヤツ』
『触らぬ神に祟りなし』
 と、門下生の間では囁かれているイリヤだった。
 道着に着替え終わり、逆十字のペンダントを懐に仕舞い込む。道場に移動し、本格的な稽古に入る前に必ずやることになっている、身体をほぐすストレッチをする。
 イリヤはこの道場主の孫である、ウルムナフ、通称ウルの隣に陣取っていた。若干十八歳にして師範代の腕前を持つ、豪腕だ。細身ながら、必要不可欠な筋肉がびっちり肉体に張り付いていて、体幹も強い。イリヤも幾度となく組み手をしてもらうが、まるで歯が立たない。
 ちなみにウルは、ユジュンの姉、メイヨと恋仲である。
「イリヤさぁ、ユジュンから何か聞いてねぇ? オレのことなんか言ってたとか」
「…知らねぇ」
 イリヤは両足を大きく開脚して、上体をべったり床にくっつけた。
「そんな、他人を介した話なんて、だいたい、あてになんねぇだろ」
「そんなこたぁねぇよ。そういう、家族の評判とか気になる、気になる、気になるじゃーん」
「仲、上手くいってないのか」
「いんや。オレたちゃ、こう見えてラブラブよぉ」
「じゃ、それで、いーだろ」
 今度は上体を左足にくっつけて、伸ばす。
「それより、ウル」
「なんだよ、改まって」
「前、この敷地の中に、お社があるって、言ってなかったか?」
「ああ、あるぜ。今でも毎日米と水と塩をお供えしてるぜ。あと、一日と十五日には榊も交換するな。決まりで、女は近寄っちゃいけないことになってる」
 それがどうかしたか? という表情をウルはしている。
「稽古のあと、見せてもらっても、いいか」
「ああ、別に、お社くらいいくらでも」
 ウルは快諾してくれた。
 みっちり、二時間の稽古が終わり、流れ落ちる汗をタオルで拭って、落ち着いた頃。セーラーカラーの上下に着替え終わったイリヤを、ウルが迎えに来た。
「おーい、イリヤ、いるかー?」
 ウルがひょいと顔を出して、脱衣所を覗き込んでいる。
「今、行く」
 汗に濡れた道着を帯でまとめたものを、背にひっかけて、ウルの元へ行く。
 道場の敷地は果てしなく広く、一体何坪、あるいは何平米あるのか見当もつかない。
 道場をそれた木立の道なき道を行く。
 お社までの道のりは、ちゃんと草刈りがされており、歩きやすいように整備されてある。少しばかり歩いて、ぽっかり口を開けた空間にお社が建っているのが見えた。
「これが、お社だ」
 お社は人の手で磨かれているのだろう、真っ白で美しく輝いていた。先日の化け猫屋敷のお堂とは大違いだ。
「……なんか、噂とかあるか」
「ああ、女の幽霊が出るらしいって言い伝えはあるぜ」
 ひゅーどろろ、とウルはお化けの真似をした。
 どうやら、都市伝説の発生源はここで間違いないようだ。
「どうして、噂が、外に、漏れないんだ?」
「どうしてって…うーん……」
 そんなこと考えもしなかったのだろう、ウルはしばらく唸ったあと、
「あ、この敷地内に、結界が張ってあるからじゃねーのか」
「昔、から、か」
「ああ、昔っからだ」
 ウルは頷いた。
「今夜、ここに、仲間を連れて来ても、いいか」
「えー、イリヤ、仲間とか呼べる友達いんの? そんな、如何にも一匹狼です、みたいなツラしといて」
「悪いか」
 イリヤはちょっと、ムッとした。
「いーや、イリヤにお友達がいて、お兄さんは嬉しい」
 ウルは高い所から、イリヤの首に腕を引っかけて抱き寄せて来た。何しろ身長差が軽く二十センチはあるので、本気で息が苦しい。
「やめ、ろ」
 イリヤはウルの巻き付いた腕を叩いて、抜け出した。
「まぁ、夜中ってのは感心できねぇが、別に構わねぇよ。通用門の鍵も開けといてやる。
ただし、悪さはするなよ?」
「しねぇ。ただの、悪霊退治だ」
「悪霊? なにごっこして遊んでんの? 今の子供のはやか?」
 ウルはただ、不思議そうな顔をしていた。
 教会に帰り着くと、ちょうど、夕飯の時間だ。ヨシュアとジュートとギルまでもが、慌ただしく配膳をしている所だった。
 メニューは精肉店で、特別に安く譲ってもらった、牛の切り落としを使った、どんぶりだった。年下の手前、手づかみで食べるわけにもいかず、イリヤは年長者として範を示す為に、スプーンを使って行儀良く食べた。
「おにく、おいしいね、イリヤ」
 小さな声で、ぴったりイリヤの隣に座って、小鳥のような小口でどんぶりを食べるハイネはどこまでもいたいけだ。
「肉は、滅多に食えないから、味わって、食え」
 この牛肉も、本来なら廃棄するような部分なのだ。それでも十分美味いので、文句はないが。
「うん」
 ハイネは小さな口を、懸命にもごもごさせて、どんぶりを食していた。
 食器を洗って片し、風呂にも入って、あとは寝るだけ、となった時間に、イリヤはこっそり教会を抜け出した。
 夜半近く、噴水広場に仲間たちが集結していた。
「あ、イリヤ!」
 真っ先にこちらに気がついたユジュンは、いつも通りクーガーを従えている。
「何だかんだ言って、いっつもおまえは遅れるよな、イリヤ」
「まぁまぁ、ヒース。集団生活送ってるイリヤは、抜け出すのんも一苦労なんやって」
 ヒースが毒づくのを、テンがなだめる。それもいつも通りだ。
「今回は、イリヤ、おまえが頼りなんだからな! しっかり案内しろよ!」
 ヒースは昼でも夜でもエラそうだ。
「分かってる。話は、つけてきた」
「だったら、さっさと行こーぜ」
 ヒースが親指を立てて、後ろを指した。
「こっちだ」
 イリヤは通い慣れた道場への道を、案内して歩いた。
 時間にして二十分ほど。子供の足なので、大した距離ではない。
「ここだ」
 門の前に着いた一行は、その大きさに感じ入っていた。
「ホントに入っていいんだろうなぁ?」
 ヒースはイリヤに疑いの目を向けてくる。
「話はつけた、と言った」
 イリヤは通用門を開けて中に入った。ウルは約束通り鍵を開けておいてくれたようだ。
三人と一匹も続いてくる。
 あとは、道場を迂回して、木立を抜け、お社のある広場まで歩くだけだ。
「う~~。なんか、ここ、外と空気違う~~」
 テンの霊感センサーに何かが引っかかったのか、両腕を組んで、自分を抱き締めている。
「結界が張ってある、とか、言ってた」
「あ~なるほどぉ。通りで寒いと思ったぁ」
 テンはやけに納得した風だった。
 結界とは寒いものなのだろうか。霊感のないイリヤにはサッパリだ。
「に、しても結界とはなぁ。道理で外に噂が漏れないワケだ」
「霊が閉じ込められて、外に出られへんもんねぇ」
 ヒースがぼやくと、テンがそれを受けて口を開く。
「ここだ」
 お社の前で、イリヤは足を止めた。
「これが、お社。立派なもんやねぇ」
 テンが感心している。
「えーと、『夜な夜な試合をふっかけて回る女の霊』だっけ。その女の人はどこかなぁ」
 そう、ユジュンがランタンを持って辺りをぐるりと見回したとき、足下のクーガーが体勢を低くして、唸り声を上げた。
 お社がぼやりと淡い光を放った。
『あたしのことを、探してるのかい?』
 奥の森から、誰かが歩いてくる。
 その方向を、ヒースがランタンで照らした。
 ざっざっと素足で歩いて来る音が、近寄って来るのが分かる。
 イリヤはただならぬ気配を感じた。脳幹から背筋をビリビリと電流が走った。
 ランタンの明かりに照らし出されたのは、若い女。胸の大きく空いた着物を身につけ、赤いしめ縄でウエストを締めている。袴などは身につけておらず、太ももがむき出しだ。
 長い黒髪を優雅に垂らした、グラマラスな美人だった。
『あんたたちが、あたしの相手をしてくれんのかい?』
 幽霊に足がない、などというのは迷信だ。証拠に、この女にはれっきとした足がついている。霊に足がないと言われるのは、昔の人気画家が奥さんの幽霊を描くときに足を描かなかったことに端を発する。後進の画家がそれを真似て、一般的な定説になっていっただけの話である。
『久々のお客さまだ。たっぷり死合おうぜ』
 女の霊は、ゆったり足を開き、構えを取った。
 この女、かなりの手練れだ。イリヤは一瞬にして悟った。
「俺が、相手を、しよう」
『美形だねぇ』
 ひゅう、と女が口笛を鳴らした。
 イリヤも構えた。
 死合いが始まる。
 瞬間、女の鋭い蹴りが、繰り出された。速い。イリヤは左腕で受けたが、その一撃が重い。筋肉を通じて、骨が軋みそうだった。
 イリヤは殴ると見せかけて、足払いを掛けようとしたが、読まれていた。そのまま、女はムーンサルトを決めに来た。イリヤはかかとが弧を描くのを、すんでの所でかわしたが、僅かに顎をかすった。
『へぇぇ、やるじゃないか、少年』
「くそ」
 イリヤは手こずった。
 女は明らかに実力がイリヤより上を行っている。攻撃をギリでかわせているのが奇跡的だった。決め手になるような一撃をまだ食らっていなかったが、攻撃の応酬に徐々に体力を削られていく。
「もう、アカン。見てられへん!」
 テンが飛び入りで、この死合いに加勢する気らしい。
「テンちゃん!」
「テン!」
 息を潜めて死合いの行方を見守っていたユジュンとヒースが、揃って声を上げる。ユジュンは今にも飛び出しそうなクーガーの四肢を押さえるのに必死だ。
「イリヤ! 助太刀すんで!」
 テンは女の背後から殴りかかったが、難なく避けられる。
「俺、ひとりでい…」
「何言うてんねん、防戦一方やんか!」
 反論しようとしたが、半ば食い気味でテンに意思を否定されてしまった。
 二人の少年が、女格闘家の霊の前に立って、それぞれの構えを取る。
『へぇ…一対二かい。いいよ、かかってきな』
 女は二人から繰り出される攻撃を、難なくいなした上で、追い打ちのように反撃を加えてくる。
『総合格闘技とカンフーかい。いいね、かかって来い!』
 リズムの違う両者の攻撃を、女は踊るようにかわす。よける。カウンターも速い。的確に急所を狙ってくる。
 そして、定期的に大技を繰り出してくる。
『獅子連撃!』
 それを回避するのが大命題だった。
 手が着けられない。
『坊や、その腰の剣は抜かなくていいのかい?』
 攻撃をよけて、後ろへ飛び退いたテンに向かって、女が問うてくる。
「丸腰相手に、武器は向けられません!」
『なんだい。女性優先かい? 男前だねぇ』
 この女に一撃を食らわすのは、至難の業だった。
「小細工は、一切、効かねぇ」
 イリヤは隣のテンを見た。
「正面からぶつかるのみ、やね」
 テンはにぃっと口の端を上げた。
 その微笑に、イリヤは幾らか勇気をもらった。
 一緒に戦える相手がいるだけで、こんなにも胸が熱くなるのはどうしてだろう。
「はぁぁ!」
 一気に女と距離を詰めたイリヤは、渾身のかかと落としを繰り出したが、柳の木の枝でも払うように片手でいなされ、無効化されてしまう。
 間髪を入れず、テンが回し蹴りを加えたものの、女はその足首を掴むと、勢いを付けて放り投げた。
「テン!」
 イリヤは叫んだ。
 幸いテンは受け身を取って、直接地面に激突する危機は回避した模様だ。
 テンが加勢しても事態は好転しないどころか、徐々に戦況は芳しくなくなる。
 イリヤも、テンも、女の猛攻に耐え忍んではいたが、それぞれ腹や顔に何発ずつか食らっていた。
 そうして、吹っ飛ばされては立ち向かい、三十分ほども組み手をやっていただろうか。
「はぁ、はぁ」
「ふー、ふー」
 地面に転がった二人は、疲弊し、起き上がれずに、未だ無傷の女を見上げていた。
『なんだい。もう終いかい?』
 女は傷だらけの二人を見下ろした。
 それでも、イリヤは満身創痍でよろめきながら立ち上がる。テンも同じく。
 テンは足下の石を掴んで、木の陰に入る直前に、女目がけて投石した。捨て鉢になったのかと思ったが、イリヤはテンと視線を交わしてその意図をくみ取った。追い詰められたネズミは猫をも噛む
 女は石を、ちょいと頭を動かしただけで避けた。
 テンが木立に隠れた瞬間、女の死角で腰の剣を抜いて上へ投げるのがちらっと見えた。
 勢いを付けて、イリヤは女と距離を詰めた。一度、二度、拳を交わす。テンも回り込んで来る。
 だが、女が異変を察知した。
『?!』
 遅れて飛んできた飛来物に、一瞬虚を突かれて動きを止め、イリヤたちへの警戒の壁を薄くした。気を逸らしたと言ってもいい。 
 その僅かに生まれたほころびを見逃すイリヤではなかった。
『グゥ!』
 イリヤの右拳が一閃、女のみぞおちにクリーンヒットした。会心の一撃だった。
 そして、続けざまに、テンの上段裏回し蹴りが女の左首に炸裂した。
『ガッ!』
 まともに食らった女は、白目を剥いて、その場に膝を折ったとき、剣が背後の木の幹に突き刺さった。
「終わった、か……?」
「ウン、手応えはあった」
 まさしく、窮鼠猫を噛む。
 イリヤもテンも肩で大きく息をしていた。体力の限界が近かった。その場にくずおれるようにして、しゃがみ込む。
 これ以上、女がかかってくるとなると、太刀打ち出来ない。
『おや。一発、二発、食らっちまったね』
 女はふらりと立ち上がった。
『これが痛みてやつだったかい。懐かしい感覚だねぇ』
 参った、参った、と女はあっけらかんと言って諸手を挙げた。
 それは、敗北宣言だったのか。
 はっきり実体を保っていた女の身体が、徐々に薄く、透けていく。
「気は、済んだ、のか」
 息も絶え絶えに、イリヤは女に尋ねた。
『ああ。最高の死合いだった。思い残すことは、もうないね。坊や、あたしを送ってくれるかい?』
 離れた場所で事の成り行きを見つめていたユジュンとヒース、クーガーが、事態が動いたことに気が付いて、飛んできた。
「イリヤ!」
「テン!」
 イリヤはユジュンに肩を借りて立ち、テンはヒースに肩を借りて何とか立っていた。彼らの周囲をクーガーがぐるぐる回る。
「俺が、送る」
 呼吸を整えたイリヤは、ユジュンから離れると、両手を組んだ。
『天にまします、我らが神よ。この者の罪をお許しください。あなたの御許にお迎えください』
『ありがとうよ』
 名も無き女が静かに両目を閉じた。
『ラートン』
 イリヤが祈りの言葉を口にしたとき、女の姿は光となって跡形もなく消え去っていた。
 と、同時にお社がまばゆいばかりに光を放ち、パァァンと乾いた音がした。
『第五ゲート、解放』
 響く、電子音。
 お社の中を覗いてみると、水晶が粉々に砕け散っていた。
「……――」
 イリヤの胸元では、逆十字のペンダントが月光を受けて鈍く光っていた。
 もっと、もっと強くならなくてはいけない。
 でないと、守りたいとき、守りたいものを守れない。
 そんなのはご免だ。
 何も、亡くしたくない。
 イリヤは自分の身体を気遣うユジュンを見つめて、そんなことを考えていた。
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