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5話 は、恥ずかしいっ! 心臓がバクバクだ
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次の日、お見舞いに行くと先生は四人部屋に移っていた。
「先生、お加減はどうですか?」
「うん……今は、絶食絶飲中だから、それがちょっときついかな……」
先生は力なくほほ笑んだ。
夕べ、ネットでどうして急性膵炎になったのか色々調べた。急性膵炎は暴飲暴食やアルコールの取り過ぎで発症することが多いらしい。
普段から先生の食生活は乱れていたみたいだけど、前夜に沢山お酒を飲ませてしまったのは私だ。
「先生、すみません……私のせいかもしれません……」
私は頭を下げた。
「前の日に沢山お酒を飲んだから……」
「いや、原先生のせいじゃないよ。少し前から調子が悪かったんだ……というかここ何年もめちゃくちゃな生活を送っていた。……自分の体なんてどうでもよかったから」
「先生……」
そんなこと言わないで。結衣さんを失ったことで先生は自分の事を大切にしなくなってしまったの?
私の顔がよっぽど悲しそうだったのか、隣のベッドの患者さんに、
「喧嘩したのかい? こんなにかわいい彼女を泣かせたらいけないよ」
って吉野先生は怒られてしまった。
お見舞いに来ていた奥さんも、
「二人は付き合い始めたばかりなのかしら?」
って声をかけてくれた。
「あ、いえ……」
「お互いに先生、先生って、初々しくていいわね。なんの先生?」
「小学校です……」
「あらー、そう! 私たちの孫は来年小学校に上がるのよー」
奥さんは気を使ってお孫さんのかわいいエピソードをを色々聞かせてくれた。吉野先生は目を閉じていたけれど時々くすっと笑っていたからきっと聞いていたんだと思う。先生は新学期が待ち遠しいだろうな。それまでに退院できるといいけど……。
主治医の先生によると入院は二週間ほどになるようだった。仕事はしばらく休まないといけないけれど新学期には間に合いそうだ。先生はホッとしているようだった。
「先生、良かったですね」
「ああ……良かった……伊織さん、ありがとう」
ベッドに体を起こした先生が私をまっすぐ見つめて言った。
「せ、先生、伊織さんって……」
突然の名前呼びに驚いてしまう。
「いや、病院で先生と呼び合うのはあまり良くないかと思って……」
「じゃ、じゃあ、伊織って呼び捨てにしてくれませんか? そのほうが嬉しいです」
「分かったよ……伊織」
先生の低い声で名前を呼ばれる日が来るとは思わなかったので衝撃がすごい。
「ひ、響さん……」
私はうつむいて名前を呼んでみる。は、恥ずかしいっ! 心臓がバクバクだ。
「うん」
そっと顔をあげたら先生が優しいまなざしでまだ私を見つめているから、私はあわてて顔を伏せる。か、顔があげられない。火照って熱いよ。……響さん、もう勘弁してください。
月曜日の朝、校門の前で中山先生と佐藤先生といっしょになった。
佐藤先生とは同じ電車通勤だけど私はJR、佐藤先生は私鉄で通勤している。近くに住んでいる中山先生は晴れた日は自転車なのに二人で一緒に歩いて出勤してくるのは珍しい。
この土日を一緒に過ごしたのかも知れない。
「おはようございます、原先生」
「おはようございます」
二人は、朝から満面の笑みで挨拶をしてくれた。
「おはようございます、佐藤先生、中山先生」
今までの私だったらきっとショックを受けていたと思う。でも、今朝は全然平気だ。
不思議だな……。
私は、少しずつ失恋の痛みに慣れてきた様だ。
「あ、原先生! 土曜日にアウトレットに行ってお土産を買って来たので後で事務室に持っていきますね!」
「ありがとう!」
中山先生はいい子でかわいい、佐藤先生には幸せになってもらいたい……。
始業時間前、入院中の響さんから事務室に電話がかかってきた。なんだかドキドキする。
「原先生、おはようございます……校長先生に繋いでもらえるかな?」
「吉野先生、おはようございます。校長先生ですね、少々お待ちください」
事務室の隣にある校長室に転送する。
「校長先生、吉野先生からお電話です」
しばらく、隣室から話し声が聞こえた後、私は校長室に呼ばれた。その後、響さんの病欠の手続きをした……。
「あら、今日吉野先生、お休み?」
事務室に養護教諭の山下先生が顔を出した。
「山下先生、お疲れ様です」
山下先生は良く事務室にコーヒーを飲みに来る。穏やかで大好きな先生だ。給食時間もいつも事務室で一緒に食べていて私にとっては頼りになるお姉さんのような存在だ。
「はい、しばらく病欠されます」
「そうなのね……そういえばこの時期だったわね……いつか、こんな日が来るんじゃないかと心配していたのよねぇ」
それって、もしかして……。
「山下先生は吉野先生の事情をご存じなんですか?」
「ええ、私は、前の学校でも吉野先生と一緒だったから……結婚式の直前に恋人が亡くなってね……でも普段はそんな事おくびにも出さなくて……でも、あの時はかなり痩せてしまったのよ、痛々しくて見ていられなかったわ」
やっぱり、つらかったんだ……。だから……。
「だから、あんな先生になってしまったんでしょうか?」
「何のこと?」
「吉野先生って書類の提出とかいつもぎりぎりじゃないですか? 山下先生も大変ですよね?」
実は、保健室も各教室との書類のやり取りがとても多いのだ……。問診票や、健康観察簿など日々、様々なやり取りをしている。
「原先生、私はね書類仕事が早い先生がいい先生とは限らないと思っているの。吉野先生はいつも児童が中心! 職員室にいる時間が誰よりも短いのは、昼休みは必ず子供達に付き合うし、いつも本気で向き合っているからよ。……彼はとってもいい先生よ。主幹教諭、教頭、校長って出世コースに乗りたいなら事務仕事が得意なことに越したことはないけど……吉野先生はずっと現役でクラス担任をしたいタイプだと思うわ」
……そうだったんだ。……響さんはいい先生だったんだ。私は何を見ていたんだろう。目の前の仕事にいっぱいいっぱいで何も見えていなかった。
ああ、早く響さんに会いたい。
「先生、お加減はどうですか?」
「うん……今は、絶食絶飲中だから、それがちょっときついかな……」
先生は力なくほほ笑んだ。
夕べ、ネットでどうして急性膵炎になったのか色々調べた。急性膵炎は暴飲暴食やアルコールの取り過ぎで発症することが多いらしい。
普段から先生の食生活は乱れていたみたいだけど、前夜に沢山お酒を飲ませてしまったのは私だ。
「先生、すみません……私のせいかもしれません……」
私は頭を下げた。
「前の日に沢山お酒を飲んだから……」
「いや、原先生のせいじゃないよ。少し前から調子が悪かったんだ……というかここ何年もめちゃくちゃな生活を送っていた。……自分の体なんてどうでもよかったから」
「先生……」
そんなこと言わないで。結衣さんを失ったことで先生は自分の事を大切にしなくなってしまったの?
私の顔がよっぽど悲しそうだったのか、隣のベッドの患者さんに、
「喧嘩したのかい? こんなにかわいい彼女を泣かせたらいけないよ」
って吉野先生は怒られてしまった。
お見舞いに来ていた奥さんも、
「二人は付き合い始めたばかりなのかしら?」
って声をかけてくれた。
「あ、いえ……」
「お互いに先生、先生って、初々しくていいわね。なんの先生?」
「小学校です……」
「あらー、そう! 私たちの孫は来年小学校に上がるのよー」
奥さんは気を使ってお孫さんのかわいいエピソードをを色々聞かせてくれた。吉野先生は目を閉じていたけれど時々くすっと笑っていたからきっと聞いていたんだと思う。先生は新学期が待ち遠しいだろうな。それまでに退院できるといいけど……。
主治医の先生によると入院は二週間ほどになるようだった。仕事はしばらく休まないといけないけれど新学期には間に合いそうだ。先生はホッとしているようだった。
「先生、良かったですね」
「ああ……良かった……伊織さん、ありがとう」
ベッドに体を起こした先生が私をまっすぐ見つめて言った。
「せ、先生、伊織さんって……」
突然の名前呼びに驚いてしまう。
「いや、病院で先生と呼び合うのはあまり良くないかと思って……」
「じゃ、じゃあ、伊織って呼び捨てにしてくれませんか? そのほうが嬉しいです」
「分かったよ……伊織」
先生の低い声で名前を呼ばれる日が来るとは思わなかったので衝撃がすごい。
「ひ、響さん……」
私はうつむいて名前を呼んでみる。は、恥ずかしいっ! 心臓がバクバクだ。
「うん」
そっと顔をあげたら先生が優しいまなざしでまだ私を見つめているから、私はあわてて顔を伏せる。か、顔があげられない。火照って熱いよ。……響さん、もう勘弁してください。
月曜日の朝、校門の前で中山先生と佐藤先生といっしょになった。
佐藤先生とは同じ電車通勤だけど私はJR、佐藤先生は私鉄で通勤している。近くに住んでいる中山先生は晴れた日は自転車なのに二人で一緒に歩いて出勤してくるのは珍しい。
この土日を一緒に過ごしたのかも知れない。
「おはようございます、原先生」
「おはようございます」
二人は、朝から満面の笑みで挨拶をしてくれた。
「おはようございます、佐藤先生、中山先生」
今までの私だったらきっとショックを受けていたと思う。でも、今朝は全然平気だ。
不思議だな……。
私は、少しずつ失恋の痛みに慣れてきた様だ。
「あ、原先生! 土曜日にアウトレットに行ってお土産を買って来たので後で事務室に持っていきますね!」
「ありがとう!」
中山先生はいい子でかわいい、佐藤先生には幸せになってもらいたい……。
始業時間前、入院中の響さんから事務室に電話がかかってきた。なんだかドキドキする。
「原先生、おはようございます……校長先生に繋いでもらえるかな?」
「吉野先生、おはようございます。校長先生ですね、少々お待ちください」
事務室の隣にある校長室に転送する。
「校長先生、吉野先生からお電話です」
しばらく、隣室から話し声が聞こえた後、私は校長室に呼ばれた。その後、響さんの病欠の手続きをした……。
「あら、今日吉野先生、お休み?」
事務室に養護教諭の山下先生が顔を出した。
「山下先生、お疲れ様です」
山下先生は良く事務室にコーヒーを飲みに来る。穏やかで大好きな先生だ。給食時間もいつも事務室で一緒に食べていて私にとっては頼りになるお姉さんのような存在だ。
「はい、しばらく病欠されます」
「そうなのね……そういえばこの時期だったわね……いつか、こんな日が来るんじゃないかと心配していたのよねぇ」
それって、もしかして……。
「山下先生は吉野先生の事情をご存じなんですか?」
「ええ、私は、前の学校でも吉野先生と一緒だったから……結婚式の直前に恋人が亡くなってね……でも普段はそんな事おくびにも出さなくて……でも、あの時はかなり痩せてしまったのよ、痛々しくて見ていられなかったわ」
やっぱり、つらかったんだ……。だから……。
「だから、あんな先生になってしまったんでしょうか?」
「何のこと?」
「吉野先生って書類の提出とかいつもぎりぎりじゃないですか? 山下先生も大変ですよね?」
実は、保健室も各教室との書類のやり取りがとても多いのだ……。問診票や、健康観察簿など日々、様々なやり取りをしている。
「原先生、私はね書類仕事が早い先生がいい先生とは限らないと思っているの。吉野先生はいつも児童が中心! 職員室にいる時間が誰よりも短いのは、昼休みは必ず子供達に付き合うし、いつも本気で向き合っているからよ。……彼はとってもいい先生よ。主幹教諭、教頭、校長って出世コースに乗りたいなら事務仕事が得意なことに越したことはないけど……吉野先生はずっと現役でクラス担任をしたいタイプだと思うわ」
……そうだったんだ。……響さんはいい先生だったんだ。私は何を見ていたんだろう。目の前の仕事にいっぱいいっぱいで何も見えていなかった。
ああ、早く響さんに会いたい。
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