最後の恋だなんて言わないで~先生、勘弁してください~

深海 なるる

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3話 私、こんなぶかぶかのTシャツなんか着て先生の部屋にいたら誤解されちゃう

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 先生がペットボトルのお茶を買ってきてくれていたので私は今リビングのカーペットに座ってお茶を頂いている。
 先生は今、テラスで洗濯物を干している。私のブラウスも一緒に洗ってくれた。さっき、吐いちゃったからね。汚れてしまったのだ。……申し訳ない。先生のTシャツを借りて着ているけどかなり大きい。これじゃあ、外には出られない。
 ところでこの家ってどのあたりにあるんだろう? 先生にも迷惑だろうから本当はすぐにでもおいとましたいんだけど……。仕事柄教職員の大体の住所は把握している。だけど……ここ、どこだっけ? どうやったら自分の家に帰れるの?
 いつも学校を中心に交通費の計算をしていてそれぞれの先生方の家までの地図や通勤ルートは全部確認済みだ。
 でも自分の家に帰る方法は分からない。
「あ、そうだ」
 私はスマホの地図アプリを開いた。
「え? 結構近い……」
 先生は私のご近所さんだった。

 こんなに近くに住んでいてなぜ今まで気が付かなかったんだろう? って不思議に思ったけど、私の家は線路を挟んだ隣町なので駅のこちら側に来たのは今日が初めてだ。
 おまけに吉野先生は自動車通勤。私は電車通勤なので通勤ルートが全然違う。
 でも、最寄りのスーパーは一緒だからもしかしたらすれ違った事はあるかもしれないな。
 先生、お弁当とかお惣菜とか頻繁に買いに行ってそうだもん。
 うーん、それにしても散らかっているなー。
 先生は片付けが苦手なようだ。床には本が散乱しているし、洗濯物は畳まずに取り込まれたままカーペットの上に置かれている。
 先生がテラスで洗濯物を干している間に少し片づけるか……。
 どうしても気になってしまう性格の私は、本を拾い集めて一か所にまとめ、洗濯物を畳んだ。
 先生はしわをのばさずに干して、取り込んでも放置しているからすでにしわしわだ。
 床に散らばっていたものがなくなると部屋は少しだけすっきりした。
「うわっ」
 テラスから戻ってきた先生が大げさに驚いている。
「原先生、どうしたらこんなに一瞬で部屋を片付けられるの? 魔法みたいだな」
 私より六歳も年上なのに子供みたいなことをいうから、おかしくて笑ってしまった。

 ピー、ヒョロロロロ、ハッホー。
 壁の鳩時計がかわいく一回鳴いた。もう一時だ。
 時間が経つのが早いなーなんて思っていたら、先生があわてて玄関へ向かった。
「あ、ヤバイ、忘れてた、ちょっと出てくる。悪いんだけど好きにしててもらっていいから」
 って、先生! どういう事ですか? ちょっと待って!
……あっけにとられる私を置いて先生は家を出て行ってしまった。
 好きにしてろって、どうしたらいいの?
 玄関で呆然と立ち尽くしていたらチャイムが鳴った。あれ? 忘れ物かな?
 私はすぐにドアを開けた。
「響さん、約束の時間になっても降りて来ないから……!」
 そこには黒いスーツを着た綺麗な年上の女性が立っていた。
 あの……? どちら様でしょうか? 
「あ、ごめんなさい!」
 途端に彼女は顔を真っ赤にして立ち去ろうとする。
 あ、待って。吉野先生のお客さんだ! 私、こんなぶかぶかのTシャツなんか着て先生の部屋にいたら誤解されちゃう。
 吉野先生は無実ですよー!
 私はすぐにマンションの廊下を走って追いかけた。
「ちょ、ちょっと待ってくださいっ」
 エレベータの前で追いついた……けど息がくるしい!
 ぜーはー、ぜーはー。
 うう、飲み過ぎた翌日に全力疾走してしまった。
「あの、大丈夫ですか?」
 座り込んでしまった私に彼女は声をかけてくれた。
「な、何とか……あの、お手数ですが吉野先生のおうちに連れて行って貰えませんか?」
 私は思いがけずお客さんを引き留めることに成功した……。

「あの、すみません、私は、吉野先生の同僚の原伊織と申します。こ、こんな格好でお留守番をしていますが本当にただの同僚なんです!」
 私は必死に弁明する。だって、この方、先生の彼女かも知れない。
 先生と約束しているっぽいことをさっきちらっと言っていたし……。先生、彼女いたんだね。勝手に失恋仲間扱いしてスミマセンデシタ。
……ほんのちょっぴり私の胸がチクンと痛んだ気がするけどここはスルー。
 彼女の誤解をとかないと。
「あの、昨夜職場の飲み会で飲み過ぎてしまいまして、吐いてしまったからお洋服を借りているだけで、け、決して彼女さんが心配するような仲では……」
「あの、原さん? 誤解です」
 って、え? 誤解?
「響さんは、姉の婚約者です」
 姉のコンヤクシャ……?
「私は佐々木結菜ゆなと申します、今日は亡くなった姉、佐々木結衣の命日で、それで響さんを迎えに来ました」
「…………」
 吉野先生……婚約者の結衣さんは亡くなっていたのですね。
 早く帰ってきてください……。結衣さんの妹の結菜さんがお待ちですよ……。
 でも、どんなに待っても先生は帰ってこなかった。
 スマホに電話してみたらダイニングテーブルの上に置きっぱなしだ。
 先生、今どこですか?

 冷蔵庫にペットボトルのお水があったから、さっき洗ったグラスに入れて結菜さんに出した。ダイニングテーブルの向かいの席に座る。
「多分逃げられたんでしょう、響さんは未だに姉の死を受け入れていないので。今日こそ一緒にお墓参りに行きたかったのですが……」
「えっとあの……」
 私は、なんて言葉をかけたらいいのか分からない。先生が、愛した人のお墓に参ったことがないという事が悲しい。
「でも安心しました」
 結菜さんはニコッと笑った。
「え?」
「この家で、誰かにお会いするのは原さんが初めてなんです」
「あの、私、ホントに吉野先生とは何にもありませんよ」
 ホントにホントのただの同僚だ。
「それでも、この家に人を招いたという事は響さんの気持ちも少しは落ち着いてきたという事なのかもしれません」
 結菜さんはそういうとリビングに面した扉を指さした。
「あそこの扉、姉が亡くなってから一度も開けていないそうです……姉の部屋になるはずで、荷物も運び入れて引っ越しの準備をしていたんですけど……姉はここで暮らさないまま亡くなりました」
 じゃあ、あの扉の向こうは今も結衣さんが生きていた当時のままなんだ。
「自動車事故だったんです、もう七年になります……新生活の準備でこの部屋から一人で買い物に行く途中に車にはねられて……事故を起こした運転手が姉が飛び出してきたと供述したので自殺したのではないか、と警察に言われました」
 そんな……。愛した人が自殺したんじゃないかって言われた時、吉野先生はどれだけ傷ついただろう。
「その後目撃者が名乗り出てくれて、運転手の信号無視だったことが分かって……姉は事故死だったんです。でも、響さんは今でも自分を責めている。仕事が忙しくて姉一人に準備をさせたからこんな事になったんじゃないか、あの日自分も一緒に買い物に行けばよかったって……何度も何度も私たちに頭を下げて……」
 結菜さんの瞳から涙がこぼれた。吉野先生の気持ちを思うと辛くてたまらない。
「私が悪いんです、響さんが付いていたのに何故? 幸せの絶頂のはずなのにどうしてお姉ちゃんは自殺なんてしたの! って責めてしまったから。……姉は幸せだったと思います。あんなに想ってもらって不幸だったはずがありません。私、響さんには、もう姉の事は忘れて新しい生活を送ってほしいと思っているんです」
 吉野先生が結衣さんのことを乗り越えない限り、結菜さんも幸せになれない。二人とも自分を責めている……。結菜さんも許されたいんだ。吉野先生がお墓に参ってくれれば結菜さんはホッとするに違いない……。結衣さんの死が二人を苦しめている。
 こんなの結衣さんも望んでいないはずだよ。吉野先生、結菜さん……どちらも辛いね。私はただ話を聞くことしか出来ない……。
 結局、吉野先生は戻らず結菜さんは帰って行った。
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