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1章
10話 私、なんでさっきまで平気な顔して座っていられたんだろう?
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私たちは今恋人でもないのに同じ部屋でコーヒーを飲んでいる。
なんだか不思議な感覚だ。
心が凪いでいる。
こんなにゆったりとした休日は久しぶりだ。
他人が家の中にいるのに全然気にならない。
むしろ、トシヤさんがソファーに座っている風景が自然と部屋になじんでいる。
そうか、私達は昨日確かに家族だった。
蓮君を中心に一つだった。
夕べ私が一人きりになってとても寂しかったのは、私の中の何かが欠けてしまったような気がしたからだ。
でも、いまトシヤさんがいてくれる。
私の心にあいた隙間が埋まってゆく感覚がした。
今日、トシヤさんが来てくれた事が嬉しい。
私はまた、この部屋を好きになれた。
ここが心地いい自分の居場所になった。
トシヤさんはソファーに、私はその足元のラグに座って私たちは昼下がりのテレビ番組を見ながらコーヒーを飲んだ。
こんなに近くにいながら、私達は手もつながなかった。
触れる必要がないほど心は満たされて、トシヤさんを感じていたから。
……ああ、私はこの人が好きだ。
本当はずっと前から好きだったんだ。
トシヤさんの誠実さや優しさを知るたびに惹かれていた。
ただ、気が付かないふりをしていただけ。
……私は、トシヤさんが好きだ。
そう自覚したら急に恥ずかしくなってきた。さっきまで無風状態だった私の心に風がふいて白波が立つ。
なんだか、ぞわぞわとしたものを感じて落ち着かない。
どうしよう。
恋心を自覚したとたんに、人はこんなに変わってしまうものなの?
すぐ近くに恋する人がいる。
手をのばせば触れる距離だ。
私、なんでさっきまで平気な顔して座っていられたんだろう?
ちょっと待って。
こんなに素敵なイケメンが私の部屋でコーヒーを飲んでいるよ!
私はもう発狂しそうだ!
ヤバイ、ちょっと落ち着け、私。
平静を保つんだ。
この人は同僚、この人は同僚。
うん、この人はただの同僚……。
そう、私とはただの同僚。
この人が好きなのは私じゃない。
かなう事のない想いだ。
あれ? 今度は気分がずーんと落ち込んできた。
私、情緒不安定過ぎない?
でも、許してよ。
恋心を自覚したと同時に、失恋も確定してしまったんだから……。
六月は陽が落ちるのが日に日に遅くなる。窓の外がまだ明るいから気が付かなかったけどもう夕方だ。心地いい時間はあっという間に過ぎる。
明日からは、またお仕事。今日は早めに解散しないと。お互い明日の授業の準備があるのだから。
私は努めて平静を保とうとする。
そういえば……。
私はふと気になっていたことを聞いた。
もうずいぶん前の事の様に感じるけど金曜日に今井先生の彼氏に会ったことを思い出したのだ。
この人は大丈夫だろうか?
「トシヤさん……明日からの学校大丈夫ですか?」
「何が?」
「いや、結構決定的な……」
どう言っていいか分からない。
「ああ、今井先生の彼氏が牽制に来た事?」
「牽制?」
「もしくは敵情視察?」
やっぱりあれはわざとだったんだろうか?
カレシさんは、今井先生に連絡なしに突然現れた。
今井先生が駅までトシヤさんと歩いていることを知っていたはずだ。
「……そうなんですか?」
「多分ね、自分の彼女にしつこく言い寄る男に自分の姿を見せに来たんじゃないの?」
きっと、そうなんだろう。カレシさんも今井先生の事が好きすぎるんだ。
「でも、あのかっこよさには驚きましたね」
「そうだね、参ったね」
「あれなら敵も逃げ出しますね」
「うん」
トシヤさんはどうするの?
「……トシヤさんも逃げ出しますか?」
トシヤさんはフッと笑った。
「僕は……僕は別に今井先生に振り向いて欲しいと思っていたわけじゃないんだよ」
「え? どういう事ですか?」
あんなに毎日熱心に口説いていたのに?
「愛美もそうだったけど、僕は必ず恋人に浮気されるんだ……。まあ、僕にも問題があったんだと思う。好きだって言われて付き合ったものの、僕は自分の事に精一杯であまり大事にはしてあげられなかったから。……ひどい男だよね。……僕は、あれから女性のことが信じられない。……僕が今井先生に惹かれたのはね、彼女が僕に絶対になびかなかったからなんだ。今井先生はぶれない。浮気しない。僕はそれを毎日確認して安心感を得ようとしていたのかも知れない。彼女を口説きながらも心のどこかで頷かないでくれって思っていた。……矛盾してるよね」
トシヤさんの声は穏やかだった。
そうか、多分トシヤさんはすごく傷ついていたんだ。
甘いマスクに吸い寄せられて付き合った恋人たちはみんなトシヤさんを裏切った。
トシヤさんは人を信じることが出来なくて、つらかったんだ……。
私は立ち上がってトシヤさんの前に立つとトシヤさんの首に腕をまわして優しく抱きしめた。
「葵ちゃん……」
「これからも毎日今井先生を口説いたらいいよ、今井先生の愛は本物だもん。絶対に浮気しない人がいることを今井先生はきっと証明してくれるよ。」
「僕は……もう、今井先生は口説かないよ……」
その時、トシヤさんのスマホが静寂を破った。広いリビングにコール音が響く。
ハッ、私、トシヤさんに抱き着いている!
な、なんて大胆なことをしているんだ!
私はあわてて腕をほどいた。
トシヤさんはズボンの後ろポケットからスマホを取り出して呟いた。
「……愛美……?ちょっとゴメン」
トシヤさんは立ち上がると私に背を向けて電話に出た。
「うん……うん、そうなんだね……ああ、それは良かった……うん……ああ、そうだよ……一緒にいる。……え! は? どうしてそういう事に! ってオイ! ちょっ、待て、まな……クソっ! 切られた!」
トシヤさんはスマホの画面を睨みつけている。
一体どうしたんだろう?
こんなトシヤさんを見るのは初めてだ。
「あの……」
「ゴメン、葵ちゃん……愛美が今から葵ちゃんちにお礼に来たいらしいんだけどいいかな? 今、高速のパーキングから電話してきたから後三十分位はかかるらしいけど……」
「え? いや、お礼なんていいですよ。愛美さんも長距離の運転でお疲れでしょうし」
ここと長崎を往復したら車で四時間以上かかるはずだ。トシヤさんは再びスマホを耳にあてた。
「……出ない、もう、運転中みたいだ……ご両親からいろいろお礼を預かって来たみたいで、明日からは仕事が詰まっているから今夜のうちに来たいらしいんだ」
「そうですか、急遽今日をお休みにされたから明日からしばらく大変なんでしょうね?……そうだ、愛美さんきっと夕飯はまだですよね。お腹もすいているでしょうから夕飯でも作って待ちましょうか?」
私もお腹がすいてきたし。どうせ作るんだから何人増えても手間は一緒だ。今夜のおかずは何にしようかな?
「あ、トシヤさんも食べていってくださいね。愛美さんと二人では緊張するのでいてもらえると助かります」
「分かった、ありがとう」
「あ、でもトシヤさん気まずくないですか?」
「……別れてからもうずいぶん経っているからね……今更かな?」
トシヤさんは愛美さんに裏切られて傷ついた。でも、自分の事を振った元カノの妹を助けてあげたんだ。 トシヤさんは本当にいい人だ。
私はとりあえず冷蔵庫の中身を確認したくてキッチンに向かった。
「あ、葵ちゃん、それと……」
トシヤさんが名前を呼んだので振り返ると何だか困ったような顔をしている。
……どうしたのかな?何か私に言いづらい事があるんだろうか?
私のこの予感は的中した。
「ゴメン、葵ちゃん……いつの間にか僕たち、婚約している事になってる……」
え? こんやく……? って婚約! え? えぇぇぇぇええええ!
なんだか不思議な感覚だ。
心が凪いでいる。
こんなにゆったりとした休日は久しぶりだ。
他人が家の中にいるのに全然気にならない。
むしろ、トシヤさんがソファーに座っている風景が自然と部屋になじんでいる。
そうか、私達は昨日確かに家族だった。
蓮君を中心に一つだった。
夕べ私が一人きりになってとても寂しかったのは、私の中の何かが欠けてしまったような気がしたからだ。
でも、いまトシヤさんがいてくれる。
私の心にあいた隙間が埋まってゆく感覚がした。
今日、トシヤさんが来てくれた事が嬉しい。
私はまた、この部屋を好きになれた。
ここが心地いい自分の居場所になった。
トシヤさんはソファーに、私はその足元のラグに座って私たちは昼下がりのテレビ番組を見ながらコーヒーを飲んだ。
こんなに近くにいながら、私達は手もつながなかった。
触れる必要がないほど心は満たされて、トシヤさんを感じていたから。
……ああ、私はこの人が好きだ。
本当はずっと前から好きだったんだ。
トシヤさんの誠実さや優しさを知るたびに惹かれていた。
ただ、気が付かないふりをしていただけ。
……私は、トシヤさんが好きだ。
そう自覚したら急に恥ずかしくなってきた。さっきまで無風状態だった私の心に風がふいて白波が立つ。
なんだか、ぞわぞわとしたものを感じて落ち着かない。
どうしよう。
恋心を自覚したとたんに、人はこんなに変わってしまうものなの?
すぐ近くに恋する人がいる。
手をのばせば触れる距離だ。
私、なんでさっきまで平気な顔して座っていられたんだろう?
ちょっと待って。
こんなに素敵なイケメンが私の部屋でコーヒーを飲んでいるよ!
私はもう発狂しそうだ!
ヤバイ、ちょっと落ち着け、私。
平静を保つんだ。
この人は同僚、この人は同僚。
うん、この人はただの同僚……。
そう、私とはただの同僚。
この人が好きなのは私じゃない。
かなう事のない想いだ。
あれ? 今度は気分がずーんと落ち込んできた。
私、情緒不安定過ぎない?
でも、許してよ。
恋心を自覚したと同時に、失恋も確定してしまったんだから……。
六月は陽が落ちるのが日に日に遅くなる。窓の外がまだ明るいから気が付かなかったけどもう夕方だ。心地いい時間はあっという間に過ぎる。
明日からは、またお仕事。今日は早めに解散しないと。お互い明日の授業の準備があるのだから。
私は努めて平静を保とうとする。
そういえば……。
私はふと気になっていたことを聞いた。
もうずいぶん前の事の様に感じるけど金曜日に今井先生の彼氏に会ったことを思い出したのだ。
この人は大丈夫だろうか?
「トシヤさん……明日からの学校大丈夫ですか?」
「何が?」
「いや、結構決定的な……」
どう言っていいか分からない。
「ああ、今井先生の彼氏が牽制に来た事?」
「牽制?」
「もしくは敵情視察?」
やっぱりあれはわざとだったんだろうか?
カレシさんは、今井先生に連絡なしに突然現れた。
今井先生が駅までトシヤさんと歩いていることを知っていたはずだ。
「……そうなんですか?」
「多分ね、自分の彼女にしつこく言い寄る男に自分の姿を見せに来たんじゃないの?」
きっと、そうなんだろう。カレシさんも今井先生の事が好きすぎるんだ。
「でも、あのかっこよさには驚きましたね」
「そうだね、参ったね」
「あれなら敵も逃げ出しますね」
「うん」
トシヤさんはどうするの?
「……トシヤさんも逃げ出しますか?」
トシヤさんはフッと笑った。
「僕は……僕は別に今井先生に振り向いて欲しいと思っていたわけじゃないんだよ」
「え? どういう事ですか?」
あんなに毎日熱心に口説いていたのに?
「愛美もそうだったけど、僕は必ず恋人に浮気されるんだ……。まあ、僕にも問題があったんだと思う。好きだって言われて付き合ったものの、僕は自分の事に精一杯であまり大事にはしてあげられなかったから。……ひどい男だよね。……僕は、あれから女性のことが信じられない。……僕が今井先生に惹かれたのはね、彼女が僕に絶対になびかなかったからなんだ。今井先生はぶれない。浮気しない。僕はそれを毎日確認して安心感を得ようとしていたのかも知れない。彼女を口説きながらも心のどこかで頷かないでくれって思っていた。……矛盾してるよね」
トシヤさんの声は穏やかだった。
そうか、多分トシヤさんはすごく傷ついていたんだ。
甘いマスクに吸い寄せられて付き合った恋人たちはみんなトシヤさんを裏切った。
トシヤさんは人を信じることが出来なくて、つらかったんだ……。
私は立ち上がってトシヤさんの前に立つとトシヤさんの首に腕をまわして優しく抱きしめた。
「葵ちゃん……」
「これからも毎日今井先生を口説いたらいいよ、今井先生の愛は本物だもん。絶対に浮気しない人がいることを今井先生はきっと証明してくれるよ。」
「僕は……もう、今井先生は口説かないよ……」
その時、トシヤさんのスマホが静寂を破った。広いリビングにコール音が響く。
ハッ、私、トシヤさんに抱き着いている!
な、なんて大胆なことをしているんだ!
私はあわてて腕をほどいた。
トシヤさんはズボンの後ろポケットからスマホを取り出して呟いた。
「……愛美……?ちょっとゴメン」
トシヤさんは立ち上がると私に背を向けて電話に出た。
「うん……うん、そうなんだね……ああ、それは良かった……うん……ああ、そうだよ……一緒にいる。……え! は? どうしてそういう事に! ってオイ! ちょっ、待て、まな……クソっ! 切られた!」
トシヤさんはスマホの画面を睨みつけている。
一体どうしたんだろう?
こんなトシヤさんを見るのは初めてだ。
「あの……」
「ゴメン、葵ちゃん……愛美が今から葵ちゃんちにお礼に来たいらしいんだけどいいかな? 今、高速のパーキングから電話してきたから後三十分位はかかるらしいけど……」
「え? いや、お礼なんていいですよ。愛美さんも長距離の運転でお疲れでしょうし」
ここと長崎を往復したら車で四時間以上かかるはずだ。トシヤさんは再びスマホを耳にあてた。
「……出ない、もう、運転中みたいだ……ご両親からいろいろお礼を預かって来たみたいで、明日からは仕事が詰まっているから今夜のうちに来たいらしいんだ」
「そうですか、急遽今日をお休みにされたから明日からしばらく大変なんでしょうね?……そうだ、愛美さんきっと夕飯はまだですよね。お腹もすいているでしょうから夕飯でも作って待ちましょうか?」
私もお腹がすいてきたし。どうせ作るんだから何人増えても手間は一緒だ。今夜のおかずは何にしようかな?
「あ、トシヤさんも食べていってくださいね。愛美さんと二人では緊張するのでいてもらえると助かります」
「分かった、ありがとう」
「あ、でもトシヤさん気まずくないですか?」
「……別れてからもうずいぶん経っているからね……今更かな?」
トシヤさんは愛美さんに裏切られて傷ついた。でも、自分の事を振った元カノの妹を助けてあげたんだ。 トシヤさんは本当にいい人だ。
私はとりあえず冷蔵庫の中身を確認したくてキッチンに向かった。
「あ、葵ちゃん、それと……」
トシヤさんが名前を呼んだので振り返ると何だか困ったような顔をしている。
……どうしたのかな?何か私に言いづらい事があるんだろうか?
私のこの予感は的中した。
「ゴメン、葵ちゃん……いつの間にか僕たち、婚約している事になってる……」
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