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第7話

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 イーノック・ローグは山高く積み上げられた書類を前に、頭を抱えていた。

 現在、彼の役職名は、魔法宮長官臨時代理である。

 彼の上司、ジェフリー・レブルがいなくなって、2ヶ月半。

 必死に仕事をこなしていたが、何事にも限界はある。

 とうとう引退した職員たちをも動員して仕事に当たっているのだが、終わりが見えるどころか、しなければならない業務は日々増え続けて全く先が見えない。

 正直予算にない費用がバカスカ出てしまっていたが、イーノックとしては知ったことではない。

 これほど多忙になったのは、昨年財務大臣になった王弟ウィリアムが魔法宮の膨大な予算に対していちゃもんをつけたことから始まる。

 名指しで「金食い虫」と蔑(せげす)まれたのだ。

 しかし彼らが負担している魔法宮での医薬品の精製は、費用は計上されても売り上げは魔法宮に計上されていない。

 もちろん自家消費として騎士団や王族たちに使用されている医薬品を除いても、市井に販売して得た利益を国家予算すべてに持っていかれていて、魔法宮としてはその利益を渡せと請求しているのだが、そんな理屈が通るような人物ではない。

 魔法宮の仕事は、王国の安全のためには不可欠だというのに、非常に理不尽な扱いである。

 魔物を生み出す穢れである魔気の乱れを浄化・調整し、さらには神事を行うことで精霊の気を静めている。医薬品の精製や治療院の運営は、その一環でしかない。

 精霊が荒ぶれば魔気が発生するのだから、両者は相対的なつながりがある。

 そのような重要な仕事を任されている魔法宮を、何故苦しめるのかイーノックには理解できない。

 そもそも、今までだって無理だったものをジェフリー様が何とか身を削ってこなしていたのに違いない。

 イーノックはジェフリーがいなくなってその仕事を肩代わりしてはじめて、その偉大さを認識した。

 分かっているつもりだったのだ。

 しかし、実際に自分がしてみると、ジェフリーがいかに有能な人物であったかが分かる。

 なのに、仕事を急かせたり、書類の出来が不十分だとやりなおしを要求したり、ジェフリー様でなければならないような仕事だったわけでもない仕事をしていることに、気付きもしないで。

 私は、文官として失格だ。

 ジェフリー様が嫌になって逃げるのも当たり前だ。

 いなくなられてから、どれほど後悔しても間に合わない。

 もし、もしジェフリー様が戻ってきて下さったら、今度は絶対、どんなことがあっても守りますから!

 イーノックが決意を新たにしたところで、執務室のドアがノックされた。

「入れ!」

 イーノックがそう促すと、一人の青年が入室してきた。

 文官のジェンキンスだ。

 手には魔蝶(カガル)を手にしている。

 緊急時か極秘の内容の伝達に使われる魔道具だ。

 これは指定した人間にしか聞こえない特殊な魔法が施してある。

 イーノックが魔蝶(カガル)を受け取ると、魔気の調査に当たっていた魔法師のウィリスの声が響いた。

「イーノック様。

 ディーク地区の魔気が異常発生しています。

 どうやら神事が適切に行われていなかったようで……。

 わたくし一人では浄化が難しいので、浄化師の派遣をお願いします」

 近年、国内で住まわれなくなった村などで魔気が発生するケースが相次いでいる。

 人が住まなくなったせいで、精霊を宥める神事が適切に行われていないのが原因だが、それにしても頻発しすぎてないか?

 ここ1週間で、3件も同様の報告がなされている。

 どうしてジェフリー様がいないときに限って……!

 できることならば、国中に事態を公開し、ジェフリー様の帰還を促したい。

 ジェフリー様の不在が明らかになれば、どんな混乱が起きるか分からない。

 我々だけで、どうにかするしかないんだ。

 イーノックは疲れた顔で浄化師長を呼び出した。

 早く戻ってきてください! ジェフリー様!

 私たちはあなたがいないと……!

 甘えるなと言われるだろうか?

 イーノックは心の中で問うた。

 しかし、魔法宮にはジェフリー・レブルがどうしても必要だ。

 国王の許可を経て長官の代位を宣言しないのは、ジェフリーに対するイーノックなりのメッセージなのだが。

 イーノックはまた新しい書類に手に取った。

 今日も帰れないな……。

 まだ日も暮れていないというのに、イーノックは早々に帰宅を断念していた。





「そういえば最近の魔法宮、何かごたごたしてるよな?」

 昇格試験の前日、夕食時にそんな話を始めたのはバイロンだった。

 バイロンはいろんなところに友人を持ち、持ってくる情報は価値が高いものが多い。

 言動のチャラさが裏切っているが、結構使える男なのだ。

 ちょっとよれたおじさん騎士にしか見えないのに、こう見えて王都の治安と警備を担当する第2部隊では部隊長に次ぐ地位を得ている。

「ごたごたって、なんですか?」

 ジェフリーらと一緒に合格したエリス・ニエマイアは興味津々にバイロンに聞き返した。

 もちろん、ジェフリーは無関心を装いながら、バイロンの言葉に耳を欹(そばだ)てている。

「なんかレブル長官の姿が見えないって話でなー」

「ええ?

 魔法宮の?

 どうしてですか?

 体調を崩したとか、ですか?」

「それが良く分からん。

 いろいろな話は出ている。

 魔法宮が最近人の出入りが激しいって話もある。

 もっとも一番有力なのは、長官の王太子への嫁入りが近いんじゃないかと噂だ」

 バイロンの言葉に、ジェフリーは驚きのあまり思わず「なっ!」と声を上げてしまった。

 違う! そんな予定はない! と、とっさに言わずに済んだのは、ジェフリーの横で、リチャードがスプーンを落として大きな音を立てたからだった。

「うるさいぞ! ジェフ!」

 どちらかというとうるさかったのはリチャードの方だったのだが、遠くから叫んでいる第7部隊長のクレメンスには、そこまで見えなかったようだ。

 名指しされたジェフリーは取りあえず謝罪した。

「っ! はっ! 申し訳ありません!」

 椅子から立ち上がり、敬礼をし、また席に戻る。

 その間、肝心のリチャードは微動だにしていなかった。

「リチャード?

 どうした?」

 ジェフリーが話しかけると、リチャードは青白い顔をしている。

「……いや、何でもない」

 何でもなく見えないんだけどな?

 そのまま席を立ったリチャードの背中を、不思議そうに見つめるジェフリーだった。
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