上 下
2 / 2

その2

しおりを挟む
 アンドレアス様は私の姿を目にするなり、安堵したように息を吐いた。

 正直な気持ちを言うと、アンドレス様に対するわだかまりを私はまだ捨てきれてはいない。

 大切な友人だったパトリッティアの身に降りかかった不幸はすべて、アンドレス様の心変わりにあるとそう思えて、許す気持ちにはならなかったのだ。

 もちろん国内の状況を考えれば陛下からの温情を有りがたく拝命して婚約するのが筋なのかもしれないけれど、今はとてもそんな気持ちにはなれなかった。

 パトリッティアを通じて親しい友人関係にあった私たちだが、それはすでに解消されていたつもりだったのだが。

 しかし今、私の目に映っているアンドレアス殿下からは子供らしい雰囲気が消え、別人かと見誤るほどにやつれていた。

 そして私は、ひどく弱っている人をそれ見たことかと糾弾できるほど非情にはなりきれなかった。

「殿下……。
 どうかなされたのですか?」

 私はアンドレアス殿下に椅子を勧めながら、自分自身も窓際のカウチへと腰を下ろした。

 冷静を装い、笑顔を浮かべながらアンドレス殿下に自然と労わる言葉を口にできたのも、一国の王妃となるべく受けた教育の賜物だろうか。

 アンドレス殿下は少し離れた長椅子に腰を下ろすと、しばらく両手を体の前で握りしめながら黙り込んでいた。

 私は問いかけられるのも憚られ、しばらくそんな殿下を見守っていたが、やがてアンドレス殿下はきゅっと唇を噛みしめたのち、低い声で話し始めた。

「マリーニ……。
 今朝、父が……兄上を…………兄上を廃嫡すると……王族からも除籍すると……そう言…われて……」

 アンドレアス殿下は感情が高ぶったのか声を詰まらせながら、それでも一言ずつをはっきりと吐き出していった。

「まさか……。
 まさかそんなっ」

 私は動揺のあまり、アンドレアス様の言葉を遮るように言葉を発した。
 
 クリステン様を廃嫡? しかも王族から除籍されるなんて……。

 私との婚約破棄の一件で、クリステン様には必ず厳罰が下ると、王宮から申し出があったことは知っている。

 しかし、除籍なんてそんな重い罰が命じられるなんて、想像しようもなかった。

「僕も……最初は信じられなかった……。
 今に目を覚まして本来の兄上に戻られると……そう信じている者たちもまだ多いのだ。
 宰相や大臣の幾人は反対をしたのだが……父上の決意は固かった。
 ………僕は……納得出来なかった。
 ………………ああ!!
 今までずっと、兄上が羨ましかった。
 父に認められて!!
 皆から好かれて!!
 でも……いざ……いざ父上に……。
 兄上を廃嫡すると……。
 僕に後を継ぐようにと告げられると……怖くなった。
 怖いよ……マリーニ。
 僕は兄上のように、うまく出来ない。
 公務も、社交も……無理だ……。
 どう考えたって、僕にはとても……無理だ……。
 今からでも兄上を呼び戻してもらってと、そう思って……父上に詰め寄った」

 アンドレアス殿下はそう言った後に、苦悩の表情浮かべ……しかし私の目をまっすぐに見た。

「でも……でも……マリーニ。
 ………父上から……信じられない話を……聞かされたんだ。
 兄上は……」

 アンドレアス様は声を詰まらせて、そのまま口元を手で覆った。

「……クリステン様のがどうなされたのです……?
 アンドレアス殿下。
 いったい何をお聞きになりましたの?」

 廃嫡されるほどの理由……いったいクリステン様は何を……どんな罪を負っているというのだろう。

 嫌な予感がして、私は指先から温度が失われていくように感じ、きゅっと手を握りしめた。

 アンドレアス様は深く息を吸い込むと、やがて声を戦慄かせながらもゆっくりと言葉を紡ぎはじめた。

「……マリーニ。
 今だから言うが……。
 僕はずっと……君のことが好きだった。
 もちろん、パティ……パトリッティアのことは大事に思っていた。
 彼女となら……すべてうまくやれるつもりでいたんだ。
 君に抱くものと違っていたけれど……。
 パトリッティアはいつも僕の側にいることが当たり前で……僕にとっては親しい姉のような、存在だった。
 だけど…………パトリッティアも兄のことを好きでいると、そう聞かされた。
 ずっと、僕の……僕の味方だと思っていたのに。
 パトリッティアが兄さんのことを、好き?
 ………裏切られた気持ちになった」

「……お待ちください、殿下。
 それはパトリッティアから、聞いたのですか?
 パティがそのようなことを?」

 信じられない思いで私はアンドレス様に問いただした。

 そんなこと……本当に?

「いいや……。
 それは、ヘレナから聞いた……」

 私は悲しみと同時に怒りを覚えていた。

 そんな言葉を信じるべきではなかったのに。

 アンドレアス様は一体なぜ、そんな讒言を信じたのか。 
 
「……最初、ヘレナはパトリッティアとも仲良くしていただろう?
 だから……僕は騙された。
 信じて……パトリッティアに冷たくしてしまった……。
 だけど途中から……本当は分かってたんだ。
 何かおかしいって。
 だけど兄上にその事を言われると……逆に意地になってしまって……僕の大事なものを奪っていく兄上の言うことを、どうしても聞けなかった。
 だけどまさか……まさかパトリッティアが死んでしまうなんて、思わなくて……」
 
「……どうして今その話を?
 確かにパトリッティアは貴族社会になじめないヘレナを拒絶せずに受け入れていたわ。
 仲が良かったからじゃなく、自分を頼ってきた人を拒絶できなかっただけ。
 優しかったから……。
 でも今それを言ってどうなるの?
 パトリッティアは失われてしまったわ。
 もう二度と……戻らない。
 今更私に……私にそんな話をして、どうしろと言うの?」 

「そうじゃない。
 そうじゃないんだ。
 ………許しを請うつもりはないんだ。
 ただ……あの時僕は、僕は……嫉妬して……嘘を付いた。
 僕は知ってたから……。
 兄上は……ずっと、君の気持ちを誤解していた。
 だから君と……関係があるようににおわせると……驚くほど簡単に……信じたんだ……」

 アンドレス殿下は青ざめた顔で、それでいて唇だけは赤く。
 
「兄上は父に……頼んだそうだ。
 ……婚約破棄後の君を、僕と結婚出来るように取り計らってくれるようにと。
 財産も、地位も、何も望まず……。
 ただ君の幸せ。
 それだけが、兄上の望みだったと……。
 ………分からない?
 マリーニ。
 兄上は……君を、愛している……ずっと前から。
 だからもし君が……同じ気持ちなら。
 同じ気持ちで、僕の婚約を保留しているとしたら……君には、知る権利がある……。
 だから……だから、来たんだ」

 それから私は、アンドレアス殿下から、長い……本当に長い話を聞いた。

 私が婚約破棄された、その本当の理由を。
しおりを挟む

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

貴方が選んだのは全てを捧げて貴方を愛した私ではありませんでした

ましゅぺちーの
恋愛
王国の名門公爵家の出身であるエレンは幼い頃から婚約者候補である第一王子殿下に全てを捧げて生きてきた。 彼を数々の悪意から守り、彼の敵を排除した。それも全ては愛する彼のため。 しかし、王太子となった彼が最終的には選んだのはエレンではない平民の女だった。 悲しみに暮れたエレンだったが、家族や幼馴染の公爵令息に支えられて元気を取り戻していく。 その一方エレンを捨てた王太子は着々と破滅への道を進んでいた・・・

不倫がしたいのですね、いいですよご勝手に。

杉本凪咲
恋愛
夫から告げられたのは不倫の承諾。 結婚三年目の衝撃的な出来事に私は唖然となる。 その後、私は不倫を認めるが……

【完結】27王女様の護衛は、私の彼だった。

華蓮
恋愛
ラビートは、アリエンスのことが好きで、結婚したら少しでも贅沢できるように出世いいしたかった。 王女の護衛になる事になり、出世できたことを喜んだ。 王女は、ラビートのことを気に入り、休みの日も呼び出すようになり、ラビートは、休みも王女の護衛になり、アリエンスといる時間が少なくなっていった。

王女殿下の秘密の恋人である騎士と結婚することになりました

鳴哉
恋愛
王女殿下の侍女と 王女殿下の騎士  の話 短いので、サクッと読んでもらえると思います。 読みやすいように、3話に分けました。 毎日1回、予約投稿します。

拝啓、大切なあなたへ

茂栖 もす
恋愛
それはある日のこと、絶望の底にいたトゥラウム宛てに一通の手紙が届いた。 差出人はエリア。突然、別れを告げた恋人だった。 そこには、衝撃的な事実が書かれていて─── 手紙を受け取った瞬間から、トゥラウムとエリアの終わってしまったはずの恋が再び動き始めた。 これは、一通の手紙から始まる物語。【再会】をテーマにした短編で、5話で完結です。 ※以前、別PNで、小説家になろう様に投稿したものですが、今回、アルファポリス様用に加筆修正して投稿しています。

【完結】殿下は私を溺愛してくれますが、あなたの“真実の愛”の相手は私ではありません

Rohdea
恋愛
──私は“彼女”の身代わり。 彼が今も愛しているのは亡くなった元婚約者の王女様だけだから──…… 公爵令嬢のユディットは、王太子バーナードの婚約者。 しかし、それは殿下の婚約者だった隣国の王女が亡くなってしまい、 国内の令嬢の中から一番身分が高い……それだけの理由で新たに選ばれただけ。 バーナード殿下はユディットの事をいつも優しく、大切にしてくれる。 だけど、その度にユディットの心は苦しくなっていく。 こんな自分が彼の婚約者でいていいのか。 自分のような理由で互いの気持ちを無視して決められた婚約者は、 バーナードが再び心惹かれる“真実の愛”の相手を見つける邪魔になっているだけなのでは? そんな心揺れる日々の中、 二人の前に、亡くなった王女とそっくりの女性が現れる。 実は、王女は襲撃の日、こっそり逃がされていて実は生きている…… なんて噂もあって────

私だけが赤の他人

有沢真尋
恋愛
 私は母の不倫により、愛人との間に生まれた不義の子だ。  この家で、私だけが赤の他人。そんな私に、家族は優しくしてくれるけれど……。 (他サイトにも公開しています)

【完結】王太子妃の初恋

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
カテリーナは王太子妃。しかし、政略のための結婚でアレクサンドル王太子からは嫌われている。 王太子が側妃を娶ったため、カテリーナはお役御免とばかりに王宮の外れにある森の中の宮殿に追いやられてしまう。 しかし、カテリーナはちょうど良かったと思っていた。婚約者時代からの激務で目が悪くなっていて、これ以上は公務も社交も難しいと考えていたからだ。 そんなカテリーナが湖畔で一人の男に出会い、恋をするまでとその後。 ★ざまぁはありません。 全話予約投稿済。 携帯投稿のため誤字脱字多くて申し訳ありません。 報告ありがとうございます。

処理中です...