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第2章 商会の設立
40.【クリス様の事情2 決心】
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心の中での言い訳は、当然誰にも反応されない。俺の葛藤をよそに、クリス様は話を続ける。
「手紙を読んだお父様は憤慨しました。もともとサーシス伯爵はよくない噂の多い方です。そんな方のもとへ私を嫁がせることに断固反対してくださいました」
お父さんが娘思いの人で良かった。そうでなければ、クリス様は今頃、サーシス伯爵のもとにいただろう。
「お父様はなんとかサーシス伯爵と交渉しようとしましたが、難航してしまいました。打つ手がなく、手をこまねいていると、次第にサーシス領から大量の無法者がやってきて……すぐに治安部隊が対応しましたが、だんだんと治安も悪くなっていったのです」
以前、ミッシェルさんが言っていた。『景気が悪い中、治安が悪なれば、暴動が起きてもおかしない』と。
「これ以上、対処が遅れると大変なことになります。そんな時、途方に暮れるお父様のもとに、アナベーラ会頭が現れたのです」
「ミッシェル様が?」
「ええ。何かの調査をするためにこの町に向かう途中、ブリスタ領に立ち寄ってくださったのです。少し立ち寄るだけのつもりだったそうですが、なにやら異変を感じて、我が家まで足を運んでくださったそうです」
アナベーラ商会支店の横流しの件で調査に向かっていたのだろう。
「アナベーラ会頭に事情を話したところ、『今は別件で手が離せないが、手が空き次第、対処する』とおっしゃってくださいました。そして1週間後、アナベーラ会頭からお手紙が届いたのです。手紙には『アナベーラ商会の問題が解決したこと』、『魅力的な商品を見つけたので、それを王都で販売すること』、そして『王都へ販売する際は、ブリスタ領を通過するルートを使用していただけること』が書かれておりました」
リバーシやチェスの販売ルートの事だろう。これからチェスやリバーシを販売する際に、ブリスタ領を経由することになれば、通行税の税収だけでなく、商人が宿泊したり、食事をしたりと、何かとお金と使うことになる。そうなれば、財政も回復するだろう。
「アナベーラ会頭には感謝してもしきれません。おかげでブリスタ領の財政については、状況打開のめどが立ちました。残る問題は私の事です」
「……あ」
そうだった。そもそもサーシス伯爵の目的はブリスタ領の財政悪化ではなく、クリス様なのだ。
「その点についてもアナベーラ会頭からのお手紙にアドバイスが書かれていました。『クランフォード商会が従業員を募集しているから、クリス嬢を応募させてみてはどうか』と」
「え?」
なぜ、そこでクランフォード商会の従業員募集のはなしになるのだろう。俺の疑問を察したクリス様が教えてくれる。
「どうやら、わたくしをアレン様の婚約者に、と考えたようです」
「――!?」
「わたくしに婚約者ができれば、サーシス伯爵も諦めるだろうと」
俺を隠れ蓑にしようとしたのだろうか。悲しい考えが頭をよぎるが顔に出さないように努める。
「お父様は迷っていたようで、判断をわたくしに任せてくださいました。『とりあえず、面接を受けてみてお前が気に入ったら婚約すればいい』と言ってくださったのです」
クリス様は恥ずかしそうに言った。実際に働いてくれているのだから、俺の事を気に入ってくれたのだろうか。なんだか告白のように聞こえる。今度は歓喜の表情を顔に出さないように努めた。
「面接を受けてみて、アレン様でしたらと思い、本日こちらに伺いました。アレン様はご存じなかったようですが……」
「その……申し訳ありません。そのような決まりがあることをしらなかったので……」
「かまいませんよ。もともとは貴族が商人に娘を押し付けるためにできた決まりで、王都の商人ならともかく、地方では知らない商人の方も多いと聞きます」
強引に娘を従業員にして、決まりだからと結婚させるということか。商人側も結婚なら断るだろうが、従業員としてならば、受け入れるのだろう。そして、後から決まりだから結婚しろと言われるわけだ。
「アレン様にその気がなくても、対外的にはそのように受け取られるでしょう。これで一件落着かと思ったのですが……今朝、この町にサーシス伯爵が向かっている、という知らせが届きました」
嫌な予感しかしない。まず間違いなく、クリス様を狙って、だろう。
「サーシス伯爵は腐っても、伯爵位を持つ貴族です。強引な手を使われては、お父様もアナベーラ会頭も対応するのは難しいでしょう」
伯爵以上の貴族は上級貴族に分類され、下級貴族と比べて強力な権力を持つ。子爵であるクリス様のお父様や大商会の会頭であるミッシェルさんといえど、できることは限られてしまうだろう。
「サーシス伯爵は気に入った相手には強い執着を見せると聞きます。反面、興味をなくした相手には一切関与しないとも聞きました」
「……それで俺を相手に……と考えたのですか?」
「……はい……」
クリス様が消え入りそうな声で返事をした。
「理由を言ってくださればよかったのに……」
「申し訳ありません。恥ずかしかったのと……同情で抱かれたくなかったのです」
同情で抱かれるなど、女性としての矜持が許さなかったのだろう。これは俺の配慮不足だ。変なことを言ってしまった。
「……そう……ですね。不躾なことを聞いてしまいました。申し訳ありません」
「いえ。無理を言っているのはこちらですから」
そう言うと、クリス様はうつむいてしまった。話すべきことは話したので、後は俺の判断を待っているのだろう。クリス様の両手は膝の上で固く組まれていて、覚悟の強さを表していた。
その様子を見て、俺は決心する。
「事情を説明して頂き、ありがとうございます。ただ、今、クリス様の初めてを頂くわけにはいきません」
「……わたくしでは相手になりませんか?」
「そんなことはありません! むしろ、身に余る光栄だと思っています。」
「…………では、なぜ?」
「このような状況でお相手をさせていただくのは、後悔すると思ったからです」
クリス様は嘘偽りなく事情を話してくださった。ならば俺も、本心を話すべきだろう。
「正直に申し上げて、クリス様はとても魅力的な女性です。そのような方からのお誘いには心動かされました。しかしだからこそ、このような形ではなく、きちんとしたお付き合いをしたいと考えております」
恋愛初心者の俺には難しい選択だった。クリス様のお願いを聞いて、一夜を共にしてから関係を深めていく方法もあっただろう。好きな女性の願いを叶えたいという気持ちも十分にあった。
しかし、それは何かが違う気がしたのだ。頼まれたから、状況が切羽詰まっているから、他の人にとられないために、そんな理由で一夜を共にするのは、何かが違うと思った。
「アレン様……」
「――その代わり、クリス様の事は私が守ります。絶対にサーシス伯爵には渡しません」
「!!」
俺にできることなど限られている。武力もなければ権力もない。前世の記憶があったところで、伯爵に対抗できるわけがない。それでもやると決めたのだ。
「従業員の安全を守るのは店長の仕事です。だから安心して任せてください」
クリス様は一瞬ぽかんとした表情を浮かべたが、くすくすと笑いだした。
「従業員ですか?」
「ええ。私には店長としての立場があります。クランフォード商会支店の店長として、あらゆるツテを使い、クリス様をお守りしましょう」
「なるほど……店長としてわたくしを助けてくださるということですね」
個人では使いにくいツテでも、支店長としてなら使える。クリス様は俺の言いたいことを正しく理解して下さったようだ。
「ありがとうございます。それなら安心です」
そう言ってクリス様は面接のときに見た笑顔と同じ、青い可憐な花のような笑顔を見せてくれた。思わず見とれてしまった俺は、ごまかすように言う。
「遅くなってしまいましたね。お話ししたかったことは以上でよろしいでしょうか」
「そうですね……最後に一つだけよろしいでしょうか?」
「もちろんです。なんでしょうか?」
「――今なら抱かれてもいいと本心で思っていますよ?」
顔が焼けるように熱い。頬が真っ赤になっている気がする。くすくす笑っているクリス様からは、本気か冗談か区別がつかない。
「きょ、今日はもう寝ましょう! 明日も仕事です!」
「今日は寝るんですね。承知しました。おやすみなさい」
そう言ってクリス様は店長室を出て行った。話し始めたのが終業後だったので、もう大分遅い時間だ。
本当はクリス様を寮まで見送るべきなのだが、俺はソファーから立ち上がることができなかった。
「手紙を読んだお父様は憤慨しました。もともとサーシス伯爵はよくない噂の多い方です。そんな方のもとへ私を嫁がせることに断固反対してくださいました」
お父さんが娘思いの人で良かった。そうでなければ、クリス様は今頃、サーシス伯爵のもとにいただろう。
「お父様はなんとかサーシス伯爵と交渉しようとしましたが、難航してしまいました。打つ手がなく、手をこまねいていると、次第にサーシス領から大量の無法者がやってきて……すぐに治安部隊が対応しましたが、だんだんと治安も悪くなっていったのです」
以前、ミッシェルさんが言っていた。『景気が悪い中、治安が悪なれば、暴動が起きてもおかしない』と。
「これ以上、対処が遅れると大変なことになります。そんな時、途方に暮れるお父様のもとに、アナベーラ会頭が現れたのです」
「ミッシェル様が?」
「ええ。何かの調査をするためにこの町に向かう途中、ブリスタ領に立ち寄ってくださったのです。少し立ち寄るだけのつもりだったそうですが、なにやら異変を感じて、我が家まで足を運んでくださったそうです」
アナベーラ商会支店の横流しの件で調査に向かっていたのだろう。
「アナベーラ会頭に事情を話したところ、『今は別件で手が離せないが、手が空き次第、対処する』とおっしゃってくださいました。そして1週間後、アナベーラ会頭からお手紙が届いたのです。手紙には『アナベーラ商会の問題が解決したこと』、『魅力的な商品を見つけたので、それを王都で販売すること』、そして『王都へ販売する際は、ブリスタ領を通過するルートを使用していただけること』が書かれておりました」
リバーシやチェスの販売ルートの事だろう。これからチェスやリバーシを販売する際に、ブリスタ領を経由することになれば、通行税の税収だけでなく、商人が宿泊したり、食事をしたりと、何かとお金と使うことになる。そうなれば、財政も回復するだろう。
「アナベーラ会頭には感謝してもしきれません。おかげでブリスタ領の財政については、状況打開のめどが立ちました。残る問題は私の事です」
「……あ」
そうだった。そもそもサーシス伯爵の目的はブリスタ領の財政悪化ではなく、クリス様なのだ。
「その点についてもアナベーラ会頭からのお手紙にアドバイスが書かれていました。『クランフォード商会が従業員を募集しているから、クリス嬢を応募させてみてはどうか』と」
「え?」
なぜ、そこでクランフォード商会の従業員募集のはなしになるのだろう。俺の疑問を察したクリス様が教えてくれる。
「どうやら、わたくしをアレン様の婚約者に、と考えたようです」
「――!?」
「わたくしに婚約者ができれば、サーシス伯爵も諦めるだろうと」
俺を隠れ蓑にしようとしたのだろうか。悲しい考えが頭をよぎるが顔に出さないように努める。
「お父様は迷っていたようで、判断をわたくしに任せてくださいました。『とりあえず、面接を受けてみてお前が気に入ったら婚約すればいい』と言ってくださったのです」
クリス様は恥ずかしそうに言った。実際に働いてくれているのだから、俺の事を気に入ってくれたのだろうか。なんだか告白のように聞こえる。今度は歓喜の表情を顔に出さないように努めた。
「面接を受けてみて、アレン様でしたらと思い、本日こちらに伺いました。アレン様はご存じなかったようですが……」
「その……申し訳ありません。そのような決まりがあることをしらなかったので……」
「かまいませんよ。もともとは貴族が商人に娘を押し付けるためにできた決まりで、王都の商人ならともかく、地方では知らない商人の方も多いと聞きます」
強引に娘を従業員にして、決まりだからと結婚させるということか。商人側も結婚なら断るだろうが、従業員としてならば、受け入れるのだろう。そして、後から決まりだから結婚しろと言われるわけだ。
「アレン様にその気がなくても、対外的にはそのように受け取られるでしょう。これで一件落着かと思ったのですが……今朝、この町にサーシス伯爵が向かっている、という知らせが届きました」
嫌な予感しかしない。まず間違いなく、クリス様を狙って、だろう。
「サーシス伯爵は腐っても、伯爵位を持つ貴族です。強引な手を使われては、お父様もアナベーラ会頭も対応するのは難しいでしょう」
伯爵以上の貴族は上級貴族に分類され、下級貴族と比べて強力な権力を持つ。子爵であるクリス様のお父様や大商会の会頭であるミッシェルさんといえど、できることは限られてしまうだろう。
「サーシス伯爵は気に入った相手には強い執着を見せると聞きます。反面、興味をなくした相手には一切関与しないとも聞きました」
「……それで俺を相手に……と考えたのですか?」
「……はい……」
クリス様が消え入りそうな声で返事をした。
「理由を言ってくださればよかったのに……」
「申し訳ありません。恥ずかしかったのと……同情で抱かれたくなかったのです」
同情で抱かれるなど、女性としての矜持が許さなかったのだろう。これは俺の配慮不足だ。変なことを言ってしまった。
「……そう……ですね。不躾なことを聞いてしまいました。申し訳ありません」
「いえ。無理を言っているのはこちらですから」
そう言うと、クリス様はうつむいてしまった。話すべきことは話したので、後は俺の判断を待っているのだろう。クリス様の両手は膝の上で固く組まれていて、覚悟の強さを表していた。
その様子を見て、俺は決心する。
「事情を説明して頂き、ありがとうございます。ただ、今、クリス様の初めてを頂くわけにはいきません」
「……わたくしでは相手になりませんか?」
「そんなことはありません! むしろ、身に余る光栄だと思っています。」
「…………では、なぜ?」
「このような状況でお相手をさせていただくのは、後悔すると思ったからです」
クリス様は嘘偽りなく事情を話してくださった。ならば俺も、本心を話すべきだろう。
「正直に申し上げて、クリス様はとても魅力的な女性です。そのような方からのお誘いには心動かされました。しかしだからこそ、このような形ではなく、きちんとしたお付き合いをしたいと考えております」
恋愛初心者の俺には難しい選択だった。クリス様のお願いを聞いて、一夜を共にしてから関係を深めていく方法もあっただろう。好きな女性の願いを叶えたいという気持ちも十分にあった。
しかし、それは何かが違う気がしたのだ。頼まれたから、状況が切羽詰まっているから、他の人にとられないために、そんな理由で一夜を共にするのは、何かが違うと思った。
「アレン様……」
「――その代わり、クリス様の事は私が守ります。絶対にサーシス伯爵には渡しません」
「!!」
俺にできることなど限られている。武力もなければ権力もない。前世の記憶があったところで、伯爵に対抗できるわけがない。それでもやると決めたのだ。
「従業員の安全を守るのは店長の仕事です。だから安心して任せてください」
クリス様は一瞬ぽかんとした表情を浮かべたが、くすくすと笑いだした。
「従業員ですか?」
「ええ。私には店長としての立場があります。クランフォード商会支店の店長として、あらゆるツテを使い、クリス様をお守りしましょう」
「なるほど……店長としてわたくしを助けてくださるということですね」
個人では使いにくいツテでも、支店長としてなら使える。クリス様は俺の言いたいことを正しく理解して下さったようだ。
「ありがとうございます。それなら安心です」
そう言ってクリス様は面接のときに見た笑顔と同じ、青い可憐な花のような笑顔を見せてくれた。思わず見とれてしまった俺は、ごまかすように言う。
「遅くなってしまいましたね。お話ししたかったことは以上でよろしいでしょうか」
「そうですね……最後に一つだけよろしいでしょうか?」
「もちろんです。なんでしょうか?」
「――今なら抱かれてもいいと本心で思っていますよ?」
顔が焼けるように熱い。頬が真っ赤になっている気がする。くすくす笑っているクリス様からは、本気か冗談か区別がつかない。
「きょ、今日はもう寝ましょう! 明日も仕事です!」
「今日は寝るんですね。承知しました。おやすみなさい」
そう言ってクリス様は店長室を出て行った。話し始めたのが終業後だったので、もう大分遅い時間だ。
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