信頼はお金では買えません。ご存じありませんか? それはご愁傷様です

ノ木瀬 優

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【side カール】


 ミナに婚約破棄を突き付けた俺は、意気揚々と屋敷に帰った。

「帰ったぞー!」
「「「おかえりなさいませ、カール様」」」

 メイドや執事達が手を止めて俺を出迎える。

(っち! ご主人様と呼べって言ってんのに……)

 この家の者は絶対に俺の事をご主人様と呼ばない。『自分達を雇っているのはミナ様ですので、カール様の事をご主人様と呼ぶわけにはいきません』との事だ。頭の固い連中だが、寛大な俺は、そのわがままを許してやっている。なぜなら――。

「カール様ー!!」
「ジェシー!」

 ――この家にはジェシーがいるからだ。俺の帰宅を知ったジェシーが、俺の胸に飛び込んできた。俺はジェシーに口づけを交わした後、その豊満な胸を揉みしだく。

「あんっ! もう……皆が見てますよ?」
「はっ! 見せつけてやればいいさ」
「きゃ! もう、カール様のえっちぃー」

 俺は外野の目を気にせず、ジェシーの身体を堪能する。

「そうだ! 聞いてくれよ、ジェシー。俺、ついにやったんだよ!」
「まぁ、カール様。何をなされたんですか?」
「ふふふ、聞いて驚け! 俺はミナとの婚約を破棄してやったんだ!」
「――っ!」

 一瞬、ジェシーは驚きの表情を見せたが、すぐに満面の笑みを浮かべた。

「まぁ! それは素晴らしいですね! ですが、大丈夫なのですか? その……慰謝料とか……」

 どうやらジェシーは俺が払う慰謝料の心配をしてくれたらしい。

「はっ! あんな慰謝料なんて俺にかかれば大した問題じゃないさ! ちゃんと一括で支払ってやったよ。これで俺を縛るものは何もない。さぁ、ジェシー! 俺と結婚――」
「――まぁ! おめでとうございます。カール様! これでカール様は自由の身になったのですね! 私、今日という日を心待ちにしておりました! ですが……」
「どうしたのだ? ジェシー? 俺と結婚出来るのだぞ? 嬉しくないのか?」
「それはもちろん、決まっております! ですが……その……。私、プロポーズは教会でして頂く事に憧れておりまして……。ミサの日に、大勢の人の前でプロポーズして頂く事に憧れているのです……」

 ジェシーがいじらしくお願いしてくる。

(なるほど! 確かに、俺とジェシーが婚約するところを大勢の人に見せつけるのは楽しそうだ! ふふ、皆が俺に嫉妬するぞ! なんたってこんな美人と婚約できるのだからな!)

「ふふ。まったく、しょうがないなぁ。そういう事であれば、次の週末に、一緒にミサに行こう!」
「まぁ! 嬉しい! ありがとうございます!」

 感極まった様子のジェシーが、再度俺に抱き着いてくる。

「ははっ! なぁに、いいって事よ! さて、腹が減った。一緒に飯にしよう。その後はいつものように……な?」
「ええ、もちろんです!」

 俺はジェシーと一緒に食堂に向かう。その際、ジェシーがメイドに何か目配せしていたように見えたのは気のせいだろう。





「……ぅ……くぅ……朝か……ん? ジェシー?」

 翌朝、俺はベッドで1で目覚めた。毎朝、目が覚めた時、隣にいたジェシーの姿はどこにもない。

(ジェシーがいない……昨晩、何かあったか? そう言えば、きのうは夕食を食った後、急に眠くなってそのまま寝てしまった気が……)

 昨晩の事を思い出していると、ふと、サイドテーブルに置かれた紙が目に入った。

(これは……ジェシーの字だ。えっと……)

『昨晩はお疲れの様でしたので、そのままお休み頂きました。私は週末に向けて準備に行ってまいります。 お仕事、頑張ってくださいね。 ジェシーより』

(ああ、そういう事か……っち、昨日はようやく俺がフリーになった日だから思いっきりジェシーと遊ぼうと思っていたのに……まぁ、いい。お楽しみは今夜に取っておこう)

 状況を理解した俺は、ベッド脇に置かれた時計を見る。昨晩早く寝たおかげか、今日はいつもより早い時間に目が覚めたようだ。

(っち! 微妙な時間だな。もう目も覚めちまったし、少し早いが仕事に行くか…………そうだ、たまには店に行ってみるとするか!)

 今頃店では、従業員達が開店準備を進めているはずだ。会長である俺は、夕方ごろ、本社に出勤して決裁を行うだけでいいのだが、たまには店に顔を出して、従業員達の仕事ぶりを見るのもいいだろう。そう考えた俺は、執事達に身支度を整えさせ、屋敷を後にした。



「は? な、なんだこれは!!」

 店に着いた俺は愕然とする。店はいつも通り繁盛しているものの、従業員がいるべき人数の半分もおらず、店内は、目当ての品を探す客や、従業員を探す客、そして、会計を待つ客でごった返していた。

(何だこれは!? 従業員達はどこに行った!? なぜ、これしかいない!?)

 訳が分からず、俺は、店内にいたエリアマネージャーを問い詰める。

「おい! これはどういうことだ、これは!?」
「あ、会長! どうしてこちらに?」
「そんなことはどうでもいい! それより、なんで従業員が半分もいない!?」」
「あ、いや……そ、それが……なぜか皆、急に退職しまして……非番の者もかき集めたのですが、これしか集まらなかったのです」
「な、なんだと!?」

(あり得ない…………)

 エリアマネージャーの言葉に俺は不信感を覚えた。この店の従業員の給料は、ミナの指示でかなり高く設定してある。従業員の募集をかければ、毎回定員以上の応募が集まるのだ。急に、しかも大勢が退職するなんてありえない。

(待てよ……って事は……)

「お前……従業員用の人件費を横領していたな!?」
「は? え? な、なんのことで――」
「――とぼけるな! お前、俺が店に顔を出さないのをいいことに、勝手に従業員をクビにして、クビにした連中分の人件費を横領してたんだろう!?」
「そ、そんな! そんなことしていません!」
「嘘をつくな! たまたま俺が出勤した日に一斉に退職するなんてありえるか! 本当はもっと前からいなかったんだろうが! 正直に言え!」
「め、めめ、滅相もございません! 本当に! 本当に本日一斉に退職したのです。ちゃんと日付入りの退職届が――」
「――っは! 用意の良い事だ。わざわざ退職届まで用意しておくとはな。だが、そんなことで俺は騙されんぞ。お前が横領した分の人件費は後できっちり請求させてもらうから覚悟しておけ! 」
「そんな! 会長! 会長―!!」

 なおも言い訳を続けるエリアマネージャーを無視して、俺は会長室に向かう。これ以上、人でごった返している店内にいたくなかった。混乱した店内はエリアマネージャーに任せるとしよう。今までも今の人数で店を回していたのだ。なんだかんだ今日も何とかするだろう。

 疲れた俺は、決裁処理をする前に一息つこうと会長室に入る。だが、そこで目に飛び込んできたのは、机を覆い尽くす決裁待ちの書類の山だった。

「な、なんだ、これは!?」

 いつもは多くても100枚ほどだったはずだ。それが、優に10倍以上の数、机の上に置かれている。

(なんで……なんで、こんなに書類がある!? ………………まさか、ミナが!)

 ミナが、ミナの商会の経理書類や請求書類も俺の方に回してきたのかと思い、俺は、書類の山から数枚の書類を取り出して、中身を確認した。

(これは……俺の商会の経費精算。こっちは……これも、俺の商会のものか……)

 10枚近く確認するも、全て俺の商会の書類で、ミナに商会の書類は1枚もなかった。

(なんなんだ、急に……いや、まてよ。決裁しなきゃいけない書類が多いって事は、それだけ商会が儲かってるって事だよな? ……くっははは! ほれみろ! ミナと婚約破棄した瞬間これだ! やっぱり俺は正しかったんだ!)

 おそらく、平民のミナが副会長だった事を好ましく思っていなかった連中が、俺がミナを追い出した事で、商会を利用しだしたのだろう。

(なぁにが、『商会はミナに任せておけば安心だ』、だよ。親父も見る目が無かったな! やっぱり俺こそ、会長にふさわしい人間なんだ!)

 いつも兄貴がうらやましかった。先に産まれたというだけで、伯爵家当主になる事が確定しており、美人な婚約者もいる兄貴。それに比べて俺は、将来は約束されておらず、婚約者は平民の色気のない堅物ミナだ。腐るなという方が無理だろう。

 たが、ようやく、俺にも運が向いてきたようだ。大商会の会長ともなれば、貧乏伯爵家の当主なんかより、よほど羽振りのいい生活が出来る。

(実家の屋敷のメイド達はババァばっかだったからな。ミナが用意した屋敷のメイド達は俺の世話をしないし……待ってろよ! 大金が手に入ったら俺の屋敷を建てて専属のメイドをたくさん雇ってそこでジェシーやメイド達と……くっははは!!)

 もうすぐ来るであろう将来を想像しながら、俺は意気揚々と決裁待ちの書類に、ハンコを押していった。

 それからというもの、俺は毎日のように1000枚近い決裁待ちの書類にハンコを押していった。たまに店の様子も見に行ったが、あの日以来、店が客であふれかえって大混乱するような事は起きていない。やはり、エリアマネージャーは嘘をついて、人件費をだまし取っていたようだ。

(ったく、あいつめ……まぁいい。今店は好調なようだし、横領分については見逃してやるか)

 本音を言えば、横領分の人件費がいくらなのか計算するのがめんどくさくなっただけなのだが、見逃してあげた事にした方が、あのエリアマネージャーは俺に感謝するだろう。

 今までの10倍近い決裁を行ったのだ。決算の利益も10倍近くに膨れ上がっているはず。その分の収益が俺の懐に入って来るのだ。多少の横領は見逃してやってもいい。俺はもうすぐ入って来るはずの大金の事しか考えられず、他の事はどうでもよくなっていた。



 唯一、不満だったのは、ジェシーの事だ。というのも、俺がミナとの婚約を破棄した日からずっと、ジェシーは外出していた。ジェシーからの言付けを預かったという執事曰く、『カール様のためのサプライズプレゼントを用意しておくから楽しみにしてい下さい。ミサの日には戻ります』とのことだ。ミサの日は決算日の翌日であり、それまで、ずっと外出するのだという。

『サプライズなどいいから、今すぐに戻ってきて俺の相手をしろ!』と言いたかったが、その執事は、ジェシーがどこに行ったのかは知らず、俺の言葉をジェシーに伝えるのは不可能とのことだった。

 『ふざけるな!』とその執事を殴ろうとするも、軽く躱されてしまい、ならばと屋敷内の備品に八つ当たりするも、執事は屋敷が荒れるのを気にしていないのか、すました顔を崩さずにいる。

(くそが! 執事ごときが調子に乗りやがって! だいたい、ジェシーもジェシーだ! なんだよ、サプライズって! どんなプレゼントより、ジェシーが相手してくれることの方が良いに決まって……いや、落ち着け。ジェシーは俺の事をちゃんとわかっているはずだ。ならば、きっと、サプライズを準備してくれているはず! そうさ! 例えば、あんなことやこんなことを……ぐふっ! ぐふふふ……仕方がないな! 少しだけ……少しだけ我慢してやろう)

 どれだけ暴れても、俺の気が晴れる事は無かった。だが、俺は決済日に大金を手に入れて、その翌日ジェシーにプロポーズし、『すっごいサプライズプレゼント』を受け取る事を想像して、何とか我慢する。



 そして、いよいよ待ちに待った決算日が訪れた。
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