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 卒業パーティーのその日、俺は意を決して声をあげた。



「レイチェル゠ドロイド! 貴様は、ここにいるマリア゠フォーレンス男爵令嬢の殺害を目論んだ! この事は、王太子である私の婚約者としてふさわしくない! よって、貴様との婚約を破棄する!」



(よし! 何とか言い切れた!)



 根っからの王族であれば、この程度の事で緊張するような事はないのだろう。しかし、前世が小市民だった俺からすると、静まり返ったパーティー会場で、大声を張り上げるというのは、なかなかにプレッシャーのかかる行為だった。噛まずに言い切れた俺を、誰か褒めて欲しい。



 そう、前世。俺には前世の記憶がある。いわゆる転生者だ。とはいえ、この世界が原作のゲームや小説を知っているというわけでもなく、ただただ小市民の心を持って王族に生まれ変わってしまっただけの、残念な転生者。それが俺だ。



 だが、そんな俺でもやらなきゃならない時はある。それが今だ。



 閑話休題。



 俺の言葉により、衆人の目が俺に集まるのを感じる。震えそうになる手足を必死で抑え、うるうるした瞳で見つめてくるマリアから適切な距離を・・・・・・保ちつつ・・・・、俺は婚約者であるレイチェルを睨みつけた。



「……リチャード王太子。失礼ながら正気でございますか? そのような理由でわたくしとの婚約を破棄されるなど」

「ひっ!」



 レイチェルに睨みつけられたマリア嬢が、おびえた様子ですり寄ってくる。そんなマリアを側近候補・・のサイクスに任せ、俺はレイチェルと向かい合った。



「確かにフォーレンス男爵令嬢にも至らぬ点は多々あったと思う。特に婚約者のいる異性への接し方は、貴族令嬢として見るにたえないものであったと言えるだろう」

「…………え? り、リチャード様?」

「で、殿下? なにを言って……」



 俺の言葉に、マリアはうるうるさせていた目を見開いた。サイクスも驚愕の様子で俺を見ている。



(いやいや。俺何度も言ったし……)



 思わずこぼしてしまいそうになるため息を押させこみ、俺は冷ややかな目でマリアとサイクスを見た。



「……何度目か分からぬが、フォーレンス男爵令嬢。貴様に私の名を呼ぶ権利は与えていない。そしてサイクス。令嬢とは適切な距離を保つよう何度も言ったはずだぞ」



 高位貴族であるサイクスにだって、婚約者はいる。それなのに、サイクスは震えるマリアの肩を抱きしめるようにして立っていた。婚約者がいる令息と令嬢の立ち振る舞いとしては、非常識と言わざるを得ない。



「まぁ、私の言葉が聞けぬならそれでもかまわない。が、そのような者を側近に取りたてる気は無い事は明言しておくぞ」

「そんな!」



 サイクスがすがるような視線を向けてくるが、俺が言うべき事はもうないので2人から目を離す。サイクスの側近となる道は断たれたし、彼の婚約者は婚約破棄のために動いている。マリアの家にもサイクス以外の多くの令息及びその婚約者の家から苦情が殺到しているはずだ。それぞれそう遠くないうちにふさわしい罰を受けるだろう。



(だからあっちはもういい。問題は、こっちだ!)



 俺は再びレイチェルと向き合った。



「繰り返しになるが、フォーレンス男爵令嬢にも至らぬ点はあったと思う。それにより、多くの者が不快な思いをした事も承知している。ゆえに、フォーレンス男爵令嬢が多少痛い目を見たとしても、それは自業自得という物だ」



 レイチェルがマリアに様々な嫌がらせを行っていたことは知っている。マリアから相談を受け、裏取りもしたので間違いはない。とはいえ、その内容は、マリアを無視したり悪口を言ったりする程度のものであり、公爵令嬢であるレイチェルの嫌がらせとしては、可愛い物であった。それに、そもそも嫌がらせの原因が、マリアが、俺を含めた多くの令息にすり寄っている事である事も分かったので、サイクス以外誰も同情しなかったし、特に問題にもしなかったのだ。



「しかし! それでも暗殺者を雇って殺害を企てるというのはさすがにやり過ぎだ!!」

「…………」

 

 あの時は本当に驚いた。休日を中庭でのんびり過していた俺達のもとへサイクスとマリアがやってきて『暗殺者に狙われた!!!』と騒ぎ出したのだ。どうやら町の裏道で、暗殺者の集団に襲われたらしい。(そんなところになぜ2人がいたのかは、この際置いておく)サイクスを密かに護衛していた者が助けに入らなければ、間違いなく死んでいたとの事だ。



 いつもの嫌がらせとは一線を画すその内容に、俺は王家の陰の手も使って慎重に調査した。すると、なんと自分の婚約者レイチェルがマリアに暗殺者を仕向けた事が判明したのだ。



(嘘だろ……)



 あの時のショックは今でも忘れられない。自分のパートナーとなる人間が……信頼し、心を開き、いずれ家族になろうとしていた人間が、人殺しを指示していたという事実が受け入れられなかった。自分の婚約者レイチェルがそんなことをしたなんてどうしても信じられず、持ちうるすべての手段を使って調査を行ったが、その事実が覆る事はなかった。



(こんな……こんな事って……)



 レイチェルとの婚約は王命であり、このことを、陛下に相談しても、陛下は暗殺の事実をもみ消して、婚約の継続を指示するだろう。しかし、俺には、平気で暗殺を指示する人と婚約を継続するなど、耐えられなかった。ゆえに、俺は卒業パーティーの場で、レイチェルの断罪を決行する事にしたのだ。



「どうだ、レイチェル? 何か申し開きはあるか?」

「……」



 ずっと黙っていたレイチェルがゆっくりと口を開いた。



「……サイクス様を巻き込んでしまった事につきましては、誠に申し訳なく思っております。まさかあのような場所に侯爵家の令息がいるとは思わなかったのです。わたくしの不手際、深くお詫び申し上げます」

「――っ!!!」



 レイチェルの言葉に背筋が寒くなる。確かにサイクスは侯爵家の令息だ。彼を巻き込んだ事は、公爵令嬢レイチェルといえど、許される事ではない。だが……。



(そうじゃない!! そうじゃないだろ、レイチェル!!!)



「レイチェル……確かにサイクスを巻き込んだ事も問題だ。だがそれ以上に! 暗殺者を差し向けた事そのものが問題なのだ! それが分からぬのか!!」

「?? 申し訳ありません。わたくしには分かりかねます」



 レイチェルがゆっくりと顔を傾けた。その様子から、レイチェルが、本気で何が悪いのか分かっていない事を悟る。



(あぁ、これはもうダメだ……)



 この期に及んで、俺はまだ期待していたのかもしれない。レイチェルが、自分の行いを悔いてくれるかもしれないと。もしくは、レイチェルは、暗殺には関わっていないかもしれないと。だが、その期待が叶う事はもはやない。



「レイチェル……残念だ……本当に残念だ……」



 俺は、可哀想なものを見る目でレイチェルを見た。人の心を失った、冷たい心しか持てない令嬢に憐みを覚えて。



(本当はレイチェルと共に歩んで行きたかったのに……これではもう……って、あれ??)



 俺はここでようやく異変に気付いた。会場内がやけに静かなのだ。



(おかしい……いくら目上の人間が話しているとはいえ、同級生《レイチェル》が暗殺を指示していたと知ったら多少はざわつくだろうに……)



 そう思って会場内を見渡してみると、皆、不可解なものを見る目を向けていた。レイチェルにではなく、私に。



「…………は??」



 状況が理解できず、俺は固まった。なぜそんな目で俺を見るのか。その視線を向けるべきは、レイチェルだろう。



 あまりの異様な状況に、俺は声を出す事が出来なかった。そんな俺を見かねたのか、俺の本当の側近であるフリッドが前に出てきて言った。



「リチャード王太子殿下。恐れながら申し上げます。おそらくここにいる誰もが、リチャード王太子殿下はドロイド公爵令嬢の行いの何を問題だとされているのか、理解できておりません」

「……え? は? はぁ??」



 あまりの事に、俺は王太子らしからぬ声を上げてしまう。



(え? 誰も理解していない? 『暗殺を指示する事』がいけない事だと誰も理解できないのか!? ここにいる誰も!?!?)



 ここは貴族が入学する学校であり、当然男爵家や子爵家といった下級貴族の者もいる。というより、数でいえばその者達の方が多いだろう。



「まさか!? そんな……」



 だが、フリッドの言う通り、周りを見渡しても、皆が怪訝な目を向けているのは、レイチェルではなく、私。そんな私を、憐れむように見つめながら、レイチェルが言う。



「リチャード殿下。繰り返しになりますが、男爵令嬢ごときを殺害したとしても、大した問題ではありませんよ。それよりも、私との婚約を破棄する方が問題です。今一度、お考え頂けませんか?」



 ゾワッ!



 その言葉を聞いた瞬間、私の中を言い様のない恐怖が駆け巡った。恥も外聞もなくして、この場から逃げたかったが、それすら許されそうにない。



「あ、あぁ……分かった……」



 気力を振り絞り、何とかそう口に出すのがやっとだった。



「ご理解頂けて何よりです。それでは、卒業パーティーを楽しみましょう」



 そう言って、私に手を差し出すレイチェル。何とかその手を取り、レイチェルをエスコートしつつ、俺は衆人の目から逃れるのだった。







◆    ◆     ◆





「いやー、驚いたな。まさかリチャード殿下があんなことおっしゃるなんて思いもしなかったよ」

「だよなぁ。男爵令嬢の命なんて、あの人達にとって、道端の石みたいなもんだろうに」

「言うなよ。それだけリチャード殿下がお優しい・・・・って事だろ」

「でもよ。もし仮に、ドロイド公爵令嬢が何もしなかったら、フォーレンス男爵令嬢の命1つじゃすまなかったよな?」

「まぁ、そりゃ、な。公爵令嬢と婚約している王族に言い寄るなんて、どんなに軽く見積もっても一家処刑は免れないだろ」

「王家と公爵家のメンツもあるしな。それどころか、フォーレンス男爵家の血が入った家も、連座でつぶされてた可能性もあったと思うぜ?」

「え、まじ? うちのひいばあちゃん、確か、フォーレンス男爵家出身だったはず…………」

「まじか!? お前、今からでも親にドロイド公爵家に手紙を出すよう言った方がいいぞ! 早く、叛意がない事をはっきりさせておかないと、お前の首が……」

「っ! そ、そうだな。うん、ちょっと言ってくるわ!」



 そう言って、輪から離れた令息は、家族の元へ走って行った。



「あいつ大丈夫かな?」

「まぁ、ひいばあちゃんなら大丈夫だろ。親とか祖父母とかだったらヤバかったかもしれないけど……」

「でもさ。そう考えると、リチャード殿下って、優しいってか…………」

「あぁ、うん。まぁ、な。……」



 どう言葉を選んでも、不敬にしかならないので、皆最後まで言い切れない。



「ドロイド公爵令嬢が上手くまとめて下さって、本当に良かったよ。リチャード殿下も考え直してくださるようだし、これで大丈夫だろ。……流石に考え直してくださる……よな?」

「いや、流石に考え直されると思うぞ? 現状、王妃はドロイド公爵令嬢以外ありえない。第二王子は国防の為に辺境伯のご令嬢と婚約されているし第三王子は年が離れすぎてる。もし、本当に婚約破棄されるとなったら、ドロイド公爵令嬢と辺境伯のご令嬢を入れ替えるって事になるけど、そんな事、辺境伯が許すわけがないし、強行しようもんなら、国が割れる。リチャード殿下も、それは望まれないだろう」

「まぁ、な。んじゃ今回の件はなかった事にされるのかな?」

「いや、完全に無かった事には出来ないだろ? 危うく国を割りかけたんだし……あれ? リチャード殿下、どうなるんだ?」

「んー、今回の事で、リチャード殿下の素質も見えちゃったからなぁ。政治的な発言力を取り上げられて、種馬……いや、王家の血を残す仕事に従事される事になるんじゃないか?」

「あぁ、うん。それが良いよ。ドロイド公爵令嬢が政を担当して下さるなら、この国も安泰だ!」

「…………でも、それってお飾りの王様って事じゃ……」

「「「それは言うな!」」」



 そんなやり取りが、会場のあちこちでなされていた事を、リチャード殿下が知らなかった事は、せめてもの救いなのかもしれない。
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