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1巻
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プロローグ
毛布に包まれているよりも暖かくて、いつまでもまどろんでいたくなる……そんな温もりに包まれ、百花はその熱に子猫のように身体をすり寄せる。
自分のものではない香水の匂いに思わずクンクンと鼻を動かす。知っている香りのはずなのに、この暖かさとは結びつかない。
この温もりの元が知りたくて、百花は眠気に抗いながら重い瞼を上げた。
視界に飛び込んできたのは――白いシャツ。
ボタンを数えるようにして頭をもたげると、ボタンが外れた襟元から覗く筋張った男性特有の首筋が、ゴツゴツとした顎の輪郭に繋がっているのが見える。
どうして自分の隣に男性が眠っているのだろう。不思議に思いながら目を閉じて、次の瞬間ギョッとして目を見開く。
「……ッ!?」
この世に生を受けて二十三年。男性と交際したことのない自分に、こうして添い寝をするような男性はいない、はず。百花はもう一度シャツから首筋、顎、そしてその先へと視線を上げて見覚えのある顔に目を丸くした。
「透、くん……?」
百花を抱きしめるように身体に腕を回して眠っていたのは、幼馴染みの神宮寺透だった。
幼馴染みと言っても、正確には透とは九つ年が離れていて、透は百花の兄と同い年だ。親同士が親しく、自然と年の離れた百花も妹のように可愛がってもらうようになった。
現在、透は都内のマンションで一人暮らしをしており、百花も何度か遊びに行ったことがある。もちろん寝室に入ったことはないが、ここがホテルでないとすれば彼の部屋である確率は高い。そんなことを考えているうちに、少しずつ昨夜の記憶が蘇ってきた。
昨日は会社の部内で懇親会があり、その最後に透が顔を出したのだ。百花は二次会にも参加するつもりだったのだが、飲み過ぎて思っていたよりも酔っ払っている百花を見た透に強制的にタクシーに乗せられたのを思い出した。
どうやらそのままタクシーの中で眠ってしまった百花を、透がベッドまで運んでくれたらしい。
ちなみにどうして幼馴染みの透が百花の職場の懇親会に顔を出したかというと、会社を透の実家である神宮司家が経営しているからである。透自身も先日専務取締役に就任したばかりだった。
透の父が経営している株式会社BONは全国各地で高級旅館を運営している会社で、近年は首都圏でのウエディング事業にも力を入れている。
BONはビューティーズオブネイチャーの略で、フランス語で「良い」を意味する言葉でもある。
名前の通り各地の旅館は花鳥風月をコンセプトに、日本ならではの自然の美しさを国内外の人たちに楽しんでもらうことをモットーにしている。
百花は透や両親の勧めもあり、去年の春からウエディング事業部の広報室で働いていて、昨夜はその集まりだったのだ。
これで透と一緒にいる理由には説明がつくが、なぜ彼のベッドで、しかも彼の腕の中で眠っているのかが謎だった。
どうにもそれ以上謎が解明できず、もう一度まじまじと透の顔を見つめたときだった。
「う、ん……」
透が小さな声を漏らし、わずかに腕の力を緩めた。百花はすかさずその腕の中から抜け出し起き上がる。するとそれに気づいた透が、うっすらと目を開けた。
男性にしては長く反り返った睫毛が小さく震えるのを見て、百花の胸の奥がざわりと騒いだ。
「ん~……モモ、目が覚めた?」
眠たげな声はいつもの透なのに、なぜか警戒している自分がいる。昨夜の記憶が曖昧で、何かやらかしてしまったのではないかと心配だった。
「お、おはよう……」
「うん」
百花にずっと腕枕をしていたから痺れたのだろう。透は伸びをしながら起き上がると、首を左右に揺らしたあと二、三度肩を竦めるようにして身体をほぐす仕草をした。
「あのさ、昨日って……」
「モモ、覚えてないの? やっぱり連れて帰ってきてよかった。俺が店に行ったらかなり酔ってたからびっくりしたんだぞ」
透のいつもは柔和な瞳が怒ったように眇められるのを見て、百花はしゅんと肩を落とした。
「ごめんなさい。最初はサワーを飲んでたんだけど、先輩にここは美味しいワインを置いてるからって勧められて、飲んじゃったんだよね」
「まあ先輩に勧められたら断れないのはわかるけど、ちゃんぽんはだめだろ。ワインはアルコール度数も高いしモモはそんなにお酒強くないんだから」
「うん」
「昨日の酔い方じゃ誰かにお持ち帰りされても文句言えないぞ」
「……ごめんなさい」
透の言う通りなので、しょんぼりと下を向くしかない。
そんなにお酒が強くないに、あの飲み会独特の雰囲気の中だと、つい気持ちが高揚して調子に乗ってしまうのだ。学生時代にも何度か飲み過ぎてひどい目に遭ったことがあるのに、どうにも学習できない自分が恥ずかしい。
「別に謝らなくていいって。それより具合悪くない? 酔ったまま寝ると二日酔いになりやすいから」
透は落ち込んだ百花の気を引き立てるように笑うと、手を伸ばして頭をポンポンとあやすように叩いた。
「平気。でも透くんがいてくれて良かった。だって、透くんが連れて帰ってくれたのなら、後で何があったとか騒がれなくて済むもんね」
社内で透と幼馴染みであることを隠していないので、変な噂が立つこともない。これが他の男性社員相手だったら、あれこれ邪推され騒がれることは間違いないだろう。
「まあ、それはそれで問題なんだけど」
「え? 問題?」
透の溜息交じりの呟きは百花の耳には届かず聞き返すが、透は微かに眉を寄せ小さく首を振ってから、いつもの笑顔になる。
「モモの家には連絡入れてあるから問題ないよって言ったの。無断外泊なんかしたら拓哉が大騒ぎするぞ」
透の言葉に、思わず兄の顔を思い浮かべて身震いする。歳が離れているからなのか、拓哉はとにかく過保護で、大学生の頃は飲み会で少し遅くなろうものなら携帯に鬼電がかかってきて、百花が家に帰るまで起きて待っているという徹底ぶりだった。
さすがに社会人になってからは、付き合いもあるからとそこまでうるさくなくなったが、やはり無断外泊はまずいだろう。
「お兄ちゃん、怒ってなかった?」
「うちまで迎えに来るって言ってたけど、もう寝てるし、今日は土曜だから起きたら俺が送るって言ったら諦めた」
「よかったぁ……」
百花がホッと胸を撫で下ろすと、拓哉の過保護っぷりを知っている透がクスクスと笑いを漏らした。
「モモ、今日の予定は?」
「今日は家の中を掃除しようと思ってたんだよね。明日はブライダルフェアの手伝いで出勤だから」
百花の実家、榊原家は両親と兄、百花の四人家族だ。
両親は最近話題のフルーツタルトのチェーン店『タルト・オ・フリュイ』を経営していて、兄の拓哉はパティシエ兼開発チームのリーダーでもある。
今でこそ法人化してかなり規模が大きくなっているが、百花が子どもの頃は、まだ街の小さな洋菓子店だった。さして裕福でもなく、ご近所でも「ケーキ屋のモモちゃん」と呼ばれるような、ごく普通の家庭だったのだ。
ところが百花が中学校に入る頃には大ブームとなり、テレビや雑誌で大きく紹介されるようになった。あれよあれよという間に首都圏に店舗を増やし、今はかなりの規模の会社になっている。
そうなると自然と生活のレベルも上がり、高校に入る頃にはこれまでの店舗兼自宅から、都心部の庭付き一戸建てになった。百花は社会人になった今もそこで家族と暮らしているのだ。
「掃除って、家政婦さんにお願いしてるんじゃないの?」
透の言う通り、両親が経営陣に参加しているために家事をする人がおらず、通いの家政婦さんをお願いしている。それはとても助かるのだが、やはり休みの日ぐらい自分でできることはしたいのだ。
「でも毎日じゃないし、自分たちの部屋はお願いしてないから。それに今の家に引っ越すまでは、家のことはだいたい自分でやってたんだもん」
そう、両親が二人で店をやっていた頃は、家の掃除や洗濯、夕飯の支度も百花の担当で、その頃のクセは今も抜けない。働いているほうが性に合うのだ。
「モモは偉いな。俺、モモのそういう堅実なところ好きだな」
透の思いがけない言葉に驚いたが、それでも透のような大人の男性に言われるとドキリとする。
「もう! 何それ。堅実なんて女の子に言う褒め言葉じゃないし」
「そう? 結婚するなら重要な条件だと思うけど」
「何それ。透くん、そういう子が好みなの?」
独身を謳歌し仕事に打ち込んでいる透がそんなことを言うのがおかしくて、百花はクスクスと笑いを漏らした。
「さてと、支度して帰ろうかな」
ひとしきり笑ってベッドから滑り降りようとした百花の手首を透の手が掴む。
「どうしたの?」
訝るように振り返った百花に、透が柔らかな笑みを向けた。
「待って。実はモモに渡したい物があるんだ」
「……何?」
「見てのお楽しみ」
透は楽しげに唇の両端を吊り上げると寝室を出て行き、すぐに何か小さな包みを手に戻ってきた。
「はい、どうぞ」
そう言って差し出された透の手には、ピンクのリボンがかかった白い箱が載せられていて、百花は首を傾げた。
誕生日はもう過ぎたし、その時にちゃんとプレゼントをもらっている。もう社会人なのだからと、百花のお給料では簡単に手が届かないハイブランドのお財布をもらったのだ。クリスマスもまだかなり先だし、このタイミングでプレゼントをもらうような理由がなかった。
考えても思い当たることがなく手に取るのを躊躇っていると、押しつけるように手渡されてしまう。
「なあに? これ」
「開けて見て」
首を傾げながら包みをほどくと、箱の中からはさらにクリスタルのジュエリーケースが現れた。そう、ちょうど特別なアクセサリーが入るデザインに百花の心臓が大きく跳ねた。
「これって、もしかして……」
恐る恐る蓋を開けると、中にはダイヤモンドを中心に据えたデザインリングが入っていて、石の大きさから見ても、ただの指輪でないことはすぐにわかった。
「透くん……これって……」
「うん、婚約指輪」
「……えっ!?」
透はケースの中から指輪を取り出すと、驚きすぎて言葉もない百花の左手の薬指にそれをはめてしまった。
「あの、えっと……」
「昨日のモモを見て思ったんだ。そろそろ婚約者の権利を主張しておこうって」
「は? き、昨日の私って」
「男の前で無防備に酔っ払ってただろ」
「お、男って言っても会社の先輩だし、女の人もいたし!」
というか、ウエディング事業部の広報室は女性の方が多い。そもそも、どこの部にだって男性社員がいるのだから、男の前で酔っ払ったというのは言いがかりに近い気がする。
それに婚約者の権利とはどういう意味だろう。今まで一度もそんなことを言ったことなどなかったのに。
「とにかく、俺は心配になったんだ。婚約してもう六年だし、そろそろ今後のこともちゃんとした方がいいだろ。だからこれは俺の意思表示ってところかな」
透はそう言うと、百花の左手を引き寄せ、指先にチュッと音を立てて口づけた。
「……っ!」
「モモももう大人だし、これからはもっと積極的にアプローチをしていくつもりだから覚悟してて」
これまでずっと兄のように慕っていた透に突然甘やかな眼差しで見つめられて、心臓がおかしなリズムで動き出す。思考回路はぐちゃぐちゃだ。
百花はまだ夢を見ているのではないかと思わず自分の頬をつねってしまう。
「いたっ」
確かに感じる痛みに声を上げると、一連の仕草を見ていた透が吹き出した。
「やっぱりモモは可愛いな」
「……な!」
いつもの透とは違う甘い言葉に、百花は一瞬言葉を失った。
「き、今日の透くん、なんか変。もしかして具合が悪いとか……あ! 寝ぼけてるんじゃない?」
きっとそうだ。自分が夢を見ているのではなく、透が寝ぼけているのだ。しかし透はあっさりと首を横に振る。
「そんなことない。モモを抱いて眠れたからとっても寝覚めもよかったし、むしろいつもよりいい気分」
「抱いてって……」
物理的にはそうだが、自分から抱かれたつもりはない。
「そんなに恥ずかしがることじゃないだろ。子どもの頃はよく一緒に寝てたし、お風呂だって一緒に入ってたし」
「それはホントに小さいときで、大人になってからは一度もないし!」
「じゃあこれから試してみる?」
ニヤリと笑った透の顔を見て、百花はギョッとしてベッドの上から飛び降りた。
「ひどいな。そんなにあからさまに嫌がらなくたっていいだろ」
「透くんが変なことを言うから!」
「変なことじゃない。婚約者としての権利の主張。モモも俺たちのこれからをちゃんと考えてみて」
――当然の権利? 親同士が口約束で決めた話の上に、上辺だけ婚約者のふりをするという約束に権利などあるはずがないのに。
百花は透の突然の豹変に戸惑いながら、彼の婚約者になった経緯を思い出していた。
1
透の突然の宣言に衝撃を受けた百花は、まだ状況がよく飲み込めないまま透に連れられてカフェでブランチをとってから、昼過ぎに自宅まで送り届けられた。
食事のときも車で家まで送ってもらうときも、いつもの優しい幼馴染みの透くんで、それ以上婚約云々のことは口にしなかった。
やっぱり自分は寝ぼけていたのかもしれない。お酒の飲み過ぎはよくないとしみじみと反省しながら車を降りようとしたときだった。
「モモ、指輪なくすなよ」
「えっ」
その言葉に自分の薬指に燦然と煌めく指輪を見て、現実逃避をするのを諦めた。
「それ俺の中のモモのイメージでオーダーしてもらった一点ものだから」
そう言われて百花はこっくりと頷くことしかできず、複雑な表情のまま透の車を見送った。
そもそも透が口にした『婚約者の権利』自体に問題がある。
六年前に二人の間、というか神宮寺家と榊原家の間で結婚の約束が交わされたのは事実だが、あくまでもそれは口約束で、百花は透に頼まれて婚約者役を引き受けただけなのだ。
透との婚約話が出たとき、透は二十六歳、百花は十七歳でまだ高校生だった。
その頃、百花の両親の店はブームに乗って続々と新店舗を出しているときで、神宮寺家に多額の出資をしてもらったらしい。
そんな経緯から神宮寺家からの申し出もあり、両親から二人の婚約を提案された。最初は冗談だと笑い飛ばしていたのだが、その後しばらくして透に呼び出された。
「親父たちが言ってた俺たちの婚約の話なんだけど、モモ、本気で考えてみてくれない?」
「ええっ!?」
学校帰りに透と待ち合わせをした百花は制服姿で、表参道のお洒落なカフェに入ってフルーツパフェを食べていた。
最近流行の店で、何かの折に百花が食べたいと言っていたのを覚えていて、透が連れて来てくれたのだ。
それなのにいきなり想定外の提案をされて、百花はここが表参道のお洒落カフェであることも忘れて大きな声を上げてしまった。
静かなピアノ曲が流れる店内で女子高生など一人もいない。百花は慌てて口を両手で押さえて、居たたまれなさに肩を竦めた。
「ごめんごめん。驚かせちゃったな。婚約って言っても、俺と婚約したふりをしてほしいってことなんだけどさ」
透の提案に、百花は目を丸くした。
高校生の百花から見れば透は立派な大人で、しかもいわゆるイケメンの部類に入る自慢の幼馴染みだ。そんな彼がわざわざ高校生の自分に偽装結婚を頼むのは不自然だろう。
「ふりって……透くん彼女いたよね?」
百花はそう言いながら、再びスプーンでパフェを口に運ぶ作業を再開する。
最近はわからないが、高校生や大学生のときは兄とそんな話をしていたのを耳にした記憶がある。もし婚約したふりをするにしても、そういう彼に近い年代の女性の方が信憑性もあるだろう。間違ってもパフェを頬張る女子高生に務まるとは思えない。
「うーん。最近はいないかな。それに嘘の婚約がしたいのに本物の彼女に頼んだら、すぐに結婚しなくちゃいけなくなるだろ」
「え? どういうこと……?」
本物の彼女との結婚の何が悪いのだろう。普通は好きで一緒にいたいからお付き合いをするわけで、結婚しないのに婚約者のふりをするよりよっぽど建設的だ。
聞けば聞くほどわからなくなり顔を顰めた百花を見て、透はクスクスと笑いを漏らす。
「わかりやすく言うと、俺はまだ結婚したくないんだ。まだ社会に出たばかりの半人前だし、今は仕事に集中していたい。でも父も祖父も会社のことがあるから早く結婚しろってうるさくてさ。それで、高校生のモモとの婚約だけしておけばすぐに結婚式ってことにはならないと思ってね。父も昔から娘みたいにモモのことを可愛がってるから、婚約の話が出たんだと思うんだ」
確かに百花の両親も透を気に入っているし、二人が婚約すれば大喜びすることは間違いない。透の言う通り、高校生の自分が相手ならすぐに結婚と急かされることもないし、家族同士で許嫁だと決めておけばそれだけで満足しそうだ。
透は十歳の時に母親を病気で亡くしている。百花は生まれたばかりで透の母のことは記憶にないが、とても綺麗な人だったらしい。当時、神宮寺家はすでに祖母も他界しており、祖父と父だけの男所帯の中で育つ透を心配して、百花の母が頻繁に家に招くようになった。
兄と同い年だったこともあり、物心がついた時から榊原家に出入りしていた透は、百花にとってもう一人の兄のようなものだった。
「モモは大学にも進学するだろ? その間親にもうるさく言われないし、俺も仕事に集中できる。ね? モモには迷惑かけないって約束する。とりあえず口約束だから、お互いの家族の間だけで婚約者ってことにしておいてくれればいい」
「……でも」
そんなに簡単にいくだろうか。百花の疑問に透は笑って首を横に振る。
「大丈夫。会社同士の繋がりの政略結婚みたいなものだし、親父たちはモモのこと可愛がってるから形だけでも満足するからさ。それにすぐ結婚するわけじゃないし、婚約だけなら友達に話す必要もないから、モモの生活は何も変わらないよ」
透には子どもの頃から可愛がってもらっているし、時折食事や遊びにも連れ出してもらっているから、できれば役に立ってあげたいところだ。それで透の父や両親が安心してくれるなら嬉しいし、婚約者のふりといっても、相手が透ならちょっとした優越感も覚えてしまう。
百花はそれ以上あまり考えもせず、透の提案に頷いていた。
「わかった。透くんが困ってるなら協力する」
「ホント? モモ、ありがとう!」
喜んだ透に両手をギュッと握りしめられたときはドキリとしたが、二人の間にこの六年間それ以上の接触はない。
一応順調な付き合いをしているという態でたまに一緒に食事や映画に出かけたりはするが、透とは婚約をする前から一緒に遊びに行くのが普通だったから、百花の生活に大きな変化はなかった。
もちろん普通の婚約ではないから男女の特別な関係などないし、むしろ透がしっかり見てくれているだろうという安心からなのか、両親は百花の友人との交際関係に口うるさくなくなった。兄の拓哉が門限だのなんだのと騒ぐのを宥める側に回ったくれたほどだ。
百花は薬指にはまったままの、透曰くの「婚約指輪」を見つめた。
プラチナの台座の真ん中には大きなダイヤモンド。そしてそのダイヤを挟むように薄いブルーの石が二つ添えられた可愛らしいデザインだ。
百花が三月生まれだから、薄いブルーはアクアマリンだろう。透はそういう細かいことに拘るロマンチストなのだ。
毛布に包まれているよりも暖かくて、いつまでもまどろんでいたくなる……そんな温もりに包まれ、百花はその熱に子猫のように身体をすり寄せる。
自分のものではない香水の匂いに思わずクンクンと鼻を動かす。知っている香りのはずなのに、この暖かさとは結びつかない。
この温もりの元が知りたくて、百花は眠気に抗いながら重い瞼を上げた。
視界に飛び込んできたのは――白いシャツ。
ボタンを数えるようにして頭をもたげると、ボタンが外れた襟元から覗く筋張った男性特有の首筋が、ゴツゴツとした顎の輪郭に繋がっているのが見える。
どうして自分の隣に男性が眠っているのだろう。不思議に思いながら目を閉じて、次の瞬間ギョッとして目を見開く。
「……ッ!?」
この世に生を受けて二十三年。男性と交際したことのない自分に、こうして添い寝をするような男性はいない、はず。百花はもう一度シャツから首筋、顎、そしてその先へと視線を上げて見覚えのある顔に目を丸くした。
「透、くん……?」
百花を抱きしめるように身体に腕を回して眠っていたのは、幼馴染みの神宮寺透だった。
幼馴染みと言っても、正確には透とは九つ年が離れていて、透は百花の兄と同い年だ。親同士が親しく、自然と年の離れた百花も妹のように可愛がってもらうようになった。
現在、透は都内のマンションで一人暮らしをしており、百花も何度か遊びに行ったことがある。もちろん寝室に入ったことはないが、ここがホテルでないとすれば彼の部屋である確率は高い。そんなことを考えているうちに、少しずつ昨夜の記憶が蘇ってきた。
昨日は会社の部内で懇親会があり、その最後に透が顔を出したのだ。百花は二次会にも参加するつもりだったのだが、飲み過ぎて思っていたよりも酔っ払っている百花を見た透に強制的にタクシーに乗せられたのを思い出した。
どうやらそのままタクシーの中で眠ってしまった百花を、透がベッドまで運んでくれたらしい。
ちなみにどうして幼馴染みの透が百花の職場の懇親会に顔を出したかというと、会社を透の実家である神宮司家が経営しているからである。透自身も先日専務取締役に就任したばかりだった。
透の父が経営している株式会社BONは全国各地で高級旅館を運営している会社で、近年は首都圏でのウエディング事業にも力を入れている。
BONはビューティーズオブネイチャーの略で、フランス語で「良い」を意味する言葉でもある。
名前の通り各地の旅館は花鳥風月をコンセプトに、日本ならではの自然の美しさを国内外の人たちに楽しんでもらうことをモットーにしている。
百花は透や両親の勧めもあり、去年の春からウエディング事業部の広報室で働いていて、昨夜はその集まりだったのだ。
これで透と一緒にいる理由には説明がつくが、なぜ彼のベッドで、しかも彼の腕の中で眠っているのかが謎だった。
どうにもそれ以上謎が解明できず、もう一度まじまじと透の顔を見つめたときだった。
「う、ん……」
透が小さな声を漏らし、わずかに腕の力を緩めた。百花はすかさずその腕の中から抜け出し起き上がる。するとそれに気づいた透が、うっすらと目を開けた。
男性にしては長く反り返った睫毛が小さく震えるのを見て、百花の胸の奥がざわりと騒いだ。
「ん~……モモ、目が覚めた?」
眠たげな声はいつもの透なのに、なぜか警戒している自分がいる。昨夜の記憶が曖昧で、何かやらかしてしまったのではないかと心配だった。
「お、おはよう……」
「うん」
百花にずっと腕枕をしていたから痺れたのだろう。透は伸びをしながら起き上がると、首を左右に揺らしたあと二、三度肩を竦めるようにして身体をほぐす仕草をした。
「あのさ、昨日って……」
「モモ、覚えてないの? やっぱり連れて帰ってきてよかった。俺が店に行ったらかなり酔ってたからびっくりしたんだぞ」
透のいつもは柔和な瞳が怒ったように眇められるのを見て、百花はしゅんと肩を落とした。
「ごめんなさい。最初はサワーを飲んでたんだけど、先輩にここは美味しいワインを置いてるからって勧められて、飲んじゃったんだよね」
「まあ先輩に勧められたら断れないのはわかるけど、ちゃんぽんはだめだろ。ワインはアルコール度数も高いしモモはそんなにお酒強くないんだから」
「うん」
「昨日の酔い方じゃ誰かにお持ち帰りされても文句言えないぞ」
「……ごめんなさい」
透の言う通りなので、しょんぼりと下を向くしかない。
そんなにお酒が強くないに、あの飲み会独特の雰囲気の中だと、つい気持ちが高揚して調子に乗ってしまうのだ。学生時代にも何度か飲み過ぎてひどい目に遭ったことがあるのに、どうにも学習できない自分が恥ずかしい。
「別に謝らなくていいって。それより具合悪くない? 酔ったまま寝ると二日酔いになりやすいから」
透は落ち込んだ百花の気を引き立てるように笑うと、手を伸ばして頭をポンポンとあやすように叩いた。
「平気。でも透くんがいてくれて良かった。だって、透くんが連れて帰ってくれたのなら、後で何があったとか騒がれなくて済むもんね」
社内で透と幼馴染みであることを隠していないので、変な噂が立つこともない。これが他の男性社員相手だったら、あれこれ邪推され騒がれることは間違いないだろう。
「まあ、それはそれで問題なんだけど」
「え? 問題?」
透の溜息交じりの呟きは百花の耳には届かず聞き返すが、透は微かに眉を寄せ小さく首を振ってから、いつもの笑顔になる。
「モモの家には連絡入れてあるから問題ないよって言ったの。無断外泊なんかしたら拓哉が大騒ぎするぞ」
透の言葉に、思わず兄の顔を思い浮かべて身震いする。歳が離れているからなのか、拓哉はとにかく過保護で、大学生の頃は飲み会で少し遅くなろうものなら携帯に鬼電がかかってきて、百花が家に帰るまで起きて待っているという徹底ぶりだった。
さすがに社会人になってからは、付き合いもあるからとそこまでうるさくなくなったが、やはり無断外泊はまずいだろう。
「お兄ちゃん、怒ってなかった?」
「うちまで迎えに来るって言ってたけど、もう寝てるし、今日は土曜だから起きたら俺が送るって言ったら諦めた」
「よかったぁ……」
百花がホッと胸を撫で下ろすと、拓哉の過保護っぷりを知っている透がクスクスと笑いを漏らした。
「モモ、今日の予定は?」
「今日は家の中を掃除しようと思ってたんだよね。明日はブライダルフェアの手伝いで出勤だから」
百花の実家、榊原家は両親と兄、百花の四人家族だ。
両親は最近話題のフルーツタルトのチェーン店『タルト・オ・フリュイ』を経営していて、兄の拓哉はパティシエ兼開発チームのリーダーでもある。
今でこそ法人化してかなり規模が大きくなっているが、百花が子どもの頃は、まだ街の小さな洋菓子店だった。さして裕福でもなく、ご近所でも「ケーキ屋のモモちゃん」と呼ばれるような、ごく普通の家庭だったのだ。
ところが百花が中学校に入る頃には大ブームとなり、テレビや雑誌で大きく紹介されるようになった。あれよあれよという間に首都圏に店舗を増やし、今はかなりの規模の会社になっている。
そうなると自然と生活のレベルも上がり、高校に入る頃にはこれまでの店舗兼自宅から、都心部の庭付き一戸建てになった。百花は社会人になった今もそこで家族と暮らしているのだ。
「掃除って、家政婦さんにお願いしてるんじゃないの?」
透の言う通り、両親が経営陣に参加しているために家事をする人がおらず、通いの家政婦さんをお願いしている。それはとても助かるのだが、やはり休みの日ぐらい自分でできることはしたいのだ。
「でも毎日じゃないし、自分たちの部屋はお願いしてないから。それに今の家に引っ越すまでは、家のことはだいたい自分でやってたんだもん」
そう、両親が二人で店をやっていた頃は、家の掃除や洗濯、夕飯の支度も百花の担当で、その頃のクセは今も抜けない。働いているほうが性に合うのだ。
「モモは偉いな。俺、モモのそういう堅実なところ好きだな」
透の思いがけない言葉に驚いたが、それでも透のような大人の男性に言われるとドキリとする。
「もう! 何それ。堅実なんて女の子に言う褒め言葉じゃないし」
「そう? 結婚するなら重要な条件だと思うけど」
「何それ。透くん、そういう子が好みなの?」
独身を謳歌し仕事に打ち込んでいる透がそんなことを言うのがおかしくて、百花はクスクスと笑いを漏らした。
「さてと、支度して帰ろうかな」
ひとしきり笑ってベッドから滑り降りようとした百花の手首を透の手が掴む。
「どうしたの?」
訝るように振り返った百花に、透が柔らかな笑みを向けた。
「待って。実はモモに渡したい物があるんだ」
「……何?」
「見てのお楽しみ」
透は楽しげに唇の両端を吊り上げると寝室を出て行き、すぐに何か小さな包みを手に戻ってきた。
「はい、どうぞ」
そう言って差し出された透の手には、ピンクのリボンがかかった白い箱が載せられていて、百花は首を傾げた。
誕生日はもう過ぎたし、その時にちゃんとプレゼントをもらっている。もう社会人なのだからと、百花のお給料では簡単に手が届かないハイブランドのお財布をもらったのだ。クリスマスもまだかなり先だし、このタイミングでプレゼントをもらうような理由がなかった。
考えても思い当たることがなく手に取るのを躊躇っていると、押しつけるように手渡されてしまう。
「なあに? これ」
「開けて見て」
首を傾げながら包みをほどくと、箱の中からはさらにクリスタルのジュエリーケースが現れた。そう、ちょうど特別なアクセサリーが入るデザインに百花の心臓が大きく跳ねた。
「これって、もしかして……」
恐る恐る蓋を開けると、中にはダイヤモンドを中心に据えたデザインリングが入っていて、石の大きさから見ても、ただの指輪でないことはすぐにわかった。
「透くん……これって……」
「うん、婚約指輪」
「……えっ!?」
透はケースの中から指輪を取り出すと、驚きすぎて言葉もない百花の左手の薬指にそれをはめてしまった。
「あの、えっと……」
「昨日のモモを見て思ったんだ。そろそろ婚約者の権利を主張しておこうって」
「は? き、昨日の私って」
「男の前で無防備に酔っ払ってただろ」
「お、男って言っても会社の先輩だし、女の人もいたし!」
というか、ウエディング事業部の広報室は女性の方が多い。そもそも、どこの部にだって男性社員がいるのだから、男の前で酔っ払ったというのは言いがかりに近い気がする。
それに婚約者の権利とはどういう意味だろう。今まで一度もそんなことを言ったことなどなかったのに。
「とにかく、俺は心配になったんだ。婚約してもう六年だし、そろそろ今後のこともちゃんとした方がいいだろ。だからこれは俺の意思表示ってところかな」
透はそう言うと、百花の左手を引き寄せ、指先にチュッと音を立てて口づけた。
「……っ!」
「モモももう大人だし、これからはもっと積極的にアプローチをしていくつもりだから覚悟してて」
これまでずっと兄のように慕っていた透に突然甘やかな眼差しで見つめられて、心臓がおかしなリズムで動き出す。思考回路はぐちゃぐちゃだ。
百花はまだ夢を見ているのではないかと思わず自分の頬をつねってしまう。
「いたっ」
確かに感じる痛みに声を上げると、一連の仕草を見ていた透が吹き出した。
「やっぱりモモは可愛いな」
「……な!」
いつもの透とは違う甘い言葉に、百花は一瞬言葉を失った。
「き、今日の透くん、なんか変。もしかして具合が悪いとか……あ! 寝ぼけてるんじゃない?」
きっとそうだ。自分が夢を見ているのではなく、透が寝ぼけているのだ。しかし透はあっさりと首を横に振る。
「そんなことない。モモを抱いて眠れたからとっても寝覚めもよかったし、むしろいつもよりいい気分」
「抱いてって……」
物理的にはそうだが、自分から抱かれたつもりはない。
「そんなに恥ずかしがることじゃないだろ。子どもの頃はよく一緒に寝てたし、お風呂だって一緒に入ってたし」
「それはホントに小さいときで、大人になってからは一度もないし!」
「じゃあこれから試してみる?」
ニヤリと笑った透の顔を見て、百花はギョッとしてベッドの上から飛び降りた。
「ひどいな。そんなにあからさまに嫌がらなくたっていいだろ」
「透くんが変なことを言うから!」
「変なことじゃない。婚約者としての権利の主張。モモも俺たちのこれからをちゃんと考えてみて」
――当然の権利? 親同士が口約束で決めた話の上に、上辺だけ婚約者のふりをするという約束に権利などあるはずがないのに。
百花は透の突然の豹変に戸惑いながら、彼の婚約者になった経緯を思い出していた。
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透の突然の宣言に衝撃を受けた百花は、まだ状況がよく飲み込めないまま透に連れられてカフェでブランチをとってから、昼過ぎに自宅まで送り届けられた。
食事のときも車で家まで送ってもらうときも、いつもの優しい幼馴染みの透くんで、それ以上婚約云々のことは口にしなかった。
やっぱり自分は寝ぼけていたのかもしれない。お酒の飲み過ぎはよくないとしみじみと反省しながら車を降りようとしたときだった。
「モモ、指輪なくすなよ」
「えっ」
その言葉に自分の薬指に燦然と煌めく指輪を見て、現実逃避をするのを諦めた。
「それ俺の中のモモのイメージでオーダーしてもらった一点ものだから」
そう言われて百花はこっくりと頷くことしかできず、複雑な表情のまま透の車を見送った。
そもそも透が口にした『婚約者の権利』自体に問題がある。
六年前に二人の間、というか神宮寺家と榊原家の間で結婚の約束が交わされたのは事実だが、あくまでもそれは口約束で、百花は透に頼まれて婚約者役を引き受けただけなのだ。
透との婚約話が出たとき、透は二十六歳、百花は十七歳でまだ高校生だった。
その頃、百花の両親の店はブームに乗って続々と新店舗を出しているときで、神宮寺家に多額の出資をしてもらったらしい。
そんな経緯から神宮寺家からの申し出もあり、両親から二人の婚約を提案された。最初は冗談だと笑い飛ばしていたのだが、その後しばらくして透に呼び出された。
「親父たちが言ってた俺たちの婚約の話なんだけど、モモ、本気で考えてみてくれない?」
「ええっ!?」
学校帰りに透と待ち合わせをした百花は制服姿で、表参道のお洒落なカフェに入ってフルーツパフェを食べていた。
最近流行の店で、何かの折に百花が食べたいと言っていたのを覚えていて、透が連れて来てくれたのだ。
それなのにいきなり想定外の提案をされて、百花はここが表参道のお洒落カフェであることも忘れて大きな声を上げてしまった。
静かなピアノ曲が流れる店内で女子高生など一人もいない。百花は慌てて口を両手で押さえて、居たたまれなさに肩を竦めた。
「ごめんごめん。驚かせちゃったな。婚約って言っても、俺と婚約したふりをしてほしいってことなんだけどさ」
透の提案に、百花は目を丸くした。
高校生の百花から見れば透は立派な大人で、しかもいわゆるイケメンの部類に入る自慢の幼馴染みだ。そんな彼がわざわざ高校生の自分に偽装結婚を頼むのは不自然だろう。
「ふりって……透くん彼女いたよね?」
百花はそう言いながら、再びスプーンでパフェを口に運ぶ作業を再開する。
最近はわからないが、高校生や大学生のときは兄とそんな話をしていたのを耳にした記憶がある。もし婚約したふりをするにしても、そういう彼に近い年代の女性の方が信憑性もあるだろう。間違ってもパフェを頬張る女子高生に務まるとは思えない。
「うーん。最近はいないかな。それに嘘の婚約がしたいのに本物の彼女に頼んだら、すぐに結婚しなくちゃいけなくなるだろ」
「え? どういうこと……?」
本物の彼女との結婚の何が悪いのだろう。普通は好きで一緒にいたいからお付き合いをするわけで、結婚しないのに婚約者のふりをするよりよっぽど建設的だ。
聞けば聞くほどわからなくなり顔を顰めた百花を見て、透はクスクスと笑いを漏らす。
「わかりやすく言うと、俺はまだ結婚したくないんだ。まだ社会に出たばかりの半人前だし、今は仕事に集中していたい。でも父も祖父も会社のことがあるから早く結婚しろってうるさくてさ。それで、高校生のモモとの婚約だけしておけばすぐに結婚式ってことにはならないと思ってね。父も昔から娘みたいにモモのことを可愛がってるから、婚約の話が出たんだと思うんだ」
確かに百花の両親も透を気に入っているし、二人が婚約すれば大喜びすることは間違いない。透の言う通り、高校生の自分が相手ならすぐに結婚と急かされることもないし、家族同士で許嫁だと決めておけばそれだけで満足しそうだ。
透は十歳の時に母親を病気で亡くしている。百花は生まれたばかりで透の母のことは記憶にないが、とても綺麗な人だったらしい。当時、神宮寺家はすでに祖母も他界しており、祖父と父だけの男所帯の中で育つ透を心配して、百花の母が頻繁に家に招くようになった。
兄と同い年だったこともあり、物心がついた時から榊原家に出入りしていた透は、百花にとってもう一人の兄のようなものだった。
「モモは大学にも進学するだろ? その間親にもうるさく言われないし、俺も仕事に集中できる。ね? モモには迷惑かけないって約束する。とりあえず口約束だから、お互いの家族の間だけで婚約者ってことにしておいてくれればいい」
「……でも」
そんなに簡単にいくだろうか。百花の疑問に透は笑って首を横に振る。
「大丈夫。会社同士の繋がりの政略結婚みたいなものだし、親父たちはモモのこと可愛がってるから形だけでも満足するからさ。それにすぐ結婚するわけじゃないし、婚約だけなら友達に話す必要もないから、モモの生活は何も変わらないよ」
透には子どもの頃から可愛がってもらっているし、時折食事や遊びにも連れ出してもらっているから、できれば役に立ってあげたいところだ。それで透の父や両親が安心してくれるなら嬉しいし、婚約者のふりといっても、相手が透ならちょっとした優越感も覚えてしまう。
百花はそれ以上あまり考えもせず、透の提案に頷いていた。
「わかった。透くんが困ってるなら協力する」
「ホント? モモ、ありがとう!」
喜んだ透に両手をギュッと握りしめられたときはドキリとしたが、二人の間にこの六年間それ以上の接触はない。
一応順調な付き合いをしているという態でたまに一緒に食事や映画に出かけたりはするが、透とは婚約をする前から一緒に遊びに行くのが普通だったから、百花の生活に大きな変化はなかった。
もちろん普通の婚約ではないから男女の特別な関係などないし、むしろ透がしっかり見てくれているだろうという安心からなのか、両親は百花の友人との交際関係に口うるさくなくなった。兄の拓哉が門限だのなんだのと騒ぐのを宥める側に回ったくれたほどだ。
百花は薬指にはまったままの、透曰くの「婚約指輪」を見つめた。
プラチナの台座の真ん中には大きなダイヤモンド。そしてそのダイヤを挟むように薄いブルーの石が二つ添えられた可愛らしいデザインだ。
百花が三月生まれだから、薄いブルーはアクアマリンだろう。透はそういう細かいことに拘るロマンチストなのだ。
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