遠くて近きルナプレール ~転生獣人と復讐ロードと~

ヘボラヤーナ・キョリンスキー

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第三章 クラス丸ごと異世界転生!? 追放された野獣が進む、復讐の道は怒りのデスロード!

3-194.追放者のオーク、ガンボン(82)「何故、こうなった?」

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 文字通り、言葉通りに割れんばかりの大歓声
 陽は中天を過ぎ、やや雲のかかっているもほぼ快晴と言える空のもと、石造りの円形闘技場、その中心で対峙している2人の闘士達。
 1人はもちろん俺だ。登録名はガンター(偽名)。東方から来た小柄なオークで、特殊な体術を使い、特に対魔獣戦には図ぬけた戦績を持つ、今現在ランキング急上昇中の奴隷闘士……と、なっている。
 相対するのは“毒蛇”ヴェーナのお気に入り、タロッツィ商会所属の拳闘奴隷でありつつ、また、魔獣狩りの部隊の護民兵団部隊長でもある、長身でしなやかな体躯の南方人ラハイシュ、“漆黒の竜巻”……ではなく、て。
 
「へっ……良いぜ、良いじゃねぇか、この大歓声よ……」
 
 シルエット的には俺とほぼ同じ。猪首で短足、腕も足も太く、体も丸い。
 はっきり言えば、まさに俺の上位互換。似た体格で二回りほど俺よりでかい、猪人アペラルと呼ばれるイノシシのような獣人。
 
「さあ、派手にかましてやんぜ、ああ? テメーを血反吐の海に沈めて、試合終了、ってな!」
 
 妙な闘志を燃やしつつそう気炎をはく猪人アペラルに睨まれながら、俺はいつものあのフレーズで頭が一杯になっている。
 
「何故、こうなった?」
 
 ◆ ◆ ◆

 まずはちょっとしたお祭り騒ぎ。拳闘試合、闘技場の試合自体、決して毎日やるものでもない。けれども低級の、言うなればしょっぱい試合を中心とした通常興行を数日おきにやり、週末にはビッグイベントを含んだでかい試合の日がある。
 そしてその中でさらに、月一か、或いは二月に一回くらい、辺境四卿が一人、“毒蛇”ヴェロニカ・ヴェーナが観戦する特別な日がある。ヴェーナがやってくる時は、街全体が完全な歓迎ムード。もちろんその影には色々と泣かされる者たちもいるわけだけど、表向きは皆が皆祭りを楽しみ、領主の来訪を歓迎しているかのように振る舞う。 
 その日のメーンエベント、タロッツィ商会所属、護民兵団の魔獣狩り部隊の部隊長でもある“漆黒の竜巻”と、新進気鋭の有望株、アバッティーノ商会所属の“東方オーク”。
 事前に「八百長で負ける」事が決まっているとは言え、まあなかなかに緊張の大舞台だ。
 
 まだ試合前の午前中。早朝の訓練と食事を終え、試合用の衣装に着替えてから、またいつも通りに修練場で軽く運動などして身体を温めていると、セロンとラシードが現れる。
 
「へいよう、調子はど~う?」
 なんてお軽く声掛けしてくるが、まあ、ぼちぼちですよ、はい。
「半刻くらいしたらヴェーナ卿が来る。俺たちは揃って挨拶する事になる手筈だから、まあとりあえず身綺麗にしとけ」
 と、言いながら懐から香水瓶を取り出して両手首筋へとふりかける。
 その小瓶を渡され、俺もまた見よう見まねに香水をかける。うへ、結構キツいな。
 
「いいか」
 壁側で横並びに座り込みながら、改まりつつ小声で話すラシード。
 周りはセロンを中心にアバッティーノ商会の所属闘技者達で丸く囲み、周りへ睨みを効かせている。
「最終的にお前が負けるというのは決まりだ。“毒蛇”ヴェーナを喜ばしてやらなきゃなんないからな。
 だが、重要なのは負け方だ。あんまりあっさり負けてもらっちゃあ困る。なるべく時間をかけて戦い、だが、ただ単にだらだらと長引いてるだけの試合でも駄目だ。
 観客を喜ばせ、エキサイティングさせる。ぎりぎりの攻防! すんでのところでの逆転劇! いや、だがそれもまた及ばずフラフラになりながら、しかし最後まで闘志衰えず……今度こそ、この攻撃が決まれば……! いや、だが……と。この試合どうなっちまうんだ~……と。
 ヴェーナを含め、見てる奴ら全員に思わせるような、そういう負け方の試合をしなきゃならん」
 
 とかなんとか好き勝手言っちゃってくれるラシードの言葉を聞きながら、多分俺は「ぶへぇー」ってな感じの顔をしてる。
 いやいや、何そのめちゃ難易度高い感じ!? そんなん、完全台本の試合でも難易度Aランクでしょ!?
 
「コラコラ、なんつー顔してる? ここでまさに、俺たち山高帽一座での経験が生きるってもんだろう?」
 いやいや、田舎町の子供達を笑わせていた程度の三文コントじゃあ通じませんよ。
 
「ま、最悪どーしょーも無くなったら、転がって逃げ回れ」
 あ、それなら得意。
「“漆黒の竜巻”は、その名前の通りの速さと破壊力を備えている。
 身長の高さに比例して手足も長いから、普通にお前が打撃戦をやるンなら、ある程度は食らう覚悟前提で相当深く潜り込まなきゃな」
 うんうん、と頷く俺。
 上背、身長差としてなら闇の森で戦った巨体のゴブリン、雄牛兜のミノスの方が上だ。それよりかはマシだけど、あちらが「巨体、怪力任せの猪突猛進」タイプだったのに比べ、こちらは技とスピードの技巧派。
 闇の森に居た頃はまだ蘇り後の記憶の混乱もあって、オーク城塞の頃の事はあまり思い出せて居なかった。だが周り中ほぼ全てが「巨体、怪力任せの猪突猛進」タイプなオーク戦士ばかりだった俺は、ある意味そういうタイプとは戦い慣れている。
 
 しかし、長身で射程圏の広いアウトボクサー、ストライカータイプとなると、前世でも今世でもあまり戦い慣れていない。
 つまりは経験上もやはり「相性が悪い」。
 それはラシードも把握している。と言うか、誰が見ても分かる。短足小デブが、長身のストライカーに勝つには、まずその射程圏をかいくぐって前に出なきゃならない。
 
「問題ない。“漆黒の竜巻”とかいう奴より巨体で、文字通りに怪物とも言えるユリウスも打ち倒したんだからな」
 周りへの威圧を切らさぬまま、背中越しにセロンが言う。
 対雄牛兜、対ユリウスさんとの戦い、そのどちらも間近で目撃しているのは、闇の森ダークエルフの中では唯一セロンのみ。その点でセロンからの俺への信頼はかなり厚いのだが、雄牛兜戦はまだしも、ユリウスさんとの戦いの半分以上は、まつろわぬ混沌の神“狂犬”ル・シンの呪いによる人狼化の効果だ。
 “三美神の指輪”によりその人狼化の呪いはそこそこ抑えられているが、かと言ってそれは好きなときに好きなようにコントロール出来るってワケじゃない。
 いつ暴発するかは分からないし、その時理性を保てるかも分からない。
 
「そうでさぁ、ガンターの兄ぃなら、絶対勝てまさぁ!」
「そうだ! センツィーの仇をとってくれよ!」
 
 セロンより遠巻きに囲んでいて、細かい会話も、八百長の計画も知らされていない他のアバッティーノ商会所属メンバーがそう大声で囃す。
 セロンの「問題ない」は、「本来なら勝てるだけの実力があるのだから、うまく接戦に見せて負けるのには問題ない」だが、他のメンバーは違う。
 いやゴメン、今、「どうやって勝つか?」ではなく、「どうやって負けるか?」の話してたの。
 なんというか、期待している彼等にはちょっと申し訳ない。
 
 ◆ ◆ ◆
 
 何にせよ、ラシードとの打ち合わせ以降も、俺としては脳内シミュレーションに余念がない。リアルシャドーである。超リアルな脳内イメージによるシャドー、擬似戦闘をすることで、“漆黒の竜巻”との「ちょうど良い負け方」を模索する。
 たとえそれが傍目には、弛緩した顔でボケーっとしながらなんだかよくわからない動きをしているように見えたとしても、頭の中身はフル回転してるのだ。
 
 そうこうしていると、闘技場総支配人のポロ・ガロの配下が呼び出しに来る。
 ラシード、セロン、俺とで連れ立って、他のアバッティーノ商会所属メンバー達から見送られつつ上階へ。
 
 今度はポロ・ガロの執務室ではない。お偉い人が来た時のための応接室兼観覧室。中の家具調度品や、部屋の豪華さも何ランクも上だ。
 
 中へと入ると、闘技場全体が見渡せるテラスのある、まさにVIPルームとでも言うかの観覧席。
 そしてその観覧席のテラスにある大きな玉座のような椅子に座っているのは、二人の人物と護衛らしき数人。
 
 テラスからの日の光が逆光気味で眩しく、はっきりと姿形を見定めることもできない。だがおそらくそのうち一人は、“毒蛇”ヴェロニカ・ヴェーナで、もう一人がこのプント・アテジオの代官、デジモ・カナーリオだろう。
 
「アバッティーノ商会のレナートです。その横が所属闘士のガンター。東方より来たオーク」
 ポロ・ガロがそう紹介し、俺たちは片膝立ちで頭を下げ、右手を軽く握りつつを左胸の前へ。レナートはもちろんラシードの偽名。
 
「アバッティーノ商会のレナートです。
 ヴェーナ卿、カナーリオ卿、本日の良き日にお会いでき光栄に存じます」
 レナート、つまりはラシードがそう挨拶をし、俺はただ軽く頭を下げた姿勢で俯いたまま。奴隷身分になるから勝手に口なんか開いてはイケナイし、許可なく顔を見るのもイケナイのだ。
 
「ああ、よく来た。
 ヴェーナ卿、この者が例の東方オークの主人の奴隷商です。東方オークは、魔獣戦、そして格闘戦ではかなりの好成績で」
 まずは顔をヴェールで隠したカナーリオ卿がそうヴェーナ卿へ。
 それから、そのヴェーナ卿らしき人物はゆっくりと立ち上がると、硬く磨かれた艶やかな木製の床の上、硬質な足音を響かせながらゆっくりと歩み寄ってくる。
 ラシードの斜め前辺りで立ち止まると、これまたゆっくりとした鷹揚な口調で、
「姿勢を楽にし、顔を上げよ」
 と、やや低音のハスキーな声。
 
 言われた通りに、俺はゆっくりと顔を上げる。顔を上げつつ、その視線の先に入るモノに、俺は呑まれた。
 
 “毒蛇”ヴェーナ。
 
 悪名高きその異名通りの、蛇そのもののような存在がそこには居た。
 
 もちろん、「そのもののような」と言ってるのだから、蛇そのものではない。
 ただ足元から太もも、腰、そして上半身へと向かう視線の中、やはりそこにいるのは紛れもなく一匹の巨大な大蛇とでもいうかの存在だった。
 
 真っ先に目に入るのは、蛇革のブーツ。太もも近くまであるロングブーツは、この世界では見ることなどまずない装束だが、おそらくは巨大な蛇の革をそのまま丸々一匹使ったかのようだ。
 そして、その脚を見せつけるかの深いスリットの入った、鱗状の模様に染められた薄衣のロングスカート。
 これもまたこの世界では今まで見たこともないようなデザインだが、なんとはなしに見覚えもある。
 
 腰にはやはり蛇革製のベルトをし、柄に蛇を模した細かい意匠のある細身のサーベル風の曲刀を佩いている。
 上半身もまた蛇革と金属片を組み合わせて作られた鎧。金属は白銀にきらめいて、おそらくはミスリル銀。つまり、蛇革とミスリル銀の金属片を組み合わせた鱗鎧スケイルメイル
 
 全体的に装飾性が高く、実用一辺倒ではない。けれども完全に装飾のためだけの武具かと言うとそうでもなさそうだ。美術工芸品的な美しさと、異様な雰囲気で見る者を圧倒する威圧感と迫力。そして実際に戦闘になった際にも使える十分な実用性。それらが絶妙に混ざり合っている。
 
 そして右目にはこれまた装飾性の高い蛇革の眼帯。
 決して褒め言葉とは思えぬ自らの異名、“毒蛇”を、あえて打ち出したかのような全身蛇モデルのコーディネートだ。
 
 そしてそれらを纏う本人もまた、鋭角的でシャープながら、同時にしなやかさや滑らかさといったものをも醸し出す肉体美。
 その身体も、そして顔立ちも、造形としては間違いなく美しく素晴らしいものだ。
 だが、そう素直に美しさを賞賛出来るかと言うと、そうはいかない。
 美しさを上回るほどの……得も言われぬ恐ろしさ、不気味さ。
  
 俺の感じたそれを、おそらくはラシードも、そしてセロンも感じ取っていたのか、特にラシードはいつものあのややチャラついた饒舌はどこへやら、呑まれたかに暫く口ごもってから、なんとか体裁を整える。
 
「あ……りがたく、存じ上げます……」
 
 見事に緊張感が溢れてるたどたどしいその返しに、当のヴェーナは特に大きな反応もせず、ラシードの背後で縮こまっている俺へと歩み寄る。
 まさにこちらの心境は、蛇に睨まれた蛙。あの湿地帯にいた巨大な牛糞みたいな蛙になったかのようだ。
 
「……なるほど、お前が東方オークとやらか」
 
 値踏みをするような視線でじっとりと見られつつ、ヴェーナのその声に脂汗が滲む。
 この感じ、何故だかどうにも覚えがある。なんだろう、一体どこで感じたのだろうと記憶をまさぐると……ああそうだ、思い出した。一度だけ似たような“怖さ”を感じたことがある。以前クトリアの『銀の閃き』とか言う店で出会ったグレタ・ヴァンノーニさんだ。
 単純に腕力、つまり戦闘能力という点でいうなら、あの時のグレタさんも、今ここにいるヴェーナ卿も、今の俺からすればさして問題にならない相手だろう。
 けれどもこの二人の持つ恐ろしさは、そういうところにあるのではない。
 
「はい、まさに我がアバッティーノ商会の秘蔵っ子でして」
 やや調子を取り戻したかのような軽い声でラシードがそう答えると、ヴェーナ卿はそれを一瞥すらせず、
「返答を許す。答えろ、オーク」
 と、俺への返答を促す。
 
 ブヒっ!? である。
 普通はこういう場面で貴族、領主が奴隷と直接口を利く事はない。自分自身が所有してる奴隷であっても、特別な役職、関係性のある者や親しい者以外と貴族が口を利くことはほとんどないし、まして所有者の異なる奴隷ならなおさらだ。
 なので、直接の会話なんてあるわけがないと思っていた俺としては、その驚きも含めてあわあわとしてしまう。
 あをあわもごもごしながらも、これで返答しないのはあまりに無礼にあたるから、あわてて、
「ふはぁい……」
 などと妙な返答。
 
 やべぇ、と縮みあがるも、その間抜けな返答にヴェーナ卿は軽く表情を変えつつも取り沙汰すこともなく、続けて、
 
「確かに、北方オークほど巨漢でもないし、それほど醜いツラもしておらんな。どちらかと言うと愛嬌のある、笑えるツラだ」
 
 そう言いながら、口の端を軽く歪める。
 実際のところ、俺の東方から来たオークというプロフィールは真っ赤な嘘だし、人間社会の皆様方が思ってるほど全てのオークが人間から見て巨漢で醜いわけでもない。
 とは言え、俺自身が世間一般のそのステロタイプイメージから外れていることで、東方から来たオークという嘘プロフィールに説得力を与えている。
 ただ、そう言われると事前に耳していたヴェーナ卿の特異な趣味……つまり、「美しくて強い女」か、「醜くて強い男」が好き、というそれからすると、「意外と愛嬌がある」なんぞと言われた俺は、ちょい失格になるのかしらん? と思う。
 いや別に好かれたかったってワケではないけどね、うん。
 
 が。
 顔を寄せて来たヴェーナ卿は、そのしなやかで長い指を、俺の額の刺青から、つつつと這わせ顎の下へ。
 愉悦に満ちたかの表情を浮かべながら俺の顎を軽く上へあげながら、
「北でも東でも……オーク達の入れる刺青は同じようなものなのだな」
 と、またも口の端を歪めて笑う。
 
 うげ、しまった……! とは、声には出さない心の声。
 俺のこの額に入れられてる刺青は、俺の生まれ育ったオーク城塞からの追放者であるということが示されている。今使われているオーク文字ではないが、古いオーク文字に近い意味のある記号と、そして人間でいうところの都市の紋章にあたるものが彫られているのだ。
 つまり、知ってる者が見れば、俺がどこの城塞の出身なのか、そしてそこから追放された身分の者だということが、モロばれになる。
 もしここに名探偵が一人いたら、「お前が東方オークだというのは真っ赤な嘘だ! 謎はすべて解けた!」と、指さし指摘されてしまうのだ。
 
 生きた心地もせず、それでいて身震いをなんとか押さえ込みつつ、またも「ふふぇあい……」みたいななんとも気の抜けた返事をしてしまう俺。
 これ以上何かしら余計なことを言われたり聞かれたりしたら、もっと胡散臭い態度になってしまいそうだ。
 
「申しありませんヴェーナ卿、何分そやつは完全に辺境育ちなものですので、言葉もあまり知らず、高貴な方の前ではまともに返答も出来なくなってしまいます」
 いや、間違って無いけど! と言う補足でフォローするラシードだが、それに対してヴェーナ卿は、
「お前には聞いてない」
 と、冷ややかな対応。いや、冷ややかと言うより完全に冷め切っている。怖い。
 
 その薄ら寒い空気の中、観覧席の仕切りカーテンの向こうから新たな来客を告げる声がする。
 代官のデジモが確認し、入室を促すと、入って来るのは目深にフード付きローブを身に付けた二人程の従者を引き連れた大柄な男。
 
「ああ、まだ間に合ったか。ちょっとばかし遅れちまったな!」
 野太い声でそう言う男は、その言葉遣い同様の雑な歩きで、ずったずったと部屋の中、ヴェーナ卿の近くまで進む。
 有り得ない乱入者の有り得ない振る舞いに、俺もラシードも凍りつく。もちろん、代官のデジモもだ。
 
「イノス殿、ヴェーナ卿の御前ですぞ」
 そう窘めるも、言われた大男は素知らぬ風で、
「今更何言ってんだ。俺たちの間柄で、そんな堅苦しい事ぁ抜きだろ?」
 と、へらへら笑う。
 
 どんな間柄? とは思うが、そんな話にまでここで突っ込めはしない。何にせよ間違いなく俺らよりも重要な、親しい客なんだろう。
 
 その大柄な……と言うか、全体的に太い印象の男に、ヴェーナ卿は歩み寄り、腰に差したサーベル、ではなく、これまた蛇皮加工の鞭を手にして一閃。
 パァン! とでも言うかの破裂音と共に鞭が大柄な男の被ったフードを跳ね上げつつ頬を叩く。
 
 そこに現れたのは、完全に猪そのものに見える顔。
 叩かれた頬は、人間なら赤く腫れ、あるいは皮膚が切り裂かれているだろうが、毛が生えているおかげでかあまりダメージは無さそうだ。
 
 叩いたヴェーナ卿は、そのまま猪顔の獣人の顎に手をかけ、顔をややあげるようにしながら、その頬をねっとりと舐めあげる。
 顎クイ、とかいうアレだ。
 
「不遜、無礼はこれで不問だ」
 ヴェーナ卿のその言葉に、猪顔の獣人もニヤリと笑う。
 
「今日は“漆黒の竜巻”の試合もやるんだろ?」
 まるで何も無かったかの平静な感じで、猪顔の獣人がそう話を続ける。
 
「ああ、そうだ。
 そこのちびたオークが対戦相手だ」
 指し示される俺へと、猪顔のギラついた視線。
「……ほぉ~う、このちびがねぇ~。
 オークってのはもっとデカいもんだと思ってたがな」
「東方オークだそうだ。北方オークより体格が小さいのだろう」
「ふん、拍子抜けだな。俺ら猪人アペラルは、北に来るとやたらとオークに似てる、似てると言われてたが、こんな奴らと似てると言われてたとはね」
 イノス殿と呼ばれた猪顔は大袈裟に、呆れたようにそう言う。うーんむ、確かに、前世でのオークイメージからだと、この猪顔の獣人がオークの容姿として説明されててもおかしくはないか。
 豚のような顔、と、猪そのものの顔、との差はあるが。
 
 なんて事をぼんやり考えていると、俺を見ていた猪顔がやや間を置いてから、
「おい、こいつはこっちの言葉は分かるのか?」
 と、ラシードに。
 
 その問いに、
「あぁ~、ええまあ、簡単な帝国語ならば、それなりに……」
 と、かなり適当な答えを返すラシード。まあ、多分この流れ的には、俺はあんまり言葉が上手くない、という事にしておいた方が無難だろう。
 
「ちっ、つまンねぇな……。まあ、だったら誰にでもワカる共通言語で仲良くするしかねえよな」
 
 その言葉とともに感じたのは、ものすごい強大な圧。
 眼前に突きつけられたのは巨大で毛むくじゃらな掌。
 その掌の風圧が感じられるかの勢いは、まるで大相撲の横綱の張り手だ。
 だが実際そのとき俺が感じた“圧”と言うのは、物理的な意味の“圧”だけではない。あらゆる有形無形の圧力……それは“暴の圧”であったり、“武の圧”であったりもした。
 
 とにかく、このイノスとか言う猪人アペラルの言う通りの、「誰にでもワカる共通言語」だ。
 身じろぎせずにそれを正面から受け止めたのは、実際全く反応出来なかったから……だけではないが、半分はそうだ。
 だが、巨大な掌をゆっくりと動かし、その向こう側からやはり巨大な猪の顔を覗かせたイノスという男はにんまりと笑い、
 
「……へっ、この野郎、ちゃんと見えてやがるぜ」
 
 と言う。
「ほぅ、そうか?」
「ああ、その上……こっちに当てる気がないことまでちゃんとワカってやがらぁ」
 前かがみ気味で俺の顔を覗き込んだ姿勢から、ゆっくりと上体を上げて立ち上がるイノス。
 
「ふっ……お前がそういうのならばそうなのだろう。
 これは、今日の試合が楽しみだな」
 最後にそう締めるヴェーナ卿と、豪快に笑うイノスと言う猪人アペラル
 退室を促され部屋を出たときには、俺たち三人とも、かなりの気力体力を消耗していた。
 
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