遠くて近きルナプレール ~転生獣人と復讐ロードと~

ヘボラヤーナ・キョリンスキー

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第一章 今週、気付いたこと。あのね、異世界転生とかよく言うけどさ。そんーなに楽でもねぇし!? そんなに都合良く無敵モードとかならねえから!?

1-23.「ファイトクラブだ!」

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「ファイトクラブだ!」
 簡素な毛皮のパンツ以外に上半身にはなにも身につけていない姿で、 ユリウスさんが両手を広げてそう宣言する。
 筋肉質なその身体には、無駄は脂肪は元より過剰な筋肉もついておらず、均整のとれた美しさとある種の神々しささえ感じさせる。
 歓声が響き渡る。
 洞窟内の閉ざされた空間に、熱気と狂気が渦巻き、とぐろを巻いてうねり猛っているようだった。
 
 その中心。八角形に区切られたそこには砂が敷き詰められ、おおよそ胸の高さほどの板張りの囲いがされている。
 砂を踏むとやや足を取られる感もあるが、普通に動く分にはさほどの支障はない。砂は土の地面の上に薄く敷かれているだけのようだ。
 一方に立つ俺の視線上、相対するのは誰あろう巨漢の雄牛兜。
 これからユリウスさんが開始の宣言すれば、俺と雄牛兜は「試合」を始めなければならない。
 ───何故こうなった。
 
 ◆ ◆ ◆
 
 ───その少し前。
 
「審判は下された! 勝者には賞賛を! 敗者には死を!」
 歓声が洞窟内に響き渡り、足を踏みならし手を叩き振り上げ、それらが渾然一体とした物理的な圧力を持っているかに俺にのしかかってくる。
 その圧と、何よりもゴブリン達の波をなんとか押しのけ、喘ぎながら前へ前へと進む。
 次第に見え始める光景は、まさに陰惨なものだった。
 血の海。
 鮮血と、既にどす黒く変色した多くの血。
 それらがそこかしこに飛び散り、血だまりを作り、サイケデリックな彩りを与えている。
 
 目指す中心にセロンが居た。
 胸板を切り裂かれ、血を吹き出しながら天を仰ぐように倒れ、両手を虚空に向け伸ばしている。
 その目は既に何物をも捉えて居ないか、駆け寄り覗き込んでも、こちらを認識出来ていないようだ。
 死んではいない。まだ、死んではいない。しかしこの出血では遅かれ早かれ、手当てをしなければ死ぬことになるだろう。

「おう、ガンタン」
 俺の姿を認めたユリウスさんが声をかけてくる。
 膝をつき、屈み込むようにセロンを見ている俺は、ただでさえ立っていても見上げる視線になるのに、その姿勢ではもはや仰ぎ見るかのようだ。
 青ざめている、と思う。
 セロンとの関係性は、別に深くもないし思い入れがあるわけでもない。
 ほんの数日。同じ訓練を受けていた。それだけだ。
 けれどもだからと言って、目の前で血にまみれ死にかけているのを見て、なんとも思わないワケではない。
「───で、ちょっとそこどいてくんねえ?」
 事も無げに。そう、本当に事も無げに、ユリウスさんはそう言った。
 俺は頭を振る。
 
「血……血が、すげえ、出てるし……」
 見たまんま、だ。見たまんまのことを口にする。
「おい! 邪魔なんだよ!」
 ユリウスさんの横で、ヤンゴブさんが不満げに言い放つ。
「捕虜は負けたら処刑だ! それが“ルール”なんだよ! 退いてろ、デブ!」
 お預けを食らった子供みたいな目で睨みつけてくる。
 
 血に酔う。そんな言葉が頭に浮かぶ。そうだ、血に酔っているんだ。ヤンゴブさんは……そして此処に居るゴブリン達は。
「そこを……何とか……その……。
 こいつ、その、友達って程でも無いけど……知り合いだし。
 出来れば、その、助けてやりたい……し」
 ゴブリン達は口々に罵り、不満を言う。大ブーイングだ。
 そうこうしている間にも、セロンの身体から熱が失われて行くのが分かる。
 つまらなそうな───。そう形容するしかないしらけた顔で俺を見下ろすユリウスさんだが、不意に、
「そうだな───じゃあ、こうしよう」
 と、切り出した。
 
「本来なら、試合に負けた捕虜は処刑だ。
 だがお前がどうしてもと言うのなら、まず、お前が“勝者”になれ」
 ニヤリと笑みを浮かべながら、そう宣告する。
 ゴブリン達の怒号と罵りは、ユリウスさんの言葉を受けて、次第に引き潮のように大人しくなる。
「お前がこっちの……今、そのダークエルフを打ち破ったホブゴブリンを倒したなら、そいつはお前の自由にして良い。怪我を治すなり手当てをするなり、好きにしろ」
 両手を悠然と広げ、周囲のもの達に語りかけているように一呼吸を置くと、ざわめきが広がり歓声へと変わってゆく。
特別試合スペシャルマッチと行くか!」
 その宣言に、今まさにセロンを打ち負かし切り刻んだであろうそいつもまた満身創痍で、身体中についた幾つかの切り傷から血を流しつつも、歓声に応えるかのように剣を高く掲げた。

「ユリウス、それはどうかしら?」
 その歓声の中割って入る声。
 声の方を見やると、黒髪ロングさんと雄牛兜の二人が、並んでこちらを見ている。
「ウリッセは一試合終えて疲れてるし怪我もしてる。治療をするにしても立て続けじゃ集中力も続かないでしょう?」
 黒髪ロングさんの言に、ユリウスさんは「ふむ、確かにそうだな」と考えてから、「代役を立てよう」と言った。
「ユリウス! アタシだ、アタシにらせろ!」
 明らかに殺す気満々の興奮状態で腰の剣を抜き放つヤンゴブさんを片手で制し、
「駄目だ、ブルナ。お前は斬りすぎる。
 ミノス、お前がやれ」
 呼ばれて進み出てきたのは雄牛兜の彼。
 
 ……何故こうなった。
 
 ◆ ◆ ◆
 
「今回は特別に、素手のみの試合とする。
 反則は特になし。俺が戦闘不能と判断するか、降参したら負けだ」
 ユリウスさんのルール説明に、ゴブリン達の歓声が洞窟内に轟く。
 歓声は熱気と共に辺りに渦巻き乱反射する。
 もはや音と熱の暴力だ。
 雄牛兜は両手を振り上げてその歓声に応える。
 動きやすさの為か鎧を脱ぎ捨て腰布一丁だが、何故か雄牛の顔を象った豪華な兜だけは被ったままだ。
 対する俺は、捕らえられたときに着ていた装備のまま。武器類は取り上げられまだ返却されていないし、今回は使わないので関係ないが、鎧を脱ぐつもりはない。
 元々俺の着ていた鎧は革鎧をベースに胸部などをプレートで補強した比較的機動性を重視したもので、明らかに重装備だった雄牛兜より動きに支障はない。それにここ数日、鎧を着たままでの格技練習はアランディ隊長の元でそこそこしごかれていた。
 あの巨大を相手にする以上、これくらいの守りは残しておきたい。
 
 歓声の多く……いや、全ては雄牛兜への声援だ。
 当たり前ながら、俺を応援する声なんかない。
 ヤンゴブさんは「へし折れ!」だの「かみ殺せー!」だのと叫んでいる。
 黒髪ロングさんは妖艶な笑みを絶やさず、けれども今にも舌なめずりをしそうに唇を歪めて試合場を囲う仕切り壁にもたれ掛かっている。
 銀ピカさんは相変わらず表情を変えずに直立不動でユリウスさんの横に侍る。
 そしてそのユリウスさんはというと……何故か妙に自信あり気な顔で俺を見ている。
 
 普通に考えて、俺に勝ち目は一切無い。あるわけがない。
 雄牛兜は巨漢だ。ゴブリンが成長するとこうなる、なんて言われても納得できないくらいの巨漢だ。
 むしろオーガか何かと言われた方がしっくりくる。「一般的なオーク」よりも高いであろう雄牛兜の上背は、「小柄なオーク」である俺よりかなりデカい。目算でも50センチくらいは上回る。
 その体格差は、傍目には大人と子供。
 本来は「子供並の体格で凶暴な小鬼」であるゴブリン達は、体格の小さい者の不利をむしろ知り抜いているであろう。
 もはやこれは単なる公開処刑だ。誰もがそう思っている。俺もそう思っている。
 当然、ユリウスさんの取り巻きもそうだ。
 しかしユリウスさん自身はどうか? そう思っているのなら、何故試合を組ませた?
 少なくとも、俺を公開処刑させる為に特別試合を組んだわけではないと思う。
 何故かはハッキリ言えないが、もしそれが目的ならきっと自分でやる。
 何かの意図はある。けれども分からないから、今、それはいい。
 
 セロンは試合場から引きずり出され、タカギと共にユリウスさんからやや離れた場所に放置されている。
 別のボロを着た者が座り込み様子を見ているが、治療してくれている、というワケでも無さそうだ。
 ただ取り決め上、俺と雄牛兜との決着が着くまで彼の処遇は決められないから、他のゴブリン達にちょっかいを出させないよう命じられているのだ。
 なので……グズグズはしていられない。
 刻一刻と、タイムリミットは近づいている。
 
 怖いか? 怖い!
 嫌か? 嫌だ!
 逃げたいか? 逃げたい!
 とてつもなく怖いし、どうしようもなく嫌だし、猛烈に逃げたい。
 まともにやりあって、あんな大巨人とじゃ戦いになるワケがない。
 ぺしゃんこに潰されて終わりである。
 まともにやりあえば。
 だからなんとか、“まともでないやり方”でやるしかない。
 
「よーし、良いかー。
 始めるぞーーー………」
 
 ユリウスさんが宣言を始める。
 
「開始!!
 ───ファイトクラブだ!」
 
 どうしてこうなった、等とは、もはや言ってられない。
 
 ◆ ◆ ◆ 
 
 考える、考える、考える、考える。
 相手は文字通りに巨人並。体格、膂力、体力では及ぶべくもない。
 何が俺の利点だ? どこが雄牛兜に勝る?
 くそ、レイフやアランディ隊長なら、もっと色々浮かぶんだろう。
 
 開始の合図を受けても、雄牛兜は悠然と両手を広げて歓声に応えている。
 自信か。いや、侮りだ。自分がこんなチビに負けるはずがない。そう考えている。
 小さいこと。これは巧くすれば利点だ。そして速度……。ダークエルフに比べればはるかに鈍いが、雄牛兜よりは早く動けるだろう。
 
 姿勢を低くしてダッシュする。
 狙いはむき出しの膝。
 まだ気づいてない雄牛兜に、囲いの向こうからヤンゴブさんが鋭い注意喚起。
 寸前、俺に気づいた雄牛兜は、脚を僅かに上げて半身を翻す。
 その上げた左脚を、俺は両手ですくい上げる。狙い通りに、雄牛兜はバランスを崩して仰向けに倒れ込む。

「てめェ、汚ねェぞ、豚野郎!!」
 ヤンゴブさんが非難の声を上げるが、それは不当な言い分だ。
 油断してたのは雄牛兜の責任。そしてそれを突かずして俺に勝ち目はない。
 雄牛兜に何もさせずに決着させる。それが考えに考え抜いた一つ目の作戦。
 このまま足首を掴んで捻り倒そうとする……が、衝撃。低くした姿勢の背中に叩きつけられているのは雄牛兜のもう一方の足だ。
 痛い、というよりもまず肺の空気を吐き出させられ、呼吸が苦しく不確かになる。
 
 倒れていない。
 雄牛兜は仰け反ったときにそのまま両腕を囲いの木枠に回し倒れるのを防ぎ、反撃をしてきた。
 思っていたより、雄牛兜の反応速度は早い。
 鈍重と決め付け侮っていたのは、むしろ俺の方だったようだ。
 
 しかし離さない。この手を離して距離を取られたら、リーチに勝る相手のペース。
 俺は両腕で抱え込んだ足首を右脇に挟み込みながら、絞める力をより強めて身体ごと半回転して後ろに倒れ込む。
 そのままの勢いで下半身を跳ね上げ、両脚を雄牛兜の太股へと絡める。
 いわば、変形足固め、ヒールホールド───関節技だ。
 が、今度は雄牛兜の踵が俺の鼻面を強かに打ちつけた。
 痛い! 痛い! 痛い! 本当に痛い!
 鼻は、顔中の神経が集まっている。全力で蹴りつけられて我慢出来るような痛みじゃあ無い。
 文字通りに悶絶する程の痛みだ。
 狙ってのモノか偶然か、あの馬鹿でかい両手斧を使われなければ勝ち目があるという目算は余りに甘かった。
 
 痛みに怯みつつも、俺は両腕の力を緩めない。
 足首は完全に極まったとは言い難いが、それでも雄牛兜の腱をねじ上げ強烈な痛みを与え続けて居る筈だ。
 試合場の仕切り壁に背中を預けるようにもたれ掛かりつつ、何度も踵を俺の顔面に叩き付ける雄牛兜。
 衝撃で意識が飛びそうになる。痛みで力が抜けそうになる。鼻血で呼吸がまともに出来なくなる。
 お互いに痛みを与え続けの我慢比べ。しかし俺の受けるダメージと奴が受けるダメージでは質が違う。
 一撃ごと蓄積される俺への打撃ダメージは多くが表面的なものなのに対して、雄牛兜が受けている足首、腱へのダメージはある時点を越えたときに、単なる痛みではなく決定的被害に至る。
 つまり、このまま続けていれば遅かれ早かれ雄牛兜の左足首は破壊される───ハズだった。
 
 浮遊感。
 背中に感じていた地面が不意に離れ、それから全身を強い衝撃が襲う。
 何だ!? 何が起きた!?
 理解するのに暫し掛かった。
 
 雄牛兜は右足で俺を蹴りつけるという反撃を止め、逆に右足を地面に着いていた。
 そして着いた右足と背後の木枠に預けた身体を支えとして、俺が組み付いて居る左脚を高く掲げるとそのまま地面へと打ちつけたのだ。
 有り得ない! 有り得ない足腰の力だ。
 異世界だし相手は人間でも無い以上、規格外の身体能力を持っていてもおかしくはない───と、そう考えては居たつもりだった。だったが、それでも相当、「向こうの世界の記憶」を基準に考え過ぎていた。
 再び身体が宙に浮き上がる感覚───そして、強打。
 地面に背中から叩きつけられ、肺の空気が全て吐き出されたかのようになり、力が緩む。
 三回、四回とそれを繰り返されて、とうとう俺の両腕は雄牛兜の左脚から離れた。
 
 時間にして数分ほどだろうか。
 試合開始からはさほど経過していないはずだ。
 スマートに勝てるとは思ってなかった。元より、勝てるという自信も確証もなかった。
 無い知恵を絞ってひねり出した第一の策は想定以上の反応速度に。次善の策は、信じられない程の爆発的力業で外された。
 仰向けに倒れた俺は、傍目にはもはや戦闘不能だろう。
 左手に、力を込める。いや、込めるのではなく通わせる。
 習った通り、教わった通りに。
 ほんのわずかでも良い。ほんのわずかしか使えない。ほんのわずかでも───。
 怠け者で、だらしなく、食い意地の汚いだけの豚野郎で、転生チートもスキルもない。
 戦うのも嫌だ。痛いのも苦しいのも嫌だ。
 けれどもまだ───このまま負ける気はない。
 
「よっしゃー、やれー! っちまえーーーー!!」
 ゴブリン達の歓声の中、ヤンゴブさんの声が一際響いている。
 声が歪んで聞こえるのは、洞窟内の反響からか、俺の耳がおかしくなっているのか。
 左脚のダメージは決して軽微では無いはずだ。しかしそれでも雄牛兜はゆらりとこちらへ向き直り、止めを刺そうと身構える。
 歓声、そしてどよめき。
 歓声は雄牛兜への。そしてどよめきは、それを受けてなお、立ち上がった俺に対してだ。
 しかし───誰から見ても、俺は既に死に体だ。
 ふらふらとして頼りなく、ただ止めを刺される為だけに立ち上がった。
 誰が見てもそうだ。俺が見てもそうだ。
  
 雄叫びと共に突進してくる。
 技も何もない。ただのタックル。ただ体格と体重に任せたぶちかまし。
 しかし脚のダメージも感じていないのか、軽トラ並とも思えるその突進を食らえば、俺など平時でもひとたまりもないだろう。
 はね飛ばされ、木枠をぶち破り、それでお終い。
 誰もがそうなると確信していたその瞬間、砂煙が辺りに立ち込め、破壊音が響き渡る。
 ───暫くして彼らの目に映ったのは、予想通りに大破しへし折れた木板の囲いと───その中で倒れ動けなくなった、雄牛兜の姿だった。
 
 
 
------------
 何故こう(剣と魔法のファンタジー世界の戦闘だというのに、泥臭い関節技とぶちかましなどという内容に)なった。
 
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