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第一章 今週、気付いたこと。あのね、異世界転生とかよく言うけどさ。そんーなに楽でもねぇし!? そんなに都合良く無敵モードとかならねえから!?
1-18.夢の中で───
しおりを挟む夢を見ていた。
夢の中で、ああ、これは夢なんだなあ、と分かる夢だ。
白い壁、白い床、白い天井の建物の中にいる。
本当はそこには雑多で様々な色やモノがあるのだろうけど、そこではほぼ全てが白く塗り込められていた。
機械の音、人々の歩く音、ささやくような話し声。
俺はその中を滑るようにして移動する。
一つの部屋、そこに居る誰かの元へ。
『……り君、元気?』
……何言ってんだよ、バカ。入院してるお前が言うか?
『はは、そっか。そうだよねー』
……っとによ。
『…………』
……これ、今週号。
『おおー、マジか。今週又休載?』
休載。半年くらいやんねーんじゃね?
『何だよー。再開して1月続かねーのかよー。
コレじゃ退院してもまだ休載かもなー』
だな。
『……』
……どんくらい、かかるって?
『……んー。3ヶ月?』
…………。
『2ヶ月かも?』
……どっちだよ。
『いやー、分っかんねー』
…………。
『……それよかさ。のり君さ。こーゆーとき、アレでしょ?』
……アレ?
『“俺がおまえの分まで大会で活躍してやるぜ!”
みたいなさ?
“次のお見舞いには優勝トロフィーを持ってきてやるぜ!”
とかさ』
……何だよそれ、超ダセエじゃん!
『そーゆーもんだろー! スポ根物的にはさー』
……バーカ。
『アハハ』
……
…
……
白い。壁も、床も、天井も、全て白い。
本当はもっと雑多な色や物にあふれているはずの場所だ。
人。人。人。人。ほぼ同世代の、幾人もの若い人。
多くの人の群の集まっている一角。
そこに、俺は歩いて向かっている。
ゾクリ。
腹の底から嫌な気配が沸いてくる。
それは鳩尾の辺りにまで上って来て、丸い、丸い大きな塊となり膨らみ出す。
嫌だ。
この先に行きたくない。
いや、行ってはダメだ。
『……エバちゃん、それマジか?』
『マジ。母ちゃんが聞いたんだってさ』
『きっつ───!! いや、マジきついっしょ、ソレ』
『のり君、それ知ってんの?』
知らない。知りたくない。
『分かんねーけど、俺ならそんなん知ったら死ぬわ、マジで』
そうだ。死にたい。死にたくて、死にたくて、けど、自分じゃ死ねなかった。
『いや、マジ死にたいのはゴータ君っしょ。あり得ねえわ───』
やめろ。もう、聞きたくない。やめろ。これ以上先に進むな。これ以上……。
『──のり君のせいで、もう、下半身動かねーんでしょ──?』
真っ暗な……。
真っ暗な闇の底へと落ち込んでいく。
急加速で落下するエレベーターの中のようだ。
鳩尾の真ん中にある黒い塊は、それ自体が重力を持つかのように俺を縛り付ける。
永遠とも思えるその落下感の先にあったのは、狭い狭い、小さな暗い部屋。
汚れた万年布団。ゴミの山。無数の、開いたペットボトルに、液体の入ったペットボトル。
下着も数日、ジャージは数週間着替えてもいない。
寝て、食べて、起きたらネットに繋いで、オンラインゲームか掲示板。
食べ終わった食器をドアの前に出すと、次の食事が置いてある。
深夜に、家族が寝静まった頃合いを見て、ペットボトルとその中身を捨てる。
風呂なんて数週間に1回、入るかどうか。
大会は、個人戦初戦敗退。団体戦も3回戦で負け。俺はその中で全敗だった。
怖かった。
試合が、戦うことが、怖かった。
いや───
怖くなった。
「君は───自分が又、ゴータ君のように誰かを傷つけてしまうかもしれない事が、怖くなった」
めがねをかけた、痩せた青年の姿。
「違うな。
お前は傷付けるのが怖いんじゃない。
傷付けたと思うことで、自分が傷つくのが怖かったんだ」
無精ひげを生やした精悍な男。
「はー?
どっちでも関係ねーだろー?
戦えないってんなら、そいつはその程度の奴ってだけだよ」
長い金髪を後ろに流した、痩せ身だがしなやかで鍛えられた体つきの女性。
「ただの腑抜けた臆病者だ」
「だらしない怠け者」
「えー、良いじゃん別にー。お腹ぷにぷにしてて楽しいしさー」
「無駄飯食い」
色んな声が、周りをぐるぐると渦巻いて反響している。
まるで騒音の渦のただ中に、俺は一人取り残されていた。
俺は、両手で耳をふさいでうずくまる。
嫌だ。聞きたくない。知りたくない。もう、放っておいてくれ。俺はもう、ただただこのまま小さく丸まって、居なくなってしまいたかった。
耳をふさぎ続けて丸まっていると、周りの声が次第に小さく、遠くなり、いつの間にかしん、とした静寂の中に居た。
俺は蹄を耳から離して、四つの脚でゆっくり立ち上がる。
蹄?
何かが気になって、前脚を見る。
いや、特に変なことは無かった。
後ろを見て、黒く艶やかな毛並みと愛らしい丸まった尻尾。
うん、いつも通りだ。
ここのことを、周りのひょろ長い大きな連中は、『けるあでぃーどごう』とか言っていた。
穴蔵の中で俺は飯を食い、水を飲み、砂浴びをして、昼寝をしたらまた飯を食い、うんこをしたら藁の上で寝る。
毎日満腹になれるし、ときどきひょろ長い大きな連中が温かい水で洗ってくれたり、痒いところをかいてくれる。
ひょろ長い連中は俺のことが好きらしい。多分俺はすごく偉いのだ。こいつらは俺のためにいろんな事をしてくれる。
最近、ひょろ長い連中の中に、丸っこい奴が居る。
ひょろ長とまるで似てないから、多分別のイキモノなのだろう。
そいつは俺のことが好きらしい。
俺のことを「タカギ」とか呼んで、撫でてくる。
こいつの撫で方は嫌いじゃない。
俺に尽くしてくるから、俺も撫でるのを許可してやる。
うむ、よきに計らえ。
ある時ひょろ長達が沢山来て、俺のことを抱え上げて何か話し合っていた。
どいつもこいつも、俺のこと好きすぎるだろう。
俺はどこか別のところに行くらしい。
俺はここが気に入っているから、別のところに行きたいとは思わないが、まあこいつらは俺のことが好きらしいので、もっといい場所に連れて行ってくれるだろう。
駕籠に入って移動しているとき、周りが明るすぎて気に入らなかったが、俺は目をつむり昼寝をした。
うとうとしたり目が覚めたりして、止まったときには例のころ丸い奴が食い物をくれた。なかなかの味だ。
そのとき、何か地面が揺れた。
地面が揺れて、周りのひょろ長どもが騒いでいる。
何を騒いでいるのか見回すと、白くてがりがりの奴らが暴れている。不躾で失礼だな。追い払え。
その一つが、変な棒を振りかざし、俺の方へとそれを───
『ちょっとちょっと、このままじゃ“混ざっちゃう”でしょ』
地の底へと落ちた俺の前に、黒く小さな影があった。
上も下も分からんような真っ暗な空間の中、何故かその影だけはくっきりとした存在感を持ち起立している。
その小さな黒い影は、曲がりくねった杖を持ち、それを前方に伸ばして小さな光を指し示す。
その光は、清らかで神聖なものにも、禍々しく不浄なものにも思えた。
しかしその中に、一つの小さな影が見える。
遠く、彼方遠くに見えるその影は、懐かしくも思える後ろ姿。
「変わったオークだな」
凛とした、しっかりとした意志のある声。
「戦うのが嫌いか?」
こくり、と、俺は頷いた。
「だから、料理番なんかをしてるのか?」
こくり、と、再び俺は頷いた。
彼女は少しだけ首を傾げてから、やや眉尻を下げると、まるで変わらぬ声音で、
「お前みたいなオークが一人くらい居るのも、面白いかもしれんな」
と、そう言った。
俺は彼女の後を追う。
彼女のその背を追う。
光の中へと、彼女の後を追う。
『あら、もう行っちゃうの?』
光の道を歩くその横に、又幾つかの影が蠢き、囁きかけてくる。
『あなたは闇の路を行く。光を目指し追いかけても、あなたの歩むべき路は変わらない』
『お前の中にある怒りの炎は、いずれ周囲を巻き込み焼き尽くす』
『運命の糸車は、複雑に絡み合い容易く解きほぐすことは出来ない。お前も又その糸に絡め取られているのだからな』
俺はそれらの声を振りほどき、彼女の背を追い続ける。
追い続け、眩い光の中追いついたときに、俺は声をかけることも手を差し出すことも出来ず躊躇し───
『あなたがこれまでに、どんな生き方をしてどんな後悔を抱えていても、そんなことには大した意味はないの。
あなたにとって最も重要なのは今、そしてこれからどう生きるか───』
振り返ったその顔は、今までに見たことのない顔だった。
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