遠くて近きルナプレール ~転生獣人と復讐ロードと~

ヘボラヤーナ・キョリンスキー

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第三章 クラス丸ごと異世界転生!? 追放された野獣が進む、復讐の道は怒りのデスロード!

3-21.マジュヌーン(精霊憑き)(21) -美しき人間の日々

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 過酷、という言葉じゃ足りないくらいの日々だ。
 とにかく最初の数日は徹底した走り込み。早朝まだ明けないウチから午前中、この谷間のある岩山に砂の道をハイキングトレイル以上の速度で走らさせられる。
 何度もゲロを吐き、何度もぶっ倒れては、水をかけられ起こされる。
 砂漠の真ん中にある野営地だが、野営地に選ばれるだけあり奥には湧き水の泉もあって、飲み水の心配をする必要が無いのは有り難いが、毎日のように何度もぶっかけられれば有り難みも失せる。
 走り込みは次第に装備を増やされていき、最終的には胴当てに予備を含めた2本の武器に、水と食料諸々の入った袋を背負わさせられてのものになる。
 過酷、なんて言葉じゃ生ぬるすぎるくらいだ。
 
 時刻としては午前10時くらいか。軽く飯を食ってからは屋内訓練。
 屋内と言っても家とかじゃない。この谷間の奥には幾つかの洞窟があり、そのウチの一つを加工して使っている。
 縁を煉瓦と粘土で固めて砂を敷き詰めた訓練場は結構な広さで、目算でも50メートル四方はありそうだ。灯りは四方に篝火があるだけでかなり暗い。夜目の利く俺や獣人達は問題ないが、足羽や南方人ラハイシュの女にはけっこう厳しい。
 今はまだ柔軟と筋トレみたいなことを中心に身体を痛めつけているだけだが、格闘や戦闘訓練に入ったらさらに大変だろう。

 
 四日目からは先導者付きで狩りに行く。
 先導者は“砂漠の咆哮”のメンバーで、まずは俺たち全員に対して二人がついて、初歩的な基本も基本から教わる。
 これは結構楽しい。陣形を組み、狙った獲物を囲み、追い立てる側と待ち伏せる側とで役割分担。
 クロゼジカと呼ばれる捻れた角のある鹿みたいなヤツを狙ったときは、俺は待ち伏せ側の役割をし、渡された投げ槍を投げつけるが見事に大外し。誰の槍も当たらず包囲を抜けられそうになるところをブルドッグ男が立ちはだかる。
 クロゼジカは頭を下げて角を武器にし蹴散らそうとする。ブルドッグの串刺しが出来るかと思いきや、奴は思いっきり低姿勢で伏せるようにして転がって避け、手にした棍棒で脚を殴りつける。
 こりゃあ俺が火炎オオヤモリのときにやったのと同じやり方だ。
 ぶっ倒れたクロゼジカに他の面子が殺到し、組み付き取り押さえて縛り上げる。
 ブルドッグ男はニヤリと笑って俺を見る。まるで「お前に出来ることは俺にも出来る」とでも言わんばかりの得意顔だ。
 
 狩りの訓練はその後チームの人数を半分にされ、狙う獲物もより厄介な相手に変わっていく。
 最初は小さなものだったのが、次第に大きく、また群れの規模も増える。そして次には野生動物から魔獣、魔虫へと変わる。
 例の火炎オオヤモリの群れも狙い、同じように火を吐く巨大蟻や馬鹿でかい蠍の化け物なんかも狩り出した。大型でより凶暴な例の穴掘りネズミの変種なんかも居た。ビックリするぜ。魔獣化してるそいつは、何だかちょっと蛍光色っぽくうっすら光ってやがって、変な魔力を撒き散らしてやがる。
 
 狩り、魔物との戦いは、それぞれに学ぶことが沢山あった。
 相手の特性を知り、匂い、音、様々な情報から正確な分析を得て、こちらの気配を消して近付き、最も効果的な手で仕留める。
 逃げる相手にはそのルートを操っての待ち伏せ。突進する魔物は引き込んで囲む。数で攻めてくるなら狭い場所へ誘い込み、または分断して各個撃破。
 確かに喧嘩の時の駆け引きにも通じてはいるが、獣や魔獣は生物としての特性による差がかなり大きい。
 敵の動きを理解し、コントロールすること。それが最も重要だ。
 
 七日目、つまりは一週間目に三人が失格を宣告される。残るは八人。
 俺と足羽は残っている。ブルドッグ男も白猫も南方人ラハイシュの女も、だ。
 失格した奴らの一人は狩りで勇み足になり何回もしくじってた奴、ハイキングトレイルでペースを守れず走りすぎて未だにぶっ倒れる奴、それと怪我をしたことを隠して訓練を受け続けて取り返しのつかない状態になった奴だ。
 
「我らは勇猛さを尊ぶ。我らは俊敏さを尊ぶ。我らは忍耐を尊ぶ。
 だが勇猛さを蛮勇と取り違えて同じ失敗を繰り返す者、俊敏なつもりで拙速になり状況に応じた適切な振る舞いを学べぬ者、忍耐を履き違えて己の身を省みれぬ者は“砂漠の咆哮”に相応しくはない」
 手厳しい訓練教官、ヒジュルの言葉に、誰も異議を唱えられない。
 
 ▼ △ ▼
 
 焚き火を囲んで炙り肉を夕飯に食う。
 飯に関しちゃアティックと旅してた頃だけじゃなく、シーリオの宿でウダウダやってた頃に比べてもかなりひどい。
 ひどいというか、アティックが言ってたように、一般的な猫獣人バルーティってのは基本的に料理ってのをまずしない文化らしく、せいぜいが塩を振った炙り焼きか、あとはアティックも作ってた血のゼリーのまるで工夫が無いヤツくらい。文字通りに「血肉になりさえすればそれで良い」とでも言わんばかりだ。
 まったく、アティックのおかげで無駄に舌が肥えちまって困る。
 
 この谷間は開けた入り口から細い隘路を抜けると再び広くなり、ちょうどちょっとした広場のようになってる場所がある。多分上から見ると、口から入って食堂を抜けると胃袋がある、てな感じだろうな。んで、奥にはまたごちゃごちゃとした腸もある。
 その胃袋の位置にあたる広場を中心にして“砂漠の咆哮”のメンバーの寝泊まりする幾つかの部屋や、運動場や湧き水のある水場などの洞窟にも繋がっている。
 谷の入り口付近のテントや窪みにあるのは、“砂漠の咆哮”メンバー以外の場所だ。例えば隊商。南方の獣人王国や砂漠のオアシスを巡り、北はシーリオやボバーシオまでを旅しながら交易をしている。
 ここを含めた幾つかの野営地も、交易の中継地であり同時に護衛を雇う場所でもある。
 俺たちの狩りで得た獲物の肉や皮なんかも、自分らで使う分以外は彼らと取引をしている。
 
 他にも薬師や鍛冶士なんかも居るし、ただの人夫、放浪の狩人なんかも居る。
 ここにきて暫くゴロゴロして、飽きたり金が欲しくなると狩りをするか隊商や“砂漠の咆哮”に仕事と金をねだる。ここに限らず、そういう暮らし方をしている猫獣人バルーティなんかは結構多いらしい。一人旅の者も居れば、数人で連れ立っての放浪グループもいるし、家族親族単位で旅暮らしの者もいる。
 いずれにせよ、この野営地には町と言うほどの規模はないし、乾期が続くと湧き水も減っちまって暮らせなくなるらしいが、“砂漠の咆哮”とそれを頼りにする砂漠の民の出入りする中継地点の一つでもある。
 
 失格となった三人は、そういう奴らと同じ様に暫くたむろしてまた何処かへ行くか、隊商に雇われて何処かへ行くか。分からないがいずれはここを去るだろう。
 別れを惜しむ気持ちも無いではないが、この猫獣人バルーティという種族の多くは定住をせず、旅から旅の暮らしをするということもあり、別れは常に日常のようだ。
 砂漠を中心に、巡り巡って出会い、別れ、そしてまた出会う。それがどうやら、俺の生まれ変わった種族、猫獣人バルーティの流儀のようだ。
 
 
「口惜しかろう……!」
 どん、と焚き火を囲んで置いてある石のテーブルに木のマグを叩きつけるように置くのはブルドッグ男。
 ぐぐぐ、と細めている目のその端に、うっすら涙が滲んでいる。
「“砂漠の咆哮”に入るため、奴らとて血の滲むような修行をしてきたであろうに……!」
 マグの中にあるのはヤシ酒で、ブルドッグ男は明らかにホロ酔いだろう。つまりは泣き上戸か。
 
 

 
 
 残っている中での人種比率は 犬獣人リカート2、猫獣人バルーティ4、空人イナニース1、南方人ラハイシュ1で、もう一人の細長い顔立ちの犬というよりはややアナグマっぽい目の周りの黒い犬獣人リカートもブルドッグ男の肩を抱き頷いている。
 対して猫獣人バルーティ側の4人は、一応俺も含めてやや引き気味、というか白け気味。
「ンー? 多分、明日には忘れてるヨー?」
 なんとも素っ気ない。
 この辺、どーも猫獣人バルーティ犬獣人リカートの種族的な気質の違い、てーのの現れでもあるみてーだ。
 猫獣人バルーティの多くは前にも聞いたとおりの自由を愛する旅暮らし。過去にはあまり執着せず、個人主義で今がよければそれで良し。
 その点で言うと、アティックの脳天気さとヒジュルの陰鬱さを比べれば、明らかにアティックの方が「猫獣人バルーティらしい」。
 
 犬獣人リカートは集団主義で部族や仲間への愛着や忠誠心が強い。個体としての身体能力は平均すると猫獣人バルーティよりも低いらしいが、集団での戦闘になると俄然強くなるという。
 で、それら含めて言えば、俺みたいにクトリアの家畜暮らしで鍛えられていなかった猫獣人バルーティではない他の連中は、特別に修行だの修練だのをしてなかった、言わば天然素材でナチュラルに強いタイプが多い。逆にブルドッグ男なんかは見るからに鍛えまくったマッチョボディ。
 前提も思い入れも温度差がある。
 
「馬鹿を言うな! それではお前らは、何故“砂漠の咆哮”の入団を志した!?」
 もはや涙を堪えるのも止めてブルドッグ男は大声で喚く。
 問われてこっちの猫獣人バルーティ側は、
「……あー、モテそうだかラ?」
「従兄が入ってるから来た」
「ボバーシオの酒場にツケが貯まってたんでね。ちまちま返すの面倒で、デカく稼ごうと」
 それぞれにまあ……何だ……軽いな、うん。
 その流れで全員の視線が俺へと向くが……ふーん……。
「……昔のツレと別れて、やることねーときに成り行きでたまたまだ」
 そう答える。
 
 俺は確かに猫獣人バルーティではあるが、家畜小屋暮らしのときは半分以上薬で朦朧としていたし、いわゆる猫獣人バルーティ社会での生活を経験してない。そして何より前世の記憶を思い出した今の俺の人格は、ほぼ全て真嶋櫂マジマ・カイそのものだ。
 
 猫獣人バルーティそれぞれの動機を聞いて、ぐむむと唸るブルドッグ男。今度は残りふたり、足羽と南方人ラハイシュの女へと話を向ける。
「へ……え? 何? 何が?」
 明らかに半分寝ていた足羽に、ブルドッグ男は再び質問するが、もう殆ど会話にならない。
 
 足羽は意外にも、この地獄のハードトレーニングでの成長率が高い。まあ元がひょひょろ過ぎた、というのもあるんだが、身体的にも短期間にかなり肉が付いて引き締まってきている。だが何よりも魔力循環というやつを訓練しているのが大きく、【飛行】の術とそれを応用した立ち回り方で、かなり立体的に動き回り戦えるようになった。
 その魔力循環を教えてくれているのが、唯一の人間、南方人ラハイシュの女、だ。
 
 ブルドッグ男に話を向けられて志望動機を聞かれると、手にしたマグのヤシ酒で唇を軽く湿らせ、
「より強くなりたい。それだけだ」
 とボソリ。
 それを受け、ブルドッグ男は我が意を得たりと言わんばかりに笑い出し、
「そうだ、そうだ、お主は女のわりに分かっている! 己を鍛え上げ、遙か高みを目指してこそ武人の本懐ぞ!」
 とでかい声。そのやかましさに足羽が「ふわっ!?」と驚いて顔を上げた。
 
 この南方人ラハイシュの女は、集まってる新入り候補の中でも最も寡黙で、謎めいている。
 “砂漠の咆哮”はクトリア以南の砂漠地帯を中心に活動する獣人を主とした戦士団で、 南方人ラハイシュを含めた人間種はほとんど居ない。別に入団制限をしてるわけじゃないが、自然と獣人が集まるらしい。ま、そらそーだろう。
 人間種は一般的に猫獣人バルーティよりも身体的には弱い。だがこの女は新入り候補の中でも格段に素早い。
 その理由が、全身に入れられた渦のような紋様の入れ墨だ。
 ただのファッションじゃあねえ。この入れ墨が魔法の力を持っているってんだからな。
 
 とにかくこの入れ墨の魔力で、砂嵐の神シジュメルとやらの加護を得られるらしい。それで文字通りに風のように動ける。
 で、その入れ墨魔法の魔力循環のやり方を足羽にも手解きをしてくれていた。まあ俺も少し教わったけどな。
 
 その辺含めてもこの南方人ラハイシュの女のしてきた修練とやらは、ここにいる面子の中でも群を抜いているだろうと思える。
 強くなるのが理由、てのは、そういう意味じゃ納得も行く。だが……なんとなくこう、しっくりこねえ感じもするにはするぜ。何が、てのは分かんねーけどな。
 
 この後もブルドッグ男が酔いながら一人盛り上がり、猫獣人バルーティ達はそれを適当に受け流して酒盛りは続き、それぞれに藁と毛皮の寝床へと行って寝る。
 猫獣人バルーティに生まれ変わって良かったことの一つは、けっこうどんなひどい寝床でも寝れることだ。
 


 基礎訓練の中にはまるでゲームみたいなものもある。
 暗い訓練場の中で壁を背にし、匂いをつけられたボールを投げつけられてそれを受け止める、みたいなものだ。
 これはより正確に匂いで対象を判別するという、獣人ならではの訓練らしい。
 けど匂いでものを判別できない足羽や南方人ラハイシュの女はどうするのか? というと、この二人は風の魔力を察知する事でボールをキャッチする。
 元々サッカーをやってた足羽なんか、妙に成績が良くてちょっとムカつくぜ。 
 
 さらに翌日からは新入り同士、または諸先輩方との模擬戦的な訓練が始まる。
 素手のみの組み討ちにはじまり、それに皮の胴当てや装備を背負っての格闘、木で出来た訓練用武器での白兵戦、チームを組んでの集団戦。
 この集団戦を重視するというのは“砂漠の咆哮”の一つの方針らしい。
 
 集団戦と言っても、みっちりと隊列を組んでの戦争みたいなもんじゃないが、前衛後衛みたいには列を組み、そこから様々な場面を想定した戦い方を学ぶ。
 狩りの訓練とも通じているが、あちらがまずは実践から入るのに対し、こっちはもっと理論的だ。
 個々の体格や特性を重視して武器や位置、役割を指導係が決めて一試合。
 その後武器、立ち位置、役回りを変えてまた行う。
 つまり得意なことと苦手なことをそれぞれにやらせる事で、自分に足りないものを深く知り、またそれを補ってくれる仲間の重要性を体感的に理解させる……てなことのようだ。
 
 特に猫獣人バルーティの多いこの“砂漠の咆哮”では、放っておくと個人プレーの得意な天然素材タイプの戦士ばかりになる。
 なのでそういう「身体能力や技量は高いが、自分のことしか考えられない」連中に、協力の重要性を教え込むのが目的なんだろう。
 この訓練だと確かにブルドッグ男を含めた犬獣人リカートの方が良い動きを見せる。
 そしてまあ、なんだかんだで実感しちまったんだが、前世じゃちょっとしたアウトサイダー、それなりの不良を気取っていた俺も、やはり集団主義を叩き込まれた日本人だったんだな、と思い知らされる。
 俺だけ、他の猫獣人バルーティよりもはるかに巧くチームプレーが出来るんだよな……。
 
 白猫なんかも、多分個人の戦闘技量自体はおそらく俺より上だ。俺が他より上なのは、前世ではヒョロいチビのハンデを覆す為身に付けた小技や不意打ち、汚くエグいやり口くらい。トータルの能力じゃあ外のどの猫獣人バルーティにも及ばねえ。
 汚い小技と集団戦。その集団戦にしても、他の目立つ奴の影に隠れて不意をつくような立ち回りだ。それが今の俺の唯一の売り。

 
 早朝の走り込みでのスタミナアップに、砂地や岩場での動き方、バランス感覚の習得。
 筋トレ的な身体能力の強化。
 格闘訓練や実践形式での集団戦に、夕方から夜にかけての、狩りによる実戦。
 ここでの訓練はほぼこのローテーションで確定するようになった。
 
▼ △ ▲
 
 その実戦訓練で、定期的に入るのが訓練教官ヒジュルに指名をされての1対1の格闘。
 素手格闘でのヒジュルの動きは全く次元が違う手強さがあり、殆どの者がただただ翻弄されるばかりだ。
 確かに筋肉も付いてるし体格も悪くない。だが何よりすごいのは相手の力のいなし方。猫獣人バルーティ一般の、持ち前の高い身体能力に任せたゴリ押しじゃあない。押せば引き、引かば押しで、こちらの攻め手を絡め取り受け流して倍にして返す。
 こりゃ言わば達人レベルの格闘術だ。ただの姑息な喧嘩小僧に太刀打ちできるもんじゃねぇ。
 
 で、ついにというかなんというか、とにかくその日に指名されたのは俺。
 化けの皮が見事に剥がされる番が来たが、とりあえず出来る限りは足掻いてみるか。
 
「好きに打ち込め」
 構えもせずに立ちながらそう宣言する真っ黒な闇の化身。
 薄暗い洞窟内の運動場の中、夜目の利く猫獣人バルーティの目で見ても、闇の中に起き上がった影のように捕らえ所がない。
 だから何より追うべきは先ずは匂い。だがこのヒジュルは匂いすらコントロールしてるのか、或いは事前に様々な匂いを身にまとっているのか、それのもたらす輪郭すらもおぼろげだ。
 
 俺は相対したままじっとその気配を追う。追いつつ、やはり俺自身のあらゆる気配をも断つ。
 ヒジュルの基本的な戦術は後の先とかってヤツだ。相手に攻めさせ、その攻めの際に生じる隙につけ込む。
 だからこちらが雑な勢い任せの攻めをすればするほど、カウンターに痛いのを食らっちまう。
 
 呼吸を静かに、ゆっくりと深くする。動作もゆっくりと深くする。発する匂いは、汗や感情により変わりもするし濃くもなる。つまりは発汗を押さえ、感情の波をも抑えて、静かな水面のように心を保つ。
 禅寺かってな程に落ち着いて、鼓動の音までうるさく聞こえる静寂。
 その長いようでそうでもない間から───一気に……世界が回転した。
 
 見上げる洞窟の天井。ああ、こりゃ見事に投げられてるぜ。しかも痛みも衝撃も殆どねえ。
 立ち上がると、ヒジュルは指先だけで来い、と合図。カンフー映画のスターかよ。
 ダメだな、俺程度の気配の消し方じゃ全然起こりを隠せねえ。起こり……つまり、攻撃の初動? ってヤツだ。
 じゃあどうする? 消せない、隠せない、だからどーしよーもねえ? いや、逆に考えるんだ、逆に……。
 
 陰鬱無表情のヒジュルが、微かに口の端を歪めて薄く笑った。いや、笑ったような気配がした。
 俺に感じ取れたのはせいぜいがその程度。
 だが、今ヒジュルが感じてる気配はもっと多く、激しい……はず。
 気配を消せない、初動がバレる。ならこっちはそれを増やしてやる。
 
 つまりはフェイント。僅かな筋肉の動きや表情の変化。そしてそれら幾つもの「攻撃の気配」を積み重ねて、さらには左からの打撃で入る流れのまま、下へと身体を滑らせ脚狙い───を変化させた喉元への蹴り。
 ハマった! との錯覚は数瞬。右腕と胸板で挟み込まれた蹴り足をがっちり掴まれて、そのまま地面に押し倒される。

 俺は敷き詰められた砂を手にしてヒジュルの顔に投げつける。元々片目しか見えてない上、匂いでこちらを察知するヒジュルに目潰しの効果は薄い。それでも顔面に何かを投げつけられれば数瞬程度でも意識を奪われる。
 左脚で顎の下を蹴り上げ、掴まれていた脚を抜いて地面を転がり這うようにして向き直る。まさに毛を逆立てて攻撃態勢を取る猫そのものだ。
 間髪入れず飛びかかるが、どうせこれも読まれてる。態勢からして受け止められることはないだろうから、まずはかわしてのカウンターか。
 だが俺の狙いは飛びかかり組み伏せる事ではなく、それをかわしたヒジュルの顔面に膝を叩き込むこと。
 その狙いは半分決まって、半分はスカされる。膝は顔面へと見事に当たるが、ヒジュルはそれを受けてぐるり半回転しつつ、膝を掴んで引き倒しにきた。
 
 そのまま右膝の下、そして首の後ろから腕を回されてクラッチ。固められて身動きも取れない。

「卑怯卑劣の誹りを辞さぬか」
「生憎……俺にゃ……それしか取り柄がねーんでな」
「己の本分を弁えるのは上等」
 
 誉められてんのか? 貶されてんのか? 何にせよこれでもまだまだ足りてねえ。
 ヒジュルの両腕は体格以上に長くしなやかで力強い。極め技としては多分まだ不十分だろう締め方だが、ギリギリと締め上げる力が予想以上。身動き出来ない態勢で、なんとかもがいて動ける範囲を広げようとする。
 自由な左脚で地面を蹴り上げ跳ね返そうとしても、わずかな重心移動で力を殺され、左腕で反撃しようにも肩の上を押さえられているから前へと回せない。
 右の腕も脚もがっちり極められ、動けるとしたら尻尾と首。その首とて可動範囲はかなり少ない。少ないが、それでも……。
 
 届いたのはせいぜい額。ヒジュルの額を切り裂くのは俺の下顎の牙。噛みつきは失敗。だが見えるはずの左目へと血が入り、また鼻の頭への打撃も入る。そこで出来た僅かな力の緩み。そこでまずは左腕の拘束を解き、それから体を入れ替えて……今度はするりと背後へ回られて首を決められた。
 グレイシー柔術かよ。流れるような体術のキレだ。
 
「その程度か?」
 耳元で囁くようなヒジュルの声。ああ、くそ、悔しいが全くその通りだ。
「技術、力、手数……それだけの話ではない」
 締め付ける力は強い。強いがそれは、力任せのそれとは違う。俺の抵抗を奪うのに必要十分な力だけを適度に使っているだけだろう。
 だが……ヒジュルの言葉はもっと別のことを指してのものだった。
 
「───お前の怒りはその程度か?」
 
 怒り……。前にもヒジュルはそう言ってきた。怒りが足りない、と。そしてまた今も。
 
「貴様は───他の猫獣人バルーティとは違う。心の……いや、魂の奥底に、深く激しい怒りを抱えている。
 クトリア邪術士の家畜として育てられたからか? それとも腐れ頭の言うように、共に逃げようとしていた仲間から見捨てられ置いて行かれた事からか? 愛する者に裏切られ、見捨てられ、貴様の存在を踏みにじられたからか?
 その理由、原因は問わん。
 だが貴様は───その怒りを自ら押さえ込み、見ない振りをして、まるでそんなことなどなかったかに振る舞おうとしている」
 
 これまでのどんな攻撃よりも痛烈で、そして深く鋭く突き刺さる一撃。
 
「その程度か? 貴様の怒りは、そうやって見ない振り、なかった振りをしていれば消えてなくなる……その程度の怒りなのか?」
 
 待てよ、何が……何を言ってやがる? 怒り? 見て見ぬ振り? 違う、そんな事は……
 
「身体を鍛え、技を磨き、工夫を凝らしても───いや、そうしたからこそ、貴様は臆病になった。成り下がった。
 自分はここで鍛えられ、強くなったと思い上がった分……よりいっそう己の奥底にある怒りから目を背ける、臆病者になった───」
「───違うッ!」
 違う! 怒りだと? 何に? 静修さんにか!? 俺の生死を確認もせず去っていった他の奴ら……樫屋や田上にか!?
 違う、そんなものを……奥底に隠している? そんなのは───、
「違わん。貴様は自分が恨みを抱いていることを認められない臆病者だ」
「───ざけろ! そんな事ァ───」
 無い……のか? 本当に……? いや、そんな……。
「まだ認めんのか? 見捨てられ、疎まれるだけの、臆病なゴミ虫め。
 貴様を見捨てた者たちの判断は正解だったな。貴様などと連んでいても、何も良いことなど───」
 糞!
 俺は背後から首を締め上げられるのも構わず、一旦顔を地面につけるほどに前へと動かし、その反動と勢いで思い切り後ろへとそらす。
 後頭部がヒジュルの鼻面を打ち、二度、三度と続けると、締め付けるヒジュルの腕が僅かに緩む。
 その緩んだ隙間に腕を滑り込ませ、こちらも力任せに振り解く。
 
 首を引き抜き、身体を反転させて仰向けになると、両脚でヒジュルの腰を挟み込む。左手で首を掴むと、右手で顔、耳、喉へと拳を突き入れる。手打ちの雑なパンチにたいした威力はない。だが顔面付近への集中攻撃には色々な効果がある。例えば鼻血を出させれば、相手の呼吸を妨げる。
 それより強くダメージを与えるなら───今度は両手でヒジュルの首を掴み、引き寄せるようにしながら再び頭突き。
 
 血が、派手に飛び散る。
 
 飛び散った血は俺の顔面を濡らし、匂いが鼻腔に充満する。
 だが鼻血にしては量が多すぎる。何だ? 目に入り鼻を利かなくさせる大量の血を拭い確認すると、鼻ではなく口からぼたぼたと血反吐をはき散らかしたヒジュルの姿。
 一体、何が起きた? 俺のたかが頭突きでこんなふうになるのは有り得ない。
 あまりのことにパニクった俺が両手の力を緩めると───その瞬間に再び主導権を奪われ、仰向けの状態で奴に馬乗りにされていた。
 
「良い怒りだ。そして良い攻め手だ」
 奴は種明かしと言わんばかりに、首から紐でかけ後ろに回し、ドレッドめいたウェーブ髪に隠していた小袋を見せる。
 その中には、恐らくは狩りの獲物から採っただろう血。つまりは一種の血糊だ。
「怒りを引き出し力に変えろ。だが怒りに飲まれるな。その怒りを上手く扱えるようになれれば───貴様は今以上に強くなれる」
 
 拳一閃。初めて会ったとき同様に、その一発で再び俺の意識は闇に飲まれる。
 全く、何回コイツに気絶させられるんだよ、俺は───。
 
 
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