遠くて近きルナプレール ~転生獣人と復讐ロードと~

ヘボラヤーナ・キョリンスキー

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第二章 迷宮都市の救世主たち ~ドキ!? 転生者だらけの迷宮都市では、奴隷ハーレムも最強チート無双も何でもアリの大運動会!? ~

2-76.J.B.(51)The Payback feat.A women with G.(復讐 feat.ある女と“G”)

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 急降下からの急所狙い。速度と勢いと正確さを兼ね備えたその一撃は、難無くとでも言うかにハコブの首筋から血飛沫を上げさせる。
 スローモーションのようにその光景が目に焼き付くが、実際には一瞬。猛獣の如きその女は一撃離脱で即座に跳躍し別の壁を蹴りつけて、また角の向こうへ。
「……テメェ……!!」
 反応が早かったのはスティッフィだが、その間に立ちふさがるのは岩鱗熊だ。立ち上がれば1パーカ(3メートル)近くはあるその体格から振り下ろされる右の手の爪は、すんでのところでアダンの“破呪の盾”により逸らされる。ただ掠っただけのそれで、アダンは跳ね飛ばされスティッフィごと後ろに倒れ込んだ。
 その間に【灯明】の呪文を素早く唱えてそれを岩鱗熊の目元へとぶつけようとするマーラン。しかしむちゃくちゃに振り回している腕に阻害され目潰しにはならず。その隙をついて放たれたニキの“魔通しの弩弓”のボルトが岩鱗熊に突き刺さるが、分厚い岩鱗と毛皮に阻まれ大きな痛手にはなってない。
 
「行くぞ!」
 オッサンの声と共に放たれる【魔法の矢】による攻撃は岩鱗熊の身体を貫くが、これもそうそう致命傷とは言えない。魔力そのものを力として叩きつけるオッサンの篭手の攻撃は、相手の装甲等の物理的防御を無視出来るが、その分一撃必殺の破壊力には欠けているし、何より元々魔力耐性の強いタイプの魔獣には効き目が弱い。
 残念なことにオッサンの魔法攻撃は岩鱗熊に怒りの咆哮を上げさせる効果しか無かった。
 
 あの毛皮の女がハコブを真っ先に狙った理由は明白だ。ハコブが俺達のリーダーで、かつ最大の攻撃能力を持っているからだ。
 瞬間的にそれを見抜いたのか、それより前に見破られていたか。どっちにしろヤツの狙いは大正解。今の俺達ではこの目の前の岩鱗熊への決定力に欠けている。
 
「マーラン! ハコブを頼む!」
 俺はそう叫んで“シジュメルの翼”へ魔力を流して飛び上がる。
 俺の使える【風の刃根】も【突風】も、どちらもこの体格に毛皮と岩鱗の装甲に守られた岩鱗熊相手にゃたいした効果はない。
 なら俺がこの中で最も優れている能力をフル稼働させるしかねえ。つまり、速度と機動力だ。
 
 さして広くはない廃城塞内部のさらに奥。だが細かい制動にはかなり慣れてきた。最初のときみてえに柱や壁へと無様に衝突しまくる事もそうそう無い。
 毛皮女の動きを真似て、俺は飛行よりも壁や天井を利用して跳ね回るようにして岩鱗熊を攪乱する。
 たいして効いてないが、時折加える【風の刃根】に苛立つ岩鱗熊は、完全に俺へと目標を定めてきた。
 いくら“シジュメルの翼”による風の防護膜があると言っても、丸太の如き太さの腕に鋭い爪はとんでもねえ脅威。【魔法の盾】効果のあるアダンの“破呪の盾”でも弾き飛ばされるんだから、空中で踏ん張りの効かない俺なんざ掠っただけで撃ち落とされかねない。

「来いや! 熊化け物くまモン !」
 より早く、より機敏に、より正確に。
 爪の先すら掠らしゃしねえぜ。
 天井、壁、床。あらゆる場所を足場にしつつ跳躍と飛行を繰り返し、同時に岩鱗熊へと牽制。
 熊の反応速度はそもそも決して悪くはない。いや、普通の人間が熊の突進や攻撃を避けたりかわしたりするなんてまず不可能だ。どんだけ早く、機敏に動いたところで、少しでも判断をしくじりゃ即座に撃ち落とされる。
 所詮はうるさく飛び回るコバエに過ぎねえ。けどコバエと思って油断してりゃ、蜂の一刺しぐらいはかましてやれる。
 
 奴の腕の可動域を読み切り、突進の姿勢を見せれば軌道を変え加速する。つかず離れず、一歩、二歩先に回り込む。
 いいぞ、こっちへ来い。奴の熱視線は俺のみに注がれている。悪くねえな、モテるのもよ。
 爪先、鼻面、牙を掠めて仲間から引き離し、距離を保つ。
 その矢先───糞ったれ、俺はまんまとそいつに捕まっちまった。
 
 耳元に聞こえるのは野獣の如きうなり声。
 今までの俺のお株を奪ったその相手は、例の毛皮の女だ。
 どこに張り付き隠れていたのか。いきなり背後から飛びかかって組み付くと、喉元へと腕を回して締め付けてくる。
 同時に、左手の爪先は俺の肌を切り裂き抉り血を吹き出させながらさらには目玉をも抉ろうと動き回る。
 
 爪───しかしよく見ればそれは本当の爪じゃない。指にはめ込み拳で握り込むナックルに、短く鋭い爪状の刃を付けた武器だ。
 虎の爪。たしかそんな名前で呼ばれる武器があったはずだが、それに似ている。
 獣のような動きのこの女には、確かにお似合いのエグい武器だ。
 
 そのさせるがままにはしてられねえ。俺も素早くそれぞれの手を掴み、振りほどきまた攻撃を防ごうと力を込めるが、腕に力を込めることに集中すればするだけ、“シジュメルの翼”に流す入れ墨の魔力が不安定になり、飛行の制御が乱れる。
 ああ、マジで糞ったれだぜこいつはよ。毛皮の女の腕力は“鉄塊の”ネフィルにもひけはとらねえ。こっちの力を少しでも緩めれば、喉を潰されるか目玉を抉られるか。けれどもそれを防ぐために力を注げば注ぐ程に、“シジュメルの翼”の制御を失う。
 
 壁に、柱に、天井に幾度も身体を擦らせ衝突しかけては回避をし、なんとか態勢を整える。
 止まってコイツとやり合うか? その考えはさらに馬鹿げてる。あの熊化け物くまモン野郎が執拗に俺を狙い続けているから、床に降り立ち止まれば即座に腸を食い破られるだろう。
 加速して距離を取り引き離すか? いやそうすりゃ熊化け物くまモン野郎は傷を負ったハコブ達を狙う。背中の毛皮女の両手の爪を防ぎつつ、熊化け物くまモン野郎に俺の後を追わせ続けなきゃなんねえ。
 どうする? どうすりゃその二つをうまくやれる? 考えろ、考えろ!
 あー、糞ったれ、そんな都合良く巧く運ぶ手なんざそうそう簡単に思い付くワケがねえ……!
 
「一人で気張るな、バカモン」
 衝撃を受けバランスを崩すが、それは俺よりもむしろ背中に張り付いていた毛皮女の身体を揺らす。
 力が緩んだその隙を逃さずに、俺は半ば強引に毛皮女の両腕を引き剥がしつつ、崩れた態勢を無理やり戻しながら背中から壁にぶつかる。
 丁度毛皮女を壁に叩きつけるかたちだ。女の身体がクッション代わりになり、俺には大きなダメージは無い。だが毛皮女は加速と二人分の体重が乗った衝撃を食らったハズ。風の防護膜の内側に居たとしても、そいつはけっこうなダメージだ。
 
 しかし毛皮女は危うげなく再び身体を捻りながら壁と天井の隅へと両手足を付けて“着地”、そのまま反転して爪攻撃を仕掛けようと飛びかかって来た。
 それを撃ち抜くのはイベンダーのおっさんが放つ篭手からの【魔法の矢】。
 ダメージを受けても止まらぬ勢いに、それならばとそのまま“ドワーフ合金製フルフェイスヘルメット”の頭から突っ込んでのヘッドバット。その勢い、正に人間……いや、ドワーフミサイルだ。

 おっさんの鎧にも、俺の“シジュメルの翼”のそれを模した飛行の付呪がなされている。
 手足のブーツと篭手になされたそれは、俺同様に飛行する能力を兼ね備えているが、滑らかかつ細かな制動はまだ難しい。
 その代わりに馬鹿みてーに勢いがある。その勢いですっ飛んで来ての体当たりは、とんでもねー破壊力になるだろう。
 
 だがその“馬鹿みてー”な勢いで跳ね飛ばされた毛皮女は、それでも落下せずに身体を捻って床へと着地。流石にノーダメージとはいかないものの、ぬらりと光る眼光には相変わらずの殺意が漲っている。
 俺とおっさんも共に着地。一旦仕切り直しと相対するが、これで数的にはニ対二か。俺とオッサンが背中合わせになり、それを毛皮女と熊化け物くまモン野郎とで挟み討ちにする格好。
 その上毛皮女も熊化け物くまモン野郎も、戦力としちゃこりゃ十人分かそれ以上。頭数だけ揃っても、未だ勝てる見込みは見えてこねえ。
 
「強ェわ、固ェわ、素早ェわ…。あの毛皮女、けっこうかなりヤベぇぜ、おっさん」
「流石の“猛獣”ヴィオレトだな」
 言われて、今更ながらに改めて気付く。
 猛獣を支配し使役する魔人ディモニウムの“猛獣”ヴィオレト。
 猛獣の如き力を持つ魔人ディモニウムの“猛獣”ヴィオレト。
 その「どちらか」だったンじゃなく、「どちらも」だったってワケか。
 
 猛獣の力を持ち、猛獣魔獣を操り使役する魔人ディモニウムの“猛獣”ヴィオレト。
 そしてその猛獣魔獣を使役して操れる範囲はかなり広いようだ。
 魔獣部隊を前線に送りつつ、本人はこうしてアジトの見回りをして居られる。
 それとも例の“獣のごとき直感”で城塞内部の異変を嗅ぎ取り戻って来たか?
 何にせよ、ニコラウスが敵主力を引きつける、なんて言ってたが、魔獣部隊の近くに居続ける必要のないヴィオレトには関係無かったってことだわな。
 
「……ロス……」
 その“猛獣”ヴィオレトのうなり声の中に、ところどころ言葉らしき音が紛れている。
 睨みつけてくる目の奥の火は、相対し一言も会話らしいやり取りの無い俺たちへの明確な意志が伺える。
 意志……敵意、殺意の類が、だ。
「……フィル……仇……殺ス……」
 その明確な殺意の理由。
 ああ、そうかいそう言うことかい。
「なる程、だったらテメェにゃその権利があらぁな……」
 ネフィルとヴィオレトの関係性。それが何かは分かりゃあしねえ。
 けど奴の言う通り、本心からネフィルの仇を取りてぇってんなら……。
「ネフィルの仇討ちをしてえってか? なら大当たりだ。俺を殺しゃあ、その願いは叶うぜ?」
 
 “猛獣”ヴィオレトの膨らんだ殺意が爆発するかに弾けて、一直線に俺へと突っ込んで来る。
 そうさ、テメェにゃその権利がある。だがその権利を行使させてやるとは言ってねえし言ってやる気もねえ。
 奴の爪先を屈んだ兜の先で逸らし……いや違う、上……じゃない、サイドに跳ねて壁を蹴り、その勢いを乗せてきた追撃をかわす。
 立て続けの連撃。ハコブのときのような一撃離脱狙いじゃない。こいつの爪は生半な剣よりも鋭く速い。手数一つで持っても俺の倍。反撃どころじゃねえ。かわすだけでも精いっぱいだ。
 
 こうなってくると俺の利点は何だ? 素早さよりは“シジュメルの翼”のドワーフ合金部分の硬さと、風魔法。
 一撃の威力は弱いが同時に複数撃てる【風の刃根】を放ちながら、守るべき場所を急所に絞ってある程度の攻撃を受けるのは覚悟する。
「ぐあァっ!!」
 ヴィオレトの爪が風魔法の防護壁を突き抜けて内股を抉る。“鉄塊の”ネフィルの槍で抉られ、魔法薬でなんとか傷口を塞いで治したばかりの場所だ。
 次は肩、そして脇。どちもまだ痛みが残っているダメージのある箇所。
 コイツ、俺の身体の弱ってる場所を正確に見抜いて狙ってきやがる。何でもかんでも“獣の直感”かよ!
 
 ネフィルの奴は知恵が回った。魔力、高い身体能力を持ち策を巡らせてきた。
 それもそれで厄介だったが、ヴィオレトの“獣の直感”はさらに厄介だ。知恵比べなら俺にもやりようはある。だが“獣の直感”なんてなァ俺にはねえ。
 その上この……。
 
「殺ス……! 殺ス……! 殺ス……!」
 
 鮮烈な殺意。
 補食する為に、縄張りを守るために襲ってくる獣とは違う、正に“人間ならではの殺意”を乗せた攻撃。
 ああ、そうだな、その通りだ。
 たとえ相手がどうしようもねえド悪党でも、人を殺すってのはこう言うことだ。
 俺が直接ネフィルに手を下したワケじゃねえ。だとしても俺は、その殺し殺されの連鎖の渦に手を突っ込んじまったんだ。
 
 その後ろから、別の魔法がヴィオレトを襲う。
「俺も忘れるなよ!」
 ギクシャクした動きで走り寄ってくるのはドワーフ合金鎧に身を包んだちっさいオッサンことイベンダー。
 オッサンの付呪された篭手から放たれる【魔法の矢】は、数発がヴィオレトの背を撃つものの、やはり決定力には欠けている。
 再び飛び跳ねてそれらをかわすヴィオレトは、そのまま素早く壁づたいに離脱する。
 
 オッサンがこっちへ来たという事は、まさかあの岩鱗熊を倒したのか? と思うも、よくよく観るとそうじゃない。
 選手交代。魔獣相手ならこいつの出番、とばかりの頼れる助っ人。かつて王国の闘技場で数多の魔獣野獣と死闘を繰り広げていた“狂乱の”グイド・フォルクスその人だ。
 手四つ、というのか。まるでレスリングの試合みたいにがっつりと、岩鱗熊の鋭い爪の生えた両腕を手のひら合わせで組み合っている。
 マジか。信じられねー光景だ。
 岩鱗熊は体長1パーカ(3メートル)近い巨体だ。いくらグイドがかなりの巨漢だっつっても、そりゃ一応人間の範疇での話。
 本来ならその体格差は大人と子供というくらいに違っているはず。が、しかし、だ。

「おい、でけえぞ!? でかくなってるだろ、あいつ!?」
 今度こそ目の錯覚じゃあねえ。確実に、間違い無くグイドの身体は大きくなっている。
 まだ一回り二回りは小さいが、それでも岩鱗熊と手四つで組み合えるくらいには、だ。
「ああ。どうやらアレが奴の魔力らしいな」
 しれっとそう言いつつ、オッサンは再び前方へと【魔法の矢】の弾幕。
「知ってたンかよ!?」
「いや、さっき知った。
 どうやらダメージを受けるごとにパワーが上がって、身体も大きくなるらしい」
「なんじゃそりゃ!?」
 炎や獣を操るとか、物体を鉄に変えるとかより、よっぽど無茶苦茶な魔力だな、おい。
「でかくなるほど強くはなるが、その分知性と意識を保ちにくくなって死にも近づいてる。今は岩鱗熊とのやり合いでかなり傷を負ってるから、あんだけのデカさになってるんだ」
 確かに、と、よくよく見ればその巨体のあちこちに深く抉られた爪の傷があり、俺よりも遥かに大量の出血をしている。いや、全身血塗れと言っても良い。
 
「くそ、助けるぞ!」
 一旦退いたヴィオレトがいつ戻ってくるかは分からないが、こうなりゃ三人で一気に岩鱗熊を仕留めて、それからヴィオレトに立ち向かうのが最良手だ。
「おおっと、そりゃ無理だ」
 飛び上がり助っ人しようという俺を引き留めるオッサンの声。
「何だよ、何言って……」
 言いかけ振り向いた俺の視界に入るのは、前方から走ってくる毒蛇犬の群れ。
 こちらもあちらも助っ人か。しかも毒蛇犬……。広い場所ならまだしも、この狭さであの数に囲まれりゃあ逃げ場は無いぜ。
 
 ■ □ ■
 
 群れを率いているのは当然“猛獣”ヴィオレト。
 頭数は十頭前後か? いや、まだその向こうにも続いてる。
 毒蛇犬の一番厄介なのは毒蛇の尾だが、群れによる連携も地味にしんどい。その辺りが個体としては岩蟹や鰐男よりも弱いのに、群れとしての手強さが数段上と言われる所以。
 連携のとれる群れは手強い。しかもこの群れのリーダーは“猛獣”ヴィオレトだ。
 
 俺は狭い通路の中、慎重に“シジュメルの翼”に魔力を通わせ浮かび上がると、前方に向けて【風の刃根】をぶちかます。狙いなんてつけない絨毯爆撃。それでも幾つか悲鳴が聞こえ、運の悪い毒蛇犬が倒れたようだ。
 だがそんなのはほんの僅か。あんだけの群れにゃあ焼け石に水だ。
 
「むぬぐっ……!
 こりゃいかんぞ」
 オッサンが何やら妙に身体を強ばらせつつそう吐き出す。
「ああ、拙いぜ、この数相手は」
「いや、そうじゃない」
 じゃあ何なんだよ? と思い横を見ると、
「オーバーヒートだ。
 またこいつの制御が、巧く行かなくなってきおった」
 篭手とブーツに付呪された術式が魔力を増幅させ、風の対流が巻き起こりつつある。
「おいおいおい、ちょっと待て、それかなり拙くねーか!?」
 俺は壁に張り付くようにして踏みとどまるが、暴走しつつある魔力が起こす風がどんどん強くなっている。
「ぬぅぅぅぅ~~~……もう無理だ! 抑えられん!」
 ドン! というかの音と共に、物凄い速度で前方へすっ飛んで行く全身ドワーフ合金鎧のちっさいオッサンは、毒蛇犬の群れを蹴散らしてそのまま右の壁に激突。墜落するかと思いきや壁自体が脆かったのかそのまま突き破ると、さらにどこかへと飛んで消えていく。
 落下や衝撃への防護はかなり付与されているらしいので、今のでおっ死ぬってのはないだろう。ないと思いたいもんだが、かと言って無傷ってのも楽観視しすぎだよな。
 
 俺はまだ混乱している毒蛇犬どもの群の脇をすり抜けて、壁の穴をくぐり先へと進む。
 そこは広く、天井の高い吹き抜けのホールになっている空間だった。
 こりゃ俺にとっちゃあラッキーな展開。“シジュメルの翼”の飛行能力は、狭っ苦しい通路よりも、こういう広い場所でこそ活かされる。
 それに明かり取りの窓、または壊れて空いた穴から光が射し込み、本来夜行性で闇属性の毒蛇犬にはやりにくいはず。
 すぅっ、と“シジュメルの翼”の出力を上げて高い位置で周りを見渡そうとする。
 が、そうする前に脚へと鋭い痛み。
 
「糞!」
 悪態をつきつつ、左脚に絡み付くようにして爪を立てているヴィオレトを右足で蹴る。
 人のそれとはまるで違う“猛獣”の爪先は、蹴りを巧みにかわしながら縦横に脚を切り裂き抉り、穴を開ける。
 飛び上がりつつの急上昇。そのまま右で蹴り続けながら近くの石柱へヴィオレトを叩きつようとすると───奴は即座に手を離しくるりと回転して着地。その周りにはまだ無傷の毒蛇犬が集まりだし、俺への威嚇の吠え声を上げている。
 
 左脚の痛みと出血が酷い。今までの大小の傷を含めれば、いつの間にやらかなりの量だ。個々の傷は大きくはない。だが切れ味が鋭く、その分血も多く出ている。こういうダメージの受け方は久しぶりってのもあってか、急所を防ぎきったことで甘く見積もり過ぎていた。
 飛び回りつつ、腰のポーチからシャーイダールの魔法薬を手早く取り出し、蓋のコルクを取り外す。
 右手に持ちそれを一口。一口つけて飲み干そうとする前に、再び爪先が襲う。
 
 通路より天井も高く広いとは言え、フィールドが直線から立体空間になったようなものだ。ヴィオレトの猛獣の如き身体能力は、石柱や壁を巧みに使い、跳躍の繰り返しで空間中央に浮かぶ俺のところへと攻撃を届かせる。
 建造物の中にいる限り、奴の追撃から逃れるのは不可能。どうにもそういう事らしい。
 飲みきる前に鋭い爪が右手の甲を叩く。
 そのまま薬瓶を弾き飛ばすと、さらには腰のポーチの革ベルトを切り、それら全てが遙か下の石畳へと落とされた。
 猛獣を操り、猛獣の如き身体能力と直感力を持ち、そして人の知恵も持っている。
 魔法薬は僅かながら効果を発揮してやや血が止まりだしたが、完治には程遠い。その上もう薬はない。この後負う傷は、そうそう簡単にゃあ回復出来ねえ。全く、分かり易い程に「追い詰められた」状況だな。
 
 周囲を一瞥。下には毒蛇犬。離れたところから他の手下達が来る気配。ハコブ達の状況は不明。グイドは岩鱗熊にかかりきり。イベンダーのおっさんはどこにいるか分からねえ。
 そして間断無く飛びかかり跳ね回り爪を繰り出す“猛獣”ヴィオレト。
 ネフィルの仇を取りたいらしいヴィオレトに逃走の二文字はねえだろう。
 つまりはここが死線。俺の正念場だ。
 
 
 ヴィオレトの恨み憎しみにまみれた殺意の爪先が、幾度となく俺の腕を、脚を、肌を抉る。
 俺は飛行、奴は跳躍だが、吹き抜けのこの空間での空中戦だ。
「殺ス!」
 鋭く素早い爪の一撃は、ドワーフ合金製の兜や胸当てには刃は立たないし、致命的な急所は守りきってはいるモノの、“シジュメルの翼”の風の防護膜を貫き剥き出しの手足を血に染めて行く。
「殺ス!」
 蓄積される出血にダメージ。一方的なまでの連撃をかわし続けるのはかなりキツい。痛みと焦りで“シジュメルの翼”の制御も難しくなってきている。
 
「殺ス!」
「殺す殺すってうるせえな! バカの一つ覚えかよ!?」
 空中で上体を捻りつつ、壁を蹴って爪先をかわす。そのまま【風の刃根】を飛ばすが、既にヴィオレトは別の壁。
「口ばっかか!? まだ俺は見ての通りピンピンしてるぜ?
 三悪だ凶悪な魔人ディモニウムだあ言われてるが、そこらのチンピラとたいして変わりゃしねえな、おめーらよ」
 目に宿る怒りの炎がさらに猛り狂う。
「こんな掠り傷なんざいくらつけられてもたいしたこっちゃねえな!
 ネフィルといいお前といい、名前負けの拍子抜けだ!」
「黙レ!」
 渾身の一撃。速く鋭いそれは、真っ直ぐに首筋へと伸ばされ……俺の腕に絡め捕られる。
 
 仇討ちを逸るあまりのその攻撃は、確かに速く素早かった。だが軌道は直線で単純。何より挑発を繰り返し敢えて隙を作ることで急所への攻撃を誘った俺は、その一撃を待ち構えていた。
 ニコラウスの策と同じだ。敢えて急所を狙わせる。狙わせてから、そいつを絡め捕る。
 俺は間髪入れずにその腕をへし折ろうとする。するが、ヴィオレトの反射速度も速い。俺の太腿、切り裂かれ抉られた箇所を蹴り上げつつ足場にし、くるりと身体を半回転させ、俺の両腕から腕を抜き去る。ただし無傷とは言え無い。骨は守ったが関節は捨てた。肩間接をゴキリという音と共に外している。
 
 ネフィルのときもそうだったが、こいつらは確かに“イカレた殺戮者集団”。しかしそれでもこの不毛の荒野ウエイストランドで生き抜いてきた知恵と経験がある。何よりガチの“殺し合い”の場数が、俺達“探索者”とは段違いだ。
 殺す為の最も適切な手。生き残る上で最も重要な手。それらを瞬時に判断し、躊躇せずに実行する。
 肩を外したのは俺じゃない。ヴィオレト自らが、俺から逃れる為に瞬時の判断でやってのけやがった。
 
 着地してそのまま、ヴィオレトは壁へと右肩をぶつける。むちゃくちゃだが、そんなやり方で外した肩を元に戻しやがった。
 不敵に、そして凶悪にニタリと笑う。獣の皮を被る火傷顔の南方人ラハイシュの女。やりにくいったらありゃあしねえ。
 再びの跳躍と攻撃。右肩は当然以前のようには動かない。それでも痛み等感じないかのような鋭さに、俺は気圧され気味になんとかかわす。
 手詰まり、とは言いたくねえが、巧い打開策も浮かばねえ。お互い怪我も多くダメージが蓄積されているが、気力では負けて来ている。
 気力……いや、殺意か。
 
「勘違いすんじゃねえぞ、てめえ」
 思わず口をついてでる言葉。
「てめえがメズーラに似ていなきゃ、もっと簡単にケリがついてンだよ!」
 ニ撃、三撃、と繰り出される爪先。
 
 ああそうだよ、糞! 毛皮の服、顔の火傷、肌の色。似ていると言うほど似ちゃあ居ねえが、それでもその風体身なり印象が、メズーラを、そして死んだ妹を思い出させる。最後の最後で、ヴィオレトへの攻めが甘くなる。こりゃもう理屈じゃねえぜ、糞ったれ!
 
 何のことか分からねェってな面してやがる。そりゃそうだろう。それでも奴の執拗な殺意が俺を切り刻む。
 チッ! 薬や魔導具に頼り過ぎてぬるくなってたか? だとしてもそんな反省会は後回しだ。
 左手の爪先を篭手で受け流し、右肩への手刀で反撃。流石に痛むか、回避の動きがやや鈍い。
 怯んで離れたところへ【風の刃根】を撃ち込み、数発が被弾。毛皮に阻まれ大きな傷ではないが、ヴィオレトの回避力は数段落ち始めている。
 近接攻撃しか攻撃手段を持たないヴィオレトは、素早さを損なえば風魔法も使える俺に対して不利になる。畳み掛けるように追撃を加え、さらに数発。僅かだが俺に形勢が傾きだした。
 その僅かな優位が、一気に弾け飛ぶ。
 
 背を撃つ衝撃に仰け反り吹き飛ばされ、肺から空気が無くなったかのよう。
 息が止まり、入れ墨魔法の制御を失い風の防護が切れる。何者か? 新たなその敵の姿を見定めようと顔を向ける。
 目に映るのは巨大な姿。丸太より太い腕。岩のように盛り上がった背。
 
「出て……行け……!」
 苦しげな嗚咽を漏らしているのはグイド・フォルクス。
 壁に開いた穴から、血にまみれつつもさっきよりもさらに大きくなった身体でふらついている。
 怪我のためか? 意識も朦朧とし覚束ない様子で、まるで寄ってくる虫を振り払おうとするかに手を振り回す。
 
 援軍到来……と言いたいところだが、この様子じゃ当てには出来ない。
 そう思いつつ急いで“シジュメルの翼”へ魔力を通し壁へと着地。そのまま空中へ飛び上がり姿勢を維持し旋回する。

「入って……来るな……女……!!」
 益々様子のおかしくなるグイドは、のたうちもがくように暴れ、壁に柱にと身体をぶつけて地響きをあげる。
 その両の目が見開かれ、瞬間鈍く輝き俺を観ると、
「逃げロ……JB……モウ……保タナイ……!」
 叫ぶと同時に、一瞬ガクリとうなだれ這い蹲る。
 
 拙い。意識を失ったかと近くへ飛ぶ。だが魔法薬を落とされてしまったから有効な回復手段を持って居ない。
 どうしたものか。考えはすれども答えもない。
 その俺の思考を再びの剛腕がぶった切った。
 風きり音が間近に聞こえる。かすりでもしただけでそれこそ蠅のように叩き落とされるだろう威力。
 
「おい、グイド……! しっかりしろ……!」
 呼び掛けるもその声は明らかに奴の意識には届いてない。
 爛々とぬめるように輝く双眸は、血走り狂乱の二つ名に相応しく濁っているがそれだけじゃない。
 ああ、見た。見ている。俺はこの目の色をした連中を既に見ている。
 岩鱗熊。毒蛇犬。“猛獣”ヴィオレトの魔力により支配され、操られていた魔獣達と同じ目だ。
 
 ダメージを受ける毎に身体が大きく、強くなると言う、グイドに埋め込まれた魔術……いや、本人曰く“呪い”。
 そしてそれに反比例して、知性や意識が保てなくなるとも言っていた。
 その程度はどのくらいまでだ? 人間性を失い、それこそ獣同然と言うまでになっちまうとしたら?
 
 “狂乱”の咆哮を上げ、その両腕をハンマーのように振り上げ叩きつける。
 重機並み破壊力で床の石畳が陥没。俺に当たってたら、それこそ空き缶を潰すかにぺしゃんこだ。
 
 いつの間にやらその背に跨がり笑うのはヴィオレト。“魔獣、野獣を支配し操る”魔力により、新たな強力な“部下”を手に入れたようだ。
 
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異世界に転生したが、欲に目がくらんだ伯爵により嬰児取り違え計画に巻き込まれることに。 流されるままに極貧幽閉生活を過ごし、気づけば暗殺者として優秀な功績を上げていた。 しかし、暗殺者生活は急な終りを迎える。 同僚たちの裏切りによって自分が殺されるはめに。 ところが捨てる神あれば拾う神ありと言うかのように、森で助けてくれた男性の家に迎えられた。 新たな生活は異世界を満喫したい。

気づいたら美少女ゲーの悪役令息に転生していたのでサブヒロインを救うのに人生を賭けることにした

高坂ナツキ
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衝撃を受けた途端、俺は美少女ゲームの中ボス悪役令息に転生していた!? これは、自分が制作にかかわっていた美少女ゲームの中ボス悪役令息に転生した主人公が、報われないサブヒロインを救うために人生を賭ける話。 日常あり、恋愛あり、ダンジョンあり、戦闘あり、料理ありの何でもありの話となっています。

称号は神を土下座させた男。

春志乃
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「真尋くん! その人、そんなんだけど一応神様だよ! 偉い人なんだよ!」 「知るか。俺は常識を持ち合わせないクズにかける慈悲を持ち合わせてない。それにどうやら俺は死んだらしいのだから、刑務所も警察も法も無い。今ここでこいつを殺そうが生かそうが俺の自由だ。あいつが居ないなら地獄に落ちても同じだ。なあ、そうだろう? ティーンクトゥス」 「す、す、す、す、す、すみませんでしたあぁあああああああ!」 これは、馬鹿だけど憎み切れない神様ティーンクトゥスの為に剣と魔法、そして魔獣たちの息づくアーテル王国でチートが過ぎる男子高校生・水無月真尋が無自覚チートの親友・鈴木一路と共に神様の為と言いながら好き勝手に生きていく物語。 主人公は一途に幼馴染(女性)を想い続けます。話はゆっくり進んでいきます。 ※教会、神父、などが出てきますが実在するものとは一切関係ありません。 ※対応できない可能性がありますので、誤字脱字報告は不要です。 ※無断転載は厳に禁じます

【本編完結】転生したら第6皇子冷遇されながらも力をつける

そう
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転生したら帝国の第6皇子だったけど周りの人たちに冷遇されながらも生きて行く話です

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